第玖 都に蔓延る勿怪。

 


 雅相が自邸を勢いよく飛び出せば、辺りはまだ天霧りの中黄昏色を覆いつくそうとする闇が迫った空の下、烏合の衆のように蠢く形の定まらない勿怪もっけたちが蔓延った変わり果てた都が目に飛び込んできた。



「なっ!?」


雅相まさすけ!!丁度良かった!」


行信ゆきみち!?」



 都がすっかり様変わりしてしまったことに絶句していると、一条戻橋から群がる勿怪を祓いながら走ってきたのは行信であった。

 雅相の側まで寄ってくると、ぜえはあと息も絶え絶えだ。



「一体何が起きてるんだ!なんで突然都に勿怪がこんなに……!?」


「話は、後!私についてきて!!手伝って欲しいことがあるんだ」


「よく分からんがわかった!案内してくれ!!」



 しかしそういう行信だが、息が中々整わないのか先程までの勢いは失速して焦れる程に遅い。

 一刻も早く状況を把握したいため、雅相はやむを得ず行信を横抱きにすると「どこに行けばいい!?」と言うか言わないかで既に走り出す。


 行信は雅相よりやや身長が低いため軽いといいなあと思っての行動だったが、存外見た目以上に行信が軽くて少し目を見張ってしまう。……これは後でちゃんと食べているかどうか詰問が必要だろう。


 そんなことを雅相が考えているとは露知らず、全身汗まみれであわあわ忙しない行信だったが「あ、あっち!!」と顔を真っ赤にしながら指を指したのだった。



 ***



「な、なんだよこれ……」



 勿怪を祓いながら行信に案内されたのは、都の右京にある一角の廃墟だった。

 右京は水害などによく見舞わられるせいで、人々が左京に移り住むようになって以来廃墟や田畑ばかりとなっており、そこに勿怪や怨霊がよく住み着いてしまう場所だ。


 その一つである廃墟に、なんとも不思議で歪で禍々しい噴火した小山のようなものが鎮座していた。

 どうやら濃い怨気はその小山の火口口とも言うべき場所から噴出しているようだ。



「雅相、良かった来てくれたんだね」


保紀やすのり殿!これは一体……?」


「分からない、突然怨気を感じて駆けつければこれが鎮座していたんだ。私もこの様なものを見るのは初めてだよ」



 陰陽助である保紀でさえ知らない、怨気を撒き散らす謎の土が盛り上がったように作られた小山。

 しかし分からないからとこのままにしておける訳にも行かない。


 保紀の話では、どうやらこの小山から出る怨気で都に住み着く勿怪を引き寄せたり、勿怪を排出したりしているようで、かなり厄介極まりない代物のようだ。

 今はどうやら保紀、斉経なりつね、ほか数名の陰陽師で結界を張ってこれ以上勿怪が左京に行かないように閉じ込めている。


 しかしそれもどこまで持つことか……。



「くそっ!何なんだよ、勿怪がどんどん出てきやがる!!」


「落ち着きなさい斉経、少しずつ数を減らしながらあの小山の正体を突き止めよう」



 斉経が苛立たしげにしながら勿怪を結界内で所構わず祓っていくが、あれでは模索しながらこの場を持ち堪えるにはかなりの不利と言えよう。


 魂魄こんぱくに貯蓄されている霊力だって無限ではないし、一日に使用していい霊力だって存在する。

 限界を超えてしまえば命を脅かしかねないのだ。


 何かアレに近い先人の記録などは無かったか脳内から引っ張り出しながら、雅相も同様に刀印を結びながら勿怪たちを祓っていく。



謹請きんじょうたてまつる、降臨諸神、諸真人、縛鬼伏邪、百鬼消除、急々如律令」


「っ!?助かったよ雅相!」


「後ろも気をつけろよ行信!!」



 行信の背後から迫っていた一つ目型の小さな勿怪を雅相が呪符を取り出し、すかさず勿怪に向かって放てば、途端に勿怪は燃え上がった緋色の炎に身を包まれ、ぎゃあああと甲高い悲鳴を上げながら黒い灰となって消滅する。


 勿怪の悲鳴でようやく背後の勿怪に気がついたのか、行信が驚いた顔で振り向く。……どうやら何か考え事をしていたようだ。


 行信は人好きなどはするが、どこか抜けているのでいつも心配でしょうがない。

 為るべく考え事をしている行信から距離を開けないように後方に意識を向けつつ、雅相は勿怪を次々と祓っていく。

 しかし祓っても祓ってもキリがない。呪符を多めに作っておいて正解だったが、それもいつまで持つか。


 ――――すると、暫くしてブツブツ呟いていた行信が、急に雅相の方へ振りむき「ねえ雅相!」と声を発す。

 その声に反応して雅相も「なんだ」と応えてちらりと一瞥すれば、いつもは形の良い眉を穏やかに下げているのに、今はきゅっと眉間に寄せ赤みがかった瞳も吊り上げて雅相を一心に見つめていた。



