魔王と初めての外泊(五日目)

 ゴォオァアァァァッ!!!


……おはようございます。

 寝ざめは最悪です。


 ギョォアオオオォォォ……


 え、さっきから聞こえるのは何かって?

 魔物の威嚇と断末魔ですよ。


 ウルドが言っていましたね。世界の魔力が濃くなってきているせいで、獣や魔物が活発化してるって。身をもって体験しています。ええ。

 おはようからおやすみまでずっと獣と魔物の鳴き声。

 勇者といえば、家の仕事をこなしつつ昼行性だの夜行性だの時間を選ばずやってくる連中の対処に追われています。

 ホント、ご苦労なコト。

 私は足手まといになるので、お家で留守番です。


 魔王城を出て、勇者の家での生活も今日で五日目。

 初日は突然外に放り出されたせいで気を失ってそのまま丸一日寝込みはしたけれど、五日も経てば慣れたもの。

 まあ?

 なんだかんだ私、魔王様だからね?

 生まれて初めての魔王城外での生活なんて言ったところで、たいした問題はありませんとも。



   * * *



 なんて強がってはみたものの、現実は甘くなかった。

 実際は初日から昨日までずっと寝込み通しだったのだ。

 幸いだったのは、数日間うんうんと寝台にこもっている間に、隙間風にも、木箱にわらと布をかぶせただけの粗末な寝台にもいつの間にか慣れてしまっていたことだ。


(いやいや、いきなり訳もわからずに今までとは全く違う環境に放置されたら誰でもこうなると思うの。しかも生まれて初めての、外の世界。気持ちが落ち込んで憔悴して病気になってそのままポックリいかなかっただけでも、スゴイって褒められていいくらい。私、スゴイ!)


 そんな風に自分を鼓舞してみたところで、事態が改善されるわけでもなし。

 城から出て五日目の昼日中だというのに、アルは寝台で布にくるまったままでいた。

 寝返りをうつと、わさわさ、かさかさ、と身体の下で何ともいえない音がする。

 敷き詰められた藁は予想以上に柔らかくて暖かいものの、うるさくて仕方がない。

 眠気が勝っている夜ならばまだしも、今のように目が冴えている状態では無性に気になってしまう。


「ああ、もう!」


 布をはねのけて起き上がる。

 気分は最悪だが、体調は回復している。

 本でもあればいくらでも時間をつぶせるが、そんなものはここにはない。

 だが他にやることもなし、かといって獣が出没する外になど出る気にもならない。

 さりとて、ただただ無為に布団の中で過ごすのは限界があった。

 それに生理現象もある。


「はあ、トイレ……」


 と足を一歩踏み出してハタと気づく。


「トイレ?」


 そう、この数日間、アルは半ば病人のように過ごしていたため、部屋はおろか寝台から出てすらいなかった。

 身体は濡れた布で簡単に拭くだけ。トイレに至っては寝台の下に備えてある桶に用を足し、勇者に処分してもらう始末だったのだ。

 当時はその行為に何かを感じる余裕もなかったが、あらためて思い返しアルは頭を抱えてもだえる。


「何やってんだ私!?」


 もう、もう……どんな辱め……。

 そもそも勇者に介護される魔王ってなんだ?

 いや、しかし、それもこれも昨日まで!

 復調したのだからのだから、一人でトイレにも行けるし、ようやくお風呂にも入れる!

 さあて、気を取りなおそう。

 とりあえずは――



   * * *



「ない」


 家屋内を探し回り、風呂もトイレも見つけられず、恐る恐る家の外に足を踏み出して勇者に声をかけたものの、返ってきたのは短い否定の言葉だった。


「…………え?」

「蒸し風呂なら近くの村に行けばある」

「お湯につかるのは?」

「もっと大きな町に行かないと」

「え、じゃ、じゃあ、身体は……」


 どうやって洗ってるの? と言葉を継ぐ前に、勇者は「ん」と指を向けた。

 その先には、川。

 私にも同じことをやれと?! と叫びたいところではあったが、ぐっとこらえる。

 今はそれよりも優先すべきことがある。


「……トイレは?」


 勇者がさらに別の方を指す。

 その先には厩舎が。


――いや、ちょっと、それはさすがに冗談でしょ?


「家畜のとまとめてたい肥にするから」


 なるほど、どうせ一緒にするんだから最初から同じ場所にすればいいじゃん、と。

 合理性に一瞬納得しかけたが、即座に否定する。


「いやいや、無理無理ムリむり無理だって。牛や豚とこんにちはしながらとか絶対ムリ!」

「気になるなら後ろ向いてすれば?」

「そういう問題じゃないのよ!」


――本当にコイツは……!


「なら今までみたいに桶にすれば?」

「それはソレで嫌あぁぁぁ……」


 桶を勇者に回収されるのも嫌だし、なら自分で厩舎まで持っていけるかといえば、途中でコケるか落とすかして大惨事になる未来しか見えない。


――え、え? これ普通なの? 人間はみんな桶とか家畜小屋でやってるの?


 うろたえるアルに、勇者は事もなげにうなずく。

 農村ならたい肥としてまとめるが、一般的には桶やオマルですませて窓から捨てるのだ。


「アタシ ゼッタイ 町ニ住メナイ」

「個室の風呂や用足し場なんて、かなりのお金持ちじゃないと持ってない、と思う。それこそお姫様みたいな――」


 そこで言葉を切って、アルの顔をまじまじと見つめる勇者。


(やめてよ、その「そういやコイツ、お姫様だったな」って思い出した顔)


 ないとは自覚している。

 きらびやかなお姫様なんて物語を読む上ではあこがれはするが、実際に自分がそんな風に振る舞うかと問われれば、答えは否。

 理由は面倒くさいから。

 着るにも動くにも手間のかかる豪奢な衣装など、邪魔でしかない。

 誰からも惹かれるということは、そのようにのだ。魅力的な所作を、清く正しく規則正しい生活態度を。四六時中。

 アルは、空想にあこがれつつも、そうした努力に自分が向いていないと思うほどには現実的であり、それ以上に怠惰だった。


 まあ、それでも、だ。

 年頃の乙女として引けない物事と言うのは、ある。

 それこそ身体を清めるための入浴であり、今現在進行形で喫緊かつ火急を要しているのは――トイレだ。


 厩舎でなんて当然論外。そんなところでするくらいなら――

 川辺? いや、丸見えだし。厩舎と変わらないし。

 森の辺りの木陰? 見えないだろうけど獣に襲われたら……。

 部屋の桶? 誰が処分するの? もちろん勇者!


(ぐああああああ!)


 心の中で頭をかきむしる。

 どの選択肢もロクなものはない。

 しかしながら限界は近い。


「――勇者」

「な、に?」


 がしり、と勇者の両肩を掴む。


「個室のトイレって造れたりしない?」

「…………小さい小屋を造るくらいなら」

「造れるの?!」

「でも、トイレとしての構造がわからない。それに、造るにしても今からじゃあ夜になる」


――あ、終わった。


 身体がプルリと震える。

 一瞬希望が見えてから転落したせいで、反動が一気に襲ってきた。


……。

…………。

………………。


 この後、彼女がとった行動は、魔王としての名誉のために伏せることにする。

 ただ、何があってもトイレは造る(勇者に造らせる)と強く決意したことだけは確かだった。

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