幕間 ~精霊術師の弟子と魔王~

 騎士たちとのやりとりからしばらく後、エーファとアルは行きつけの食事処から料理を受け取り、帰路についていた。


(ううん……)


 抱えた籠の中からは、埃避けにかぶせた布越しに食欲をそそる香りが絶えることなく漂ってくる。冷めてしまうまでに戻りたいところではあるのだが、エーファは普段よりも抑えた歩調で進んでいた。

 その原因にちらりと栗色の瞳を向ける。

 エーファの裾を摘まむほっそりとした手。形の良い指先、傷一つない珠の肌は、稀代の彫刻家がその人生をかけて生み出した創造物のようだ。そのまま腕をたどって主へと視線を送ると、人形のように整った目鼻立ちと、それでいて無機質にならない愛らしさを備えた黒髪黒眼の少女の姿があった。


 着ている服こそ(控えめに言って)質素であるものの、容姿や佇まいは貴族のご令嬢のようである。きちんと着飾って広場の噴水前に立つだけで、そこは絵画の一場に変わるだろう。今の格好のままでも道行く人の九割は男女関係なく振り返るはずだ。


(まあ、それもこれも、ちゃんと歩いてたらだけど、ね)


 今の彼女は俯き加減に背中を丸め、半ばエーファの陰に身を隠している。そのため周囲から顔は見えず、片手に料理の入った小さな籠を抱え、もう片方の手ではぐれないようエーファの服の裾をぎゅっと握っている様は年端もいかぬ女の子のようだ。

 彼女のことを師匠は『魔王ヴァルドラ』と呼んだ。


 “ヴァルドラ”は代々の魔王に与えられる名前だと言われている。

 現在の人々が抱く“魔王”と言えば、やはり二百年前の大戦争を引き起こしたヴァルドラだろう。文献によってその詳細は異なるが、おおまかにその姿は湾曲した角と長大な翼を有した天を突くような異形の巨人だとされている。

 大戦争により魔族はすっかり鳴りを潜め、現在に至るまで少なくとも表舞台に出てくることはない。獣とかわらない魔物はともかく、魔族は絶滅したのではと囁かれるほどである。結果、直に魔族を見た者はいなくなり、文献や巷間に語りつがれるヴァルドラの姿が魔族全般のとして想起されるようになっていた。


 先刻、館での高圧的な物言いは迎撃態勢をとるに十分なものだったが、精霊術を前に戦意を喪失し、一介の騎士にすら畏縮する様は巷間で語られる“魔王”とはあまりにもかけ離れていた。

 しかしエーファは「師匠が言うのならそうなのだろう」と、少女の正体を疑ってはいなかった。その魔王がどうしてエーファと同年代の可憐な少女の姿をしているのか、勇者であるクリムと一緒にいるのかなど疑問はあるが。


 そもそも、クリムと少女の関係も、エーファにとってはちょっとした悩みの種なのである。

 ただの魔族であるならばとして処理するにやぶさかではない。むしろわかりやすいので、率先して燃やしただろう。

 しかし、そう単純ではないためにエーファは自らの感情の落としどころに困っていた。


 魔族は人間の天敵であり排除すべき脅威。それは先の大戦争を引き合いに出すまでもなく歴史が物語るところであり、現在に至るまでヒトが持つ共通認識である。

 だのにこの少女は自分たちと同じように非力で、どころか小さな子供にすら劣るかもしれないときた。


 なにせクリムが気にかけているほどである。

 あの、小さな頃からずっと無関心無頓着で他者との相互理解をもとより避けている少年がだ。

 そんな彼が、自分から助け舟を出した。

 これが驚かずにいられるだろうか。

 師匠ですらそうだったのだ。

 それほどまでに少女が大切だったのか。

 もしくは、それほどの事情があるのか。


 魔族であるのに敵ではなく。少女の姿で人間とは違い。魔王でありながら無力で。

 これでは勇者に守られるお姫様だ。

 自分の想像に、エーファは知らず唇を尖らせていた。


(あ~あ、クリム君が弱みを握られてるとか、騙されていいように利用されてるとかだったら、まだわかりやすいんだけどなぁ)


 それなら原因を燃やして解決だ、と血の気の多い思考を巡らせるエーファ。

 ほぼほぼ的のど真ん中を打ち抜いている予想ではあったが、彼女としては愚痴以上のものではなかった。


(ううん、頭痛くなってきちゃった……)


 もともとは小さな村の職人の娘だったエーファは、ハスタに弟子入りしてからそれなりの教育を受けてはいるが、あれこれと考え事をするのは苦手だった。


(あ。そういえば、お師匠を訪ねてきた人がいたって言ってたっけ)


 だからついつい思考がへ逸れてしまう。


 先刻会った騎士たちは南門の守衛で、世間話のかたわら報告を受けていたのだった。

 彼らが昼の休憩に入る少し前、門外からの来訪者の一人がハスタの所在を訪ねてきた。騎士団の章が刻印された賞牌メダルを所持していたため案内を申し出たが、「観光ついでにのんびり探す」とおおまかな場所だけを聞いて去って行ってしまったらしい。


 何の知らせも受けていないし師匠からも聞かされていないが、来訪者の連絡が前後するなどままあることだ。

 しかし来客があるのなら急いで帰る必要がある。用意など何もしていないし、今館にいるのは胡散くさい老人と不愛想な少年の二人だけである。もしも来客が騎士団内で上位の人物であったり、王からの特使などであったら、目も当てられない。


 ハスタより立場が上の人物がそもそも少数であるため滅多なことでは無礼とはされないのだが、万が一ということもある。それに最低限まともなもてなしができなければ、それだけで侮られる理由にはなるのだ。

 その程度、とハスタは気にも留めないが、エーファとしては師匠がそんな些細なことで侮辱されるのは受け入れがたかった。


 ならば早く帰らなければ、と同行する少女へ改めて意識を戻す。

 そのためには彼女をどうにか急かさなければならない。

 騎士とぶつかったことですっかり委縮してしまい、周囲を警戒するあまり慎重になった歩みは牛歩のごとく進まない。

 どうにか安心させてみれば、元の歩調に戻るだろうか?


