魔王と八日目の目覚めと珍客②

「どうだ?」

「おいしい」

「そりゃ、重畳。ちゃんとした調理は久しぶりだったからな。口にあったならよかった」

「ん」

「しかし、お前のトコで作った牛酪チーズ燻製くんせいもうまいな」

「人気商品」

「そうかそうか。ふむ、旅の携帯食にもいいな。少し売ってもらってもいいか?」

「いい」


――なに、これ。


 眼前で、勇者と魔族ゼグが仲良く食に花を咲かせている。

 まあ、勇者はほとんど相槌か一言頷いているだけだが。

 アルの記憶が正しければ、勇者はこの男にボロボロにされていたはずだ。

 実際、折れた片腕はぷらりと垂れたままだし、首元や袖の陰から包帯が見え隠れしている。

 だのにこの和気あいあい加減はどういうことだ。


「どうした、魔王殿。食わんのか?」

「フーッ!」


 唐突に話の矛先を向けられ、反射的に威嚇をする魔王アル。椅子の陰に隠れる姿は、まるで家にやって来た見知らぬ人間を警戒する猫である。


「魔王、落ち着いて」

「もう戦う気はないぞ、魔王殿」


 ゼグは苦笑しつつ、何もしないとばかりに両の掌を見せて振る。

 なおも唸っていたアルだったが、くうくうと自らの腹から抗議の声があがり、すごすごと食卓に着いた。


「…………本当でしょうね?」

「完膚なきまでに負けたんだ。大人しく引き下がるとも」


 ゼグは肩をすくめる。


「なんせ両腕と身体の半分を持っていかれたからな。いやあ、死ぬかと思った」


――いやなに笑ってんの。


 おそらくは魔力で回復と再生を行ったのだろう。身体のほとんどを魔力で構成する魔族だからこそできる芸当ではある。

 が、笑い事ではないと思う。


「腕とかにゅるんって生えてきた」


 すごかった、と勇者がしきりに頷く。いつもの無表情ではあるのだが、心なしか興奮しているような気がしなくもない。


「ふふん、ただの回復だが、すごいとまで言われては悪い気はしないな。ここは腕の一つも外して、さらに生やしてみせるところだろうが。うん、すまんな、魔力切れだ。今やったらさすがに死んでしまうわ」


 そんな一発芸感覚で身体を切ったり生やしたりしないでほしい。

 魔族ってわかんないわー、と魔王であるはずのアルは心の中でぼやく。


 それからはゼグの用意した朝食を大人しくとった。

 ひげ面のむさくるしい外見のわりに、下ごしらえから味付けまで丁寧に施された料理だった。

 端的に言っておいしい。

 勇者も決して料理下手ではないが、大雑把なのだ。

 物事に頓着のない性格だから仕方がないとはいえ、煮込むのはまだ手の込んだ方で、焼いただけだったり素材そのままで出されることの方が多いのだった。


「――で、どうして私を狙ったわけ?」


 食後の片づけを終え、ゼグの淹れた茶を片手にアルは問う。

 

「ぅわ、おいし…………ぁ、いや…………」


 茶に口をつけた瞬間広がった風味に思わず反応してしまい、アルは慌てて口をふさいだ。

 ゼグが知り合いから譲ってもらった茶葉らしいが、砂糖やハチミツなどを入れていないにもかかわらず上品な甘みがある。

 これ絶対いいやつだ。


「コホン。で、どうして私を狙ったの」


 言い直した。


「ふうむ、実のところ、私はもともと人間でな」

「何よ急に?」

「まあ聞け。とある魔族に呪いをかけられて、こんな姿になったのだ。それから人間に戻る方法を探して、かれこれ百年以上。原因となった魔族は消息すらつかめん。ひょっとしたらすでに生きてはおらんのかもしれん。ならば、魔族の大本である魔王殿であればどうか、と思ってな」

「……とんだとばっちりね。って言うか、呪いを解くのが目的なら襲ってこないで先に聞きなさいよ。まあ、知らないんだけど」

「いいや――」


 ゼグの声がわずかだが低くなる。

 チリリ、とアルのうなじの産毛が逆立った。


「百年も経てば目的は変わるものよ。今となっては死ぬに死ねんこんな身体にした魔族が憎くて憎くてかなわん。魔族、魔物、手当たり次第に魔の眷属をすり潰してきたが、聞けば魔王が城の外に出たと言うではないか。ならば百年積もり積もった憤怒と憎悪をぶつけるにはこれ以上ない相手だろう?」


