第肆 騒がしい都。

 


 保紀やすのり雅相まさすけ天后てんこうの三人が発見したものは――――地面に鉄錆臭い溜まりを作って、腸や臓腑を撒き散らし喉を鋭利な物で掻き切られた人だった塊であった。



「うっひどい……誰が一体こんな事を」


「天后見えない!保紀殿そこに何があるんですか!?それになんか生臭い……」


「亡骸だよ。それも損傷の激しいご遺体だ」



 鼻を摘んで雅相が聞くと、保紀が眉間にいくつもの皺を刻んで首を横に振る。



「顔は……ぐちゃぐちゃだが、纏っている衣から察するに大番役おおばんやくだろうか」


「大番役って、確か強制で三年都を守護する地方貴族たちだっけ?」


「あぁ、恐らくこのご遺体は着任してまだ日も浅そうだ。衣が真新しい」



 無意識に雅相は生唾を嚥下する。まさかこの平穏な都の、それも*大内裏に近い位置で人死が出たのだ。これは明日都中が大騒ぎになること間違いないだろう。


 ――――雅相と保紀は話し合いの結果で二手に別れることとなり、流石に現場を見せたくないと一点張りの天后の意を汲んで、雅相が検非違使けびいしの在駐する大内裏へ向かって人を呼びに行き、保紀がその場に残ることとなった。



「全く、天后はいつからあんな我儘言うようになっちゃったんだ」


「我儘だなんて。私は若君のことを思ってやったまでです」


「余計なお世話!べーだ!」



 憂い顔で心配する天后に雅相は悪戯っぽく舌を出しながら先を急ぐ。


 すると、やはり先程からの視線が刻を追う毎に濃く強くなっていることに気づき、雅相は目線だけをくるくると周囲へ回してみるが、やはり何もある訳がなく……一種の不気味さと気持ち悪さに顔を歪めた。



「なぁ天后、さっきから気持ち悪い視線を感じるんだけど、天后は感じる?」


「えぇ……こちらを睨めるような、不気味な視線を微かに感じます。恐らくこちらの出方を伺っているのかもしれませんね」


「かもねぇ。それにこの視線、さきから僕にだけ向いてる気がしなくもないんだけど、どう思う?」


「どうと言われましても……若君は安倍の唯一の後継ですし、恨む者は確かにいるのかも知れませんね?」



「だよね〜はぁ」とまるで辺りに聞こえよがしに緊張感のない大きなため息を吐く雅相に、天后がクスクスと可笑しそうに笑った。


 まあ確かに気配云々で言えば、怨気の類いでは無いのが1番の救いではあるが、相手が怨気を纏わない人?かもしれないと思うとことさら厄介になりかねない。

 狙ってくる相手を放置すれば最悪恨みが悪化して怨霊化しかねないし、仮に当人を倒しても、周りの関係者が仇討ちに来たりはたまた悪化して生霊飛ばされたり怨霊化とか藁人形なんて使われかねないからだ。



「……仕方ない。厄介事に巻き込まれたくはないけど、今は遺体の報告が最優先だからこのまま大内裏に直行しよう。対処するの面倒くさそうだし。急ぎじゃなさそうならじっさま辺りに相談するのも手だね」


