魔王と魔物の森③
口腔から折れた剣をはやし、テノビグマが崩れ落ちる。
その傍らに平然と佇む勇者。
一瞬の出来事に、アルはあっけにとられる。
「ちょっと、そんなにあっさり倒せるならどうして――」
わざわざ相手の攻撃なんて受けたのか。初めから本気を出せば怪我なんてしなかったのに――そう文句を言いかけて、アルは口を噤んだ。
目の前には、伸びきったテノビグマの前脚。
勇者が腕を犠牲にせずテノビグマの攻撃を避けていたら、それは勢いのまま後方にいたアルを直撃したに違いない。
つまりテノビグマが後退し、アルが攻撃範囲から外れるまでは、勇者に回避の選択肢はなかったのだ。
――私の、せいだ……。
自分をかばったせいで勇者が怪我をした。そもそも勝手に森に入りさえしなければ、こんなことにはならなかった。
そんなジクジクとした後悔が胸に広がっていく。
「大丈夫?」
「……ぁ…………うん」
アルがためらいがちに頷くと、勇者はホッとかすかに息を吐く。
その様子に、疑問がわいた。
どうして彼はこうまでして助けてくれるのだろう。
アルが城から出されて寝込んだ数日間は看病をし、毎日の食事も用意してくれている。
家の設備に関しても、アルが我が儘を言わなければ、わざわざ造る必要などなかったのだ。
「……あのさ、どうして勇者は、そんなに私の面倒を見てくれるの…………?」
その問いがどんな感情から来ているのか、魔王自身にもわからない。
しかし、何かしらの期待が込められたものではあった。
もしかしたら――と。
「ウルドに依頼された」
「ぅうん?」
「それと、さっきもアルをよろしくって頼まれたから」
「………………」
――やっぱりウルドと会ってんたんだ! ずるい!
いやいやそうじゃない、と頭を振る。
「ウルドに頼まれたからそうするの? そんなふうに怪我しても?」
こくり、と勇者は頷く。
ムッ、とアルは口をとがらせる。
「なら、私の言うこと聞いてお風呂造ってくれたのも、今助けてくれたのも、全部ウルドに頼まれたからなんだ?」
自分でも理解できないイライラに、口調がとげとげしい響きになってしまう。
勇者は少しだけ眉根を寄せると「いや」と否定する。
「それは魔王に頼まれたから。今のも、魔王が困ってた」
――だから、助けた。
その言葉に、アルの苛立ちは潮が引くように消えていく。
同時に、ストン、と腑に落ちたことがある。
――あ、コイツ、ダメな奴だ。
ダメダメ加減では似たところがある気がすると、なんとなく親近感を覚えていたアルだが、それは自分の勝手な思い込みで勘違いだったと理解した。
勇者には自分がないのだ。
自分の考えがない。
自分が何をしたいかがない。
だから自分からは何も行動を起こさない。
ふと、アルは昔読んだ子供向けの遊戯本を思い出した。
物語を読み進めていくと、選択肢が現れる。
『少女が足を怪我して困っています』 ⇒ 『助ける/十
読者が『助ける』を選んだなら本の十頁目を開けば、助けた物語が描かれている。同様に十五頁目には『助けずに立ち去った』話が展開されている。そんな風に合間合間に提示される選択を読者が主人公として判断し、物語を進めていくのだ。
勇者はこの遊戯本の主人公だ。
『やっても、やらなくてもいい』は勇者にとって指針たりえないのだ。
誰かに方向を示されなかった選択肢は保留となる。何もしないか、現状維持のまま放置される。
一見自主的に動いたように思える魔王城への襲撃でさえ、おばあちゃんからあらかじめ“魔王退治”を言い含められていからだ。
指示されたから魔王を退治する。
頼まれたから魔王を守る。
そこに良し悪しは関係ない。
指示、依頼、懇願、それが彼の行動原理なのだから。
「アンタは、自分が勇者だってことが嫌だったりしないの?」
アルは嫌だった。
魔王であることが。
勝手に“魔王”なんてものにされたことが。
だからウルドに選択肢を提示されたとき、即座に否を告げた。
そんなものになりたくはないと。
支配なんてしたくない。戦いなんてしたくない。力なんていらない。名誉なんていらない。国なんていらない。配下なんていらない。私のほしいものは”魔王”の先にはきっとない。
ただ、ウルドがいればいい。
ただ、静かに暮らしていければいい。
結局、何故かそのウルドに城を追い出されて勇者と暮らしたあげく、魔物もどきのご飯になりかけるという訳のわからない状況になっているのだが、そこはそれ。
アルの問いに勇者は首を振る。
否定ではない。
わからない、と。
好きがわからない。嫌いがわからない。やりたいことがわからない。やりたくないことがわからない。大変がわからない。苦しいがわからない。辛いがわからない。厭がわからない。
楽しいがわからない。
その言葉に、アルは茫然とする。
こんな人間がいるのか。
ここまで何もない奴がいていいのか。
そして――
コイツが、どうしてこうなってしまったのか、と。
それはアルの中に初めて生まれた焔だった。
彼の育ての親がこうしてしまったのだろうか。
否。
彼女は勇者のもとを去りはしたが、常に選択肢を投げかけていた。つまり、勇者に自己を持ってほしいと願ってはいたのだ。
ならば何故?
