第37話 聖女に反撃しましょう 前編



 神々の会議に参加してから3日が経った。

 リマさんの糾弾には準備が必要であるために行うのは会議から5日後と定められた。

 つまり、運命の日まであと2日だ。


 それはライオットさんによって陛下たちにも告げられ、各々がその日に向かって慎重に準備をしていた。


 私も例に漏れず、リマさんを刑に処すための書類を着々と揃えていた。


「娘よ、忙しなくしているようじゃのう。」


 私は突然聞こえた声にビクリと肩を震わせた。

 後ろを振り向くと、薄く笑みを浮かべたニコラスが立っていた。


「ニコラス……急に何の用かしら。」


 闇の大精霊ニコラスはこうして急にふらりと現れる。それはいつなのかもわからない、彼の気まぐれ次第ということだ。


 こうして彼の姿を見ると神々の会議で言われたことを思い出す。


 彼と出会ったのは私が暴走してしまい、森を焼き払ってしまった時のことだ。


 あの時、私は実の母を亡くして、だけれど幼かったために本当はどこかにいるのではないか? と1人で家を出て探した。そして見事に人攫いに拉致され森に連れていかれたのだ。


 森にはたくさんの精霊たちがいて、私の不安定な心に触れ、魔力を食べた精霊たちが暴走して森を焼いた。人攫いたちは全員死んだが、私だけが無傷だった。


 そこで鎮めたのがニコラスだった。

 泣きじゃくる私に一体何がそんなに悲しいのかと聞いてきた。拉致された不安は勿論あるが、何よりも母に会いたくて仕方がなかった。私の悲しみは母に会えないことだった。


 そこからは上手く覚えていない。

 だけれど母に会えたような気がする。


 闇の精霊が得意とするのは幻術。

 私はニコラスの幻術で母を見ていたのだろうか。


 ただ、彼が私を救ってくれたことに変わりはない。


 私はあのまま怪物にでもなっていたかもしれないのだから。


「なぁに、儂の仕事仲間からの伝言を伝えに来ただけじゃ。」


 ニコラスの声で私はハッとする。

 いけない、すっかり考え込んでしまっていた。


「仕事仲間……?」

「儂の仕事は死神の補佐、といえばわかるかな?」


 私の出会った死神は1人だけ、秋 紅音だ。

 そもそも死神なんて会いたくはないものだけれど。


「余り長くは待てない、とのことじゃ。」

「そんなことを言われてもこちらにだって事情というものがあるのよ。」

「それは儂もわかっておる。」


 いや、わかってなどいない。


 そもそも神も死神も龍も信じがたい存在だ。

 だけれど、あの会議の状況が……陛下やエルシエル様たちの対応が全てを物語っていた。


 そうして世界の均衡を保つ役割のある神々や龍はともかく、死神にとって私たち人間の事情なんて1ミリも興味がないのだろう。


 任務を遂行することが何よりの最優先、そういった態度だった。


「どうにかするから大人しく待っていてと伝えて頂戴。私たちのことは私たちでなんとかするわ。」


 私がそう伝えると、ニコラスは眉を下げてこちらを見ていた。


「な、何よ。」

「儂はお主のことを心配しておるのじゃ、お主のような存在は下手をすれば人々から排除される。あの時のように儂が助けられる保証などない。」

「……心配しないで、私が無茶をする状況にはならないから。」


 ニコラスの言っていることはよく理解していた。

 私は人々から畏怖の対象になっても仕方がない、そんな存在。リドルからバグと呼ばれるのもまた納得はできるものだった。


 不安は常に抱えている。

 だけれど、戦場にいる時よりもこの力で不安になるようなことはきっとない。


 だからきっと大丈夫だ、と自信を持てる。


「影ながら見守るつもりではいる。無茶はするなよ、娘よ。」


 ニコラスはそう言って闇に消えていった。


「はぁ、どうしよう。」


 ニコラスがいなくなった瞬間に頭を抱える。

 死神はきっとこちらの事情など構いはせず、余りにも遅ければ命を狩るつもりなのだろう。


 一体どのような対策を取れば良いのか。


 そのことだけがぐるぐると頭を駆け巡った。

 明日は宰相と会い細かな確認などを行う、焦ってはいけない……冷静にならなければと深呼吸をして気を引き締めた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 どれだけこの日を待ちわびただろうか、遂にこの日がやって来た。

