幕間 ~従者と勇者~

 勇者を見送り、ウルドはため息をつく。

 諦念と悔悟、そして、わずかな憤り。


――なるほど、彼は勇者ですね。それもでの。


 歴代の勇者にも大なり小なりそうした傾向はあったと聞いている。

 それはある意味で勇者の特性であり、故に権力者の傀儡に成り下がった者も過去にはいたらしい。

 逆に、先代の勇者はその枠から外れた例外であった。


――その反動だなどとは思いたくありませんが。


 キュ、と軽く唇をかみ、


「まったく、やってくれる」


 短く吐き捨てる。

 毒の混じった言葉使い、怒りに曲げられた口元。十数年を共にした魔王ですら知らない表情はしかし、一瞬のうちに従者としてのそれに塗り替わる。

 勇者クリム魔王アルを託したのは、ただの我が儘だ。

 今の彼の状態では、アルの存在は大きな足かせにしかならないとは理解している。

 それでも、


――アルを、お願いしますね。


 あの子には、一度でもいいから世界を見てほしい。

 その結果が、どうであろうとも。


「…………さて、仕事は山積みです。とりあえずはに声をかけておきましょうか」


 そう独り言ちると、彼女の姿は森の闇へと溶けていった。



   * * *



 クリムは人の心がわからない。

 他人が何を考えているか理解できない。

 幼いころにそれが原因でさんざん騒動を起こした彼に、“バアちゃん”が言った。


「多かれ少なかれ、誰も彼もそんなもんだ。お前は特別、ヒトより鈍感なだけさ」


 クリムは首を振る。

 自身が他者の機微を察することができないのはもちろんだが、それだけではない。生まれつき持った強大すぎる勇者の力が、より問題を大きくしていることをも幼いながらに理解していた。


「力が強いのは悪い事じゃないよ。それはお前の長所だ。要はどう使うかさ。そうさね、とりあえず困っている奴でも助けてやればいいんじゃないか?」


 相手が困っているのは、どうすればわかるだろうか?


「んー、難しいな。魔物に襲われてたり、怪我してたりだったらわかるよな? それ以外だと、ほれ、こんな顔してりゃあ、大体の奴は困ってるさ」


 そう言って、眉を八の字に下げる。

 なるほど、これが“困ってる”顔か。


「こんな顔してるやつがいたら、とりあえず『困ってるか』って聞いて、困ってたら助けてやれよ」


 バアちゃんがクリムの頭をポンポンと叩くように撫でる。

 それから劇的に対人問題が改善したわけではないけれど、騒動に発展するような事態はなくなった。

 少なくとも他人の“困った”はなんとなくわかるようになった。

 ただそれは本当に、少しだけ、だ。

 クリムはできるだけ人との接触を避けるようになっていたし、一番身近にいる“バアちゃん”は困らない人だった。

 だから、やはり他人ヒトの心は未だによくわからない。


 クリムは森の中を一人歩く。

 このままでは夜になってしまうとわかっているが、足は速まらない。

 彼の脳裏には別れ際のウルドの姿がこびりついていた。


――アルを、お願いしますね。


 自らはおろか、主人である魔王を倒しに来たはずの勇者へ、ためらいもなく頭を下げたウルド。

 一体どんな思考きもちが彼女をそうさせたのだろう。

 目を伏せ、眉を下げた弱々しい顔。

 あれは“困った”じゃなかっただろうか。

 しかしその表情は瞬き一つにも満たない刹那のうちに慇懃な微笑みに置き換わり、クリムは確かめる暇もなく追い返されてしまった。

 それはかつて“バアちゃん”が一瞬だけ彼へ向けたものとまったく同じで――。

 偶然か必然か、重なった記憶こうけいが足を鈍らせていた。


 グオオァァァ――


 突如、咆哮が響いた。

 クリムは反射的に意識を引き戻し、周囲をうかがう。

 メキメキと木の倒れる音。

 距離は離れている。

 しかし――


「――え?」


 ザワザワとした、胸騒ぎのような感覚に声をあげた。

 それは特定の人物が近くにいるという証だった。

 家で留守番しているはずの同居人。

 ひ弱でひきこもりがちな少女。

 従者にすら「一人じゃ七日も生きていけない」と言われた最弱の――


「魔王?」


 それは魔王アルが森の中に入ってきていることを意味していた。

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