魔王と精霊術師①
「どうぞ」
「……ありがとう」
差し出された紅茶を受け取り、アルは口をつける。
すっきりとした茶葉の香りと程よく溶け込んだ蜂蜜の甘さに、緊張が少しだけやわらぐ。
アルとクリムは、ハスタと名乗る老人の邸宅に通されていた。
“村”の守衛にあわや拘束されかかったところを、彼の弟子であるエーファという少女に助けられ、そのままここに案内されたのだ。
「しかし、どうしてこんなことに?」
ハスタは挨拶もそこそこに、好々爺然とした表情に苦笑を浮かべて、クリムへ訊ねる。
エーファも興味深げに癖のついた髪を揺らしている。
二人はクリムの知り合いで、ハスタに至っては彼の祖母の古い友人らしい。その縁で定期的に畜産物を買い取ってもらってもいる、魔王城とは別の顧客である。
それ故、今回の騒動にも即座に駆けつけ守衛長に口を利いてくれたのだった。
事の経緯を問いかける二人の態度から窺える「騒動や問題を起こすのは今に始まったことではないけれど」という慣れた様子も、双方の付き合いの長さを物語っている。
クリムは言葉を探すように中空へ視線を向け、やがてアルの方を見やると、
「アルが何か震えてた」
説明にもなっていない回答をした。
(おい、事実だが妙な印象を与える説明は止めろ。私が変なヤツみたいじゃないか)
心の中でクリムへ突っ込んでいると、いつの間にか全員の視線が自分に集中している。
(え、これ、私が答えなきゃいけない流れ? って、
たかだか三人ではあるが、複数の視線に同時に晒される経験のないアルはすっかり委縮して縮こまってしまう。
「お嬢さん」
うつむくアルに、ハスタの声がかかる。
外見に見合った、低くて落ち着きのある声音だ。
「クリムは私の親友の養子であり、長い付き合いで彼の人となりも知っています。だから今回の件ではエーファに足を運ばせ守衛に口を利いてもらいました。ただし、少なくとも私たちには事の顛末をはっきりさせてもらう必要があります。お嬢さんとは初対面で、彼に貴女のような知り合いがいたことも初耳だ。もしかしたら、クリムが本当に誘拐まがいのことをしでかしたのかもしれない」
クリムへ疑いをかけられ、反射的にアルは顔をあげる。
「その場合は、こちらとしてもしかるべき対処を取らなければいけない。無論、お嬢さんが脅されているというのであれば、安心していい。今の彼ならば私とエーファで充分に取り押さえることもできます。だから、落ち着いて話していただけますか」
真正面から受け止めた視線には、穏やかさの奥に相手を見定めんとする鋭い光があった。
どこか
アルとしても、これ以上事態をややこしくしたくはない。
単に自分が答えるのが嫌なだけだ。
もだえるほどに。
心の中では頭を抱えてのたうち回っているほどに。
「……ただ私がびっくりし過ぎて、あの人たちに誤解されたってだけよ。クリムの言ってることは間違ってないわ。……いろいろ足りてないけど」
* * *
さかのぼること本日の未明。
アルとクリムは“村”へ畜産物を卸すために、陽の上がる前から家を出発した。
クリムは片腕を吊ったままのためアルは一緒に荷車を曳くことも考えていたのだが、彼は片手で持ち手を操作しつつ危なげなく進んでいく。
しばらくは二人とも順調に歩いていたのだが、遠くの尾根から朝日が顔を出し始めた頃――