 王城の謁見室には国の重鎮が集まっていた。


 あぁ、これでやっとひと段落する……と今日を迎えられたことに私はホッと胸を撫で下ろした。


 いいや、安心するのはまだ早いか。

 私はスーッと深く息を吸い、背筋をピンと伸ばし気を張り直す。


「今日までよく奔走してくれたな、ユニ。」

「お父様。」


 コツコツとこちらに歩いてきて横に立ったお父様が口を開いた。


「まだ終わりではないが、少なくとも今日も処罰の日もユニには大きく動いて貰うことは無さそうだ。」

「遂に私の役目も終わりですか……当初思い描いていた結末とは随分異なってしまいましたが。」


 カイル様とお兄様……ここまでは良かった。

 ベネダ家当主の弟の犯罪が明らかになり、オルドロフ様は殺害された。そして、殿下も改心には至らなかった。そして今日、リマさんは裁かれる。


 ただ、今までのリマさんの態度から考えて何だか私を標的に何かを言ってきそうだと予測は出来るのだが……それが現実とならないことを祈ろう。


 バタン、と扉が開いた。


「放してっ! わたしは聖女なのよっ!!」


 もう聞き飽きた声が耳に届く。

 国の兵士に連れられてリマさんは謁見室に入ってきた。側にはオズウェルと騎士団の団長であるセオドアさんの姿が見える。


 その場の全員の視線がリマさんに注がれた。


「父上! リマが連れて来られる意味がわかりません!」


 後ろからズンズンとリューク殿下も入ってきた。

 これで残りの役者は揃ったわけだが、今日の対象はリューク殿下ではない。


「こうして連れて来られた理由が君はわかるかな?」

「……わかりました!」


 陛下の前に連れて来られたリマさんは一瞬うーん……と悩んでからパン! と手を叩く。


「わたしが聖女の役目を果たしているから何か褒美を与えたいとかそういうことですね!」


 その言葉に、何を言っているんだというような視線や呆れたため息などお世辞にも良いとは言えない反応がリマさんに向けられた。


「そもそも、陛下に挨拶の言葉もなく横柄な振る舞いは不敬に当たりますよ。」


 ライオットさんがそう告げるとリマさんはあからさまに不服といった表情を見せる。


「でも、わたしは聖女ですから。」

「しかし陛下は一国の王です、頭が高いのですよ。」


 リマさんはセオドアさんによって無理矢理膝をつかせられる。


「リマに触れるな!!」

「リュドリューク。」


 リューク殿下が声を上げるが、陛下に名を呼ばれて眉間にシワを寄せながら口を閉じた。


「リマ・ベネダ……いや、出雲 梨真よ。我々は其方を聖女だと今日まで認めてきた。そうして其方の横暴に我々は何も口を出せずにいた。しかし今日、我々は其方に処罰を下す決定を下した。」