――たぶん“勇者”という存在自体がそういうものなんだ。
人間の希望。
最強の盾であり矛。
そんな“勇者”が「恐ろしいから」と、「厭だから」と、戦いから逃走したのでは話にならない。
だから、自我の薄い者が代々の勇者となっているのではないだろうか。
ただただヒトのために魔物を、魔族を、魔王を打ち倒す存在として。
ふざけるな。
そんなものただの道具じゃないか。
アルは唇をかむ。
「ねえ、何か、したいことはないの?」
勇者は少し首を傾げ、
「ウルドの依頼をこなす」
アルは首を振る。
「それはしなきゃいけないことでしょ。私が言ってるのは、アンタがやりたいこと」
勇者は空を仰ぐ。
それは途方に暮れているようにアルには見えた。
少女は大きく息を吸う。
彼女の望みは、魔王城でひきこもり生活をずっと続けていたいという、生産性も発展性もない停滞の極みのようなものだ。
そんな自分が勇者の生き方に対して何か言おうなんて、おこがましいにもほどがあるとは思う。
けれど、アルは選ぼうとしたのだ。自分の心に従って。狭い狭い世界しか知らない、箱入り娘なりに。
勇者が選んだ結果の停滞であれば、口出しなんてするつもりはない。
でも、これは違うじゃないか。
「あのね――」
しかしアルの言葉はそこで止まった。
脳裏に、勇者の家での記憶がよみがえる。
整えられた部屋。いつでも主が戻ってきてもいいようにきれいに保たれている、おばあちゃんの部屋。
使わないにも関わらず手入れのされた道具類。
ふぅ――と、息だけを吐き出す。
「……ううん、やっぱりなんでもない。とりあえず、“しなきゃいけないこと”を済ませてからゆっくり考えてもいいのかなって、ね」
不思議そうな表情の勇者に、アルはクスリと微笑む。
(同い年のはずなんだけどねぇ。弟って、こんな感じなのかな?)
「あ! そんなことより!」とアルは居住まいを正す。
「ごめんなさい! ありがとう! ケガ、大丈夫?!」
テノビグマの攻撃を受け止め異音を発した勇者の右腕は、だらりと垂らされたままだ。
「折れた」
「それは知ってる」
「これくらいなら次の日には治ってた」
「……骨折が一日で完治するってどうなの、それ」
――ただまあ、弱体化した今の状態ではわからない、か。
「とりあえず、明日お医者に診てもらった方がいいかも」
「そう?」
勇者は首を傾げる。
相変わらずの無表情だが、今回ばかりは少年が何を考えているか、アルには手に取るようにわかった。
(コイツ、今までほっといても完治してたんだから、今回もそのままでいいと思ってるな)
本人としては楽観視しているつもりはないのだろう。ただ、傷が元通りに治らない可能性に思い至らないのだ。
(ホント、勇者ってのはつくづく反則よね)
自分のことを棚に上げてアルは嘆息する。
魔族なら魔力が続く限り再生が可能だが、アルは保有魔力の少なさゆえに怪我の回復にヒトと同じ時間と治療を必要としていた。
そのため負傷への認識が、魔王でありながら勇者と真逆なのだ。
とりあえず、少しでも勇者を納得させておいた方がいいかな、とアルは判断する。
多分、このままだと絶対、コイツは医者にかからない。
必要ないとか、面倒くさいとか、理由はいろいろだけどなあなあにして後回しにして結局やらない。それで後からもっとヒドイことになって、後悔して泣きべそかきながら鬼の形相のウルドにこっぴどく叱られるんだ!
かつての自分を思い出し、アルはブルブルと震える。
強引に「行け」と命令すれば簡単だが、彼の“特性”を理解してしまった以上、それはあまりしたくない。
「勇者の力が弱くなってるせいで、傷が治るのにどれくらいかかるかわからないでしょ? もしかしたら何か月もするかもしれないし。お医者に診せれば、少しは早く治るから」
つい、と勇者が視線を逸らす。
……お、何だお前、医者嫌いか? クスリ苦いから嫌ってクチか?
どうも別の方面から攻めないとダメなようだ。
「そのままだったら私が心配なの。私のせいでケガしたんだしね。それに……もし私が同じケガしたら、勇者、どうする?」
「……わかった」
今度はあっさりと頷く。
(……まったく)
無表情で無愛想で器用な癖に不器用で、
「痛くない?」
「我慢はできる」
「…………そっか」
私なら泣きわめいてるな、と思う。
「とりあえず、帰ろう。勇者、道わかる?」
「うん。背負おうか?」
「いいよ。自分で歩く。ありがと」
勇者の提案をやんわりと断る。
さすがに怪我人におんぶしてもらうほど厚かましくはないつもりだ。
それに、少し前までヘトヘトだったのに、もう平気だった。
休めたからだろうか?
勇者に連れられて進んでいくと、ほどなくして森を抜けた。
星明りの下で、家の陰が彼方にぼんやりと見える。
「ものっすごくあっさり帰って来れた……」
「多分、魔王、ぐるぐる回ってたんだと思う」
森ではよくあること、と勇者。
まっすぐ歩いているつもりでも、少しずつ右か左に逸れていって同じところを回ってしまうとは、アルも知識では知っている。
しかし実際に体験してみても実感はわかず、こんなに家から近い場所で途方に暮れて怯えていたかと思うと無性に恥ずかしい。
「――ようやく戻って来たか」
家の前に誰か立っていた。
アルより頭一つ以上は背が高い。
勇者の知人かと考えたが、勇者はかすかに頭を振ると、やや緊張した面持ちでアルを片手でそれ以上前に進まないよう制止する。
「お初お目にかかる、今代の勇者と魔王殿。私はゼグ=カルアという」
よく通る声でその人物は名乗る。
「さて、急で悪いが――魔王殿、その命、もらい受ける」
――え?
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