第44話 婚約破棄、します 中編2


が廃嫡されたら、困るのはこの国だ。」


 殿下はそう呟きながら陛下を見た。

 その顔には、まだ自分には勝機があるというような小さ笑みが浮かんでいる。


 一人称が変わった。

 勝機があるとは思っていても、完全に余裕が無くなったのだ。あぁ、そういえば、彼が第一王位継承者になる前の一人称は『俺』だったなぁ。


「この国の王位は誰が継ぐ? 俺の他に相応しい者がいると!? あなたたちの子どもはもう俺だけだ!!」


 ハハハハ! とリューク殿下の笑い声だけが響き渡る。その中でコツリ、コツリと誰かが歩いてくる足音が聞こえた。


 群衆の中から1人、ゆっくりとこちらへ向かってくる人を見て、リューク殿下は笑うのをやめて目を見開いた。


 まるで死人を見るような目で、何故ここにいるのかと訴えていた。


「その心配はないよ、僕がいる。」


 現れたのはエルシエル様だった。


「兄上……急にいなくなったくせに、なぜ今さら帰ってきたんだ。」


 リューク殿下は苛立ちを露わにしながらエルシエル様に声をかけた。

 エルシエル様の弧を描いた口元が、余計にリューク殿下の気持ちを逆撫でしているように思えた。


「国の危機に馳せ参じただけのことだよ。僕だって、国が滅んでいく様子を見たくはない。」


 リューク殿下は、グッと拳を握りしめキッとエルシエル様を睨みつけた。


「自分勝手すぎるだろう!! 国は俺がどうにかする、お前に王の座は渡さないぞ!」

「勘違いするな、お前に決定権はない。」


 エルシエル様は笑みを消し去り、冷たい視線をリューク殿下に送った。殿下は、それに気圧されて一歩足を引く。


「リューク、お前に抵抗する権利などない。いいか、わかっていないようだから教えてやろう。お前には何もかも任せられない、それが全員の総意だ。」


 全員、という重みがリューク殿下に伝わっているのか。この場にいる者たち、それからこの世界を見守る神々、市井の人々までも誰1人としてリューク殿下が王となることに賛成していない。


 王としての責務だけではない。

 何もかも、ということは王弟としての仕事も、それ以前に国に関わる重要な役職の全てを任せられないということだ。


 リューク殿下は、容赦のないエルシエル様の言葉に顔を真っ赤にしてわなわなと震えていた。

 目がかなり血走っている。


「お前は、お前は俺から全て奪う気か。お前のせいで俺は、俺はずっと苦しかったのに!! まだ俺を苦しめるのか!!」


 リューク殿下の叫びが部屋中にこだました。

 彼の悲痛な叫びを、私は初めて聞いたような気がする。


 思えば、私は彼の婚約者だというのに、今まで一度も彼の苦しみも悲しみも聞いてこなかった。

 私がそれほどに信頼されていなかった証拠であると同時に、私がそれほどに彼に寄り添っていなかったということだ。


 もしかしたら、私がもっと殿下に寄り添っていれば、結末は随分違ったものになっていたかもしれない。


 後悔したところで、もう遅いのだけれど。


「小さい頃から俺はお前と比べられてきた! 出来のいい兄とそうではない弟だと散々言われ、俺は王にはなれないのだと幼心に悟った。それだというのにお前は急にいなくなった。おかげで俺は毎日たくさんのことを詰め込まれていっぱいいっぱいだった! どれだけ努力したって、変わらずお前の過去の功績が俺について回ってた。ツラくて仕方なかった。でも、それでも俺は王になる資格を得られたんだ。諦めていたものを、得られたんだ。」


 エルシエル様は何も言わずに殿下の言葉を聞いていた。それで? という風に続きを目で促す。


 かなり煽るなぁ、と私は少しだけ感心した。

 私だったらこの時点で苛立ちが先立って彼の言葉なんか聞いていられないだろう。


 苦しんできたからといって、今までの行いを水に流して良いなんていうことにはならない。


「それだけじゃ、俺の苦しみは癒えなかった。お前は逃げたが俺には逃げるという選択肢すらも無かった! そんな俺を、リマは癒してくれたんだ。救われた、ありのままの俺を見てくれた。」


 私はその言葉に、ん? と疑念を抱いた。

 殿下はリマさんから最後に言われた言葉を忘れたのだろうか。


 "王子じゃないなら貴方なんて何の意味も為さないじゃない!"


 リマさんが処罰を言い渡されたあの日に、リューク殿下へ言い放った言葉を思い出す。


 私の記憶では、かなりの暴論を吐かれていたような気がするのだけれど。

 どう考えても"王子"という立場しか見ていないように思えるのだけれど。


 かなり認識の違いを感じさせれる。

 もしかしたらあの日の出来事を彼は無いものにしたのかもしれない、良い思い出だけを残すために。


 真意はわからないけれど、リューク殿下にとっては最後の彼女の言葉はそれほどダメージとして蓄積されていないらしい。


 彼女の言葉に心底傷つき、そして正気に戻ったオルドロフ様と今のリューク殿下の姿を比べると、殿下は本当に彼女に心酔していた……いや、心酔しているのだと納得させられた。


「だけど、リマはもういなくなってしまった……彼女は俺の全てだった……。俺にはもう何も残っていないというのに、お前は俺から更に奪っていく!! 全てを奪うつもりなんだ!!」


 リューク殿下の心の叫びに対して、エルシエル様は「すまなかったね。」と申し訳なさそうに声をかけた。

 リューク殿下は、まさか謝られるとは思っていなかったのか、今までの苦悶の表情が嘘のようにぽかんと口を開けていた。


「そうだ、僕は1度逃げ出してしまった。周囲からの視線、言葉、何もかもが怖くて僕はこの場所から逃げた。それでリュークには重荷を負わせて辛い思いをさせてしまったね、すまない。」


 リューク殿下は唇の端を少しだけ吊り上げて「じゃあ」と明るい声音で何かを言おうとするが、「でも!」とそれ以上に大きなエルシエル様の声に遮られた。


「それがお前のしてきたことの全てを肯定する理由にはならないんだよ。」


 再びエルシエル様の冷たい視線が注がれた。

 リューク殿下は今言おうとしていた言葉を飲み込み口を閉じた。


 大方、申し訳ない気持ちがあるなら自分に王位を譲るべきだとかそんなことを言うつもりだったのだろう。先程の嬉々とした表情からの落差がそう思わせた。


「王位を奪われるのは僕が優秀だとか、リュークが不出来だとか、そんなことは関係ない。単純なことさ。リュークの今までの振る舞い、様々な過ち、それら全てによるもの……つまりは、自業自得だよ。」


 エルシエル様の言葉にリューク殿下は打ちのめされていた。何も反論できる言葉が見つからないようで、拳を握りしめ目を泳がせるだけ。


 その様子は、かなり滑稽だ。


 さぁ、これで終わりだろう。

 リューク殿下が廃嫡されれば自然と私の婚約の話も無くなる。あの日の婚約破棄を受け入れるわけではなく、王家の都合による婚約解消だから私には大して傷はつかない。


 処罰が下された後、婚約は解消され、最後に幕引きとして私はさよならを告げるのだ。


 長かった、と安堵しながらリューク殿下に再び目をやると、下を向きながらもまだ諦めていないような表情が見えた。


 何だかもう一悶着ありそうだ、という嫌な予感に私は背筋を伸ばし気を張り直した。

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