「私、あの小山について考えてたんだけど、これってもしかしてあれかな!!」


「あれってなんだよ!?」


「勿怪まみれと言えば百鬼夜行だよ!」



 は?と言いたげに目を点にする雅相を他所に、行信が「菅原倖人すがわらのゆきひとがあの一夜に引き起こした伝説だよ!」となおも言葉を続ける。

 今なんでお前の先祖が出てくるんだと眉間に皺を寄せるが……ふと、言い伝えにあったことを思い返してみる。


 ――――菅原倖人が、一夜で御三家を壊滅状態にまで追い込んだ方法である邪術。――――


 それが行信の言う、菅原倖人が御三家を追い込んだ百鬼夜行というものだ。

 元来は勿怪の大群が都に押し寄せたことから由来するが、倖人がたった一人で勿怪の大群を召喚したことから《百鬼夜行の王》などと呼ばれるようになった。


 ……確か学舎でその事を詳しく教わった記憶がある。

 脳内をひっくり返して、教わったことを一つ一つ思い出しながら雅相は記憶に浸っていった――――。



 …………

 ……

 …



『師に問いたいことがあります。その、菅原倖人が一夜で御三家を壊滅状態にまで追い込んだ百鬼夜行ってなんですか?』


『良い問だ。陰陽頭の孫らしくなってきたのではないか?ん?』



 陰陽博士が良いぞ良いぞと頷くが、雅相にしてみれば小馬鹿にされている気分でムッとした顔をする。

 周りもそう感じとっていたのか、さざめきの様にくすくすと嘲笑の声が聞こえた。



『一説では菅原倖人は式神を複数操ることも、従える事も出来るほどの霊力を保持する持ち主であったと言われている。そして御三家を襲ったその日――――清和せいわの乱の日、彼は逆さ五芒星を宙に描くと、その印の中からは数多の勿怪が湧き出てきたと記録に残っている。これが彼の引き起こした百鬼夜行だ』


『印の中から?それはどういう事なんですか?』


『逆さ五芒星は邪術を扱う者の代表的な印であり、黄泉と現世の境界を結ぶ効力があると言われている。故に彼は黄泉と現世を繋ぎ、勿怪を呼び寄せたのではないかと言われている。もしくは彼の使役する勿怪の数か』



 邪術とは、陰陽師が禁忌として定める怨気を使った術のことである。

 普通の者であれば怨気を使って術を行使するなど土台無理な話であり、まず怨気を体内に取り込むこと自体死を意味する。


 しかしそれをやってのけたのが三例あり、蘆屋道満あしやどうまん蘆屋満貞あしやみつさだ父子、そして菅原倖人が該当する。

 蘆屋父子はおよそ四百年近く前に実在した今の蘆屋家の先祖にあたる人物たちで、一説では生者で人肉を食らったから怨気に適応して邪術が使えるようになったのではないかと伝えられている。


