第20話 異国から来客が来ました
ミシェルも部屋を出て行った後、ようやく私は息をつくことが出来た。
まだ、心の内ではリマさんへの嫌悪感がぐるぐると渦巻いている。いつまでこのような茶番劇が続くのだろうか。
しかし、まだ彼女たちを罰するには根拠はあっても証拠が不十分なのは事実で。簡単に聖女を罰することも、一国の王子を罰することも、何もかもが未だ国に不利益をもたらす状況に置かれている。
罰したから、すぐに全てが回復するわけでは無い。この状況が更に危うい状況へ転じるような危ない橋は渡りたく無い、というのが我が国の本心だった。
彼女たちの醜聞は、まだ国民の全てに知れ渡っているわけでも、他国に対して広まっているわけでもない。
だからこそ、証拠が無ければ『罪のないものを罰した』という事実だけが拡散されていく。
それこそ、この国の終わりだろう。
「散々だなぁ、娘よ。」
闇の中から人が現れる。
その声は、自身のよく知った人物であった。
黒い瞳に黒く長い髪を持つ男……あぁ、そうか、と私はそこで納得した。
彼女がしつこく聞いてきた人物は彼のことだったのだ。
「それは誰のせいかしら、ニコラス。」
ニコラス……彼がいつから私の側にいるのか、それは随分と私が小さい頃からのような気がする。
時たまふらりと現れて、いつの間にか再びいなくなっていく。それはメルガーも同じことではあるが。
「いやなに、儂は何もしておらぬよ。目が合った、それだけの話じゃ。」
どうせ彼女のことだ、目が合った美男子は全て自分に惚れているなんておかしな考えをしているに違いない。
いや、若しくは顔の整った若い男性全員に対して自身を好きになるようなアタックでも仕掛けているのかもしれない。
「おぬしが目覚めて安心した。もうすぐ、龍が戻ってくるであろう。儂はまた少し外へ出る。」
「竜も貴方も気まぐれね。勿論、大精霊さまを縛ることなんて私には出来ないけれど。」
そう、彼は闇の大精霊である。
私と契約をしている訳でも無いのに、彼は私を小さい頃から見守ってくれているのだ。
それは、一体どうしてだったかしら?
理由も経緯もどうだって良い。彼がいることで滅多におかしな精霊が寄ってくることも無く私は安全でいられる。
彼には感謝しているのだ。
「あまり無茶をするでないぞ、娘よ。」
ニコラスは、その綺麗な顔で穏やかに笑みを浮かべる。そして、再び闇へと消えた。
残されたのは私1人。
手元には膨大な書類。つまり、私がすることはただ1つ。
「仕事、しなくちゃなぁ。」
ポツリと零した言葉が、静かな部屋に響き渡る。
ただ、ここで仕事をするには、やはり多くの物が足りない。だから必然と、私は自身の仕事場へと赴かなければいけないわけだ。
身体を起こすのも気だるいと言うのに。
嫌気を心の中にしまい込み、ベッドから出て立ち上がる。幸い、城を歩ける程度の格好はしているので、着替えに手間取ることはない。
勿論、ドレスなんて着ていませんわ。
そこらへんのただのご令嬢と同じに見られては困りますわね、ほほほ。
私は、パラパラと資料をめくりながら歩みを進めた。
「最優先事項は……っと。」
資料を見る限り、まずは七雲島の人選にそれに関連した申請書等の作成が最優先事項だ。
それから……そうだ、魔導師団のカルクレア遠征もすぐだった。その資料の中には、遠征同行申請書もあった。
申請者は……珍しいこともあるものだ。
それは、滅多に外に出ない半引きこもりの薬学者のハーツェンヌ・ラプラジエールだった。
ハルさんとは勿論、親しい間柄にあるわけだが、だからこそ同行に対して驚きを隠せないわけで。
なんせ、あんなに弱い人を私は見たことがない。流石に私だってスライムくらい倒せます。まあ、魔導師団が付いているなら問題はないでしょうけれど。