「ふふ、若君らしい選択ですね。相良さがら様とは全くの正反対です」


「相良?」



 誰?と言いたげに並走する天后に視線を向ければ、「貴方様の御祖父様ですよ」と走りながら驚きに目を開いていた。


 まさか雅相が自分の祖父の諱すら知らなかったことに驚きを隠せないのだろう。

 そんな事言われても雅相としても困惑だ。

 なんせ祖父は自分自身のことを余り話したがらない人なのだから、こちらから聞いても黙秘を貫かれるのが多い。


 ……そんな祖父が、戻ったら自らのことを話すと言ったことをふと思い出し、ようやく距離が縮まったのかなと思うと雅相の頬が自然と緩んだ。



「あっ大内裏の大垣が見えてきた!このまま振り切ろう!!」


「若君の仰せのままに」



 雅相はさらに走る速度を上げていくと、途端に横道のうねうねとくねる小路へ体を滑り込ませる。


 目眩しと近道を兼ねたこの小路が今は最善だと踏んでの進路変更だ。天后も後を追うように体を滑り込ませて雅相の後を追ってくる。


 気付けば、ずっと感じていた視線が一旦途絶えており、敵を撒いたことに雅相は口角を上げて小さく拳を作った。



「天后!このまま視線を撒いて一番近い談天門だんてんもんに入るから!」


「御意」



 薄暗いうねる小路をひたすらに走っていると、談天門の手前に出る大路が見えてくる。

 そして先に雅相が開けた大路へと身体を出せば、目前には大内裏に入る外郭十二門の一つの談天門だ。


 雅相が先に出て、天后も直ぐに小路から体を出せば、気配も視線も感じないことに二人はホッとした顔をして門を目指した。


 ―――――そうして、談天門の門前に差し掛かった。

 刹那、雅相と天后の全身の毛が一瞬にしてぶわりと総毛立つ。

 ……何かが、見ている。悍ましくて、先程の視線とは比べ物にならない類の、殺意とどろりとした怨気を含んだ雅相を絡め取るような視線が、いつの間にか、こちらをみている。



「あ、な、に」


「若君!!追ってはなりません!」



 天后の警告も虚しく、雅相は強烈な視線を感じる方向に顔をゆっくりと向ける。

 雅相が顔を向けた先は、雅相がいる場所から少し遠い刻を知らせる撞鐘つきかねの塔の屋根の上。


 丸く大きな月夜の月光を背に一身に浴びているにも関わらず、鮮やかに輝く血を吸ったような赤い両眼だけが浮いたように人の形をした何かの影が立っていた。


 赤目くらいその辺の勿怪たちで見慣れているはずだった。

 なのに、今見ているあの赤眼は今まで雅相が見てきた中でも群を抜いて異質に感じた。

 ――――初めてだ、魅入られるのと同時に喉仏に禍々しい刃を突きつけられたような死をこんなに間近で実感する不思議な感覚は。


 心の臓が今までにないほど耳の奥で鳴っている。どく、どく、と急かすように早鐘を打っていく。

 雅相が凝視していると、影がゆらりと動いてこちらを指差してくる。



「お前も――――」



 目を大きく開けて影を凝視した。今、なんて言った?あの赤眼はなんて?

 しかしそれを理解する前に天后が背を勢いよく押して談天門へ無理やり押し込んだ。


 そこでようやく雅相は我に返り、辺りを何が起きたのかと言いたげに見渡す。



「てん、こう」


「若君、もう大丈夫です。ここは結界の張られた大内裏の中です。流石にここまでは追ってこないはずですから」


「……」


「若君……」



 天后から顔を背けて両手に視線を移すと、今更になって全身の毛穴からとめどなく汗が噴き出してきていた。


 ついにはガクガクと手が震えだし、呼吸が乱れていく。不規則に、短くなったり長くなったり、上手く息が吸えなくなっていた。


 そんな瞳孔を開いて焦点が合わずに震える雅相を、天后はあやす様にきつく抱き締めて雅相が落ち着くまで抱き合ったのだった。




 ***




「最悪……」


「若君、そう仰ってはなりませんよ。あちらも仕事なのですから」



 雅相の重たげな瞼に突き刺すように日の光が全身を照らしていく。

 あの後、雅相たちが大内裏に入って警護担当の右衛門府に事の顛末を話すと、すぐ様検非違使庁けびいしちょうにも伝わって大番役の亡骸は回収されていった。――――そこまではまだ良かった。


