魔王と名前

 夜。

 アルと勇者が卓を挟んで夕食をとっている。


「まお……ええっと……」

「なに?」

「明日は夜明け前には出る」

「うん」

「だから早く寝た方がいい」

「…………ぅん」


 勇者の忠告に、アルは声を絞り出す。

 アルが魔王城にいた頃から、いつも遅くまで本を読むのが習慣になっていた。それは勇者の家に来てからも変わらず、今日も本の続きを読もうと考えていたのだが、


「起きなかったら置いて行く」

「う……わかったわよ。今日は遅くまで本読まないでおく」

「うん」


 アルが不承不承頷くと、勇者は食事に戻った。

 再び、もくもくと食器を動かす音が漂う。


――う~ん……静かだ。


 ゼグは昼を待たずに出ていってしまった。

 三人から二人に戻っただけだというのに、なんとも寂しく感じるものだ。

 ゼグが外見に似合わず、気安く会話の豊富だったことも多いのだろうが。


「まったく、こんなことなら、あのおっさんを後一日くらい引き止めとくんだったわ」

「おっさん?」


 ついグチっぽくこぼした言葉に勇者が首を傾げた。


「ううん、なんでもない」

「……おっさんって、ゼグのこと?」


 どうやら勇者が反応したのはグチにではないようだ。


「そうだけど?」

「ゼグ、女の人だよ」

「……………………は?」


 おんなのひと? 誰が? ゼグが?

 あのひげ面が?

 いやまて、“おんなのひと=女性”とは限らない。

 そうだ落ち着け私。

 私が知らないだけで、人間には“オンナノヒト”という単語が存在するのかもしれないじゃないか。

 そう、例えば魔族の分類か何かで“オンナノヒトゴリラモドキ”とか。


「女の人は女の人だよ。まぉ……ええっと……おんなじ」

「私を指差して同類認定すんな!」


 あんなにゴツくないもん!!


「うそぉ……ぇえ……女? あ、“元”女の人ってコト? 呪いで姿が変わったって言ってたもんね!」


 アルはポンと手を打つ。

 ゼグが『呪いをかけた魔族が憎くて仕方がない』と告げた際、言い知れぬ迫力を感じたのだ。その後、本人は魔王を襲うための口実に用意した出来合いの理由だと言っていたが、やはり元となった出来事はあったのだろう。


「そっかぁ……それは結構きついなぁ」


 腕を組み、アルはしみじみと頷く。

 自分が急にごつい男に変身させられたと考えると、ぞっとする。

 襲われて、死ぬ思いさせられて、第一印象最悪なヤツだったけれど。むしろ今でもあんまり信用してないけれど。それでも次に会った時は、少しくらい歩み寄ってもいいかもな、と思う。


「いや、男から女になったって」

「あ……そうなの」


 まあでも、性別が変わるっていうのは、男女関係なく大変だから、ね。


「もともとは岩の巨人みたいな外見だったらしいよ。強いのは自慢だけど見た目は嫌いだったから、今はすごく満足してるみたい。いつかおしゃれもしてみたいって言ってた」

「人生満喫してるじゃねえか」


 いや、ものすごいひげ面だったんだけど、いいのか、それで?

 しかし思い返してみれば、目鼻立ちは整っていたような気がするし、長身で筋肉質ではあったけれど、それは筋力が皆無の自分アルや小柄な勇者と比べているから引き立つだけであって、世間的に見ればそこまでゴツいわけではないのかもしれない。