まず、この2つを迅速に終わらせてしまわないといけませんわね。
「目が覚めたのか。」
前方から声をかけられる。
馴染み深い声に顔を上げると、そこには兄の姿が見えた。
私はあからさまに怪訝そうな顔をしてしまう。
先ほど面倒な相手にあったというのに、すぐさま別の面倒な人物に合うなんて……悪運もここまできたら強運だ。
「何か御用でも。」
「妹が倒れたと聞いて、心配しない兄がいるとでも言うのか?」
ふっと笑った顔はお兄さまのものだけれど、態度は愚兄そのもの。けれど、なんだかいつもと違うような感じで自分の中で少し戸惑ってしまう部分がある。
以前のお兄さまならば、こちらが引くほど心配そうな顔で接してくることでしょう。とはいえ、今の兄だったら心配する素振りすら見せないはずだ。
なんだかいつもと様子が違くて疑いの目を向けてしまう。
じとりと見つめると、兄は浅くため息をついた。
「まるで信用が無いな、兄は心底悲しいよ。」
「その原因を作ったのは一体誰だというのでしょう? 仕事を放棄し女性にかまけているような人を兄だなんて思いたくありません。」
私がハッキリと言葉にして嫌悪感を伝えると、眉を下げてあからさまな悲しそうな表情を浮かべた。
それから、首に手を当ててさすり始める。
それは兄の癖だ。
バツの悪いことがあると直ぐに首に手がいく。
「今日は何も、小言を言いに来たわけでも、言い争いに来たわけでもない……。」
兄は懐から大きめの封筒と手紙を取り出して私に差し出した。
「なん、ですか?」
「ハルがカルクレアに行くだろう。しかし、あいつは戦闘においては群を抜いて役に立たない。」
「ええ、それは承知していますが……。」
「だから、万が一のためにもう1人薬学者を同行させるべきだと思い、東国に要請をした。向こうは了承してくれている。」
あの愚兄が、他人のことを考えるだなんて……驚きすぎてあからさまに目を丸くしてしまう。
以前のお兄さまなら当たり前ですが、今の兄はどこまでもリマ・ベネダのことしか考えていない。
「だが、私はリマの側に居なくてはならない! だから、その書類の処理はお前に任せる。」
「……は?」
やはり、愚兄は愚兄のままのようだ。
「わ、私にも仕事はたくさんあるのです! 貴方の仕事は貴方がすべきでしょう!?」
「お前は私の妹なのだから、私の仕事を行うのは当たり前だろう。」
な、なんなの!? そのおかしな理屈は!?!?
これでは、私の仕事が増えるだけ。
「冗談言わないで頂けます?」
「あと、夏目
そう言うだけ言って、兄はこの場から足早に去ってしまう。
私は、憤りを感じながら異国からの来訪者を放置しておくことも出来ないため、来賓室へと足を進めた。
一体どこから手をつければ良いのか、わからなくなってくる。
来賓室の前に着き、コンコンと扉をたたく。
「大変お待たせいたしました、失礼します。」
ガチャリと扉を開けると、ソファーに座る男性がこちらを見てニコリと微笑みかけた。
「お久しぶりです、ユニさん。」
髪や目は黒く、和服を身につけている彼こそが東国の外交官である夏目さんである。
「夏目さん、お久しぶりです。今日はどういった御用件でしょうか?」
私は1度礼をしてから夏目さんの前に座る。
「七雲島の件でこちらから数名指名させて頂きたいのと、そちらから薬学者の要請を頂きましたので。」
夏目さんは隣にいるミヨちゃんに目をやる。
「今回、カルクレアへの遠征に同行します東逗子 美夜子で〜す!」
「え、ミヨちゃん??」
私が声をかけるとミヨちゃんはVサインを送ってくる。
「この度、よ〜やく薬学特A級を取得しました! 元々そっちの知識はパパのおかげで豊富だったんです、向こうではそれ以外がポンコツなので諦めていましたが、こうして有効に知識を活用出来て本望で〜す!」
