第捌 三人目のころし

 



 翌日、昨夜はこっぴどく絞られた雅相だったが……またもや陰陽寮で騒がしく話す声にげんなりしていた。

 寮内を歩けばいろんな人間からの視線が痛い。


(考えるな。怯えれば周りの恰好の的だ)


 すたすたと陰陽寮内を歩き去り、学生の學びの間に颯爽と入室する。


 ……が、やはりと言えばやはりで學びの間でも刺々しい視線の裏腹に辺りは水を打ったようにしんと静まり返り、雅相の傍には誰も近づこうとするものは無い。

 まあそれは元からなので今更である。



「……」


雅相まさすけ、大丈夫?」


「あぁ、もう来てたのか行信ゆきみち



 雅相が定位置の文机の前に座れば、行信が何の気なしに近寄ってきてこれまた定位置の前の方に座ってくる。


 恐らくこの陰陽寮内で今、雅相に近寄ってくる人間は行信だけだろう。昨夜の一件で皆安倍家に近づきたくないと思っているに違いない。



「これで、三人目か」


「まさか安倍の《木》筋の分家の当主が殺されるなんてね。それも自邸の中で」


「あぁ、」



 安倍家は陰陽五行木、火、土、|金《ごん、水》に則って、五つの属性を司る分家が存在する。


 そしてその分家をまとめるのが、雅相や祖父たちのいる安倍総本家だ。

 その陰陽五行のうち今回は《木》の属性を司る分家の当主が在宅中、邸の結界を打ち破られ鬼に襲撃されて命を落とした。


 《木》筋分家の現当主である安部平匡ひらまさは、その冷静な判断力などを買われて祖父に若くして直々に《木》筋分家当主に抜擢された程の人物である。


 現在は安倍総本家に代わって代理で五行分家を纏めるほどの人材であったため、総本家としてはかなりの痛手だ。


 因みに雅相は火の属性の霊力を持っており、祝詞や真言を唱える際に霊力が反応して火へと変換される。


 属性に関しては必ず全ての人間が持っている訳では無いため、陰陽五行の属性を持つ者で、見鬼の才を備えた者だけがここ陰陽寮にいる。それ以外は基本常人扱いだ。



「どうして安倍家ばかりなんだ」


「……」


「なあ、教えてくれよ行信」


「……済まない」



 何故そこで謝るのか雅相には理解できなかった。そんな態度が雅相を腹立たせるとも知らずに……。


 無性に髪を掻き毟りたい衝動に駆られるが、さすがに出仕している現在では烏帽子を脱ぐことはできないため理性が働いて我慢せざるを得ない。


 不安と恐怖と苛立ちが腹の奥底でぐるぐると掻き回され、得体の知れない気持ち悪さだけがずっしりと雅相の心を押し潰してくる。



「ねぇ雅相、今日夜廻当番だけど……危ないし、私が代わろうか?」


「なんで、代わった所で邸に居てもどこに居ても追ってくるかもしれないだろ?あの人食い鬼が安部家を狙っているのなら結界内にいても、壊してくるんだから」


「でも分家の結界よりも宗家は強固でしょ?かの安倍晴明が幾重にも張り巡らせた結界は、今の今まで一度も壊されたことはないって聞くし」



 確かに陰陽師安倍家を築き上げた先祖安倍晴明が幾重にも張り巡らせて作った結界を壊せる者などこの世にいるはずがない。

 もし壊せるやつが居れば、其奴は神かなんかではなかろうか?


 行信の言葉に、少しだけ救われたような気がして乱れていた心が出口を見つけたように静まり返っていく。



「あぁ、そうだな。確かに。安倍邸に居た方が安全かもな」


「うん、そうしなよ。てことで、これは貸しにしておくからね?」


「ちゃっかりしてるよ本当に」



 悪態をつきつつも、内心では行信に感謝しかなかった。

 やはり幼い頃からの付き合いなだけあって、雅相のことを一番理解してくれているのは行信だけだろう。


 そうこうとしている内に陰陽博士が學びの間に入ってくるのが見えたので、ざわついていた学生たちが文机の前に座り、書を取り出したりと支度し始める。



「陰陽頭の孫よ」


「え、はい?」


「教えが終わり次第、漏剋博士ときつかさ殿の元へ行きなさい。話があるそうだ」



 陰陽博士が雅相を射抜かんばかりに真剣な眼差しを向けてくる。


 その真摯に迫る眼差しに、何か嫌な予感を覚えつつも師に応えない訳には行かないので生唾を飲み込んで、「はい」とだけ短く返事をした。






養父様とうさま。僕になにか御用ですか?」


「あぁ、教えが終わったんだね雅相」



 慌ただしい陰陽寮内の一角である、撞鐘かねつきの塔の近くに建てられた*漏刻ろうこくを司るもの達が働く処で、昨日絞られたばかりの養父である安倍吉房あべのよしふさが目の前の膨大な紙に埋もれながら相好を崩して雅相を迎え入れる。



