第陸 あるはずのないモノ

 

 雅相が自邸で悶絶する同時刻ごろ。都の一角で、鬼の捜索に当たっていた陰陽師たちが激しい闘いを繰り広げていた。



「なっなんなんだこの勿怪は!!」


「っ強すぎる……!」


「くっどうやって都の結界の中に!?」



 狩衣をまとった壮年の男たちが口々に恐怖を滲ませる。

 男たちの視線の先には澄み渡る宵闇に煌々と月光を発す三日月を背に、廃墟の屋根から右京の夜空をぼうっと眺める人の形をした影。


 その出で立ちは左の額にだけ生えた白い角を持つ鬼であった。

 艶のある黒髪を組紐で一つに高く結い上げ、月光にも劣らない爛々と輝く血を吸ったような赤い両目。薄っすら開いた唇から覗くは鋭利な白い牙だった。



「……いけ好かない匂いを追ってきてみれば、ここは狐の巣窟か?」


「っ!?」


「勿怪の戯言に耳を貸すな!オン・ソリヤ・ハラバヤ・ソハカ」



 何故か動揺する一人の官職持ちの陰陽師、安部吉和よしよりの隣にいる仲間の陰陽師が真言を唱える。

 その他にも数名の陰陽師たちが真言を唱えれば、彼らの体から迸るように様々な色味を帯びた霊力が彼らを包み込む。



「その程度の霊力か。数多居ながら拍子抜けだな」


「抜かせ!!」



 男たちが一斉に、火を帯びたり水をまとったり地面に向けて手をかざしたりすれば、鬼に勢いよく様々な攻撃が押し寄せる。

 火炎が勢いよく鬼を包み、水が鬼の顔を覆い呼吸を止め、土を分け入りながら木が鬼を逃がすまいと全身に絡みつく。


 しかし、鬼に触れた瞬間、全ての攻撃がどろりとした墨のような炎が鬼から噴き出した途端に溶かされたように液状化していった。

 その場にいた全員が口をぽかりと開けて呆然と立ち尽くしてしまう。


 いくら都での活動が多かった官職持ちの陰陽師たちとはいえ、そこいらの野良陰陽師共と比べれば負けるはずがないと自負していたからこそ自尊心を傷つけられたようなものだ。

 余りにも鬼との力の差が違いすぎる。


 するとつまんなさそうに鬼が首をゴキゴキと左右に鳴らし、ある一点を指差した。



「つまらん。雑多に興味はない、アレを置いていけば他は見逃してやる。去ね」


「なっ」


「勿怪の分際で!我々を愚弄するか!!」


「友伴を置いておめおめ逃げる恥知らずな者などこの中にはおらぬわ!」



 鬼に指名された吉和だったが、驚きの顔で他の陰陽師たちに顔を向ければ、彼らはみな年若い安部陰陽師に笑いかけていた。


 思わずその優しさがこころに染み渡ってしまい、危うく涙を出しかけるがそこは戦いの場なのでグッと堪えた。

 やはり若いと情が豊かで涙もろくて困り者だ。


 だが鬼は鬱陶し気な顔にさらに眉間にしわを寄せる。



「ならばその目に、ともがきとやらの死を存分に焼き付けておけ」



 鬼が薄っすら牙を見せ口を歪ませた瞬間、刀印を下へ向けて逆から描く九字紋を線引いて行く。


 刹那、九字紋から鬼の纏うどろりとした炎に似た怨気が下方に向かって噴き出したかと思うと、怨気を浴びた地面や家屋と言った全ての場所から、数多の腐敗の進んだ腕やら骨の手やらがうねうねと生えてきたのだ。