 しかし一方蘆屋道満はドーマンという格子状の九字紋も生み出した祖でもあると言われている。

 因みにセーマンという逆さ五芒星の真逆の五芒星の祖は安倍晴明である(清明紋、清明桔梗)。



『何にしても、人がやるようなことでは無い。術者は必ず破滅に向かう、術者と邪術は死なば諸共と言われるほど危険な物だ』


『まず人肉食べたくないので無理です!』


『その通りだ!人肉を食べるくらいならば清き水を浴びるがいい。呪符も作れて一石二鳥だ』



 雅相が手を挙げてキッパリといえば、それに賛同するように陰陽博士も深く頷いて懐から呪符を出して見せびらかす。

 瞬間、學びの間はどっと笑いに包まれるのであった。



 ――――なんだか余計なことまで思い出してしまった気がしなくもないが、百鬼夜行については雅相はこう解釈していた。

 《逆さ五芒星の印の中から出てくる勿怪郡》



「行信、あの小山のどこかに逆さ五芒星の印はないか!」


「逆さ五芒星!?」


「思い出してみろ。陰陽寮で教わっただろ!もしあれが百鬼夜行なら、どこかに逆さ五芒星があるんじゃないか!?」



 雅相の言葉にハッとした顔をして、行信は小山を注視する。

 行信の弱点二つ目は、一つのことに集中すると周りが見えなくなって全てが疎かになるところだ。


 感覚の鋭い雅相にしてみればなんでそんな不器用なの?と問いたいところだが、十人十色という言葉があるのであえて指摘したことは無い。



「ここからじゃ分からないから、三善の子息殿や陰陽助様、陰陽師の人達にも逆さ五芒星がないか聞いてくる!」


「分かった、頼んだぞ行信!」



 若干の不安を感じつつも、ここは行信に任せて辺りにまだ蔓延る勿怪を片付けるべく雅相は一人奮闘する。



「ナウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソハタヤ・ウンタラタ・カンマン」



 不動明王の真言を唱えながら印を結び、呪符を左手で素早く取り出せば――――呪符は一気に燃え上がり、雅相の指先に緋色に煌く焔が絡まるように小さく渦を巻いていた。


 そしてその手を一気に勿怪たちのいる方へ横一閃してやれば、焔が指の軌道に沿って目の前にいる勿怪たちをたちまち焼き尽くしていく。

 ……しかし、いくら焼いても勿怪たちは火口から新たに噴出され、一向に減る気配がない。


(そう言えば、両目が赤い鬼の姿がないな)


 ふと都を今騒がせているあの鬼のことを思い出して、勿怪を凪ながら結界内を見回してみるが、あの鬼の姿は見当たらなかった。


 何故こんなにも濃厚な怨気が立ち込める場所にあの鬼はいないのだろうか?



「先見……いや、でも安倍邸には今安倍の血を持つ人間はいないはず」


「雅相!逆さ五芒星の印が見つかった!火口の真ん中にあったよ!」


「待て……あの赤目は夢でも、最初に会った時でもなんと言った?思い出せ、安倍雅相」



 行信が傍によってきて覗き込むように「雅相?」と再度名を呼んだが、雅相は青ざめた顔で口元を手で隠しブツブツと何かを呟き続ける。


 赤目と初めて遭遇した時、確か自身と天后だけがその赤目を目撃したのだ。

 そして夢で見た時もこれまた自身と天后だけで闘っていた。これが指し示す意味とは……?



『お前も――――狐か?』

『狐のくせに、脆いな』



 そうだ、あの赤目は確かに《狐》だとこちらに向けて言った。では雅相と天后のどちらに向けてか?

 ずっと自分に向けて言われていたものと思っていた。


 でもここにあの赤目が居ない以上、違うのではないか。……そして天后は祖父の式神として雅相の御守をしてくれている。


 式神とは、使役者と霊力で常に繋がっているため天后が顕現している間は祖父の霊力が常に天后の体を満たしていることになる。

 なら狐とはなんの事か?

 都で唯一狙われる安倍家、北上の際に《狐》を殺し回る不可解さ。そして無作為殺人。

 ……違う、無作為なんかじゃない。これはもしかしなくても狐関連だったのでは?


 祖父の霊力に満たされる天后、神の眷属である稲成狐いなりのきつね野干やかん、安倍一族、そして複数の殺人。人ならざる者と人を殺す意味合い。


 都で……唯一、地方では貴族も庶民も関係ない殺し。あれ、地方って確か結界を張らない人々が多いって聞く。

 つまり悪さをする勿怪が侵入する可能性が高いってことで、なんだっけ。なんというんだったか、そうだ。思い出した――――。



「……妖人およずれびと、か?」


「雅相!!」



 突如名を呼ばれ声のした方を振り向けば、真剣な顔で行信が雅相を見据えていた。

 肩にはいつの間にか行信の手が置かれていて、鼻と鼻がくっつきそうな距離に宵闇にも負けない焔を含んだような瞳が雅相を射抜いていた。吐息がかかりそうな距離にいて驚きのあまり息が詰まりかける。



「逆さ五芒星が見つかったよ。皆で今から印の解呪をするから手伝って」


「あ、うん。分かった。あと、近い」


「わ!すっ済まない。つい……」



 ついってなんだ?と言いたげに雅相が首を傾げたが、顔を背けてそそくさとその場を後にした行信から問い質すことは出来なかった。

 雅相も後に続こうと祓いながら追いかけて行った。


 ――――刹那、

 どくり、と大きく鼓動が跳ね上がった。

 脳内でがしゃんがしゃんと陶器を地面に叩きつけるような音が立て続けに鳴り響く。ざわざわと胸がざわついて雅相は思わず胸付近の衣服をしわが付くほど握り締める。

 この感覚には覚えがあった、それは大切な物を守るモノが砕け散っていく不吉な兆候。

 術者が張ったものを壊されていく恐怖の音色。



「結界が、全て壊された」



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