「昨日言い忘れていたんだ。雅相に折り入って頼みがあってね」


「僕に頼み?」


「うん、実は今日邸に帰れそうにないんだ。今日は宿直とのいでね。その後に分家の結界を張り直す頼みを受けているんだよ。だからその間の留守をお前に頼みたい」


「うわぁ……」



 聞きたくもなかった養父の途轍もない激務の一端を聞いてしまい、雅相の顔が渋いものになる。


 宿直は丑三つ時まで大内裏に屯駐し、その後交代する。なので交代明けに養父はひっそりと一人分家の結界を張り直す手筈なのだろう。

 何件分依頼が来ているかは定かではないが、今日中に終わる見込みはあるのだろうか?



「ですがお一人で結界を張り直すのは危険です!人喰い鬼が安倍家を狙っているのに」


「何を言っているんだい。流石に一人ではないよ。分家の当主たちと合流して手分けして張り直すことになっているんだ。心配せずとも大丈夫だよ」



 流石に安倍宗家の人間が出張る以上は分家の当主も手伝わない訳には行かないか。


 それを聞いて内心からにじみ出た安心感が顔に出ていたようで、養父に「そんなに不安だったのかい?」と逆に心配されてしまう始末だ。

 慌てて取り繕おうと身振り手振りするが、養父は楽しそうににこにこした顔をするだけだった。



「コホン!そっそういう事ならわかりました。実は今日夜廻の当番だったんですが、危ないからと交代してもらっていたんです」


「そうだったのか。済まないね、夜廻の事にまで気を回せていなくて」


「大丈夫です。養父様はお忙しい身ですから、こちらの事はお気になさらないでください」



 本当は共に帰宅して、安倍邸にいて欲しかった。

 雅相の先日の暗示がこのままではその通りになりそうで……不安で不安で仕方なかったから。


 祖父も養父も不在の今日、先日の不吉な暗示が本当に起こりうる可能性は今日が一番高い気がひしひしとするのだ。


 もし本当に夢の通りになれば、一体どうやって養母を守ればいい?どう邸を守ればいい?先祖が張った結界が破られるとは思っていないが、もし万が一破られたら?

 しかし不確定要素で養父に心配をかける訳にも行くまい。


 不安が募る中、態度に出ないように細心の注意を払って雅相は養父にいつも通りに笑うのだった。



 ***



 どく、どく、

 心の臓がうるさい。

 一歩、また一歩と自邸に近付けば近付くほど鼓動が早くなっている気がする。

 祖父も養父もいない、どうすれば守れる?


 じっとりと掌が汗ばんでいて、それが伝染したように全身からも嫌な汗が噴き出してくる。

 夜廻の時に感じたあの死に直面したような気配に果たして自分は立ち向かえるのだろうか?


(違う、あれはただの暗示であって、確定じゃない。でも、あの夢が本当に今日起こることだと示していたら?)


 陰陽師の夢は個人差にもよるが、基本的には直近で的中する確率が高い。

 だが先見の暗示も万全では無いため、行動や言動次第では多少なりとも変化してしまうあやふやなものだ。


 だからこそ式占ちょくせんで裏付けを得るのだが……雅相は苦手なため、暗示の裏付けに失敗している。

 そのせいで余計に不安が募っていくという悪循環だ。


 まるで枷をかけられたように全身が重く感じる中、雅相はまず自邸に着いて真っ先に自室へと急ぐ。


 もちろん昨日届かなかった祖父からの書の確認だ。

 が、やはり書は届いてはいなかった。



「なんで、こういう時に限って、届かないんだよ!!」



 いつもは雅相が書を出せば一日で返書がくるのに、今回に限って未だに祖父からは音沙汰がない。


 そんなに祖父宛に書が乱立しているのだろうか?それとも単に気づいてもらえていないのか?

