第12話 無駄な労力は使いません
「なんでっ、私がっ、貴方とっ!!」
言葉と共にリズミカルにダンッダンッダンッと音を鳴らしながら判子が押されていく。
「あら、それはこちらの台詞ですわ。」
それとは対極的に、私は静かに書類をまとめていた。
今、私と同じ部屋にいるのはオルドロフ・ベネダだ。荒々しく判子を押す姿に、もっと丁寧に仕事をして欲しいと心の中で呟く。
いや、仕事をしているだけマシか。
「そもそも私は、今日はリマと過ごすハズだったのです。」
「いつも過ごしているではありませんか。」
「そういう問題では無いっ!」
ギロリと向けられた視線に臆することもなく、依然として私は淡々と仕事を進める。
じゃあ、どういうことなのだ? という話である。
「『サシャ峠要塞奪還作戦』には、様々な準備が必要なのですから、貴方も働くのは当たり前でしょう?」
『サシャ峠要塞奪還作戦』が開始されるまで時間の猶予は全く無いのだ。アレグエットもルジエナも既に双方ピリピリしているこの状況。
ただ、ルジエナもつい先日サシャ峠の要塞を陥落したばかりで物資がまだ整っていない筈だ。
だからこそ、早急にこちらの準備を整える必要があった。
バンッとオルドロフ様は机を叩いて立ち上がる。
「ならば、父上でも良いでしょう!」
「今、必要な貿易品が貴方の担当区分なんですから、グダグダ文句を言わないで手を動かして下さい。」
ただでさえ、机仕事は面倒なのですから。
オルドロフ様は、チッと舌打ちをしてわざとらしくガタリと音を立てながら座り、また書類に判子を押し始めた。
出来る限り、一緒に仕事をしたく無いのだけれど。まあ私という『監視役』が必要なのは良くわかる。
仕事の話を聞いたグライフ様は、にこやかな笑みを浮かべながら「どうぞどうぞ、存分にお使いください。」と言ってオルドロフ様を差し出して来た。
あの人は本当は既に正気で、アレが本性なだけなんじゃないかと少し思っている。
とはいえ、以前のグライフ様を知っている身としては増して冷淡になったと思うのだけど。
あぁ、あの時のオルドロフ様の顔といったら……なんと面白いことか! 「父上!」とマヌケな声を上げたあの阿呆面ときたら、今思い出しても……
「ふっ、くくっ。」
耐え切れずに口の端から笑いが零れた。
「何を笑ってるのですか、ユシュニス公爵令嬢。」
それを見逃さずにオルドロフ様は突っ込んでくる。私は、グッと笑いたい衝動を押さえ込んで冷静な表情を作った。
「いいえ、笑ってなどいませんわ、ベネダ次期侯爵。」
「いいや、今確実に笑っていましたね。私はこの目でしかと見ましたから。これだから性悪女は……。」
誰が性悪女だ、人聞きの悪い。
私が性悪ならリマさんは何だ、悪魔か? 悪魔だとでも言うのか?