ミヨちゃんが嬉々として語る中、私は驚きを隠せていなかった。
「美夜子は常々カルクレアへ行きたがっていましたので、ぜひこれを機に勉強させてやって下さい。剣術もある程度は教え込んでいます。」
「ええ、こちらとしても助かります。」
私は座ったまま、深くお辞儀をする。
夏目さんは、にこやかな表情を少しも崩さないまま「それで……」と本題へと入り出した。
「貴方の弟であるアシュレイくん、騎士団副団長のオズウェルくん、騎士団のエースと言われているダ・アイシクルくんは必ず同行させて頂きたい。他数名はそちらの采配に任せます。本当ならエドワードくんやカイルくんにもお力を貸して欲しいところだったのですが……。」
夏目さんの残念そうな顔に、私は申し訳ないと眉を下げた。
夏目さんもこちらの事情はわかっている。だから、兄やカイル様には頼むことが出来ないことを理解しているのだ。
「それにしても、なぜ3人が必要なのですか? 1つの島の調査にそこまでの人力がいるのでしょうか?」
「先日、少数精鋭部隊を派遣したところ戻ってきませんでした。何があるのか知りませんが、下手なメンバーで組むとそれこそ危険かと思いまして。」
それはこちらの人々が危険に晒される可能性があるということだ。あまりそれは了承しがたいが、東国との関係性を考えれば事を荒立てることは避けたい。
「私たちの国もこれ以上戦力を減らすことは避けたいもので、こちらの者達が怪我を負うリスクを軽減する方法を考えて頂けるならば喜んで人材を派遣いたしましょう。」
「ええ、もちろん善処致します。」
夏目さんは有能である。
だから、この件もしっかり考えてくれるだろう。
私たちは友好の証として手を出し合い握手を交わした。
「話は変わりますが……最近この国の良くない噂を耳にします。」
ピクリ、と自身の眉が動くことがわかる。
夏目さんは未だに表情を変えないが、声音が落ちたことからその心情を読み取ることは可能だ。
良くない噂など1つしかない。
いよいよ他国へも話が渡ってしまったとなると問題は深刻化したというわけだ。
「なるほど……つまり、この国の限界が近くなっているのですね。」
「貴方たちにとっては、どちらにも転ぶことが出来るようになったという意味では悪くない結果です。」
「確かに、これで処罰したとしても他国からの糾弾は少しは無くなる。ただ、優秀な者を一気に4人も失い更に1つの家を潰すのも回避したい事態ではありますが……それも止むを得ませんね。」
「いいえ、そうでもありません。」
夏目さんは、ふるふると首を横に振る。
「貴方はもっと調べるべきです。メイエンがなぜ滅びたのか、知っていますか?」
「それは、ルジエナに攻め込まれたから……。」
「なぜ滅ぼされたのでしょう? メイエンは少なくともその当時はルジエナよりも優れた軍事力を持っていました。」
夏目さんは、魔族との混血であるためメイエンが滅びる以前から生きている。だから知っているのだ、メイエンの滅んだ真の理由を。
「メイエンがかつて栄えていた頃、私の担当区域はメイエン地域でした。メイエンも内部から崩れ去りました。聖女がメイエンに現れてから、何人かの重鎮はおかしくなり、あからさまに弱体の一途を辿っていったのです。」
まるで、今のこの国の話をしているようだ。
ただの偶然なのか、それにしてもここまで一致するのだろうか??
「今のはただの助言に過ぎませんが。そろそろ我々はお暇いたします。美夜子、帰りの準備を。」
ミヨちゃんは、はぁいと返事をする。夏目さんは、それではと会釈をして立ち上がりドアへと向かった。
私は、夏目さんたちを見送ってから新たな情報を調べるために資料室へ向かった。
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