第漆 変化が下手くそな勿怪




「すっかり遅くなっちゃったな」



 行信ゆきみちとてんやわんやとしているうちに空はすっかり闇を引きつれた黄昏色に覆われ始めていた。


 もしかしたら養母に怒られるかもしれない……。

 よし、覚悟を決めておこうと心に誓って、人もまばらな大路を勇み足で*禹歩うほよろしくに雅相は大股気味に歩いていく。


 これからの説教に思いを馳せて背筋に冷や汗を流していると、ふと菅原邸と安陪邸の中間に位置する*水火神天満宮すいかてんまんぐうから不思議な気配を感じ、雅相まさすけは何げなく視線を移した。



「なんだ?」



 石灯籠の微かな灯火に照らされた天満宮の鳥居の奥を注視すれば、淡く辺りを照らす白光が明滅している。


 明らかにこの世の光ではないし天満宮の石灯籠の光ではない光だ。

 怨気とは真逆の一種の神々しさに肌がひりつくのを感じ、興味本位で奥へ進んでいけば、拝殿の前にぼんやりと光を放つ雅相よりも低い白光が揺らめきながら佇んでいた。


 不思議に思いつつその光景を眺めていると、白光は次第に朧げに溶けていき、だんだん人の形を成していく。


 そして光がすべて消えたときには雅相よりも頭一つ分低い、肩までない白銀の髪をした水干姿の男子が立っていたのだ。



「え……え!?」


「っだ、だれだ!!」



 白銀の髪の男子は雅相の仰天した声に体を思い切り跳ね上がらせて振り向く。


 男子の顔もまた人離れした――――まるでそう、例えれば祖父にも通じた透き通った白磁のような肌をしており、白い睫から覗く金の瞳をまんまると見開いていた。


 そしてその他に人間ではありえない、ふさふさとした白銀の髪に埋もれるようにぴょこぴょこと左右に動く白い獣耳が見え隠れしている。

 明らかに勿怪なのは一目瞭然なのだが、一体何の勿怪の獣種だろうか?あれ、でも人の形に限りなく近いから勿怪じゃないのか、な?と暢気に内心悩む雅相である。



「あ、えっとその」


「いつからいた!!」


「い、いつから?白光が見えた頃くらい?」



 男子が悲鳴のような声で「序盤も序盤じゃないか!!」と金切り声で言葉を発す。


 あまりのキンキン声に思わず耳を塞いでしまう。



「えーと、その言っていいのか判んないけど。一つだけ言いたいこと言ってもいい?」


「なんだ小童」


「こわ……その、耳が。人のじゃない奴の耳がその、出てます」



 ちらちらと見ながら男子の髪に隠れるその獣耳を指摘すれば、男子はまたもや悲鳴を上げてふさふさの両耳を鷲掴み、まるで手で隠すようにしてその場にしゃがみこんでしまう。


 慌てて近寄ってどうしたのかと声を掛ければ、何故か男子は頬を紅潮させて金の瞳に涙をいっぱい溜めて射殺さんばかりにきつく睨んできた。



「み、みるな!人間風情が吾の耳を見るなぁ!!」


「え、えー」


「散れ!去ね!」



 そういわれても男子の存在がかなり気になる雅相としては退散したくないのだが、男子はしっしと手で払う仕草をしてくる。



「じゃあ言いたいこと全部言ってもいい?そしたら行くよ」


「なんだ!早う言うてさっさと去ね!!」



 とかく早く雅相を退散させたい男子が先ほどまでの涙目がうそのように態度を変えて、まるで小さな小動物が威嚇してくるように耳を低くし威嚇体勢をしてくる。


 耳をすませば微かに唸り声も聞こえてくるような。

 それならばさっさと言いたいこと言って早く帰ることに越したことはない。

 恐らく勿怪?みたいなものと親交を持つのは余りよろしくないだろうし。


 雅相は大仰に息を吸って肺腑にはちきれんばかりに空気を取り込めば。



「その神々しい気配早く引っ込めて肌がひりつく。それとその白い髪凄く目立つし水干の格好だとかなり変。さっきの淡い白光はこの刻だと悪目立ちする。あと、もしかしなくてもその耳引っ込めきれてないってことは変化失敗した?隠すようにしてたし」


「なっなっ!!」



 喉まで出かかっていた言いたいことを一息に全部言えて、雅相はとても晴れやかで清々しい心持だった。


 まず陰陽師として毎日研鑽し、夜廻よまわりでも勿怪と対峙する日々を送る雅相にとっては、少し驚きはしたものの、この程度で腰を抜かしたり震えあがったりすることはない。ほぼ慣れている。


