第伍 落ちこぼれの理由。

 


『父様、母様。僕、陰陽師になりたいんだ』


『……それが何を意味して言っているのか、お前は分かっているのか?』


『はい。我が家がひなんされる恐れは十分にあるとおもっています』


『では何故そうまでして陰陽師になりたい?』


『……』



 小柄で小さな少年は膝に置いた、まだ短くて幼い指を拳に作ってぎゅっと握り、赤みがかったまん丸と大きな瞳を目の前にいる厳しい顔をしている父に睨む勢いで見据える。



『ごせんぞさまを超える陰陽師になれば、家をまた立て直せるのかなっておもったからです』


『お前……先祖がなんと言われていたか分かっておるのか?』


『はい。でも、ごせんぞさまも人の子です。きっと僕もがんばれば追いつくかもしれない』


『……』



 父の隣で口元を押さえて首を横に振った母を父が一瞥すると、仕方がないとばかりに父は長くて大きめな息を吐き出した。

 少年は一瞬びくりと体を震わせるが、気丈に振る舞おうと両肩にぐっと力を入れて今度は揺らぐまいと緊張を滲ませる。



『はぁ――――。分かった。お前の決意が固いことも、揺らぎがないこともな。だがどこに属するつもりだ?』


『*平都たいらのみやこのおんみょうりょうに行こうとおもいます。あそこなら学ぶこともたくさんあるとおもうから』


『ここでは納得せぬ、と』


『はい』



 こくりと頷く少年に、父はもう一度深いため息を吐き出すと『解った』と短く一言だけ言葉を吐く。


 それを見止めた少年が勢いよく立ち上がり、顔をぱあと太陽のように明かるげにして大きな瞳をきらきらと輝かせた。その様を見た父も母も悲し気に微笑む。



『だが一つ条件がある』


『じょうけん、ですか』


『お前はまだ七つだ。家人を連れて行かせるにしても不安で仕方ない。それに旧家の改修も必要だろうからな。安部の方々に暫くお前を預ける』


『安部……』



 少年の喜びもつかの間だった。どうしようかと眼をくるくると宙に漂わせて考えるが、少年の答えは一つしかなかったため大きく頭を縦に振って同意の意を示した。


 すると今まで静観していた母が、突然少年と目の色がそっくりな瞳からはらはらと大粒の涙を流し始めてしまい、父も少年もギョッとして慌てふためき始める。



吾子あこや……。こちらへおいで』


『は、母様』



 言われるがままに少年が母の傍へ近寄ると、母がそっと小さな体を引き寄せて頭を優しく撫でる。


 母のいつもの優しい匂いに思わず少年の涙腺が緩みかけて、奥歯をグッと噛み締めて少年は声が嗚咽に変わらないように耐えた。



『あちらにいっても息災で。私の愛しい――――』


『はい。母様も息災で』


『なんだ――――。私にも抱かせては――――』


『父様は力が強いから――――』



 ――――。――――…………。


 ……。




 ***




雅相まさすけ!!起きてってば!」


「……んが」



 身体を激しく揺さぶられ、雅相は軽くなった瞼を一気に持ち上げてぱっと両目を開いた。

 そこは先程見ていた小さな少年も、少年を優しく包み込む母も、温かな眼差しで見つめる父さえも居なかった。


 訳が分からないと言いたげに周りを見渡せば、周りは既に誰も居らず……この狭い部屋に残っているのは雅相と行信だけになっていた。



「あれ……僕もしかして寝てた?」


「うん、それも陰陽博士おんみょうのはくしが何度起こしても起きないくらい熟睡してた」


「うわ……」



 やってしまったと居た堪れなさ過ぎて顔を手で覆えば、行信ゆきみちが呆れたようにため息を吐いた。


 何のために一睡もせずに頑張って陰陽寮おんみょうりょうに来たんだと内心自分を責めたいところだが、まあ今日は仕方ないしもはや後の祭りなので気持ちを切り替えた方が得だ。



