第45話 婚約破棄、します 後編



「それでは、リュドリューク・アレグエッドへの処遇を言い渡す。」


 陛下が凛とした声でリューク殿下に告げる。

 殿下は死刑宣告を受けるような表情をしているのだろう、と思いきや顔は上げずにいたがまだ余裕そうな表情だった。


 一体何を考えているのか。

 ただ、その表情はすぐそばにいる私にしか見えておらず、他の人は誰も気付いていないだろう。


「そなたから第一王位継承権を剥奪し、その権利をエルシエル・トリドリッドに与える。また、ロンド地区での長期前線任務を命ずる。エドワード・キッドソンの元で兵士として前線で働くこと。任務中は王族として振る舞うことを禁ずる。」


 リューク殿下は陛下の言葉に何も言わない。

 先ほどの様子からだと、この決定にまだ駄々をこねて反発すると予想できる。実際、その場にいたものはリューク殿下の大人しさに訝しげな表情を向けていた。


 先程の口論を繰り広げていたエルシエル様も何かおかしいと不思議そうにこちらを見ている。

 私に何かあったのか、と目で訴えているが私にも真意はわからないので首を小さく横に振った。


 陛下も様子を伺っているようで、婚約解消についての内容にまだ入らないでいる。


「ユシュニス。」


 急に呼ばれた自身の名前に一瞬びくりとして一体誰が呼んでいるのか、と戸惑った。

 すぐにそれはリューク殿下から発せられたものだとわかった。


 リューク殿下が下を向いたまま、ニヤリと笑っているのが見えた。だが、瞬時に申し訳なさそうな表情を繕い顔を上げてこちらを見るので、もしかしたら幻覚だったかもしれない、と少しだけ頭が混乱する。


「悪かった。」


 そう私に頭を下げるリューク殿下を見て、幻覚? 幻聴? と益々混乱したが先程の笑みを思い出して、なるほどと合点がいった。


 リューク殿下は、まだ私との婚約が破棄されていないことに気がついたのだ。そして、その事実をどうにか都合良く使おうとしている。


「別に、怒ってはいません。」


 私はそう言った後に内心「失望はしているけれど」と付け加えた。

 そんな私の心中とは反対に、リューク殿下は言葉通りに捉えて明るい表情を浮かべた。


 きっと殿下はこのまま婚約を破棄せずに続けるつもりだ。私の婚約者であれば、仮にロンド地区に送られたところで酷い扱いは受けないだろう、といった算段だろう。


 私を悪者にしてリマさんの側にいたのに?

 あんなに嬉々として私に婚約破棄を言い渡したのに?

 顔を合わせる度に酷い言葉を吐いてきたのに?


 どうせなら最後まで私を悪者にすれば良かったのに。そうすれば、こんなにも私の怒りを買わなかっただろう。


 意図的か本心か知らないが、浮かべている笑みが尚更癪に触る。


「父上、彼女はを許して下さいました。」


 一人称が戻った。

 どうやら自分に勝機があると思い始めたらしい。


「私は、王にはなれずとも許してくれた彼女の為に婚約者として心を入れ替え、これから精一杯国に尽くしていきます!」


 白々しい。

 いや、ここまで変わり身が早いとむしろ清々しいと言えるか。


 ふと家族の方を見ると、お父様もお兄さまもアシュレイもとんでもない表情になっている。まるで鬼だ。

 その隣のディオンさんは呆れや怒りを通り越したのか、何とも言えない笑みを浮かべている。


 騎士団長のセオドアさんはムッとしているが、後ろのダァくんは心底面白いというように笑い声を押し殺していた。この状況で笑えるとは、相変わらず頭のネジの外れた少年だ。


 その隣のシエちゃんは無表情でいるが、氷のように冷たい視線を殿下に送り続けていた。


 彼らの反応を見る限り、全員が殿下の思惑を見抜いている。こんなにも態度が豹変すれば、保身の為だという解釈になるのは当たり前だろう。


 この1年間、至る所で私に悪態を突いてまわったツケが今来たようだ。


「それで、公爵令嬢の婚約者が危険な前線で兵士として働くのはどうかと思うのです。」


 だから、安全なところで悠々自適な暮らしをさせて下さい。


 そんな副音声まで聞こえてくる。


 陛下はリューク殿下の予想外の言葉にどう返答したら良いか、困惑しているようだった。

 陛下が私の方に目を向けたので、私はニコリと笑みを返した。


 もう、限界だ。


"ユシュニス・キッドソン公爵令嬢!貴方との婚約を破棄させてもらう!!!"


 殿下のその言葉から、全てが始まったとも言える。


 今、私が黙って何も言わずに陛下やエルシエル様が対処して、婚約が解消されるのを待てば"ユシュニス・キッドソン"という令嬢の名前に傷はつかない。婚約破棄された女だという不名誉な称号もつかない。


 だけど、名前に傷がつく? 不名誉な称号? そんなのどうだっていい。今、私が何も言わずにいることの方がずっとこの先後悔していくことになるだろう。


 そう決意すると、殿下に言われた様々な言葉が頭の中で蘇ってくる。


"お前がリマを虐めていたことは知っているのだぞ!"