 それらが陰陽師たちの足を絡め捕り、不自然にぬかるんだ地面に足を引きずり込まれていく。



「なっなんだこれは!」


「抜け出せぬ……!?」


「だ、だれか助けてくれ!!」



 その場が悲鳴と恐怖に一変した阿鼻叫喚と化した。

 が、そんな中で興味な気に鬼が陰陽師たちを素通りしていくと、同じく足を絡め捕られ、身動きが取れなくなっている吉和の前へと立ちはだかった。


 ゆっくりと吉和が目線を上げていけば――――血を吸ったような真っ赤な両目が無感情に吉和を見下げていた。


 ゆらゆらと揺らめく怨気をまとう鬼の気迫に、次第に吉和の歯が恐怖に喘ぐようにカチカチと音を打ち鳴らし出す。


 絶対的恐怖。

 圧倒的なまでの蹂躙。何故自分が訳もなく狙われなければならないのかの不可思議さ。


全ての感情が綯交ぜになって吉和の自信を打ち砕いていく。



「た、助けて……くれ」


「俺に懇願するのか?お前を殺すことだけを考えている俺に」


「あ、ぅ」


「オン・センダラ・ハラバヤ・ソハカ」



 誰かが阿鼻叫喚の中で、だれかを助けるために真言を唱えた。


 吉和が勢いよく声のした方へ振り向けば、真言を唱えたのは吉和の隣にいた仲間の陰陽師、丹波道伊みちこれだった。

 が、あえなく道伊が放った霊力でできた水の攻撃は、鬼の怨気に吸い取られてしまい跡形もなくなってしまう。



「貴様のその言い分を換えれば、吉和以外は殺さないってことで間違いな?」


「……」


「何故吉和だけを狙う!」


「耳障りな雑多だ。封じておくか」



 嫌悪も露わな顔で「やれ」と鬼が一言いい放った瞬間、地面を泥濘ませる元凶の腕がさらに地面から幾多も生え、一斉に陰陽師たちに襲い掛かる。


 地面から生えた腕は陰陽師たちの両腕を掴み、無理矢理開口させて舌を掴む。

 そして刀印を結ばせないように吉和以外の全員の指を全てへし折り、腕を脱臼させたのだ。

 あまりの複数の激痛に吉和以外の周りの陰陽師たちが言葉にならない絶叫を都の宵闇に劈かせた。



「や、やめ……やめてくれぇ」


「やめるも何も、貴様がさっさと死ねば止めるから安心して死んでいいぞ」


「うぅ」



 涙でぐしょぐしょになった顔を吉和が俯けると、鬼が膝をついて目を合わせさせるように顎を上向かせ、無理やりに顔をあげさせる。



「三択選ばせてやる。一つ、黄泉の手に沈みその魂魄ごと消滅する。一つ、俺の怨気によって全てを滅ぼされる。一つ、貴様が絶命後に俺が手ずから黄泉に魂魄を食わせる。さあ選べ」


