魔王と襲撃者①

――命をもらい受ける。


 ゼグ=カルアと名乗った男が発した言葉の意味を理解できず、アルは茫然と立ち尽くす。


 命をもらう? つまり、殺す? 誰を? 勇者? 私? 何で?


 混乱をきたしたアルとは対照的に、勇者はゼグへと向かって走り出していた。

 一息に間合いへ入り込み、勢いそのままに折れた剣を突き込む。

 ゼグはわずかに半身を引いてかわす。

 勇者はすれ違う瞬間、急制動をかけ、その場でコマのように回転して横なぎに刃を走らせた。

 間髪いれぬ連撃はしかし、空振りに終わる。

 先手を取った二撃がかわされたことで、勇者は後方へ距離をとり、再び対峙する。


「――あ、え? 勇者、何してんの?!」


 勇者が眼前の男に切りかかったことに、ようやく理解の追いついたアルが声をあげる。

 このゼグという男がどうやってアルが“魔王”だと知ったのかはわからないが、魔王わたしを倒しに来たのであれば人間のはずだ。

 アルを守ると言うウルドの依頼があるとはいえ、勇者が人間と争うというのは――


「こいつ、魔族」


 勇者の言葉に、再びアルの頭が真っ白になる。


「ふむ、なかなか鋭い感覚をしている」


 突きつけられた剣を意にも介さず、ゼグは感心した表情で勇者を眺める。

 それは肯定に他ならなかった。

 ウルドを除けば、アルが出会う初めての魔族。

 ゼグは長身で、擦り切れた外套から覗く手足は鍛え抜かれ引き締まっている。顔をヒゲで覆っているためはっきりしないが、目元で判断するなら人間としては三十前後くらいに見える。歴戦の戦士と言った風情は、本人が認めなければ誰も魔族だなどと疑いもしないだろう。


「んむ? 魔族なら勇者が斬っちゃってもいいのかな?」

「おいおい、そんな雑な判断でいいのか」


 アルの呟きにゼグが呆れた声を飛ばす。


「む……そ、そもそも、魔族なら何で私を狙うのよ。こっちは――」


 魔王なんだぞ。と言いかけて口ごもる。

 先ほどの発言からして、ゼグが魔王を狙っているのは確実だ。このまま自分が魔王だと宣言してしまっては襲ってくださいと言っているようなものではないだろうか。

 そもそもアルはこの男を知らない。ということはあちらもアルの顔自体はわからないはずだ。ただをかけただけという可能性もある。

 今ならまだシラをきることはできるんじゃないか?


――よし、ごまかそう。


「あのさ、魔王って何のこと? こっちはただの人間よ。人違いだから他をあたってくれない?」

「いや、アンタ、魔王だろう」

「…………………………………………チガウヨ?」

「……嘘が下手だなぁ、アンタ」

「うううるさい! だったら何だってのよ!? 私、魔王ぞ? 襲ってくるんじゃなくて敬いなさいな!」


 アルのやけくそ気味な開き直りに、苦笑するゼグ。

 勇者ですらも呆れた視線を投げかけてくる。


 なによう、どいつもこいつも!

 私、城を出てから会うヤツみんなから侮られてない?

 ちょっとくらいスゴイねって言ってくれたっていいじゃない!

