魔王と巣作り①

 おはようございます。

 すがすがしい朝ですね。


 いや、すがすがしいかは微妙かな。

 結局昨日もお風呂入れてないし。

 濡らした布で拭いただけだと、なんとなく身体が臭う気がする。

 大丈夫かな?

 大丈夫だよね?


 え、昨日?

 お風呂に入れなかった以外に何かありましたっけ?

 ナイナイ、何モナカッタヨ。


 さて、この五日間、お風呂のない生活を過ごしてきたわけですが……。

 それも昨日まで!

 今日この日、勇者がお風呂を作ってくれるのです。


 あ、ついでにトイレもね。



   * * *



 魔王史上最悪の一日が明けた。

 無理やり記憶の彼方に不都合な出来事を封印することで、なんとか平静は取り戻せた。

 目が覚め、アルは決意する。


 お風呂とトイレを造って、住環境をよくする!

 そして、勇者の家ここ本拠地私の巣とする!


……勇者と共に旅に出るように、という従者ウルドの言葉を完全に忘れているアルであった。


 フン、と彼女の人生においてかつてないほどの気合を入れて扉へと向かう。

 外からカランカランと木のぶつかる音が聞こえてくる。

 もう勇者が作業を始めているようだ。

 あの働き者加減は、アルからすればありえないし、信じられないし、正直まったく違う生き物のような感覚すら覚える。


 ふと、一人で生きるというのはそれほど大変なのだろうか、と疑問が浮かぶ。

 ならばずっとアルの世話を焼いてきたウルドはどうだったのだろうか。

 彼女は、ずっと落ち着いて、悠々としていて、忙しいとか大変とか、そんな素振りも弱音も見せなかった。

 でも、それはあくまでで、それなりの負担があったのだとしたら――


――もしかして、私を城から追い出したのは、私に愛想をつかしたから……?


 ぶんぶんと頭を振る。

 やめようやめよう。

 せっかくのいい気分が台無しだ。

 こうなったら勇者にさっさとお風呂を作ってもらって、さっぱりするに限る。

 そういえば、床や壁に使ってるような板って、どうやって作ってるんだろう?

 斧で木を伐って、鋸で小さくして、手ごろな厚さになるまで……削る、とか?

 ううん、気になる。

 よし、なら勇者の様子でも見に行こう。

 アルは張り切って扉を開け放った。



   * * *



 白刃が舞っていた。

 空気を斬る音と共に銀色の軌跡が宙を一閃すると、丸太が一つ、二つ、と分割されていく。

 牛酪バターのようにスラスラと斬り分けられまき割り台から転がり落ちた木が、カランコロンと軽い音を奏で積み重なっていく。


「えぇ……」


 思わず声が出た。

 少女に気がついた勇者が手を止める。


「何か、用?」


 勇者は小首をかしげ、手にしたを地面へ突き立てた。

 そう、剣。

 この男、斧や鉈を使わずに剣で丸太を板に加工していたのだ。


「いや、剣持ってたのかよ!」とはさすがに突っ込まない。

 どうして魔王城にはくわで殴りこんできたんだなどと問いただしたところでたいした理由がないだろうと予想できる程度には、アルもこの愛想の薄い少年を理解できていた。


 そもそも“勇者の力”そのものが魔物・魔族に対しての弱点になると、ウルドが言っていた。勇者のまとっている力は、自身や身につけた物を強化し、魔力を中和する効果があるのだとか。つまり、魔法は無効化、魔力をのせた攻撃はただの打撃や斬撃になり果て、逆に勇者の攻撃は魔力の防御強化を突き抜け大打撃を与えられるという、反則極まりないものだ。

 魔族からしてみれば、“布の服”だろうが“ひのきの棒”だろうが、勇者が身に着けた時点で伝説級の武具と変わらない。

 だから勇者としては、武器が剣でも鍬でも違いがないのはわかる。

 それでも――


(だからって鍬はない。うん。ない)