 ゼグの瞳が猛禽類のごとく光る。


「はっ。負けたとか戦わないとか言っておきながら、全然諦めてないじゃないの。まあ、いいわ。いくらでも受けて立とうじゃない」


 しかし、アルは一笑する。

 その口調は未熟ながらも魔王らしい毅然としたもので、ウルドが聞いたならば瞠目したであろう。


「この――勇者がねっ!」


 勇者を盾にしながらの宣言でなければだが。

 ゼグの変化を察した瞬間、アルは食卓の下に滑り込み、床をはって勇者が座っている椅子の陰に隠れたのであった。

 この間、実に瞬き二つ分。

 二度も死にかけたことで、危機回避能力が格段に向上していたのである。

 実に魔王らしくない成長だが。

 そして、ヘタレ度が上がったとも言える。

 魔王なのに。


「お前なんか、勇者に一度負けてるんだから。ぜんっぜん怖くないんだからねっ」

「うん?」

「ん?」

「……え?」


 シン、と沈黙がおりた。

 急な空気の変化について行けず、アルは戸惑いの瞳で勇者を見上げる。

 しかし、勇者は勇者でアルへ視線を向けては、ゼグと目を見合わせるを繰り返す。


「…………いやまあ、うん、すまん、冗談だ」


 呆れ混じりの、毒気の抜けた表情でゼグが肩をすくめる。


「本当に本当? ウソだったら勇者をけしかけるからね?」

「勇者の陰に隠れる魔王なんぞ聞いたことがないぞ」

「うっさいわね」


 アルは頬を膨らませて席に着く。

 念のため、椅子を勇者の隣に移動させている。


「まあ、さっきのは魔王殿を襲うための口実だな」

「口実?」

「私個人としては魔王殿にわざわざちょっかいをかける理由はなかったからな。問答になった時のための、それらしいでっちあげだよ」


 回りくどいことを、とアルは口を尖らせる。

 しかし、それが本当ならばゼグをけしかけた黒幕がいるはずだ。

 アルの指摘に、ゼグは「誰だと思う?」と逆に質問を返してきた。


――つまり、私が答えられる奴が犯人というわけね。


 アルや勇者の正体、そして勇者の家を特定できている人物。

 アルの脳裏にたった一人の顔が浮かぶ。

 勇者も思い当たるフシがあるのか「あ」と小さく声を吐いた。

 しかし――


「それはないわ」


 アルはその可能性を一言で斬り捨てる。

 ほう、とゼグが片眉をあげる。


「ウルドは確かに厳しくて怖くて、時々私を酷い目にあわせるけどね。本気で怒るとアイツ、竜になって容赦なく火吹いてくるのよ? 実は私の世話係でも何でもなくて、刺客か何かじゃないかって本気で思ったこともあるわよ」


 思い出しただけでガクガクと膝が震える。


「それでもね、これだけは断言する。ウルドが、私を裏切ることは、絶対ない」


 震えを振り払い、アルは言い放つ。


「アンタがどんなつもりなのか知らないけれど、私がウルドを疑うことはないわ」


 その堂々とした宣言にゼグは目を細める。


「そうか――うん、だがすまん、本当に依頼人は側近殿ウルドなんだ」

「俺もウルドが『どうにかして魔王を旅に出させる』って言ってたの、聞いた」

「ウルドォおおおぉぉぉっっ!!」


 勇者とゼグの言葉に、アルは窓の外に向かって吠えた。

 私の信頼を返せ!