 そのためむしろこの勿怪男子?の変化失敗などが目についてしまい、焦れと呆れが募った結果、これ幸いとぶちまけてしまったのだ。

 ということで悪いのは自分ではない、変化が下手糞な目の前の男子のせいだ。



「それじゃあ言いたいことも言ったので、僕はこれにて退散します。あぁ貴方も去るときは次は失敗しないように」


「ま、待て小童!!」



 くるりと踵を返して本気で帰りかけていたが、変化に失敗したのだろう男子が何故か必死の様相で雅相の直衣の袖を掴んで縋り付いてくる。


 睥睨した目で男子を再度見返せば、先ほどとは打って変わってもごもごと口を窄め始めて煮え切らない態度だ。



「何故の変化に驚かない?何故そんなに平然と……主は何者だ?」


「あーうーん。半人前だけど、一応は陰陽師の端くれ?」


「なぬ!?其方は陰陽師か!」


「待て陰陽師って言いきるな。半人前の!陰陽師だから!!」



 何が違うの?と言いたげに小首を傾げる男子に、人間の世知を説いても仕方ない。

 これが人と勿怪の違いというものだろう。人のしがらみのない勿怪が少し羨ましく感じてしまう今日この頃だ。


 すると、雅相が悩ましく唸っていると、突然男子が鼻を引くつかせ始め徐々に迫ってくるのに気づき、剣呑な瞳を向けて手で制止した。



「さり気無く僕に近寄らないでくれ。何する気だ祓うぞ」


「むっ失礼な。主などに何もせぬわ!ただ、懐かしい匂いが漂ってきたから」



 胡乱気な瞳で見やる雅相に、男子がおずおずとしながらもなおも近寄ってくるが、呆れた顔で男子の顔を押しのける。

 人の匂いを嗅ぐとはいい趣味をお持ちの勿怪である。



「そ、其方名は何と申すのだ?吾に教えてくれ!」


「なんだよいきなり……散れだの去ねだの散々言ってたくせに」


「それは謝る!だから後生だ!吾に教えて!!」



 ころころと人のように態度を変える勿怪に再三の呆れたため息を吐き出す。

 名を教えないと帰してくれなさそうな雰囲気だしと仕方ないと態度を露わに「雅相だ」と氏は告げずに名乗っておく。


 本当は適当に偽名でも言ってやろうかとも考えたが、それはなんだか雅相の矜持プライドに反する気がして諱を名乗ることにしたのだ。決して諱を軽んじている訳ではない、矜持のためである。


 すると名前を聞けた嬉しさからか、しがみ付いていた勿怪が途端に小躍りよろしくに大喜びで体をうねうねとさせる謎の舞を披露し始めた。物凄く不気味だ。



「そうか!其方は雅相というのだな!しんこ様に良い土産ができた!!」


「なんだよ本当に……。ほら、僕が名乗ったんだ。そっちも名乗るのが定石だろ」


「ぐぬぬ。およずれびとのくせに……あ、いや仕方ないな!その耳そばだててよぉく聞け!!吾は夏目なつめというのだ!!」



 ふんすふんすと鼻を鳴らして腰に手を当てて自慢げに夏目が名乗る中、一方の雅相は一切興味がないのか終始「ふうん、へえ」とばかり繰り返す。


 しかし夏目は一切気にしていない様子だ。なんて鋼の精神だろうか。いっそ見習いたい。



「そうだ、其方何か要らぬ物は持ち合わせていないか?吾は其方の持ち物を所望する!!」


「え、えぇ?会っていきなり何で僕がお前に物あげなきゃいけないの?」


「いいから!吾は!お前の!身に着けているものが!ほしいのだ!!」



 強請る子供のように圧をかけて詰め寄り、手を差し向けてくる夏目にさしもの雅相もたじたじになってしまう。


 先程の言動や見た目でかなり怪しく感じてはいるものの、半ば諦めて(というより早く帰りたくて)何かあったかなと懐を探ったり袖の中を探してみるが、下級貴族の安部家にそんな捨てるような物は早々持ち合わせてはいなかった。


 なのでいつも持ち歩いている帖紙たとうがみを一枚抜き取って夏目に渋々手渡す。

 正直雅相にとっては貴重な紙なので本当は渡したくはないのだけれど呪符などを渡すよりはマシだろう。



「やった!雅相の匂いが染みついたものをもらったぞ!!」


「その言い方辞めてくれない?すっごい気持ち悪い」



 しかし喜びのあまり一切雅相の声が聞こえていないのか、夏目がくるくる回りながら雅相があげた帖紙を掲げてはしゃいでいた。


 ならばとその隙を狙って夏目が夢中になっている最中で雅相は徐々に後退していき――――遂には夏目を置き去りにしてその場を後にした。





「雅相、今何刻か分かるかい?」


「えっと、戌の初刻頃(19:00頃)……ですかね」


「きちんと理解しているね。漏剋博士ときつかさを賜った私も鼻が高いよ」



 雅相が帰途に着いたのは既に夜の帳が空を覆う頃だった。

 目の前にはにこにこと笑っているのに、いつもの穏やかな雰囲気を一切感じさせない養父が……。


 まさか読みが外れて養母からの説教ではなかったことに焦りを覚えつつ、忙しい身である養父に申し訳なさと叱ってくれる嬉しさが綯交ぜになって、不思議な気分になる。


 本当の生家にいた頃では味わえなかったちゃんとした親子関係と言えばいいのだろうか?

 圧を向けられながら説教をされているのに、思わず口が緩んでしまう。



「雅相、私の説教はそんなに楽しいかい?」


「ごめんなさいそんなことありません身に染みております」



 ただやっぱり圧がすごくて怖いものは怖いので、縮こまって養父の説教を数刻耐え続けるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る