「そ、そんな!」


「はなから俺は貴様ら狐の魂魄を葬らねばならんからな。痛みと共に消滅か、苦痛は最小限に消滅かの違いだけだ」



 どの選択をしても吉和が確実に絶命する未来しかない。

 あまりの理不尽さに吉和の瞳から徐々に光が失われていき、傍で横たわる絶望を噛み締める。


 辛うじて遺骸として形が残るかもしれないのは最後の選択と言ったところだろうか。

 それでも、死ぬことに変わりはないので残す意味があるかは謎だが。


 隣で道伊が言葉にならない何かをこちらに訴えているようだが、今の吉和にはどの言葉も耳に入る隙はなかった。


 そして暗い瞳で焦点の合わない目を鬼に向けて吉和は口を開く。年若い安部陰陽師が出した答えは。



「私は、」




 ***




 陰陽寮、学生学舎内



「は?安倍の陰陽師が殺された?」


「うん、そっちには火急の知らせ来なかったの?」


「いや……そういえば、養父様とうさまが朝早くにどこかへ出掛けられていたかな」



 やっぱりと言いたげな顔で行信が顔をしかめるが、雅相には未だに信じられないことだった。


 なんせ位階を賜るほどの実力者の、それも安倍分家筋に当たる陰陽師が赤目の人型と遭遇して昨夜殺されたのだ。

 恐らく雅相が見たというその人型を捜索中に襲われたのだろう。


 人型の外見は、やはり行信が昨日言った通りの一本角をこさえた両目が赤い鬼だったそうだ。

 ……しかし腑に落ちない点が雅相にはあった。



「他に人死はなかったのか?」


「それがないんだ。周りにいた人たちは指を折っていたり肩を脱臼、足も滅茶苦茶に折れていたらしいけど、命に別状はないって」


「どういうことだ?」



 さあ?と行信も困り顔で首を傾げる。昨夜夜廻をしていた行信に際しては雅相が遭遇したという鬼にさえ遭っていないらしい。


 行信と蘆屋の子息は捜索隊とは別に二人で夜廻をしていたらしく、それでたまたま遭遇しなかったそうだ。

 まあ、都は広いので遭遇する確率は確かに低いだろうけど、それなら安倍の陰陽師もまた然りのはずだ。


 なんだかもやもやする中で、薄ら寒さと気味の悪さを感じる。



「そういえば、大番役の身元が分かったらしいよ。顔の判別に大変だったらしいけど」


「本当か!!どこの誰だった?」



 雅相は文机に勢いよく手をつき、身を乗り出して行信に顔を近付ける。

 もはや二人の顔は殆ど目と鼻の先で、行信も目を丸くして驚いていた。そして見る間に行信の顔が朱に染まっていく。


 しかし対する雅相はそんな行信の反応にも、周りが驚いて注目している事さえ気付かないほどに切羽詰まっていた。



「あっ安倍分家の人、だったらしいよ。婿入りして北の方の生家の太宰府に移り住んでたみたい」


「は、」



 その話を聞いた瞬間、全身の力が抜け落ちたように雅相の体はすとんと元の位置に戻った。


 その太宰府に移り住んだという男については、一切関係のない雅相でも話には聞いたことがあった。

 都を訪れていた北の方にその男が一目惚れし、それはもう言葉で言うには憚られるほどに猛烈に口説いた末に二人は婚儀を上げたという。


 そしてそのまま男は本家はもちろん、生家にも一言も告げずに大宰府に高飛びしてしまったのだ。

 祖父が呆れた顔で話していたのはとても印象的だったのでよく覚えている。



「また、安倍」


「雅相?」


「あ、いや。そういえば鬼が都に来る前は、他の人死も安倍家関連なのか?」


「ううん、安倍家に関しては今はこの二人だけかな。鬼が北上しながら殺した人達に共通点はなさそうだって、陰陽師の人達が言っていたよ」



 行信の情報網に関しては舌を巻かざるを得ないが、なるほど、都では安倍家のみ、地方では無作為殺人をする人喰い鬼か。


 明らかにそれはおかしいのでは無いか?地方では無作為なのに都に来た途端標的が安倍のみ。これをたまたまだったと片付けるには少し理屈が通らない気がする。

 無意識に眉間にシワが寄っていたらしく、行信から「顔が怖い」と怯えられてしまった。



「それと、関係あるのか知らないけど……その人喰い鬼は狐を殺して回ってたって」


「きつ、ね?」


「うん。それもただの狐じゃない。稲成狐いなりのきつねだよ。他にも野干やかんが惨殺されてたりとか」



 雅相はただ呆然とした顔をした。

 もはやその鬼が狙っているのが《狐》であると言っているようなものでは無いか。ただ、狐殺しと安倍家と地方での殺人がどう通じるかと聞かれれば今の雅相には分からなかった。


 もっと行信に聞きたいことはあったものの、陰陽博士が學びの間に来てしまったため中断せざるを得なくなった。



(じっさまからの返書、そろそろかな)


 本日の教えも終わると、祖父に当てて書いた書をぼんやりと思い出す。

 普通なら大体一日くらいで戻ってきていたのでそろそろ頃合だろう。

 きっと祖父さえ都に戻ってくればこの大事も急速に収まるはずだ。



「どうしたの雅相?やけに嬉しそうにして」


「なんでもない、それより菅原倖人の日記に度々出てくる依子いくこって誰?」


「あぁ、菅原倖人の許嫁だよ。蘆屋の娘だったかな?」



 雅相の手元にある書を覗き込んでくる行信はやけに楽しそうにしている。

 それもそのはずだ、今は気分転換にと行信が菅原旧家の書倉でまた入り浸ろうと誘ってきて、現在は2人でまた読み漁っていた。


 行信はどうやら雅相が自邸に遊びに来てくれるのが嬉しいようで、たまにこうして自ら誘ってくれたりもする。恐らく今回は雅相の心情に気を遣って誘ってくれたのだろう、本当に良い奴だ。


 しかし、まさか菅原家と蘆屋家に繋がりがあるとは思ってもみなかった。



「蘆屋は安倍の傘下なのに、よく許したな」


「日記によると、蘆屋の娘が不治の病で勿怪を引き寄せる体質だったみたいで、魂魄こんぱくと霊力の調整で体調を安定させつつ護衛も兼ねるための政略だったんだって。うちは名家の中では一番格下だからね、当時は安部も菅原程度ーとか思ってたんでしょ」


「ふうん。というか魂魄と霊力の調整って、そんなことできるのか?」


「出来る訳ないよ。逆にどうやるのか知りたいくらいだよ」



 行信、お前子孫だろと突っ込みたい所ではあるが、まず知ってても秘術扱いになるのは目に見えているので敢えて突っ込まずに雅相は言葉を飲み込む。


 魂魄は心の臓とは別にあるとされる霊力を貯蔵したり体に循環させたりする核のことだ。

 もう一つの霊力は血とともに全身を循環する気のようなもの。人間であれば個人差で量は変われど誰しも持ち合わせている。


 陰陽師はこの魂魄に貯蔵した霊力を使って、祝詞や真言を唱えて神から力を授かる代わりに代償として霊力を捧げる。


 他にも霊力で呪符や護符を作成したり様々な用途に使うため、陰陽師にとっては命より大切な宝物だ。


 そして稀に何らかの原因で体の活力ともなる霊力を魂魄が上手く循環させきれず虚弱体質になることがあるらしい。

 これを《不治の病》と呼び、未だに治しようがないと言われているが……菅原倖人は一体どうやって?



