幕間 ~精霊術師の弟子~

 青く高く澄み渡った空。

 陽はポカポカと暖かすぎるくらいだが、優しく通りすぎる風が肌の火照ほてりを拭い去っていく。


 物干し竿に最後の洗濯物を引っかけ、少女は一息つく。

 ふと空を仰ぎ見れば、上質な綿毛のような純白の雲がゆったりと流れていた。


「わぁ、気持ちよさそう」


 お日様の光をたっぷりと受けてフワフワになった綿の感触を想像し、少女――エーファは目を細める。

 しばらくポカポカとした陽気に身を任せていると、ひょうと強い風が吹き抜け、ツンツンと癖のある栗毛を乱暴に揺らしていった。

 エーファは「ひゃっ」と小さく悲鳴をあげると、唇をとがらせながら髪を手で整えていく。

 しかし、いくら撫でつけても癖っ毛はあらぬ方向へはねてしまう。

 諦めて腕を下げると、小ぶりな鼻の上にのった大きな眼鏡の位置を両手でなおす。その奥では髪と同色の瞳が不満げに揺れていた。


「あーあ、せっかく整えてたのに」


 ため息をついて洗濯かごを抱える。


「エーファ」

「はいっ」


 背後から名前を呼ばれ反射的に返事をしつつ振り返ると、師匠のハスタが窓から手招いている。

 ハスタは精霊術師であり、研究者だ。

 光翼騎士団における筆頭術師であり、時として王の相談役も行うかなりの重要人物である……らしいのだが、どういう訳かこんな“辺境の村”でエーファには理解のできない研究を続けている。

 聞いた話では、実地調査と称してフラフラと行方をくらますので、から「頼むからせめて連絡のつく場所にいてくれ」と懇願されてここに落ち着いたのだとか。


 実は先代勇者一行の一人だという噂もあるが、正直これは眉唾ではないかとエーファは思っている。

『先代』とはいうものの、その実態は知られていない。

 およそ百年前、魔王復活の兆候である魔力の変動は、確かに起こったらしい。

 二百年前の大戦争を切っ掛けに結成した光翼騎士団と、それを有する王都は即座に調査を開始。しかし、当の魔王は一向に現れず行動を起こさず、魔力の変動も数年をかけはしたが、徐々に収縮していった。

 これには、魔王が完全な復活を果たす前に勇者一行が討伐を達成したという説と、魔力の変動は冷夏や暖冬のようなまれに起こるムラのようなものだとする説がある。


 そうした説の是非は置くとして、仮に勇者一行が実在していたとしても百年以上前の人物である。

 ハスタは老齢ではあるはずだが、皮膚にはハリがあり、しわも少ない。常にぴんと伸ばされた背筋は、その長身を強調していた。自ら実地調査に赴くだけあり、足腰や体力もそこらの大人など比較にもならないほど達者で、百を超えているとは到底思えない。


 エーファは一度だけ噂の真偽や年齢を本人に訊ねたことがあるのだが、「秘密です」とはぐらかされてしまった。

 故に彼女の師匠への印象は、実力も地位も高く人当たりもよいが、興味のままに方々を飛び回り秘密主義でしれっと嘘をつく胡散くさいお爺ちゃんである。

……別に、はぐらかされたことに少しイラっとしたからではない。


 エーファが窓辺に駆け寄ると、ハスタが口を開いた。


「すみませんが、へ行ってきてもらえますか」

「お客様ですか?」


 エーファは首肯しつつ確認する。

 ハスタは傍から見る分には長期間の外出とひきこもりを不定期に繰り返すよくわからない老人だが、重要人物ではあるため、よく王都や騎士団からの来客がある。

 それに際して、ハスタの外出と重なってしまわないよう、事前に来訪の旨の連絡を入れることが決まりとなっていた。


「そんな王族や貴族や役人のような面倒くさい手続きは嫌だ」と平民を自称する師匠は大いに抗議した。しかし本人がどれだけ否定しようと、現在の公的な身分は貴族相当の扱いを受ける役人(重役)である。

 結局、王から直接「めっ」と注意を受け、渋々承諾したのだった。


 ちなみに、前述の経緯をエーファは不貞腐れたハスタ本人から聞いたのだが、本当に王様は「めっ」と怒ったらしい。


(…………齢百を超える熟練の術師相手に「めっ」って叱る王様って、何者?)


