魔王と勇者襲来①

 私は魔王らしい。

 私を魔王と呼ぶやつはいる。

 しかし、私は魔王として扱われたことがない。


 物心ついた時から「魔王」と呼ばれていた。

 しばらく自分の名前は「まおう」だと勘違いしていたくらいだ。

 だけどある日、世話役のウルドがこう聞いてきた。


「魔王様。魔王様は魔王になりたいですか?」


 何言ってんだコイツ。

 本気でそう思った。

 お前が魔王って呼んでるのに「魔王になりたい」ってなんだよ。

 私の疑問に、ウルドはかけているメガネの位置を直してから魔王とは何たるかを語ってきた。


 結果、私の答えは否。


 だって考えてほしい。

 わざわざ誰かを支配しようとか、そのせいで見ず知らずの他人から命を狙われるとか、ありえない。

 バカなの?

 死にたいの?


 するとウルドは「あらあら」と小首をかしげて、

「なら、これからは魔王様のことは本来のお名前の『アル』とお呼びしますね」

 しれっと言いやがった。


 いやいやいやいや、

 いやいやいやいやいやいや、

 私の名前があるなら、初めからそっちで呼べや。


 このやりとりから後、私は半月ほど『アル』というなじみのない自分の名前に慣れるのに苦労をする羽目になったりしたものだ。


 まあ、だから「魔王って何か」なんて聞かれても、私の昔の名前(仮)としか答えられないんだよ。


 魔王としての「役割」なんて、私にはどうでもいい。



   * * *



――勇者の襲撃より数日前。



「アル、朝食の用意ができました」


 コン、コン、と扉が叩かれる音と共にかけられた声に、アルは顔を上げる。


「はあい」


 扉が静かに開き、黒を基調とした侍従服に身を包んだ美女が姿を現す。


「そんな姿勢で本を読んでいては目が悪くなりますよ?」

「ちょ、勝手に開けないでよ!?」


 アルはうつぶせの状態から跳ね起きる。慌てたせいで開いていた本が閉じてしまった。

 ああ、しおり、まだ挟んでないのに……。


「こうやって抜き打ちで様子を見ないと、すぐに今のようなだらけた生活になるでしょう?」

「むー……」


 侍従服姿の美女――ウルド――は口を尖らせるアルに取り合わず「ほら、行きますよ」と扉の横に立ち、優雅な所作で恭しく外を示す。

 アルは「もう」と寝台から降りると、椅子の背もたれに引っ掛けてあった薄手の上着を羽織った。


 ウルドは世話係であり教育係だ。アルよりも頭一つ高いスラリとした長身。腰にも届く黒髪を頭上にまとめている。瞳も宝石のような漆黒で、ややつり目がちの顔立ちに眼鏡をかけてるため、慇懃な口調と合わさり、彼女の鋭利な印象を強めていた。

 アルが生まれ落ちた頃から傍にいて、十六年間ずっと身の回りの世話をしている。魔王城には彼女たち二人しかおらず、ここから出たことのないアルにとってウルドは従者であり、姉であり、親だった。


 二人は髪も瞳の色も同じであるため、ヒトやただの魔族ならば、あるいは本当に肉親だったかもしれない。

 しかし、アルは魔王である。おおよそ百年周期で誕生する時代唯一の存在。

 そこに他の魔族こたいとの関連が介入する余地はない。


 結局、ウルドは何者で、いつから魔王城にいるのか。どうしてアルの世話をするのか。なぜ魔王城には彼女ら二人しかいないのか。それらは一切不明のままである。

 だが、少なくともアルにとっては、これが物心つく前から日常の世界あたりまえであり、城内の書物やウルドによる座学で知識を学んでからも、敢えて事情を知ろうとは思わなかった。