 本来なら、勇者と魔王の一騎打ちなど世界の命運をかけた一大決戦である。だというのにあの時の勇者ときたら、年貢の直談判に来た小作人か、よくて農民一揆の殴り込みだった。


(まあ、魔王わたしも、そんな農民に命ごいしたわけだけれどね)


 ため息を一つ。気持ちを切り替えて、足元に目をやる。

 地面に転がった木材は、大きさも形も均等にそろえられていて、切り口もきれいだ。いくら武器が名剣のようになると言っても、使い手が悪ければこうはできないだろう。


「バアちゃんならもっと上手く斬る。なんなら空中に放り投げて十六分割とかやってのける」

「どんなおばあちゃんなのよ……」


 やはり勇者とその身内だから、ただの人間と比べていろいろと規格外なのかもしれない。

 ふと、かたわらに斧が置かれていることに気がついた。


「それ、木を倒すのに使った」


(ふうん? 勇者なら結構な大木の幹でも剣ですっぱり斬ってしまいそうなものだけど……)


 アルの疑問をよそに、彼は切り分けた木材を形や大きさごとに仕分けていく。


「…………こんなに必要なの?」


 並べられた木材の多さに、唖然とする。

 せいぜい小さな小さな小屋二つ分だから大したことないと思っていたのに。


「ただの箱を作るわけじゃないから。嵐で屋根が飛んだり、小屋がつぶれたりしたら困るだろ」

「う……それは、うん」


 中にいて壁が崩れたりしたら目も当てられない。


「けど、この量は……」


(私、もっと手軽にできるもんだと思ってた……。もしかして、かなり大変で面倒なお願いしちゃった……?)


「……あ~………………えっとぉ……………………手伝った方が、いい……?」


 おそるおそる勇者をうかがう。

 正直、力仕事なんてやりたくもないが、何もしなければウルドの雷が落ちる……。


――自らのための労力を他人に頼んでおきながら、自分は高みの見物とは何事ですか。


 もちろんここに彼女はいないから怒られることなどない。

 しかし、そうであっても、刻みつけられた習性と言うものは簡単に消えるものではない。具体的に言えば、こう、鳩尾みぞおちの辺りがモヤモヤする。


 アルの提案に、勇者は困ったように視線をさまよわせると、


「それ、持てる?」


 一枚の板を指した。

 幅は手の平程度で長さはアルの腰くらいだが、厚みがある。それでも材木の中では一番小さいものだ。

 おっかなびっくり手をかけて持ち上げてみる。


「お、意外といけ……あ、ムリ、重……た、助け……」


 思い切って一息に板を抱え上げたまではよかったが、そこで腕の力が尽きた。

 手を離して板を落とすのも怖くて身動きが取れなくなり、息も絶え絶えに勇者へ助けを求める。


 手が痛い。腕の力が抜ける。地震でも起こってるんじゃないかってくらい、全身がプルプルする。声も細かく波打ってるみたいに震えている。

 多分、はたから見ればだいぶ間抜けな絵面だろう。

 自分わたし見ているそちら側ならきっと指差して笑っていると思う。

 でもね、こっちは必死なの。

 だから! 早く! 助けて!


 声も出せなくなり必死に視線で訴えた甲斐もあって、勇者は笑いもせず即座に助けてくれた。

 膝がカクカクする。これが「膝が笑う」ってことか。なるほど。


「なら、今の魔王は全身が笑ってる」

「……どころか大爆笑だわね」

「こっちはいいから。休んでて」


 淡々とした口調で勇者が告げる。

 咎める調子は何処にもないけれど、なんとなく「役立たず」と言われたようで胸がツキンとひきつった。


「も、もっと軽いのなら持てるから。多分」

「これが一番軽い。危ないから、家に入ってるといい」

「……ぅあ、でも、私がいないと、造り方が……」

「魔王がくれた絵があれば大丈夫。そんなに複雑じゃない」

「…………はい」


 実は、アルが昨夜のうちに口頭だと伝わりにくいかと考えて、事前に何枚か絵を用意していたのだった。

 図面のようにきっちりとしたものではなく、あくまで素人なりに構造かたちと仕組みを描いただけだ。だが、絵だけでは情報が少ないと思われるところはわざわざ注釈を入れたりと、普段の彼女からすれば随分と丁寧な仕事ぶりだった。