 陛下が淡々と告げていくと、リマさんは右眉を釣り上げてジッと陛下を見た。


「処罰……? 何かの聞き間違いですよね?」


 私は、リマさんがそう言った時に何かぞくりとしたものを感じ取った。


 今までの能天気で頭のネジが一つ飛んだような彼女とは違う、極めて冷徹な声音と表情がそこにあった。


 いや、これが彼女の本性なのかもしれない。私たちが思っていたより狡猾だったと言うのか。

 それともただ欲望に従った結果であるのか。


「いいや、聞き間違いなどではない。この決定は覆さず異論は認めぬ。」


 嫌な予感がした。

 それはすぐに的中して、リマさんは私の方をキッと睨んだ。


「あなたが何かしたんでしょ!! そうじゃなきゃおかしいもの! リュークさまがわたしのことを好きだからって嫉妬しているのね、そうに決まってる!!」


 つくづく頭の湧いた女だ。


「今日は貴方と問答する気は少しも御座いません。あえて申し上げるとするならば、ただの一度も嫉妬などという感情に支配されたことはない……とだけ。」


 私がそう言うと「はぁ?」と声を上げながらリマさんはこちらに進んで来ようとして、それをセオドアさんが押さえていた。


 余りにもいちいち動くのでセオドアさんは厄介だとうんざりした表情を浮かべていたのがわかった。


「そうやって難しい言葉で言ってもわたしにはわかるんだから、貴方は悪役令嬢でわたしを恨んでるのよ!!」


 リマさんは、再び訳のわからないことを叫んでいたが私は口を噤みそれ以降は何にも答えなかった。


 私はただの一度も"悪役令嬢"になった覚えは無いが、彼女が主人公の世界から見れば、私はきっとその役割にすっぽりと当てはまっていることだろう。


 なんせ自分の思い通りには動いてくれない、むしろ勢力的に阻んでくる敵キャラのような存在だとでも感じているだろうから。


「出雲 梨真、多数の貴族や王族を"悪魔魔法"という禁忌の方法により操ったこと、それにより国を傾けようとしたこと、国庫を私利私欲のために使い果たしていること。」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 ライオットさんが淡々と読み上げる罪状にリマさんが待ったをかける。


「みんな、わたしのことが好きだったの、みんながわたしを喜ばせようとしてくれてたの、ただそれだけじゃない!」


 心の底からそう思っているのならば、とんだ大馬鹿ものだ。こんなにも愚かな犯罪者がこれまでにいただろうか。


 彼女はそんな自論を展開して一生現実と向き合わないつもりなのだ。


「異議は認めない。」


 ライオットさんは、リマさんはチラリと一瞥しながら一言吐き捨てて再び罪状の書かれた書面に目を向けた。


「聖女でありながらもその務めを怠っていたこと、聖女という立場を悪用し暴利に尽くしていたこと、それから……。」


 ライオットさんは書面から目を離し、側にいた騎士から小瓶を1つ受け取って、みんなに見えるように掲げた。


「聖女毒殺事件は、自作自演ですね??」


 そうライオットさんが問いかけた瞬間に、ざわざわと騒がしくなる。


「な、何でそんな、そんな訳ないでしょう!」


 リマさんは誰が見ても動揺していて、小瓶を見る目がキョロキョロと泳いでいた。


「犯人は逮捕された、自分がやったと自供したのよ! 凶器の毒薬だって証拠として見つかってる! それが急に自作自演だなんて、そんな小瓶が何だって言うのよ!!」


 そうだ、犯人は自らの犯行だと自供し捕らえられた。

 使われた毒薬についても、私の所持品だった小瓶に何故か入れられ証拠品として提出された。


「貴方が悪魔魔法を使える、その事実が確認された時点で毒殺事件も他人を犯人として仕立て上げることが可能だという仮説を立てました。ユニさんの所持品に毒薬が入っていた、という証拠を使ってユニさんを貶めようとしたがそれは叶わなかった。だから、迅速に事件を収束させる為に他人を犯人とすることにした。」


 淡々と語るライオットさんに、リマさんは口をパクパクとさせた。


「悪魔魔法……何よそれ、そんなものは知らない。ただ、わたしは願うだけよ、願っただけ。」


 リマさんは本当に何も知らずわからないという様子で頭を抱えた。髪をギュッと握り、それによって髪の毛がぶちりと抜けてハラリと数本床に落ちた。


 彼女は本当に魔法の存在をわかっていないのかもしれない。でなければ、被害はもっと拡大していた。

 もっと効率良く人を操り、私でさえも操られていたのかもしれない。だが、彼女は自分の望む人にしか魔法を使用しなかった。


 シルフレアはそういった詳細を彼女には伝えていなかった??


 いや、この際なんだって良い。

 彼女が知っていようが知らなかろうが、被害状況は深刻で軽いものではないのだ。


「これは毒殺事件の時に使われた毒薬と同じものでした。貴方の部屋から出てきたのですよ、処分すれば良かったものを。」

「わたしの部屋に入ったの!? 聖女の部屋に勝手に入って良いとでも思ってるの!?」

「その資質に疑いが出てきましたので、きちんと神殿側には許可を得ました。」


 リマさんの顔はどんどん醜く歪んでいく。

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