「でもなんだか誇らしいよね。ご先祖さまのやり方は規格外でも、人々に貢献してるんだなって思ったら、尚更早く悪い噂を払拭してあげたい」


「そうだな。陰陽寮の記録と日記の内容は大体合ってるし、これが本当なら悪い人では無いはずだからな」



 行信の言う通り規格外ではあるが、蘆屋の娘以外にも、菅原倖人はこの不治の病で苦しむ人たちを助けていたと記録に残っている。

 他にもやり方は知らないが重い病を快方に向かわせたともある。


 もう陰陽師辞めて平穏に医師やってた方が幸せだったのでは?と内心思わなくもない。


 他に菅原倖人の日記はないかと雅相は持っていた書を他に置いて、散らかっている書倉の奥へ足を踏み入れる。

 すると、埃をかぶった奥棚がやけに目に付いた。


(なんだろう。なんか、気になる)


 埃かぶった書物たちには目もくれず、ひっそりと最奥に佇む棚へ歩み寄る。

 刹那、突如雅相の身長よりも高い上棚から何かが降ってきて、間一髪で雅相は体を引いて避けてなんとか難を逃れることができた。



「びっびっくりしたぁ!」


「雅相?なんか凄い音したけど大丈夫?」


「あ、あぁ大丈夫!」



 行信が心配してひょっこりとこちらに顔を出していたが、取り敢えず今は大丈夫だと断っておく。

 危うく頭にぶつかるところだったソレは、どうやら鞘に収まった見窄らしい太刀のようだった。


 何故何もしてないのに太刀が降ってくるんだ?と不思議に思わなくもないが、それよりも何故ここに太刀が?の方が雅相には衝撃が強かった。


 帯刀は基本武官武士の特権であって、貴族が持つ太刀は宝刀扱いの華美で豪奢な飾り太刀が普通だ。

 こんな素朴で黒塗りな太刀を下級貴族とは言え、陰陽師家系である菅原家が持つ必要性など一体どこにあろうか?


 興味半分、恐怖半分に恐る恐る太刀の鞘に手を伸ばす。



「っい゛!!?」



 指が鞘に触れた瞬間、バチバチと白い火花が散ったかと思うと指先に鋭い痛みが駆け走り、思わず手を引っ込めた。


 何が起きた?さっきのはなんだ?

 鋭い痛みを感じた指を見てみれば、指先が切れていてつーっと鮮血が下るように細く線を描いていく。


 ……これは、もしやなにか呪術的なものが施された危ない物なのではと、今更興味本位に触ろうとした自分に青ざめていく。



「行信!ちょっとこっちに来てくれ!」


「どうしたの雅相?」


「いいから!!」



 雅相に呼ばれた行信が不思議そうな顔で傍に寄ってくる。

 すると行信も太刀を目にして、驚いたとばかりに目を丸くして凝視していた。


 どうやら行信さえこの太刀については態度から察して知らなかったようで、尚更先程自分が受けた呪術的な攻撃が何なのか怖くなってくる。

 最悪あの一瞬で雅相自身呪われた可能性だって捨てきれないのだ。


 呪術の施された物は、それほどまでに危険で不確かで、なんの目的でいつ作られたかさえ不透明な存在な物ばかりが多い。



「これ、もしかして触ったら不味い奴?」


「さあ。ウチにこんなのがあること自体知らなかったよ。てあれ、雅相血が出てる」


「あぁ、これ触ったらこうなった」



 何言ってんだ此奴みたいな怪訝な瞳を行信にされたが、本当の事なので「本当だからな」と言葉を付け足しておく。


 何はともなく、まずは手当が先決なので一旦その場を離れることにした。

 が、何故か行信が歩き出したかと思えば、直ぐにピタリと動きを止めた。



「行信どうした?」


「……今、なにか聞こえた?」


「は?」


「誰か、呼ぶ声が」



 キョロキョロする行信に、今度は雅相が何言ってんだと怪訝な瞳でやり返すが……当の見て欲しい行信には見向きもされず、しょんぼりしてしまう。


 取り敢えずこんな埃まみれの場所で傷をいつまでも晒しておきたくないので、無理やり行信を引っ張って二人は書倉を後にした。


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