魔王と襲撃者②

 言い知れぬ気配に、ゼグは動きを止める。

 チリチリと皮膚を焦がすようなそれは、うずくまる少女から発されていた。


 初めて彼女を見た時、まさかこれが魔王などとは到底思えなかった。

 魔力を感じはするものの、魔物もどきよりもはるかに小さく、“精霊術”などの魔術を人間程度でしかない。

 絵にかいたような世間知らずの種のお嬢様。それが眼前の少女への印象である。


 だが、これはどうだ。

 姿が変わったわけでも、感じ取れる魔力の量が増えたわけでもない。

 それなのに、ぎらぎらと燃え盛る焔のような両眼に見据えられ、噴火寸前の火孔を、あるいは底の見えぬ深淵なる谷底を覗きこむような戦慄を覚える。


「その手を、放しなさい」


 ずるり、と掴んでいた勇者の腕が滑り落ちる。

 ただそれだけのことに、ゼグは少なくない衝撃と困惑に目を見開いた。

 今のは、気圧されて無意識に手を緩めたのか。それとも“魔王しょうじょ”の言葉に自分が従ってしまったのか。

 どちらにしろ、自身が年端もいかぬ少女を畏れている。それだけは確かだった。


――おもしろい。


 自然と唇の端が上がるのを感じる。

 畏怖と歓喜。

 氷のように冷え切った血液と、灼熱のようにたぎる血潮が身体中を駆け巡る。


――こんな感覚は百年ぶりだ。


 手始めに、一足で少女の傍らへ移動する。

 勇者の放った渾身の突きをはるかに凌駕する速度に少女は反応できず、その瞳は先ほどまでゼグの立っていた場所へ向けられたままだ。

 その様に若干の落胆を噛みしめつつも、左手を色白の首元へと伸ばす。


 このまま掴みあげて、様子を見るとしよう。

 いまだに背筋をぞわぞわと這い回る畏怖に見合った反応があるのか、それとも所詮は姿通りの非力な存在でしかないのか。


 ゼグの手が少女のか細い首筋に触れた瞬間――腕が消失した。

 触れた指先だけではなく、そこから肩口までの部分がごっそりと文字通り消えてなくなった。


 驚愕のあまりゼグは立ち竦む。

 何が起こった?

 何かしらの攻撃を受けたことは確かだが、その正体がつかめない。

 強力な魔力放射で消滅したのとは違う。焼け落ちたわけでも、溶けたわけでもない。

 あえて近い現象を挙げるならば、死んだ魔族が魔力の粒子となり消えていく様に似ていた。


 そこでゼグの思考は中断を余儀なくされる。

 煌々と深紅に揺らめく焔に似た両眼が見つめていた。

 少女の掌が、ひどく緩慢に向けられる。

 その掌中から膨大な量の魔力があふれ出す。


「バカな……っ」


 少女の内にこれほどの魔力など存在していなかった。

 まさか魔力感知を欺いていたとでもいうのだろうか。

 漆黒の力の塊が暴力的なまでの渦を巻き、収束する。

 すでに回避の機会は失われていた。


 その日、一条の雷が地上から空を切り裂いた。

 雷は夜の闇よりも深い漆黒であったため、気づいた者はほとんどいない。

 だが、大気を震わせる魔力を感じ取った一握りの者たちにとって、それは何かのを予感させる狼煙であった。

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