"嘘をつくな!"


 私の言葉など、信じてはくれなかった。


"この、金食い虫め。"

"害悪が役になど立つものか!"

"いい加減にしろよ、小娘!!"


 たくさんの暴言を吐かれた。


"リマはお前よりは余程役に立っている!!"

"リマを侮辱するなと何度言えばわかるのだ!!"

"お前もリマの善行を手本にし、救済を行なったらどうなんだ!"


 口を開けばリマ、リマ、リマ。


 うんざりだった。

 彼女と比べられるのも、彼女に溺れていく姿を見るのも。どんどん愚かになっていくのも。


"全ては君のシナリオ通りか、そうなんだろう?"


 そして最後まで私のせいにして、悪役にした。自分はさも被害者のように振る舞う様子が、腹立たしくて、悲しかった。


 それなのに今この瞬間、彼は私を利用しようとしているのだ。今までの何よりも許し難くて、屈辱的な行為だ。


 ユシュニス・キッドソンはそんなに安い女ではない。弱い女でもない。


 ずっと戦ってきた。

 そして、これからも戦っていく。


 私があなたを許したって?

 笑わせるな。


「リューク殿下。」


 私が声をかけると、殿下は「どうしたんだ?」と振り返った。私が笑っているので、心底安心しきっているようだ。


「随分と前の話になりますが、殿下は私に婚約破棄をしてくれと仰いました。大変遅くなってしまいましたが、その申し出を受け入れます。」


 私の言葉に殿下は何を言っているのかわからない、という表情をした。「は?」と殿下の口から漏れた一言だけが、シンとした空間に響いた。


 私の発言が衝撃的だったのか、この場にいる人たちの殆どが目を見開き驚いている。

 若干名、面白そうにしているけれど。


 お父様に至っては顔面蒼白だった。

 私が婚約破棄を受け入れたことがかなりショックだったらしい。お父様は、私に不名誉な評判がつくからと婚約破棄を受け入れることにはかなり反対していた。


 だから、仮に何かあってもどうにかするから感情的に受け入れることはするなと事前に言われていたが、申し訳ありません。私には無理でした。


「な、な、なぜ、そんな前の話を、俺が頭を下げたんだぞ!!」

「あなたが頭を下げたら全て帳消しになるのですか? あなたの謝罪にそれほどの価値があるとは到底思えないのですが。」

「な、なにを! お前ッ!!」


 私が思ったことを率直に述べると、殿下は茹で蛸のようにキーッと顔を赤くさせた。

 この時間だけで何回顔の色を変えるのだろう。

 赤くしたり青くしたり、忙しない。


「そもそも謝った時点で婚約破棄の件は取り消された!」

「そんなこと一言も聞いてませんけれど。」


 一体、一連の話のどこにその要素があったのだろう。今日はまだ一度も私たちの婚約については触れていなかったはずだ。


「自分をさぞ優秀だと思っているのだろう! だったら婚約者の思ってることぐらい察したらどうだ!」

「私は自分が優秀だ、などと公言したことはありませんが。それに、どんなに優秀な者も口に出していないことを全て理解することは出来ません。察して欲しい、なんてことばかり言っていると嫌われますよ。」


 私、自分が優秀だなんて言ったことあったかしら?

 記憶を辿ってみるが全く思い出せない。もしかしたら人の評判を例に取ったことはあるかもしれない。


 だけれど、私は自分のことをそこまで過大評価してはいない。まだまだ学ぶべきことはたくさんある。


「リマは言わずとも理解してくれていた!」


 また"リマ"か。

 彼女が死しても尚、私は彼女と比較されるのか。


 全くもって、不愉快極まりない。


「出雲 梨真は死にました。」


 私は、ジッとリューク殿下を見つめる。

 出来る限り冷たい視線を送り続ける。


「そうしたのは、君だろう?」


 謁見の間に入る前に否定したというのに、こいつはまだ私のせいだと思っているのか。


「お前は、婚約破棄を食らった女の行き着く先がわかっているのか? 孤独だ!! お前を娶ろうなどとは誰も思わないぞ!!」

「リュドリューク・アレグエッド! 王族だとしてもそれ以上娘に暴言を吐いてみろ。キッドソン家はお前を許さないぞ!」


 リューク殿下の暴言に、お父様が我慢の限界だったようで怒りを露わにする。


「お父様、口出しをしないで下さい。これは、私と殿下の問題です。」


 お父様の怒りを私は嬉しく感じたが、私はそれを制した。私は家族の力を借りずにこの場を乗り切らなければならない。


 これは、1年前の続きなのだ。

 これを終わらせて良いのは、私と殿下だけ。


 私は真剣な眼差しをお父様に送ると、お父様はわかってくれたようで、だけれど少し不服そうにコクリと頷いた。

 そして、今にも手が出そうなお兄さまとアシュレイの前に腕を伸ばし、それ以上前に出てこないようにする。


「いいか、お前は俺と結婚するんだ。そうすれば全てが丸く収まる。婚約破棄された女、と周囲から蔑まれることもない。一生独り身で、孤独な生涯を送ることもない。賢いお前のことだ、何が最善かわかっているだろう?」


