第参 不穏な気配

 


 夜廻よまわりとは、名家の後継たちが実力と実践を身につけるために古くから行われている都の警備の慣習の事である。

 それぞれの名家の子を二人で組ませ、一日置きに交代していく。

 いくら都が強力な結界に幾重にも護られているとはいえ、いつ何が起きるか分からないという名目で代々引き継がれてきた。


 今日の夜廻当番は雅相まさすけ保紀やすのりの二人であった。

 雅相は逢魔が時が過ぎ去った闇色の空の中、合流場所である安倍邸近くの一条戻橋へと向かえば、既に動きやすい狩衣姿の保紀が月夜に淡く照らされた真っ赤な欄干らんかんに寄りかかって待っていた。


 しかし手元には辺りを照らす為の明かりなど一切ない。

 それもそのはず、陰陽師の人間であれば夜目術よもくのすべで夜闇でも問題なく辺りをスッキリ見渡せるし、手元が塞がらない便利術を誰でも行使できるからだ。



「やあ雅相、今日は来るのが早かったね。どうしたんだい?」


「えっ保紀殿なんでもう居るの!?」



 雅相の中では群を抜いて今日は早く来たはずなのに、まさか既に保紀が来ていることに驚きぎょっとした目で保紀を引き気味に見る。

 その顔がおかしかったのか、保紀がくつくつと笑いを押し殺して袖で口許を隠した。



「加茂の若様、今宵は良き月夜ですね。この天后てんこうも夜廻にご同行しても宜しいでしょうか?」


「おや君は確か、陰陽頭おんみょうのかみの式神では?」



 首を捻る保紀に、自身を天后と名乗った美しく艶のある黒髪を流して柔和に灰色の瞳を細める女人が雅相の背後でゆったりと頷いた。

 天后は安倍家に古くから仕える《十二神将じゅうにじんしょう》という十二人の神人かみひとの式神の中の一人で、*陰陽五行いんようごぎょうの属性のうち《水》を得意とする神人である。要は神に連なる者だ。



「誠に勝手ながら、本日は我が主様からのお言いつけによりお二人の供をするようにと仰せ付かっております」


「ふむ、陰陽頭の言い付けなら仕方ないね。何かしらの意図があるのだろうし」


「そうと決まったら早速夜廻に行こう二人とも!」



 二人の話が終わったものと踏んだ雅相が意気揚々で二人の前に躍り出て先導する。

 その様を見て性格上落ち着いている保紀と天后は顔を見合せたあと、どちらからともなく苦笑が漏れて雅相の後を追うのだった。






「なんか、今日は変だな」


「何が変なんだい?」



 月を見上げて独りごちたと思って呟いた言葉を、まさか保紀に拾われるとは思っていなかったのか、雅相がまん丸に目を大きく開けて保紀を見上げた。

 夜もだいぶ更けており、辺りの邸からの灯りも全て消えて都は今虫の声一つしない静寂の闇に包まれていた。

 もっとも怨霊や浮霊、勿怪もっけらが活動する時間帯と言ったところだ。


 雅相は少し返答に困って口ごもるが、保紀の問いに答えない訳には行かないため、この言いようのない胸の内のざわめきをそのままに言うことにする。



「なんて言うか……僕の話なんだけど、じっさまが今日初めて僕のことを気にかけるようなことを言ったんです」


「おや、陰陽頭殿は今日お戻りだったのかい?」


「いえ、帰ってきたと思ったらすぐまた何処かに」



 保紀は手を顎に添えて撫でながら「ほぉ」と驚いたふうにして目を細めて返事を返す。

 保紀自身の役職が陰陽頭の手足となって働く役職≪陰陽助おんみょうのすけ≫なため、祖父が何故帰宅してすぐまた出掛けたのかが気になっているようだ。


 ……つまり、いつも長い散歩ばかりする祖父の急な外出は保紀にさえ知らされていない事となる。

 もしかすると天子様からの勅命か、或いは天子様以外の偉い人が祖父を動かした可能性がある。それも内密に。



「その時に、夜廻の道中は気を引き締めろって言われたんです。あの時は浮ついてたから気付かなかったけど、今思えば変じゃないですか?」


「どう変なんだい?」


「だって、この何百年も強固な結界に囲われた都の中で何に気をつけるんですか?確かに古くから都に住み着く勿怪とか結界の琴線にさえ触れない弱い怨霊とかはよく出ますけど、それ以上はここには出ないじゃないですか」