「ひ……ぅ……ひぃ……はぅ……」
アルに限界が来た。
「も、もう、着く……?」
「全然」
クリムは地面にへたり込んだアルを振り返りつつ淡々と答える。
「い、家、から、半日、でしょ…………夜に、出発して、朝に、なった、んだから……はん、にち、じゃない……」
「いや、日の出前に出て朝になっただけだから。まだ十分の一も来てない」
キュウゥゥゥ……とアルがどこから声を出しているのかわからない悲鳴をあげる。
実のところ、半日というのは一般的にかかる時間であって、このままでは到着は夜になりかねないのだが。
「アル、荷台に乗って」
「ぅう……でもそれじゃあついて来た意味がないし……」
「アルくらいなら乗っても変わらない。村に着いてから手伝ってくれればいい」
そうクリムになだめられ、同行してきたルーに目の前で「ふぅ……」とため息をつかれ、精神に幾ばくかの傷を負ったアルは勧められるまま荷台に乗ることにした。
――それにしても
半ば這いずるようにして荷台に入り込むと、ルーもついて来た。
生ものを運搬するためだろう、簡易ながらも幌が張られ、陽が差し始めた外よりも少しだけ涼しい。
荷台の隅に身体を納めるのにちょうどいい隙間を見つけ、荷物の間にすっぽりと座り込む。するとルーが膝の上に乗ってきて丸くなった。
しばらくは車輪の回る音に耳を傾けていたが、朝早かったこともあり、ルーの心地よい暖かさも手伝ってアルはいつの間にか眠りについていた。
次に意識が戻ると、荷車の振動は止まっていた。
外から声が聞こえる。
どうやらクリムが誰かと会話しているようだが、眠気に揺られている状態ではっきりと聞き取れない。かろうじて「用心」「検め」といった単語が理解できた程度である。
幌が勢いよくまくり上げられ、荷台に明かりが差し込む。
急な光にアルは小さく悲鳴をあげる。
すると誰かが荷台の中を覗き込んできた。
クリムではない。見知らぬ男だ。
一気に眠気が吹き飛び、警戒で身を強張らせる。
男はアルの姿を認めると、眉をしかめ頭を引っ込ませた。同時に外が慌ただしくなる。
だが、アルはそちらに意識を割く余裕はなかった。
まくり上げられた幌の向こう側には、彼女の予想していなかった光景が広がっていたのだ。
(なに、ここ?)
そびえたつ石造りの壁。中央には鋼鉄でできた巨大な門。その上には見張りだろうか、数人の鎧をまとった男たちの姿がある。
それは小説や図鑑で見た城塞の外壁そのものだった。
何でこんなところに? 村に向かっているはずじゃ?
いくら考えども、混乱した頭では思考がまとまらない。
荷台を覆っていた幌がブチブチと音をたてて強引に引きはがされた。
とっさに木箱にかけられていた麻布をかぶる。
ガタガタと震えながら周囲を視線だけで探る。
周りには武装をした男たち。
そして先ほどは気がつかなかったが、門に刻印された印が目に入った。
剣と盾が重なり、それを大きな翼が両側から包み込んでいる。
(げ)
剣と盾を抱く翼は光翼騎士団の徽章だ。
二百年前の大戦争をきっかけとして結成された、対魔物・魔族のための武装勢力。
勇者を除けば、人間たちの人間たちによる唯一無二の盾である。
(騙された?!)
まさか「村に行く」なんて私を安心させておいて、光翼騎士団に売り渡したっての!?
