魔王と精霊術師③

――ああ、いい天気だなぁ。


 仰いだ空には高く高く太陽が輝いている。

 今日も暖かくなりそうだ。こんな日は温室で、傍らに紅茶を置いて読書に耽ればどんなに気持ちいいだろう。一晩かけて抽出した水出し紅茶に、薄く輪切りにした檸檬れもんを浮かべて。小麦粉と牛酪バターと砂糖を混ぜたサクサクの焼き菓子が一つ、二つ、三つ――


「ど、どうかしたんですか?」


 横から遠慮がちに声をかけられ、アルは意識を引き戻される。


「……どうして私がお遣いなんかしてるのかなぁって」

「しょ、しょうがないですよ。お師匠の言いつけなんですから」


 唇を尖らせたアルに、あわあわと眼鏡の位置を直しつつエーファが釈明する。

 結局、ハスタの「昼食にしよう」という一言で、話はうやむやのままに中断されることとなった。

 アルとしては、あのどことなく胡散くさい老人が仲間になるとか正直どうでもいい(むしろ信用できないので来ないでほしいくらいだ)。とりあえず黒焦げにされるのを回避できたのだから、早々に帰りにげたいというの本音だった。

 しかしクリムはもとよりここで一泊するつもりだったらしい。ハスタの昼食の誘いに二つ返事で頷き、何故かアルがその買い出しに駆り出されてしまった。


「荷物持ちならクリムでもいいじゃない」

「ク、クリム君は怪我してるし」


 アルがぐっと言葉に詰まる。

 怪我の原因が自分であるだけに、そこを持ち出されると弱い。

 まあ、どうせていよく人払いされたのだろう。でなければ、アルたちが持ってきた食材があるのに、わざわざ近場の食事処で持ち帰り可能な料理を注文する必要がない。ウルドがクリムに力封じの指輪を渡していた時のように、二人で何か話でもしているのではないだろうか。


(まったく、どいつもこいつも私に黙って話を進めてさ)


 今回は成り行きで仕方なくついて来ただけだし、勇者や魔王などといったにも興味はない。けれどこうも除け者にされると、それはそれでなんだか面白くないのである。


「あのぅ……」

「ん、何よ?」

「ど、どうしてわたしたち手をつないでるんですか?」

「? こんなに人多いんだし、はぐれるといけないじゃない」

「そ、そうですね。はい」


 何故か顔を真っ赤にして俯くエーファ。しきりに大きな眼鏡を触っては、ちらちらと周囲を気にしている。

 どうかしたのだろうか。アルとしては、自分がはぐれないように彼女の手を握っているだけなのだが。


「あ、あのぅ」

「何よさっきから。どこか変?」

「へ、変というか恥ずかしいというか…………そ、そうじゃなくて、クリム君とは、どういう、関係なんですか?」

「どういう関係?」


 おうむ返しに応えて、アルは顎に手を当てる。

 改めて聞かれると、何だろう。

 魔王と勇者? 宿敵? 同居人? 護衛? ううん……


「共犯、かな?」

「え、ええ!?」


 まあ、一緒に人間の偉い人を騙そうっていうんだから、その表現が一番しっくりくるだろう。

 

(うーん、でも響きはよくないかなぁ。エーファもなんだか複雑な表情してるし……)

 

 そんな風にぶつぶつと考え事をしていると、肩に強い衝撃を感じた。


「いぅ!?」


 どうやら何かにぶつかったらしい。

 涙目になってそちらを睨むと、鎧を着こんだ男がこちらを見ていた。

 瞬時に門で同様の武装をした集団に取り囲まれた光景がよみがえり、アルの全身から一気に血の気が引く。あろうことか騎士に肩を当ててしまったのだ。


「貴様ぁっ! 吾輩を光翼騎士と知ってての狼藉か!?」

 ぶつかった騎士が鬼の形相で剣を抜き、

「こんな無礼な奴は死刑だ! この場で斬り伏せてやる!」

 隣の騎士がガンガンと盾を打ち鳴らす。

「いいや、騎士様に危害を加えるなんてきっと魔族だ!」

 傍を歩いていた住民がアルを指差し声高に糾弾を始め、

「ひゃっはー、魔族は消毒だ!」

 騒ぎを聞きつけた酒屋の店主が手にした松明に度の強い酒を吹き付け炎をまき散らし、

「焼いて賽子さいころ状に刻んで豚のエサにしちまえ!」

 花屋の老婆が巨大な剪定鋏せんていばさみに舌を這わせヒタヒタと歩み寄ってくる。


 すべてアルの被害妄想でそんな事態は一切起こっていないのだが、少なくとも本人の中ではほぼ確定した未来の予測げんかくだった。


(か、狩られる、細切れにされる……)


 なす術もなくプルプルと震えるアルだったが、


「ご、ごめんなさい。ちょっとぼうっとしちゃって」


 エーファが少女の肩をそっと引き寄せて、騎士へ頭を下げた。


「ああ、エーファさん。いえ、こちらこそ申し訳ない。お嬢さん、怪我はありませんか?」


 少女と顔見知りだったらしい騎士の言葉に、アルはコクコクと頷く。

 それから騎士たちはエーファと二言三言、言葉をかわすと去っていった。


「ええと、だ、大丈夫ですか?」


 うなだれたままのアルにエーファが手巾ハンカチを差し出す。


「な゛い゛て゛な゛い゛も゛ん゛」

「あ、はい、そうですね」


 泣いてはいない、けれども柔らかな布を受け取ってグジグジと顔を拭く。


「ええと、手、手をつなぎましょうか。人多いですし、はぐれて迷ったりするといけませんし。ね?」


 アルはこっくりと頭を振ると、エーファの腕にしがみつくように密着した。


「あの、そこまでくっつかなくても」

「はぐれると危ないでしょう!?」

「はははいっ、そうですね!…………でも、もうちょっと離れても……」

「ぅぅううううぅぅ…………」

「…………」


 こうして、魔王様による初めてのお遣いは、心に新たな傷を作ったのであった。

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