「まあ確かに、陰陽頭が気にされるようなことは今の今まで無かったね」



 うんうんと頷く保紀と静観する天后と共に不気味なほど静かな都を足取り重たげに雅相は歩いていく。

 第一、この夜廻は名家の後継たちが実践や実力を付けるためにやっている訳で、逆に考えれば結界内だからこそ安全に実力をつけさせるためでもあるのだ。


 雅相は更に言いようのない胸の内を吐露していく。



「それに……虫の声さえしない。都に住む勿怪同様未だに姿を見かけない」


「確かに。言われてみればいつもと少し様相が違う。雅相は視覚聴覚が優れていて凄いね。尊敬するよ」


「えへへ!……て違う違う!!それが変だなって思ったんです。だから頭撫でるのやめてください!僕もう元服終わってるんですよ!!」



 褒められ頭を撫でられて気を良くした雅相が情緒不安定みたいに百面相をすると、保紀がくつくつと愉快気に笑った後にようやく手を引っこめる。

 しかし雅相は怒るどころか曖昧に息を吐き出して「全くこの人は」と呆れたふうの態度だ。心做しか頬が少し緩んでいる。


 現在の五大名家の後継である少年たちの大半がこの保紀に見守られながら元服しているため、どうしても頭が上がらないのは仕方ない。

 なんせあの凶暴な三好斉経みよしなりつねでさえ頭が上がらないのだから。



「あっ元服で思い出したんですけど、加茂家にはまだ元服していない保紀殿の弟君がいらっしゃいましたよね?」


「あぁ、鬼房丸きぼうまるの事かな。そう言えばもう少しで元服の年だったね」


「そうなんですか!僕誰かの加冠の儀に参列するの初めてなんです。御守役みまもりやくってどんな感じなんですか?」



 難しい問だと言いたげに保紀が口を尖らせて唸ると、「親になった気分?」とだけ言う。

 確かに御守役ならばそんな気持ちにもなる……のだろうか?

 御守役は陰陽五代名家特有の役で、家同士の諍いなどを避けるために共闘の意を含めて各家から御守役をしたことがない少年を必ず参列させる仕来りだ。

 でも御守役は読んで字の如く本当にただ見ているだけなので、親の気分になれるとすれば、恐らく烏帽子親えぼしおやとなる後見人くらいだろう。確か今回の加茂弟君の加冠をする人は、加茂家と懇意にしている*蔵人頭くろうどのとうが行うと聞いた。


 まあ何にしても、誰かが成長して元服する様を見るのはとても喜ばしいことであり、雅相は内心で一度だけ会ったことのある幼い少年の顔を思い浮かべて思わず笑みを作る。


 そんなこんなで雑談を交わしながら都を歩いていると――――ぞくり、と一瞬言い様のない寒気が雅相の背筋を駆け走っていった。



「っなんだ、今の」


「どうしたんだい雅相?」


「今、なんか変な感じが。保紀殿は何も感じませんでしたか?」



 顔をしかめる雅相だが、どうやら保紀の方は何も感じなかったようで首を横に振る。次いで天后にも目配せをするが、これまた首を横に振った。

 何故自分だけ?と思いながら不思議に首を傾げていると、だいぶ遠くの方から何か……獣のような甲高い悲鳴が微かに耳殼を震わせた。



「今のは……何だ?」


「だいぶ遠くからだね、行ってみようか」


「御二方とも御用心を」



 三人は互いに目線で合図を送り合うと夜闇に覆われた都をひた走り続ける。

 だが走っている間も違和感が払拭できず、段々不安感が募り出していく。

 今こうして走っている間も勿怪や怨霊が放つ独特の怨気えんきの気配を感じないのだ。

 それどころか、何かがいつの間にかこちらを伺い見ているような視線を感じて薄ら寒さを感じた。


(なんなんだ?)



「見えてきた。地面になにか倒れているみたいだね」


「あれは……」


「若君見てはなりません!」



 注視しようとした雅相を抱き寄せ、眼前を何故か天后が手を翳して前方を妨げてしまう。

 いきなり抱き寄せられて視界を遮断された雅相は驚きのあまり、身体を硬直させて天后の手の中にすっぽりと収まってしまった。

 その間に保紀が二人を一瞥して、地面に倒れている何かの側へと近寄る。

 それは――――腸や臓腑を撒き散らして、喉を鋭利な物で掻き切られた人だった塊であった。








 注釈


 陰陽五行……もくごんすいの自然の摂理を基本としている。十干であるきのえきのとひのえひのとつちのえつちのとかのえかのとみずのえみずのと(訓読み表記)を五行にそれぞれ陰陽二つずつ配する。陰陽は語尾の「え」が陽、「と」が陰である。


 木→甲、乙 火→丙、丁 土→戊、己

 金→庚、辛 水→壬、癸


 ちなみに十二支と十干二つ合わせて干支となる。



 蔵人頭……律令制の令外官りょうげのかんの中の一つの役職、蔵人所のトップ。

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