 いや、もっっっのすごいひげ面だったけど。


「っていうか、詳しいじゃない」

「見送りした時に聞いた」

「あー……」


 確かに何やら話し込んでいたな、と思い返す。

 ちなみにアルは、自室にひきこもって窓からそろそろとその様子を見ていたのだった。


「一緒に見送ったらよかったのに」


 外に出てゼグに面と向かうのは、昨夜襲われた記憶がぶり返してまだちょっと怖かったから、とはさすがに言えず誤魔化すことにした。


「そ、そうだ、このコ、どうする?」


 アルは空いた椅子を指す。

 そこには真っ黒なケモノが丸くなって眠っていた。

 魔物の森でフクロオオカミに襲われていたケモノだ。

 テノビグマとの遭遇にゼグの襲撃と騒動が相次いだため気にする余裕もなかったのだが、いつの間にか家に入り込んでいたのだった。

 勇者は少し首をかしげて、


「魔物だと思う、けど、見たことない」

「勇者も知らない種類か。まあ、魔物って突然変異種ばっかりだしね」

「人に慣れてるみたいだし、まお……懐いてるみたいだから、好きにさせれば?」

「ホントっ?」


 つい弾んだ声を出してしまった。

 ケモノがピクリと上体を起こしてアルを見やる。


「おいでおいで、一緒にいてもいいってさ。えへへ」


 ケモノはひょいとアルの膝へと飛び乗る。

 アルはにまにまと口元を緩めて、黒絹のような毛を撫でた。

 実は出会った時から、なんだか気になってはいたのだ。

 今日は抱っこして寝よう。


「名前つけなきゃ。えーと……ルー……うん、ルー。お前のことはルーって呼ぶねっ」


 ケモノはわかったとばかりに、コツン、とアルの胸に頭を軽くぶつけた。

 その仕草に、アルは声にならない声を出してはしゃいでいる。


「あの」

「ん? 勇者も撫でる?」

「いや……」


 勇者はしばらく困った様子で口を開閉させていたが、やがて「なんて呼んだらいい?」と訊ねてきた。

 一瞬、質問の意味が分からずアルは首をひねるが、すぐにはっと気がつく。

 朝食後、ゼグが魔王魔王と呼ぶので、自分は魔王じゃないしなる気もないと告げ、この際だからと「魔王呼び禁止」にしたのだった。


――今まで、何か言いかけてやめてたのは『魔王』って呼びそうになってたからか。


 ゼグなどは禁止と言われた次の瞬間から『お嬢』呼びに切り替えていたが、勇者にはできなかったらしい。


――律儀というか、融通が利かないというか。


 アルは苦笑する。

 ここで「なんて呼びたい?」と訊き返してもいいが、それは意地悪が過ぎるだろうか。


「アルでいいわよ」

「わかった。アル」


 ウルドとは違う声で名前を呼ばれる。

 その感触に不思議なくすぐったさを覚えて、少し視線をずらす。


「アル」

「なに?」

「明日はよろしく」

「うん、こちらこそよろしく、


 そうして、出発前夜の夕食は穏やかに過ぎていった。



   * * *



 夜半。

 世界の全てが寝静まり、月が水晶のように柔らかく澄んだ明かりを窓からさし入れている。

 投げかけられた影から、するり、とさらに影が浮かび上がった。

 やがてそれは人の形となり、部屋の中央に静かに佇んだ。


 人影はゆっくりと寝台へ歩み寄る。

 そこには少女が眠っていた。

 整った顔立ちに、長い黒髪。目元にはかすかに涙の跡。膝を抱くように身体をまるめた姿は、まるで幼い子供のようだ。


「……ウルドぉ……」


 少女はぐすっと鼻をすすり、枕に顔をうずめる。

 人影は、そんな彼女の目元を細い指先で拭うと、優しく髪を撫でた。


「…………まったく、しょうのない子ですね。いろいろあったせいで心細くなってしまいましたか」


 やがて悲しげに歪んでいた少女の眉から力が抜け、穏やかな寝息が流れてくる。

 影はそれを認め、離れようとしたが、きゅっと手を握られた。


「んむ~、ウルド……」


 少女が寝言で名前を呼ぶ。

 影は諦めたような、呆れたような、優しいため息をこぼすと、


「はいはい、ここにいますよ。まったく、ほんとうに……」


 静かな夜。

 安らかに眠る少女と、穏やかに佇む人影。

 その様子を月だけが見守っていた。

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