魔王と勇者襲来③

 ウルドの提示した作戦は、自身を“魔王”の影武者とするというものだった。

 彼女が魔王のフリをして勇者と戦い敗北し、人間側に魔王討伐が完了したと勘違いさせる。

 ここで魔王アル自身が戦闘に出ないのは、単純に弱いからだ。魔力が高く、竜へと化身できるウルドであれば善戦したうえでができるが、椅子一つ持ち上げるのにすら息を切らす魔王では確実に一瞬で死んでしまう。


 そして万一、勇者がウルドの擬態に騙されず本物を探知してしまった場合、魔王として全面降伏を宣言、可能ならば勇者を抱き込んで『魔王を倒した』と人間の王へ報告させる。


 作戦名『死んだフリして、ダメだったら命ごいしようぜ』


(うーん、格好悪い)


 アルとしては命がかかっているのだから、格好いいだの悪いのはどうでもいい。それよりも気になるのは作戦のだった。一見手を打っているようだが、ただの行き当たりばったりの成り行き任せである。


 勇者が予想もできない早さで乗り込んできて準備が足りなかったのもあるが、どうにもここ数日のウルドは精彩に欠けている気がする。

 まるで浮足立っているような。

 さらにはダメ押しのように「別に倒してしまったってかまわないんでしょう?」なんて、むしろ絶対に敗北しそうな台詞を吐く始末。


(ウルドって、意外と逆境に弱い? いやいや、そんなことよりも今は目の前のことに集中しないと)


 今は交渉の真っ最中である。

 慣れないことをしているのだから、余計なことを考えて士気も思考も落としてはならない。


 アルは心の中で頭を振り、気持ちを切り替え――ようとして失敗する。


(こっちはこっちでなぁ……)


 勇者との交渉は早々に行き詰まりを見せていた。

 相互の意見が対立している、わけではない。その点ではむしろ一方的だった。


(なんで何も言わないのよう)


 こちらが話すばかりで、当の勇者は無言のまま。その反応もいまいち手ごたえがない。話に耳を傾けているから、言葉が通じないわけではないはずのだが。


(ちょっとくらいは喋ってくれないかなぁ。せめて反対意見でもいいから……あ、いや、それはやっぱダメ)


 誕生からこれまでウルド以外の魔族や人間を見たことのないアルとしては、赤の他人と会話をするという状況だけでかなりの精神力を消耗している。

 それはもう、ガリガリと。乾酪チーズをヤスリがけするかの如く。

 真っ向から敵対的な反応と発言をぶつけられでもしたら、早々に精神が折れるどころかプチリと潰れるだろう。


(こういうのウルドの仕事でしょお! こっちでも魔王の役やればいいじゃない!)


 などとボヤいたところで無駄なのはアルも理解していた。

 私室の一つかくしべやに踏み込まれたということは、確実に勇者が彼女を魔王として感知しているということだ。

 この時点でウルドが偽るには効果がなく、自身で対応するしかないのである。

 だからこそ腹を決めて、勇者の前で精いっぱいの『魔王』を演じているわけだ。


(もういやぁぁぁぁ! しんどいぃぃぃぃ! もうお布団で寝たい! ご本読みたい! ウルドぉぉぉおおおぉぉぉ!!)


……心の中ではのたうち回ってはいるが。


「――さあ、勇者よ」


 できる限り厳かな口調で語りかける――が、勇者はひょいと背後を振り返る。


(後ろを確認するなよぉ! お前しかいないでしょお!)


 さっきから呼ぶたびに首を傾げたり後ろを見たり、なんとも落ち着きがない。

 まるで自分のことだとわかっていないような……


「あの……」


 ためらいがちに勇者が口を開いた。

 ようやく聞いた声は、予想よりも高く澄んでいた。


「勇者って、誰の事?」


 ……。

 …………。

 ……………………。


(うん。そんな気はしてた。こいつ、自分が“勇者”だって自覚してない)


 魔王の言葉への反応の鈍さはもちろん、全身土埃にまみれて、わらでも編んだようなほつれてみすぼらしい衣服。どこかの小作人が迷い込んだと考えた方がよほどしっくりくる。

 しかし――


「……上の階の魔族はどうした?」

「あの真っ黒な竜なら、倒した」


 その一言に背筋がゾワリと震えた。

 あの真っ黒な竜。

 ウルドが変化した姿だ。

 彼女はもちろん全力ではなかったろうが、後顧の憂いを絶つために可能ならば勇者を殺すつもりでいたはずだ。それを目の前の少年は「倒した」と言った。負傷はおろか疲労している様子もない。


 深く息を吸う。

 やはりこいつは勇者だ。本人の自覚など関係ない。

 噛み合わない会話に苛ついてすべてがご破算になるのだけは避けなければならない。


「それほどの力を持つ者を我々は“勇者”と呼ぶのだが……。ならば貴様は王から何と呼ばれているのだ?」

「王様……?」


 あ、嫌な予感。


「ふ、む……“王”の称号を持つ者がいないのか? ならば誰に命じられてここまで来た?」

「いない。そんなの」


 嫌だ、聞きたくない。でも訊かなければ話が進まない。


「…………改めて自己紹介をしよう。私は魔王ヴァルドラ。言わずと知れた魔族の王である。貴様の名は? どこでどのように暮らしていた?」


 震えそうになる声を必死に抑えながら問いかける。

 状況にそぐわないおかしな質問ではあったけれど、少年はあっさりと答えた。


「名前はクリム。魔の森の近くで家畜と野菜を育てて暮らしている」

「農民じゃないかあああぁぁぁぁぁっっ!!」


 魔王討伐に来たのは農民だった。

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