 根が大雑把な勇者としては、図面を引いたりなどの細かな下準備は得意ではなかった。だからアルの用意した図画だけでも十分すぎる貢献をしており、わざわざ苦手な肉体労働をする必要がない。と言う意図の上での発言だったのだが――

 

「えっと……じゃあ、中に入ってるね」


 勇者の口数の少なさゆえに、少女には伝わらない。


(働かなくていいのなら大歓迎のはずなんだけどなぁ……)


 自分なんて必要ない、そう言われた気がして、胸の真ん中でモヤモヤした何かがぐるぐると渦を巻き、すごすごと家へ足を向ける。

 けれどこのまま部屋に戻っても何もすることがない。お昼寝するにしても、こんな気分では気持ちよく寝られそうにない。


 もしこれがウルドならば、勇者とは違い言葉を選んだろうし、たとえ直接的に「邪魔だから部屋へ行ってなさい」と言ったとしても、アルがここまで落ち込むこともなかった。それは現状、魔王しょうじょが無自覚に抱く従者ウルドと勇者への信頼の差でもある。


(せめて本さえあればよかったのだけれど――)


 うなだれたまま一歩を踏み出したとき、


「あ、そうだ」


 勇者に呼び止められた。



   * * *



「……おぉ」


 本だ。

 勇者に案内された一室には整えられた寝台と簡素な机、そしてその傍らには小さいながらも本棚が一つ置かれていた。


「ここ、バアちゃんの部屋」

「……いいの? 勝手に読んで」


 勇者が「本棚にへばりつきながら訊くな」と言いたげな視線を寄こしつつも頷く。


「ぃよし!」


 立ち並んだ背表紙に顔を張りつけるように本を眺める。


「ええと……『光翼騎士団の歴史』『魔の森植生考察』……」


 どうやら学術書や歴史書の類がほとんどのようだ。

 城では物語ばかり読んでいたから、この類の書物にはなじみが全くない。


「……勇者はここの本読んだの?」

「読んでない」

「ふうん。そういえば、アンタ、読み書きは?」

「できる。バアちゃんに必ずやれと言われた」


 生計を立てるために商売をしているのだから当然か。なら多分計算もできるだろう。


――ちゃんと勉強したんだ。


 アルの教師はウルドだったが、勇者はやはり“おばあちゃん”に教わったのだろうか。


「ねえ、アンタのおばあちゃんって……」

「何年か前に、旅に出てった。その時に本は読んでもいいし読まなくてもいい、売って金にしてもいいから好きにしろって」


 農具についても「使わないなら処分してもいい」と言われたらしい。

 アルには、まるで家財の処理を依頼しているように思える。

 それはつまり――と言葉にしかけて口をつぐむ。


「もともとフラリといなくなって数日帰って来ないこともあった。今回は特に長い」

「そう……」


 寝台に視線をやる。

 きれいに洗われた布。下のわらも取り換えられているのだろう。何年も使われていないはずの寝台は、いつでも主人を迎えられるよう整えられていた。

 アルは適当な本を数冊見繕って、扉へと足を向けた。


「ここで読まないの?」

「うん、自分の部屋で読む」


 何年も主人が不在だと言うのに、この部屋にはまだが残っている。

 そんな場所を自分の存在で上書きするのは、あまりに無神経な気がした。


「やっぱりのんびり本を読むのは、自分のへやが一番だしね」

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