「そういえば行信。お前もしかして、触った?」


「触った?何に?」


「僕に」


「まあ、さっき起こす時に触ったね。じゃないと声だけじゃ起きそうになかったし」



 それがどうした?とばかりに行信が首を傾げて不思議そうに雅相の顔を覗き込む。


 ……なるほど、だから夢に見た小さな少年こと、幼少の時の行信が夢の中に出てきた訳だ。先程雅相が見ていた夢は、恐らく太宰府にいた頃の行信の過去の夢だったのだろう。


 雅相は物心がつく頃から不思議な夢を見ることが多々あった。

 それは決まって人に触れられたときだ。

 雅相が誰かに触れられた時、その日見る夢に必ずその人物の過去を断片的に夢見する。


 最初こそ訳がわからず怖かったし、寝ることもしたくなかったが、なんとか年月を重ねてようやく慣れていった。



「何でもない。それよりもう帰ろう」


「うん、今日はどうする?」


「流石に疲れたから、このまま邸に帰るよ」



 少し寂しそうにする行信には申し訳ないとは思うが、やはり昨夜の疲れを取るのが雅相にとっては今一番最優先だ。


 それに今晩の夜廻よまわりは確か行信と蘆屋あしやのとこの子息だったはず。なので、行信も夜廻の支度をしなければならない。


 行信と雅相はいつもより言葉少なげに会話をしながら大内裏を出て帰途を目指す。

 道中で、学生の仲間が三人で道の端で会話をしているのが目に付いた。正直端に寄ってはいるけれど通行の妨げになっている。



「なあ昨日人死出したのってやっぱり」


「絶対そうだよ!雅相が遭遇した奴が赤眼の人食い鬼に決まってる」


「でも人食い鬼はこの間まで*因幡国いなばのくに付近にいるって聞いたぞ?たった数日でどうやってここまで!?」


「そういえば噂では霊山の*火神岳ひのかみのたけに突如降りてきたとか」


「「ななんだって!?」」



 学生たちが戦々恐々といった感じで悲鳴に似た大声で話をしていた。

 人食い鬼については、行信も雅相も小耳に挟む程度には伝え聞いていた。


 なんでもここ数ヶ月の内に北上するように貴族・庶民関係なく無作為に襲って凄惨に殺し回っている悪鬼らしい。


 時間帯は決まって人が寝静まった丑三つ時を狙うことが多いらしく、皆震え上がっている。

 学生たちの話を聞いてしまった行信が、小さく「怖い」と呟いたのを耳聡く拾った。



「大丈夫さ。単なる噂だし気にすることない」


「でも雅相は会ったんでしょ?その、真っ赤な両目の鬼を」


「鬼とは言ってないだろ!両目が赤い人の形をした何かだ!!」


「それ殆ど鬼ですって言ってるようなものじゃない!」



 違うと反論しても、今日夜廻当番である行信には聞き入れてもらえそうになく、行信はほぼ半べそに近い目で雅相を睨み付けてくる。


 いっそのことしばらくの間は夜廻を中止して様子を見たほうがいいのでは?と思わなくもないが、そうすると住み着く勿怪もっけや怨霊たちが何をしでかすか分からないためそうも行かない。


 ……だが、昨日の様子から見るに、その人食い鬼が都にいる限りは勿怪たちも下手に動けないでいるような気もしなくはないのだ。


 これはあくまで推測で、勘であって確証も何もないため雅相も下手に口出しはしないと決めていた。



「まあ今日の当番は斉経なりつねなんかよりよっぽど優秀な蘆屋の得業生とくごうしょうも一緒だから大丈夫だって、な?」


「うぅ……陰陽頭おんみょうのかみ様早く帰ってこないかな」


「いや昨日出立したばっかなんですけど」



 確かにこういう時こそいて欲しいものだと思わなくもないけど、今はいない人物に縋っても詮無いことだ。


 一応陰陽師の人たちも動くことになっているため、だからこそ夜廻を平常通り執り行う事にしているのだろうと察しは付く。


 ……それでも、一応祖父に今の状況を報告しておこうと落ち込む行信と歩きながら雅相は誓うのだった。





「あら雅相、今日は早く戻ったのですね?」


「あっ養母様かあさま。今から市にお出掛けになるのですか?」



 行信と別れて安倍邸に戻れば、雅相の養母に当たる養父の北の方の芳子よしこが*ころもづつみを持って被衣かつぎをまとい何処かへ向かおうとしているところだった。


 芳子は雅相に穏やかに微笑む。その隣には雅相が出仕する際に送り届けてくれた天后がおり、どうやら隠形してこっそり芳子に同行するつもりのようだ。



「昨日は大変でしたね。今日はお務めも終わったのでしょう?夕餉が出来るまでお休みになりなさいな」


「はい、そうさせてもらいます」



 養母に浅く礼をすればちらりと天后をみて、養母のことを頼むと瞬きを数回送る。


 それを理解したのか、天后もコクリと頷いて養母と天后は市へと出掛けていった。

 普段は養母が市へ出掛けるのは当たり前のことなので護衛などは付かないが……やはりことが事なだけに養母に護衛を付けるのは雅相としても安心して送り出せるので有り難い。


 二人と別れると雅相は私室へ急いで、スグ様文机の前に座し常備している硯箱すずりばこから筆を取った。

 勿論祖父に今の都の状況を書に認めるためだ。


(そりゃあ、保紀やすのり殿や他の陰陽師あたりが既に書は出してるだろうけど)