 それは子供心に、知ることによって起こる変化に対しての、興味よりも不安が勝った結果だったのかもしれない。


 アルはウルドの髪形へチラリと視線を送ると、くるん、と背を向けた。


「はい」

「何です?」

「髪結んで。ほら、ご飯食べる時に邪魔じゃない」


 アルの髪もウルドほどではないが長い。

「今まで気にしたことないじゃありませんか」とため息を吐きつつも、ウルドは少女の背中まで伸びた黒髪をどこからともなく取り出した髪紐で結わえる。


「どう?」


 うなじの辺りでまとめられた髪を揺らしてアルは訊ねる。


「かわいらしいですよ。しっぽみたいで」

「へへぇ」


 にへらっ、とアルは相好を崩した。


 ウルドに連れられて通された食堂は、数十人が一斉に食事をとれるほどに広い。そんな場所にポツンと一人座っていると、自分が小人になった気さえする。

 そわそわと戸口へ視線を向けていると、ウルドが料理を載せた台車を押して入って来た。


 食事は二人一緒に。

 本来、王族や貴族ならば、主と従者が同じ場所で共に食事をするなどあり得ない。

 だけれど、そんなことは気にしない。

 アルにとってウルドは家族なのだから。


 ウルドも自らを侍従としての立場に置いているが、そこに厳格な上下関係が存在しているわけではない。

 アルが粗相をすれば容赦なく叱るし、当然のように作業の手伝いもさせる。

 そのためか、貴族並の生活を送り最低限の礼儀作法を習得しつつも感覚は平民に近いという、ちぐはぐな状態にアルはなっていた。


「お皿洗うの手伝う~」


 こんなことを主が言い出す程度には砕けているのであった。

 ウルドの洗った食器の水分を布で拭きとって、傍らに重ねていく。

 食器を棚に戻すのはウルドの仕事だ。それは主従の関係云々ではなく、単にアルの腕力と体力が弱く持ち上げられないからであった。


 後片付けも終わり一息ついた頃、ウルドが「何かありましたか?」と訊ねてきた。

 アルは軽く息を飲む。


「どうして?」

「昔からアルが甘えてくるときは、お皿を割ったとか、おねしょをしたとか、怖い話を読んで寝れなくなったか……だいたい不安になった時ですからね」

「おねしょとお皿はずっとずっとちっちゃい頃だけでしょ!」

「怖くて眠れないのは最近もでは?」

「そーんーなーこーとーあーりーまーせーんー」

「で?」


 促され、アルはしばらく口ごもった末にボソボソと答える。


「ちょっと……こわい夢をみただけだもん……」


 ほれみろ、と言わんばかりの表情をウルドが浮かべる。


「も、もうこの話は終わり! あ、午後のお茶菓子はアレがいい! ほ、ほら、この間、作ってくれたヤツ!」


 慌てて誤魔化すアル。

 正直、ウルドの指摘は図星だったが、くだらないやりとりをして気分が楽になった。


 そう、ただ怖い夢を見ただけだ。

 それが今まで見たことのない種類だったから不安になっただけ。


 でも、どうしてあんな夢を見たんだろう?


 なんて。



   * * *



――現在。



 いつも通りの平穏な日々、いつも通りの落ち着いた午後は扉とともに砕け散った。

 予想をはるかに超える破砕音にこらえられず口から悲鳴が漏れたが、即座に居住まいをただす。

 巻きあがる粉塵に隠れてしまっているが、この向こうには“彼”がいるのだ。


 勇者。


 魔物狩り。魔族の天敵。魔の討滅者。

 歴代の勇者に対しての呼び名はそれこそ星の数ほどもある。


 そして――唯一、魔王わたしを殺しうる存在もの


 ここまでの突入を許したということはウルドの目論見は外れたらしい。

 だからと言って彼女を責めるのは酷というモノか。

 この事態はあまりにも唐突に過ぎた。予期はしていても予想できなかった。

 まあ、起こったことを四の五の言っても始まらない。

 ならば第二案を試すまで、とは切り替える。


 一つ深呼吸をする。


 空気がヒリヒリする。

 魔王は固唾を飲んで、埃がおさまるのを断頭台にかけられた罪人の気分で眺める。

 いつ刃が首へと迫ってくるか油断ならない。

 やがてもくもくと噴煙のようにたち昇っていた埃の中から現れたのは、若い男だった。


 自分やウルドと同じ黒髪黒眼。見たところ15歳か16歳に見えるが、小柄で顔にはまだ幼さが残っておりもっと若いのかもしれない。

 おそらく不意の攻撃を警戒してだろう、わずかな状況の変化すら見逃すまいと眼光は鋭く、表情は緊張に引締められている。

 近づけば切れてしまいそうなほど研ぎ澄まされた空気はしかし、少年が魔王の姿を認めたことで微かに緩んだ。


――ふむ、状況は私に傾いているようだ。ならば、始めよう。


「ようこそ“勇者”殿。私は魔王ヴァルドラ。君の来訪を歓迎しよう」


 魔王の言葉に、少年は戸惑いの色を表す。


「その反応も無理はない、が、言葉通りの意味だ」

 と、魔王はゆくりと両の掌を少年へ向け、

「私に君と戦う意思はない。――取引をしよう」


 少年の無言を「話は聞く」という意思表示だと受け取ってさらに言葉を続ける。


「私と戦わずこのまま戻り、君たちの王へ魔王討伐を報告してくれないだろうか。証拠が必要というなら、この城の中の物を何でもいくらでも持って行って構わない。むろん、君自身の戦利品としても同様だ」


 無言の返答に、軽く――あくまで彼にはそう見えるように、息を吐く。


「噛み砕いて言おう。私は人間に興味はない。争いを起こす気もない。魔王城から一生涯出ないと誓ってもいい。物品、金銭的な要求なら可能な限り答えよう。


 惨めな命ごいに聞こえぬよう、努めて軽薄に、しかし真摯には懇願する。


「私はね、ただ静かに暮らしたいだけなのだよ」

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