「理由は勇者の言ったとおりだ。魔族に狙われ一ヶ所に留まることが危険だとわかれば、旅に出るだろう、と側近殿は考えたわけだな」


 なるほど、策を巡らせても結局最後は強引な力技になるのは、確かにウルドらしい。

 そもそも勇者への依頼も、アルの外出も、選択肢なんてなかったようなものだ。


「でも、そんなにあっさり認めてもいいの?」


 今回の襲撃がだと判明した以上、アルは引きこもりを辞めるつもりはない。

 そのくらいウルドが想像しないとは考えにくいのだが。


「いいや、そうでもないさ。これはあくまでだ」

「つまり?」

「魔王の復活に気づく者は気づいている。魔力の変化に敏感な魔族であれば、なおさらだな。二百年前の大戦争で魔族や魔物の数は大きく減り、血の気の多い者や力の強い者のほとんどはいなくなった。しかし力の大小に関係なく様子見に徹した連中もいれば、当然戦争の生き残りもわずかだが


 魔族の力は魔力の量であり、それはすなわち蓄積してきた年月の長さだ。

 二百年は、魔物が魔族に進化し、そしてある程度の力量を備えた魔族が二百年前とうじの強者に並ぶ程の力を蓄えるには十分な期間だろう。


「百年前に生まれたはずの先代の魔王は、何故か表舞台に現れることなく勇者に討たれた。つまりこの二百年、当の魔王と勇者以外は誰にとっても平穏だったわけだ。人間はともかく、長い寿命を持つ魔族には刺激のない二百年だったと思う奴もいるかもな。でなくとも、興味本位で魔王にケンカを売ってみようと考えてもおかしくないだろうよ」

「興味本位って……」


 言い方はともかく、血気にはやった魔族が魔王城を目指す可能性はある。

 そして魔物の森のそばに一件だけ存在する勇者の家は一際目立つだろう。

 そこから微弱とはいえ魔力が感じられたとしたら……。

 あくまで可能性だ。

 魔族が本当にそう考えるとは限らないし、勇者の家の近くを通りがかるなんて万に一つのことである。

 しかし、まったくないとは言い切れない。


「それを理解しているから、勇者は旅の準備を進めているんだろう?」


 ハッとして、アルは勇者を見つめる。

 勇者は静かに頷いた。


「明日、近くの村に行く」


 牛酪や今日加工した肉類などを売りに行って資金や装備を調達してくるのだと言う。


「私は魔族の中でも、強い方ではない。なんせ元人間なんでな。私程度に苦戦しているようでは、より強い相手に襲われた場合、手も足も出ないだろうよ」

「でも、勇者が弱いままじゃ、どこにいても同じじゃない」


 アルの疑問に、ゼグは「そうでもない」と勇者のつけている指輪を指す。

 彼が言うには、指輪の魔力が勇者の力を強引に抑え込んでいる状態らしい。しかし、勇者の力には魔力を打ち消す効果があるため、指輪による封印もわずかずつだが削られているはずだと言うのだ。

 そしてそれは、勇者が己の能力を発揮しようとすればするほど、その影響は大きくなっていくだろう、とも。


「つまり、旅に出て戦ったり、修行みたいなもので鍛えたりしていれば、少しずつ封印が解けていくってわけね」


 旅をしていく中で、魔物を退治し、魔族と立ち回り、あるいはどこかの土地で戦いの技術を学び、実力を上げつつ封印を解いて力を取り戻していく。

 それは旅を通して成長していく物語の英雄譚そのものであり、ウルドが立てた計画にも沿っている。


――でも、ここから出ていかないと勇者は弱いままで、魔族や魔物の格好の的になって、計画もパァ、と。


 ああ、とアルは宙を仰ぐ。

 ちくしょう、選択肢がない。

 旅に出るのも嫌だし、魔物や魔族に命を狙われるのもごめんだ。


――どうにかして私だけここに残れないかなぁ。人間のフリしてたら見逃してくれないっかなー。あ、ダメだ、魔族はともかく獣とか魔物には通用しないや。


 そもそもアルの生活力のなさは、本人と保護者ウルドが認めるところである。

 アルが踏ん切りをつけられずうんうんと唸っていると、勇者が口を開いた。


「とりあえず明日は一人で行くから、魔王は待ってて」

「そうだな。勇者が支度を終えて戻って来る明後日までにどうするか決めておくといい」


 二人の提案にアルは首を振る。


「ううん、私も行く」


 その言葉に勇者は驚いたように眉を少しだけ上げ、ゼグは「ほう」と声を漏らした。


「アンタ、片方の手、折れてるでしょ。全身ボロボロだし、手伝うわよ」


 勇者の怪我は、アルを守ったことで負ったものだ。

 少なくとも、その借りは返さなければならない。

 それに――


「丸一日、一人で留守番とか怖くてムリ!」

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