 話がそれた。


 来訪の連絡は伝書鳩で「いついつに誰彼が行くから家にいてね」とハスタに釘を刺し、家主は不承不承指定された日の前後数日間は外出を控え、エーファは来客の用意と門への出迎えを行う、というのが一連の流れとなっている。

 ただ往々にして連絡と訪問者の到着が前後する場合もあるため、エーファが「お客様ですか?」と訊ねたのはその確認であった。


 ハスタは「ああ、いえ」と苦笑しつつ白みの強くなった金髪を軽く撫でる。

 言葉が足りなかったり、何かしらの失敗を認めた時の、彼の癖だ。


「行ってほしいのはの方です」


 自分の早とちりに気づいて、エーファが「あ」と声をあげる。

 このには南北に門があり、ハスタへの訪問客が来るのはもっぱら王都の方角にある南門からだ。

 そして『門』と言えば、基本的にここでは『北門』を示し、そのはるか先には魔物の森が控えているために人里などない。

 無論、人家が皆無というわけではなく、狩りや採集、魔物を討伐して名をあげようとする冒険者などの往来もそれなりにある。

 だが今回に関しては「“門”へ向かうのなら来客の案内だ」というエーファの早合点である。

 恐縮して頭を下げる少女に、ハスタは気にした風もなく微笑んで手を軽く振ると、改めて説明を始めた。


「北門の方で少々問題があったようでして」


 問題、と聞いてエーファの脳裏に一人の少年の顔が浮かんだ。

 ハスタは術師として世界でも屈指の実力者であり、王都ゆかりの権力者でもある。しかし、この土地においてはあくまで一人の住民でしかなく、問題や騒動が起こったとしてもその解決に声がかかることはほぼない。

 例外があるとすれば、守衛の手にあまる強大な魔物が出た時や、である。


 師匠がのんきにしている以上、九割九分後者だろうなとエーファは判断する。

 

(こ、今度は一体何をしたんだろう……?)


 エーファは幼馴染である少年の姿を思い浮かべる。

 ハスタの旧友が育てている子供で、魔物の森付近に居を構え、小規模の畜産と菜園を営んでいる。幼少の頃から定期的に収穫物をハスタの館まで卸していた縁もあって、会う機会こそ少ないが、エーファにとって最も身近な同年代の男の子だった。

 しかし彼はただのヒトが持つには強大すぎる力を持っており、そのため数々の騒動の原因にもなっていた。


 もっとも強烈だったのは『化け猪騒動』だ。

 かれこれ六年以上も前だろうか。

 ある日、巨大な魔物が接近していると、北門から警報があがった。


 それは遠目にもわかるほど小山のように大きな化け猪であり、魔物の森のヌシともいえるその威容に師匠へ協力要請がかかり、衛兵たちは門の前で決死の隊列を組んだ。村中を緊迫した空気が支配し、「魔王が復活したのでは」なんて噂までささやかれていた。


 しかし実は魔物の襲撃などではなく、十にも満たない子供が全身血まみれの状態でバカでかい怪物の死骸を運んで来たのだと判明し、前線の兵士たちを大いに困惑させた。

 護衛に囲まれた医者が少年を診察したが、身体に付着しているのはすべて返り血で一つの怪我もなければ騒ぎを起こしている自覚もなく、「行商のために村へ向かっている道中襲われたから倒してそのまま持ってきた」などと、まるで「お使いのついでに木の実でも取って来た」ように事もなげに言うものだから、周囲を大いに混乱をさせたのだった。


 規模の大小はあれ、そうした騒動がいくつもあり、その度に旧知の縁である師匠が呼び出されたのだ。

 それでも年を経るごとに少年も加減を覚え、住人たちが慣れたこともあり、近年では騒ぎになることもなくなっていたのだが……。


 そいういえば北門は守衛長をはじめ新しく赴任してきた人ばかりだっけ、とエーファは思い当たる。

 ならば仕方がないだろう、とも。


「ずいぶん久しぶりですね。今回は竜でも引きずってきましたか?」


 ちょっと冗談めかして訊ねてみる。

 さすがに『化け猪騒動』ほどの問題ではないだろう。

 彼も十五歳。もうそれなりの分別はできるはずだから。


 そんなエーファの考えを読んでか、ハスタは好々爺然とした表情の中にいたずらっ子じみた笑みを混ぜる。


「いえ、誘拐と人身売買の疑いで、拘束されかかっているようです」


 それは予想外だった。



  * * *



 おっとり刀で北門まで駆けつけたエーファが見たものは、数人の守衛に取り囲まれ、相も変わらず乏しい表情なもののどこか途方に暮れた様子の少年クリムと――


「だだだまされた……うられる……ごうもんされる……」


 彼が曳いて来たであろう荷車の隅でうずくまり、不穏な単語をうわごとのように呟きながらガタガタと震えている、お姫様のようにきれいな少女の姿だった。

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