幕間 ~勇者と従者~

 魔物の森。

 人間たちがそう呼称する森林地帯である。


 最も近い人里から平野を半日歩き通し、小川を越えると樹海の縁にたどり着く。

 一般的には魔物がひしめく危険地域とされているが、厳密に言えばそうではない。

 小川から森の外縁部は動植物共に通常の生態系と大した違いはなく、草食の小動物などの姿も確認できる。奥へ進むにつれ肉食の動物が増え、やがて大型の獣や魔物の生息圏へとうつっていく。

 さらに森の深奥に踏み込めば、濃い魔力の影響を受け異形化した生物魔物どもの巣窟となる。魔力で強化されたその肉体は並大抵の攻撃を受けつけず、振るわれる膂力の前では鋼鉄ですら紙切れ程度の障害にしかなりえない。

 植物までもが意思を持ち襲い来る、まさに人外魔境である。


 そんな人知から外れた魔の森の中を、少年が一人、歩いていた。

 身体の倍以上の荷物を背負い、手にも荷袋を抱えている。にも関わらず、足取りは確かに、木々の間を抜けていく。

 視界の先に目的の建物を認め、息を吐いた。

 その事実に少年は小さく身体を震わせた。

 頬を水滴が伝いポタリと地面に落ちる。

 手の甲で額を拭うと、いくらか汗をかいていた。

 まったく意識をしていなかったが、随分と疲労しているらしい。

 しかし、少年は歩を緩めることなく先へ進む。


 陽の出とともに出発したが、すでに太陽は頭の真上に位置している。このままでは帰る頃には夜になってしまう。

 やがて木製の簡素な小屋に到着すると、待ち構えていたかのように扉が開いた。


「お待ちしていました」


 見知った顔の出迎えに、少年はわずかに眉をあげる。


「久しい、というほどの期間でありませんが……ええ、それでも。お久しぶりです、勇者様」

「……どうも」


 勇者と呼ばれた少年――クリムはあいまいな返事を返す。

 丁寧な物腰で彼を迎えたのは、魔王の従者ウルドだった。

 整った顔立ち。やや切れ長の目に大きめの眼鏡をかけ、真っ黒な髪を頭上に結い上げている。どこかの貴族の令嬢と見紛うばかりの容姿だが、スラリとした長身を包むのは優美な衣装ではなく、野暮ったい白と黒の女給服である。


 ウルドの指示に従い、運んできた荷物を小屋へ運び込む。とはいえ、これまでも定期的に配達してきた場所だ。作業はさほどの時間をかけずに終了した。

 まさかずっと食料品を届けていた小屋が魔王の所有物だったとは想像すらしていなかったが、そうと知れば、魔物の森にあってただの木造建築が荒らされもせずに存在している理由にも納得がいく。

 

 クリムはちらりとウルドをうかがう。

 これまで彼女とこの場所で会うことはなかった。無人の小屋の中に食料を運び込み、用意された報酬を回収するばかりで、得意先の顔や素性など知る由もなかったのだ。


――バアちゃんは知ってたんだろうか?


 まあ知ってたんだろうな、との顔を思い浮かべる。

 クリムが知る彼女は、何でもできて、知らないことなどない、自信の塊のような女性だった。そんな人が、ある日突然「魔物の森にある小屋に食料や雑貨を納品しに行け」と告げたのだ。何かしら察していたとしても不思議ではない。


 一通り商品を小屋に納めると、ウルドから報酬の入った革袋を受け取る。

 普段は小屋の中に置かれているものを勝手に持って行っていたから奇妙な感じだ。


「それと、こちらを」


 そう言ってもう一つ革袋を渡された。

 重量や音から察するに、銀貨のようだ。額は先ほどの報酬と同じくらい。


「生活費――いえ、子守代のようなものです。旅に出る際の足しにでもしていただければ」


 クリムは「はあ」と曖昧に返事をする。

……旅に、出られるのだろうか?

 いや、クリム一人であればすぐにでも出発できるだろう。

 しかしあの非力な同居人は――


「あの子――アルはどうですか?」

「トイレと風呂の図面描いて、部屋にこもって本読んでる」

「はい?? うん……うん?…………ええと……詳しく説明していただいても?」


 勇者の即答に、ウルドの形の良い眉が上がったり寄ったりと一瞬のうちにせわしなく動いた。


 魔王アルは、クリムのことを商売をしているという一点だけでそれなりに人馴れしていると思い込んでいるが、実はそうではない。

 顧客と言えるのは魔王城ウルドともう一つの実質二つだけであり、そのどちらも育ての親の伝手によるものだ。

 元来の口数の少なさも手伝って、商売先の村では最低限の仕事会話のみ。買い物に行っても世間話などしない。家では家族同士のため、言葉が少なくても何となく伝わる環境。

 つまり、物怖じこそしないものの、こと対人に関しては『ひきこもりの魔王』に比べてマシな程度でしかなかったのだ。

 むしろ経過も感情も省いて短く結果だけを伝えてしまうせいで、場合によれば状況を悪化させる可能性があるという点では、こちらの方がタチが悪い。

 まがりなりにも最上の得意客の一人娘魔王を「旅に連れていくように」とあずかっているのだ。その報告で「ひきこもって本を読んでばかりいる」とバカ正直に伝えるなどと誰が思うだろう。

 もし魔王本人が隣にいたら、悲鳴をあげていたかもしれない。

 改めてクリムから魔王城での一件から今日までのたどたどしい説明を受け、ウルドは重々しく息を吐き出す。


「ああ……そういうことですか。変な所で行動力のある子でしたが、まさかの方向に舵をきるとは……」

「これ、返そうか?」


 予想外だと唸るウルドへ、勇者は先ほど受け取った『子守代』を差し出した。

 魔王が旅に出ないのであれば、この報酬は受け取れない。勇者が『魔王討伐』を喧伝しつつ旅をするのは、あくまで破壊した魔王城の代償なのだ。留守番をする魔王には、今日の売上を渡しておけばひと月くらいはもつだろう。


「え……? いいえ、それはお受け取りください。魔王アルが一人暮らしなどしようものなら七日もたたずにコロリと逝ってしまうでしょう。その点に関しては絶対の自信と信頼があります」


 いやな信頼もあったものである。


「かといって勇者様には“魔王討伐”の旅には出ていただかなくてはなりません。ですので――」


――あの子アルには是が非でも一緒に旅立ってもらいます。

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