 ふっ、と口から息が漏れた。

 それを皮切りに私は「はは、あはは、あはははは!」と大笑いした。馬鹿馬鹿しくて、笑いが止まらない。


「独り身? 孤独? 上等じゃない。」


 笑い声混じりにそう言ってから、私は息を吸って気持ちを落ち着かせる。

 それから、目の前のリューク殿下を見据えて口を開いた。


「あなたと結婚するくらいなら、一生独り身のほうが数億倍マシよ。」


 私の意思表示は、完全にリューク殿下の逃げ道を経った。追い込まれたリューク殿下は血走った目で私を見つめる。


「いぃいいい加減にしろよぉおオオッ!! クソ女ぁああアアアッ!!!」


 激昂し、錯乱したリューク殿下がこちらに飛びかかり手を伸ばしてくる。


 私は涼しい顔でそれを見ていた。

 恐怖はない、この後の展開を私はわかっている。


 私の横を大きな影が通り過ぎ、リューク殿下を投げ飛ばして床に押さえつけた。


 オズウェルだ。


「オズウェルッ! 何をしている! 俺を誰だと思っているんだ!!!」


 リューク殿下はもがいて脱出しようとするが、騎士団の副団長であるオズウェルから簡単には逃れられるはずがない。


「申し訳ありませんが、今の俺はユシュニス・キッドソン公爵令嬢の護衛ですので、彼女に危害を加えるものは誰であっても容赦いたしません。」


 私が命じたことを忠実に果たしてくれたわけだ。

 私は彼のことを信じていたから、何が起きても怖くなかった。彼が私を守ってくれるとわかっていたから、こんなにも大胆に行動できた。


 それは、今までもずっとそうだったかもしれない。


 私が無茶をしても彼が助けてくれると思っていたから、ここまでやってこれた。


 まさしく私は、彼とペアだった。


「こんなことが、あっていいはずがない。許されるものか。」


 リューク殿下はぶつぶつと呟き続ける。

 オズウェルに代わり、セネドアさんがリューク殿下を捕らえる。リューク殿下はジッとこちらを睨んでいるが、私には痛くも痒くもなかった。


「陛下、私はもう彼の婚約者ではなくなりました。無関係の人間は退出させて頂きます。」


 陛下がコクリと頷いたので、私は一礼をして扉へ向かった。護衛として付いてきているオズウェルも私の後ろをついて、謁見の間を退出する。


「あなただったら絶対に動いてくれると信じてたわ。」

「そう命令したのは君だろう。」


 部屋を出てからしばらく歩いて、私がオズウェルに言うと、彼は呆れたように言葉を返した。


「ユニは、こうなることがわかっていたのか?」

「殿下が襲い掛かってくると? さぁ、どうでしょうね。そう確信を持っていたわけではなかったもの。だけれど、人は追い詰められると予想外の行動をするものでしょう?」


 正常な判断が出来る人間ならば、あの場で暴力に走るようなことはない。騎士団や魔導師団のトップがいて、大勢の前……それ以前に陛下の前で愚劣な行為をするのは、単純に愚かな者か勝利を確信しているか、それか追い詰められた者だ。


「ユニ、俺はこれからも君を守っていく。戦場でもどこでも、君が戦う場所には必ず俺は隣に立つ。」


 私は立ち止まって目をぱちくりさせた。

 オズウェルが急にそんなことを言い出すからだ。


 それから、ふふふっと笑いを零した。


「オズウェル・ジュラード副団長、例えあなたがジュラード公爵家の次男だとしても、先程婚約破棄された女性を口説くのはタイミングが悪すぎるのではなくて?」


 私がそう言うと、オズウェルはボッと顔を赤くして「いや、そんなつもりでは……。」と慌て始める。


 単純にからかっただけだが、ずっと先の未来でも私の隣に立っているオズウェルを想像して、悪くないと笑みを浮かべた。


「まぁ、そうね。あなたが騎士団の団長になったら、考えてあげなくもないわ。」


 それまでに、私もたくさん勉強して経験して、実力のある軍師となる。横に立つあなたに守られるばかりじゃない、強い女性になるのだ。


 そう決意したときに、ひらりと花びらが舞い込んできた。それを掴んでから、窓が開け放されていることに気がついた。


 季節が一巡して、事件は幕を閉じた。

 私はこの出来事を生涯忘れることはないだろう。


 多くの犠牲が出たこと、苦しく悲しかったと言う事実、何もかも忘れてはいけない。


 またこの季節がやってきたとき、私はどう変わっているのだろう。他の人たちは、国は、どうなっているのだろう。


 そう考えるけれど、それは神様にだってわからない。誰にもわかることではない。

 だけれど、願わくば今より少しでも明るい未来になっていたら良い。


 花びらを掴んだ手を開くと、吹いた風に乗って手の中の花びらが窓の外へと逃げていった。

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