 その後、事後処理に奔走したり取り調べを受けたりとしている内に、気付けば夜が明けて既に出仕しなければならない刻にまで日が昇っていたのだ。


 現在、雅相は先程まで居たばかりの大内裏にまた出仕する為に安倍邸に一旦戻って、急いで支度を済ませて大内裏内にある陰陽寮に向けて天后と手を繋いで歩いていた。

 因みに天后は付き添いで来ているだけで、門までのお見送り役だ。


 今は人目につかないように身隠術みかくしのすべで触れた対象以外には見えない術を使っている。いわゆる隠形の一種だ。



「それより、事情も事情ですし……本日は休まれても良かったのでは?」


「そんな訳にも行くか。保紀殿がもし出仕していたらどうする?僕は軟弱者扱いだ!そんなの僕の矜恃プライドが耐えられない!!」


「で、ですが……」



 目元に薄ら隈を作った雅相が天后をきつく睨みつける。

 その気迫に若干引きながらも、天后はふらふらと覚束無い足取りの雅相の体を労わるように支える。


 保紀とは亡骸を発見して二手に別れて以来会っていないため、向こうの出方が雅相には分からなかった。もしどこかで会っていれば、口裏を合わせて共に休めたのに……。


 そうこうとしている内に二人は大内裏に到着し、天后は雅相の姿が見えなくなるまでその小さな背中を見送るのだった。





 やはりと言わんばかりに学生の学舎では昨夜の話で持ち切りになっていた。

 しかしそんな中……当の当事者である雅相の座る場所には誰一人として近づく者は存在しない。それもそのはず、纏う雰囲気からして近づくなと圧を出して文机にだらしなく体を預けていた。


 少しでも目を閉じてしまえば今にも爆睡しかねない麗らかな日差しが外から差し込む中、雅相が頑張って目を開けて見つめる先には……開け放たれた蔀戸の向こうで、外を凛として歩く保紀の姿であった。


(あの人なんで……あんな元気なの?)



「あれ雅相、今日来てたんだね?」


「あー行信ゆきみち、か。うん。来た。保紀殿、来てると思って、来た」


「あはは、お疲れ様」



 雅相の前にある文机の場所に行信が座る。

 しかし話しかけられた雅相は1度だけ顔を上げただけで、それ以降はやはり顔を伏せて終ぞ目を合わせることは無かった。



「えーと……その、昨日色んなことあって大変だったと思うんだけど、私のご先祖さまの書の件はどうなったの?」


「なんだっけ。忘れた済まん」


「えー……陰陽頭おんみょうのかみ様に見せるとか言ってたじゃない。まだ書を認めてないとか?」



 ぼやける視界と霞む思考で必死に昨日のことを思い出し、雅相は昨日慌ただしく出かけて行った祖父の姿をぼんやりと思い浮かべた。


 確か、曖昧な返事が返ってきてそれきりだった様な……。

 段々と記憶が蘇り始め、ようやく今かなり不味い状況なのではないかと我に返る。


 何とかしてこの話題をはぐらかさなければ、と内心冷や汗まみれの雅相だ。



「え、えーと一時帰宅してスグまた出掛けちゃってさ。その、見せたには見せたんだぜ?あ!そうそう、それで思い出したんだけどじっさまから行信に言伝預かってたんだ!いっけねー!」


「……わざとらしい」


「なっなんだよ!本当のことだからな!!」


「はいはい、それで?言伝ってなに?」


「私が戻り次第、僕と行信のこと。それとじっさまの事について話がしたいんだって」



 白けた目を向けていた行信の瞳が急激に光を含み始め、まるで陽の光を受けたようにキラキラと輝き出す。


 恐らく滅多に会うことの出来ない尊敬する陰陽頭に会えるのがよっぽど嬉しくて堪らないのだろう。正直長い付き合いである雅相にさえこんな眩しい目を向けられたことは無い。


 なんだか祖父に負けた気がしてならないが、行信に伝えたという達成感からか眠気が波のように押し寄せてくる。

 文机にぐっと両腕を伸ばせば、全身から一気に力が抜け落ちてしまったような錯覚を覚える。



「ふあぁ……ちゃんと、伝えた、から」


「雅相?」



 雅相は大あくびをすると、船という名の意識を夢の中へ全速力で漕いだのだった。

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