 それでも個人的に昨日起きた出来事を体験した当事者として知らせておきたかった。


 赤い両眼の、悍しい何かについては流石に取り調べで外見などしか言えないため、雅相自身が感じた事は祖父に伝えておく必要がある。


 小鳥のさえずりが御簾みすの向こうから静かな部屋に音を奏でる。

 筆を取って一刻ほどで、雅相は筆を置いて早く乾けと言わんばかりにパタパタと手で扇いで墨の乾燥を促す。



「あとは……そうだ、庭に菖蒲草あやめぐさ燕子花かきつばたが咲いてたな。どうせ無頓着なじっさまのことだし、季節の知らせでもしておこ」



 祖父からもらい受けた特殊な式符で書を包み、祖父に以前教わったやり方で鳥の形に折り込んでいく。


 これは祖父の霊力が込められているそうで、祖父がどこにいても届けてくれる便利な式の一種だ。


 あとは安倍家の庭に咲く二種のどちらを添えようか悩んだが、彩り等を考えて結局二種とも添えてあげれば――――完成した瞬間、式符に包まれた書と二種の花が鳥の姿へと変化し私室を飛び回り始める。


 それを見計らい雅相は立ち上がって御簾を押し上げ、外へと促せば書は翼を羽ばたかせて飛び去って行った。



「……僕もじっさまのところに行きたいな」



 空の彼方へ飛んでいった鳥を見つめながら、雅相は寂しげな瞳でポツリと呟いた。




 ――――はあ、はあ。


 呼吸さえままならない。

 息づく暇さえ与えられない。

 既に自分も天后も満身創痍の状態だった。

 でもここで倒れるわけには行かない、狙いは自分であっても邸に被害を出すわけには行かないからだ。



『――――くせに、脆いな』


『ぜぇ、は……』


『わか、ぎみ……お逃げ…ください』



 まただ、彼奴は僕のことを前もそう呼んだ。分からない、一体それはなんなんだ?教えて、ねえじっさま。ねえ。


 彼奴がにたにたと赤い目を歪ませ、せせら笑った瞬間、目で追えないほどの速さで接近してくる。――――気付けば、眼前には彼奴の真っ赤に鋭く尖った爪が迫っていた。


 いやだ、死にたくない。

 まだじっさまに聞きたいこととか、言いたいことが残ってるんだ。

 家とかそんなものどうでもいいんだ。僕はただ、じっさまに認められたいだけなんだ。

 いやだ、いやだ、ここでなんか……。



「死ねないんだ!!」



 自分の吐き出した声で意識が急浮上し、目を勢いよく打ち開いた。

 呼吸が浅くなっていて、上手く息が整ってくれない。雅相はふすまを引き上げて上体を起こすと、小袖がしっとりと汗で湿っていることに気付き思わず顔を渋くする。



「さっきのは、過去じゃ、ない。僕の、先見?」



 はあはあ、と息を吐き出して乱れた呼吸を少しずつ整えていけば、思考もようやく冷静に落ち着き始めた。



「……先見ってことは、過去見とは違う。あれは不吉な暗示?」



 陰陽師であれば第六感、直感といった類に優れているため稀にこういった謎の夢を見ることがある。

 しかしそれが何を意味するかまでは親切には教えてくれない。



「……一体、何が起きるんだ」



 夢で見た暗示を思い出す。明らかに場所はここ、安倍邸で間違いない。ここで雅相と天后が何者か……いや、言うまでもなくあの両眼が赤い人型と闘っていたものであった。


 そして最期は――――。考えた瞬間、体がブルリと震える。


 刻は待ってくれない、雅相はそう思い立ったが吉日と言わんばかりに*式占ちょくせんを行うため*式盤しきばんを取り出して木材でできたソレを眺めた。

 式占は暗示・先見(予見)を裏付けるのには適していて、すぐさま取り掛かったが……しかし思うように奮わない。


(やっぱり式占は苦手だな)


 陰陽師として必須の式占が苦手だなんて致命的過ぎるが故に、落ちこぼれだと言われてしまう自分に納得してしまい遣る瀬無く項垂れる雅相なのだった。

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