 考えられる事はいくつもあるけれど、どれも今までなかったことばかりだ。


 祖父に苛立っているのか、それとも祖父に縋ろうとする自分の情けなさに苛立っているのか分からないが内心が酷く乱れていく。



「物音がしたので来てみれば。お戻りだったのですね若君」


「天后……」


「どうされたんですか?そのようにお取り乱しになられて」



 声のした方へ目を向ければ天后が立っており、仰天したように目を丸くして部屋の中をキョロキョロと見回していた。


 驚くのも無理はない、いつも整頓された雅相の部屋が今日はぐちゃぐちゃになって散らかっているのだ。


 ……そうだ、暗示では確か天后も安倍邸で共に戦っていたはずだ。

 今のうちに夢のことを明かして、少しでも協力してもらわなければ。天后へ顔を向けると、何故か天后の眉間に薄く皺が刻まれる。



「ねぇ天后。実は大事な話があるんだ」


「大事なお話ですか?なんでしょう」


「実は、」



 天后に先日見た不吉な暗示のこと。

 裏付けはできていないが、もしかするとその夢で見た事が起こる可能性が安部家に祖父も養父もいない今日が一番高いこと。


 戦いの場所が安倍邸であることを掻い摘んで話せば、天后の美しい顔が険しくなり、御簾から差し込む陽の光に視線を移した。



「それが誠でしたら、早急に手を打たねばなりませんね。日没までまだあります。なので若君はまず出来るだけ呪符のご用意などをなさってはどうでしょうか?」


「でも潔斎を行っていないと呪符は作れないんじゃ?」


「そんな事はありませんよ。ただ、潔斎を行って霊力を込めて作成する呪符と、霊力のみ込めて作る呪符ではやはり格段に差は出ますが……」



 陰陽寮で教わっていた呪符や霊符などの作り方は、七日前(大願の場合)から肉類などの精がつくもの・刺激物を断ち、吉日を選んだら朝と夜に清めた水で体を洗って供物を用意した後に鎮宅霊府神ちんたくれいふじんの絵に向かい加持をして霊符専用の墨と筆で符を作る。


 この一連の工程を潔斎といい、これが慣習だと言われていたが……どうやらそれらをせずとも作れる事実に、雅相は何とも言いきれない複雑な気持ちになる。


(まあ、天后が言うのなら本当なんだろうけど、うん。なんかむかつく)


 兎にも角にも、雅相は先ず天后に言われた通り呪符作りに取り掛かった。

 次いでに護符も作成し、万が一に備えて安倍邸に張り巡らせるつもりだ。


 呪符と護符は良く同一視されがちだが、その実作り方に違いがあり効力もまた違う。

 呪符は真言や祝詞の言葉を更に神の御本に強く届けられる―――要は攻撃力向上の効力を持ち合わせており、作り方は前述の通りだ。

 対して護符は内を守るためにあると言っても過言ではない。

 謂わば何かを守ることに特化した札である。

 作り方は、呪符と同様で墨に*を砕いてにかわを合わせた物を用いて専用の筆を使って書いていく。



「よし、この位あれば問題ないはずだ」



 完成した護符と呪符を以前潔斎を行って作っておいた数枚の呪符と共に懐に仕舞う雅相。


 何げなく御簾の向こうの空模様に視線を移せば……空は*天霧りを連れた黄昏色に差し掛かっていた。逢魔が時が近い。

 何か嫌な予感を感じ、急いで護符を安倍邸に張りまくって行く。

 途中養母が部屋に御膳を運ぶ所が目に入る。何の変哲もない、日常の光景だ。


(僕が、養父や祖父に代わって守らなければ)


 養母には見鬼の才がないため、恐らく今回のことは何も知らずに朝を迎えるのだろう。

 念には念を入れて、養父と養母の私室にも護符と結界を張っておく。

 人喰い鬼の狙いが安倍である以上、何が起きるか分からないからだ。



 ――――そうして鐘撞の塔から申の正刻(16時くらい)が鳴ってから過ぎた頃に、夕餉を養母と話しながら取っていた時だった。



「そう言えば雅相は今日、私室で何やらしていたみたいですがなにをしていたのですか?」


「今日は陰陽寮の教えを今一度確認しようと思ってお札などを作っていたんです。良ければ、養母様に出来を見てもら、え……た、ら」


「雅相?どうかしましたか?」



 先程まで楽しげに話していた雅相が、急に動きを止めて無言になったことに違和感を覚えたのか、養母が心配げな瞳で雅相に声をかける。


 しかし養母の言葉になんの返事もせず、雅相は箸を置くと「有難うございました」と言って御膳にまだ料理を残したまま立ち上がって、養母の制止も聞かずにその場を辞した。



「なんで、どうなっている!!なんで今、いきなり都から怨気の気配が、こんなに濃厚に感じるんだ!」


「若君!!」


「天后!ここを任せていいか!?僕は夜廻組が心配だから出掛ける!!」



 ですが!と、どこからともなく現れた天后が悲痛に異を唱えるが、雅相にはそれを聞き入れてやるほどの余裕は今は持ち合わせていなかった。


 急いで身支度を整えれば、殆ど安倍邸を駆け抜ける勢いで邸門から一歩外へ出る。

 ――――宵闇に覆われかけている都へでてみれば、そこは勿怪で溢れ返っていた。

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