アルは心の中で絶叫する。
眼前に広がる
が、実はアルとクリムの目的地は間違っていない。
ここが二人の目指していた“村”なのである。ただその規模が呼称に対して桁違いなだけで。
しかしアルはそのことを知らず、クリムにとって眼前の城塞は“村”であるため説明の必要すら感じていなかった。
それが盛大なすれ違いを生んでいた。
人類の守護を謳う光翼騎士団は、街はもちろん村などの小規模な人里にも数人の騎士を治安維持のために派遣している。
アルもその点は知識として持っていたが、眼前の光景は彼女の抱く“村”とはかけ離れすぎていた。
さらに間の悪いことに、いくつかアルたちにとっての不幸が重なる。
また新任の守衛長が生真面目で、魔物や魔族、あるいは犯罪者の侵入を防ぐために門前で簡易ではあるが検問を逐一行っていたこと。
さらにはその場にクリムと面識のある人間がおらず、本来なら素通りでも構わなかったところを検問にかかってしまったこと。
極めつけは、荷台で休んでいたアルが、荷物検めのために覗き込んだ守衛に貴族の令嬢と勘違いされたことである。
この時彼女は、荷卸しを手伝うための作業着としてクリムから借りた衣服を着ていたが、何も知らない騎士たちからすれば、隠すように荷物の隙間に押し込まれ
状況を理解できないままむくつけき男たちに取り囲まれたアルは、恐慌と混乱のあまり隙間に縮こまり、彼らがなだめようが手を伸ばそうが全く動かない。
その様が「悪質な奴隷商からよほど手酷い仕打ちを受けたのでは」とあらぬ想像を掻き立て、生真面目な騎士たちの義憤に火をつける。
クリムはクリムで話下手な上に、少女に対しての説明を求められたところでバカ正直に話すわけにもいかず口ごもっていると、それが怪しさに拍車をかける始末。
あわや拘束されかけたところで、駆けつけたエーファに引き取られ事なきを得た――というのが顛末である。
* * *
「あっはっはっはっはっは」
話し終えると、ハスタは声を大きく上げて笑い出した。
エーファも笑ってこそいないが、
「ク、クリム君は相変わらず予想の斜め上を行くね……」
と、手に持った盆で口元を隠しつつも呆れた声を出す。
「ぐぅううううぅぅぅ……」
アルは真っ赤になって頭を抱える。
(だから喋りたくなかったのにぃ!)
自分で自分の恥を説明するなんて、どんな羞恥刑だろう。
それもこれも、ここが“村”なんてややこしい呼ばれ方をしてるからだ! まるっきり城塞都市じゃないか!
「いやいや、それが完全に的はずれの呼称でもないのですよ、お嬢さん。もともとは村だったのだしね」
二百年前の大戦争で、最も魔物の森に近いこの村は最前線の拠点になった。家屋に多少の被害を出しつつも、戻って来た住民により村は再興された。やがて魔物の森の動向を監視する拠点としての有用性を見出した光翼騎士団が、人員を村に駐在させるようになり、次第に防護や設備が増えていくのに比例して流通も活発化し、現在の規模に至ったのだそうだ。
あくまで村の状態から長い年月をかけて少しずつ拡張されていったために、名称を変更する時期を逃してしまったらしい。
「いや、変えなさいよ。ややこしいから」
アルの指摘に「もっともだ」と笑うハスタ。
落ち着いた物腰のわりに、笑い上戸のようだ。
「あのさ、荷物も卸したことだし、もう帰ってもいい?」
ふくれっ面でアルがぼやく。
腰掛けている椅子は柔らかいし、お茶はおいしい。もてなされていることに悪い気はしないが、外には
魔族で魔王のアルとしては、気が気ではなかった。
「いやいや、今からでは帰るころには夜も更けてしまいますよ。泊まっていきなさい」
「う……でも……」
「それに、クリムは何か話があるんじゃないですか?」
矛を向けられ、クリムは静かに頷く。
それを受けてハスタは「会うのも数か月ぶりだしね、ゆっくり話しをしましょう」と目じりのしわを深くすると、アルに再び向き直った。
「あなたに聞きたい事もありますしね」
「私には……ない……かなぁ」
なぜだか嫌な予感がする。
この感覚はウルドに隠し事がばれた時にすごく似ている。
さらにルーがまた姿をくらましているのも怪しい。あの魔物、
――ぜったい、今回も、厄介なことに……。
そろそろと腰を浮かせていると、やおらハスタが立ち上がり恭しくお辞儀をする。
「改めて自己紹介を。お初お目にかかります。今代の魔王、ヴァルドラ殿。光翼騎士団所属、首席精霊術師のハスタと申します。また、先代勇者一行の一人でもあります。お見知りおきを」
ダッ――と反射的に椅子を蹴り飛ばし扉へ疾走する。
ガチャガチャガチガチャガチャ!
(開かないぃぃぃぃ!!)
鍵でもかかっているのか引けども押せども微動だにしない。
逃げられない、そう覚ったアルは、
「騙したな!?」
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