(あれ?)


 それとなく少女の様子をうかがっていると、どこか雰囲気が違う気がする。

 相変わらず俯いたままではあるのだが、オドオドとした様子はもうない。

 視線を追ってみれば、地面――ではなく片手に提げた籠へと注がれていた。

 キュウゥゥゥ……と少女のお腹からか細い音が聞こえた。

 いつの間にか料理の方へ関心が移っていたらしい。

 聞けば夜明け前にクリムの家を出たというから、しっかりと食事をとっていないのだろう。出来たて料理の芳醇な香りに魅了されるのも無理はない。


「あ、あの――」


 声をかけると、驚いたのかバッと少女が顔をあげた。その勢いにエーファの両肩もビクリと上がる。


「ちょっと急ぎましょうか。お腹もすいてきましたし。お料理が冷めないうちに……」


 帰りましょう、という言葉は立ち消えになった。

 黒曜の瞳がエーファを見つめていた。吸い込まれそうな夜空の色に言葉を失う。

 少女は何か得心したように頷くと、口を開いた。


「ごめんね?」

「――え?」

「私がぐずぐずしてたから、迷惑かけてたでしょ」


 まさかこちらの考えを見透かされた上に、思いもよらなかった言葉をかけられエーファは絶句する。


――“魔王”が人間わたしに謝る?


 人間として、あるいは騎士団屈指の術師の弟子であり従者としてのエーファからすれば、魔王しょうじょはいくら用心と警戒をしても足りない相手だ。

 だというのにこの子の振る舞いは、弱くて世間知らずな人間のそれである。

 心の距離を計りかねてエーファは混乱する。


「ほら、客が来るかもしれないんでしょ」


 しっかり騎士たちとの会話を聞いていたようだ。

 早く行こうと急かす少女に、釈然としないままエーファは頷く。


「は、はい。それじゃあ、少し急ぎますね?」


 歩き出そうとしたら、くいっと服の裾を引かれた。


「あのぅ?」

「ええと、ほら、私、道わからないから迷うといけないし。並んで歩くと、また誰かにぶつかっちゃうかもしれないでしょ?」

「それだと、さっきまでと変わらないんじゃ……」

「大丈夫だもん、ちゃんとついて行くから!…………でも、体力ないから、ちょぉっと加減してくれるとうれしいかなぁ~、なんて……」

「…………」


 上目遣いで照れくさそうにする少女に、すっかり毒気を抜かれてしまった。

 背を向けて裾を掴みやすいように腰を少しだけ出す。


「えへへ」

「……歩くのが早かったり、疲れたら言ってくださいね」

「うん、わかった」


 雑踏の中、二つの足音がそろって動き出す。


「……あのさ」

「何ですか?」

「あのハスタって、どんな奴?」

「え?」


 思わず立ち止まって振り返ってしまった。

 ざわり、と警戒心が湧き上がる。


「いや、黙ったままってのも、どうなのかなってっ」


 アワアワとする少女の様子に、どうやらただ話のきっかけに話題を振っただけのようだとエーファは肩の力を抜く。

 気を取りなおし、再び歩き出す。


「そう、ですね――あえて言葉を選ばないなら、掴み所がなくて信用できない困ったヒト、ですね」

「あー……」


 まさか師匠をそう評するとは思わなかったのか、それとも「さもありなん」と納得したのか。少女があいまいな相槌をうつ。

 もう何年もあの人の弟子をしているが、その印象は変わらない。


 初めて会った時にかけられた言葉はなんだっけ?

 ああ、そうそう「良い事をしていればきっと自分に返ってきます、なんて言ってた知り合いがいるんですがどう思います?」だ。

 本当、五つにも満たない小娘相手に何を聞いてるんだろう。

 知らないうちに口元がほころんでしまっていた。

 だから、言うつもりもなかった言葉が零れ落ちる。


「でも、尊敬する師匠です」


 驚かれるか、笑われるかと思ったが、少女の反応はどちらとも違っていた。


「そう――そうだね」


 優しく首を振る気配。

 それはエーファ達師弟にというよりは、自らに向けられたものであるように感じた。

 もしかしたら、彼女にも似たような存在ひとがいるのかもしれない。


「まあ、弟子入りしたその日に『風の精霊術で空は飛べない』って、子供の夢をぶち壊してくれたことは、今でも恨んでますけど」

「えー! 風の精霊術で飛べないの?!」


 エーファはつい吹き出してしまう。

 少女の反応は当時自分がとった反応そのままだったから。

 とりあえず、この子を魔王や魔族として、“敵”として見るのはしばらくは止めておこう。

 本人が望むように、アルという一人の少女として接することにしよう。

 もしも彼女が魔王としての本性を現したのなら――


――その時は、お師匠や勇者に何とかしてもらおう。


 たまには無責任に頼ってもいいだろう。

 なんたって私は人類最強の術師の弟子なのだから。


 そんなことを考えていると「何で笑うのよぅっ」と後ろから不満げな声がかかり、エーファはまたクスクスと笑った。

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