…………まあ、ちっともすごい事なんてしてないし、できないんだけどさぁ……。


「あの魔王殿は一人で何やっとるんだ?」


 無言のまま怒った表情をしていたかと思えばがっくりと肩を落としていじけ始めたアルを指して、ゼグが勇者へ問いかける。


「さあ。いつものこと」

「いつものことかぁ」

「そう」

「今回の魔王殿、なかなかの変わり者のようだ」


 ゼグは愉快そうに口元を緩め――


「ただまあ、実力はどうなんだろうな?」


 ズッ――


「ひっ」


 心臓を見えざる刃物が突き抜けていったようだった。

 突如襲ってきた感覚に、アルは尻もちをつく。

 それは魔物もどきテノビグマなどとは比較にもならない、鋭く研ぎ澄まされた明確な殺意。

 寒くはないのに震えが止まらない。

 怖い、怖い、怖い――

 両手で身体を抱きしめて縮こまる。

 亀のように丸くなっても、助かりはしないだろう。

 それでも、せめて少しだけでも、この身に突き刺さる恐怖から逃れたかった。


 フ――と、殺気がやわらぐ。

 勇者が、アルをかばうように立ちふさがっていた。


「逃げろ」


 アルにだけ聞こえるように、勇者が囁く。


「どうして」

「正直勝てない。ほんの少しなら時間は稼げるようにしてみるから、その隙に」

「そういう意味じゃない」


 勝てないとわかっているなら、逃げるべきは魔王ではなく勇者の方だ。

 勇者の、いや人間からすれば魔族の命に助ける意味などない。同族同士で争ったあげく、魔王が倒れるなら願ってもない結末のはずだ。


「アイツの狙いは私でしょ。アンタが逃げたらいいじゃない」


 本当のことを言えば、置いて行かれたくはないけれど。

 アルの胸中を知ってか知らずか、勇者は首を振る。


「そんなにウルドの依頼が大事?」

「それは少しある。でも――わからない。…………魔王には、わかる?」


 わかるわけがない。

 勇者は表情に乏しくて、感情の起伏も平坦で、自己主張もしなくて、人の気持ちも自分の気持ちもわからないだ。

 魔族で対人経験もない魔王が、そんなヒトを理解できるはずもない。

 ただ、言われたから、それだけじゃない理由が、それ以上の何かが彼をこの場に立たせている。それだけは確かだった。

 しかし、その正体を言葉にできず、アルは沈黙する。

 勇者は答えを得られなかったことに落胆するでもなく、どころか、かすかに口元を緩めた。


「アンタ……」


 なんでよ。

 どうしてそこで微笑むわらうのよ。

 やめてよ、それじゃあ、まるで――


「逃げろ」


 その言葉を置いて、解き放たれた矢のごとく勇者はゼグへ突撃する。

 速く、速く。

 一歩地面を蹴る。

 さらに、はやく。

 地を、蹴る。

 よりはやく。

 それは初撃の速度をはるかに凌駕し、瞬き一つの内に彼我の距離を無にした。

 疾風のごとき勢いのまま、折れた刃はゼグを捕らえる。


「ふむ、悪くない。ヒトであれば英雄と称えられてもおかしくない一撃だ」


 が、


「“勇者”としては失格だ」


 剣はゼグの身体にとどく寸前で止まっていた。


「見たところ力を封印されているな。それで魔族を相手にするなど無謀もいいところだ」


 片手で、下から刃を摘まむ。ただそれだけで、勇者の動きは完全に封じられていた。


「お前に用はない。見逃してやるから、どこぞへ行くがいい」

「いやだ」

「だろうよ」


 勇者の身体が浮く。

 ゼグが剣を摘まんだままで、勇者を持ち上げたのだ。

 とっさに手を離す勇者。

 しかしゼグはもう片方の手を伸ばし、勇者の腕を捕まえる。

 そのまま頭上高く振り上げ、打ち下ろす。

 地響きと共に鈍い音をたてて、勇者は地面に叩きつけられ、幽かなうめき声をあげる。


「ふむ」


 ゼグは勇者の瞳に、いまだ煌々と輝く光を見て取ると、再びその身体を持ち上げる。

 勇者は人形のように宙を浮かび、地へと打ちつけられる。

 何度も、何度も、何度も。

 その様子をアルは茫然と見つめていた。

 逃げる暇などなく。

 しかして逃げる意思も持てず。


――やめてよ。


 そいつ、片腕折れてるんだよ。

 私を守ったせいで、怪我してるんだよ。

 もういいでしょ。

 どうしてこんなことするのさ。

 どいつもこいつも。

 勇者のくせに、魔王わたしなんかかばって。

 魔族のくせに、まおうを襲ってきて。

 わけわかんない。

 もういいでしょ。

 いい加減に止めてよ。

 そいつ死んじゃうよ。


 ねえ、



 ねえ、




 ねえ、





 ヤメロ

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