しかし、ふと脳内によぎるオルドロフ様の顔のせいで整えた冷静な表情が崩れそうになる。私は下を向くが、体が笑いにより震え出す。
「ぐふっ。」
「おい、確実に今笑っただろう!」
私は耐え切れずに吹き出してしまい、オルドロフ様に鋭く突っ込まれる。
「はぁ……まあ良いです。早くこれを終えて私はリマの元へ向かいます。」
「何言ってるんですか? この後は、別の書類が待ってますよ。」
「はぁっ!?」
一生懸命動かしていた手を止めて、オルドロフ様は私の方に苛立ちの表情を向けた。
「そんなバカな話があるか! ふざけるな、私はもう帰る!」
オルドロフ様は判子をポイと放り投げて扉へ向かった。ズンズンと歩いていく姿に、やばりダメか……と諦めの感情を抱いた。
「それこそバカな話です。仕事を途中で投げ出す人がいますか? 言語道断ですわ。」
グルリとオルドロフ様は振り向いてこちらを見る。
「私は心底貴方に嫌気をさしていましてね、貴方と仕事がしたくないんですよ、そもそも。」
「お言葉ですが、私も貴方には心底嫌気がさしていますし一緒に仕事がしたくありませんのよ、奇遇ですわねぇ。」
怒った表情で私を見るオルドロフ様とおほほほと笑いながら彼を見る私。
確実に周りから見たら火花がバチバチと散っていることでしょう。
「とにかくっ! 私はもう帰りますから!」
ズンズンと扉の方へとオルドロフ様は向かう。
扉の近くまで来てドアノブに手をかけようとしたところで、その扉は勢い良く開いた。
「へぶっ!」
「ユ〜ニ〜さぁ〜ん!」
「ぶふぉっ!!!」
その扉に勢い良く顔面を強打して鼻血を出しながら倒れこむオルドロフ様。
勢い良く扉をあけて、ダルそうな声を発しながらも私の名を呼ぶ少女。
そうして、オルドロフ様の一部始終を見て吹き出してしまった私。
現在の状況はこんな感じである。
私は、ふぅと一息ついて息を整えた。
「夏目さんからの書類でぇす。」
「随分遅かったじゃない、ミヨちゃん。」
東国である『
彼女は下っ端なのでこうして使い走りにされることが多いのだ。
それにしても、いつも思うが彼女の身なりは不思議だ。東国の人は基本的に黒髪なのに彼女は茶髪……むしろ金髪に近い、メイクもバッチリで基本的に和服であることが多いのに、彼女はいつも洋装なのだ。
彼女曰く『ぎゃる』というモノらしい。
彼女は1年半ほど前に転移してきた異世界人なのである。その時から彼女はこうだった、その点で言えば彼女はずーっと変わらないでいる。
東国の外交機関の重役である夏目さんとは懇意にあり、私たちも会う頻度は高い。
「JKは準備に時間が必要なんですぅ、はぁあ、まだ入学して少ししか経ってなかったのに最悪ぅ〜。」
彼女の使う言葉はよくわからないことが多い。『じぇ〜けぇ』というものも私には想像もつかないし理解に苦しむ。一体なんなのでしょう、食べものか何かでしょうか?
「な、なんですか貴方はノックぐらいしたらいかがですか!? 非常識です!!!」
オルドロフ様が、口元を手で押さえながらミヨちゃんに怒鳴りつける。既に、その手も鼻血によって真っ赤に染まっていて痛々しいことこの上ない。
何と気分の良いことだろうか、と私は心の中でニヤリと笑った。
ああ、いつから私はこんなに性格が悪くなったのだろうか? いや、前からか。
しかし、そのオルドロフ様の言葉に『確かに、それはごもっともだ。』と思い、うんうんと頷いた。
ミヨちゃんは常識というものを知らない。いつもノックはしないし、どんな目上の人にもたまに敬語では無くなるし、注意しても中々直らない。いえ、徐々には直っているのですが……。
「はぁ?あんたこそ何? 鼻血なんか出しちゃって。だっさぁ〜!!!」
いやいや、その原因は貴方なんですけどね。ミヨちゃんはオルドロフ様を嘲るわけだが彼は言い返さずに呆けている。
それというのも、このように馬鹿にされたことが無いからだろう。何と言っても、私とオルドロフ様の言い合いはもう少し遠回しであるし、このような俗世的な言い方は絶対にしない。
我に返ったようにオルドロフ様はハッとして口を開いた。
「ふふ、ふざけ、るな!! 庶民が私に、こんな、仕打ちをっ!!」
「オルドロフ様、まずはその鼻血をどうにかしたらいかがでしょうか……ふっ。」
耐えきれずに再び笑いをこぼすと、オルドロフ様は鼻血で真っ赤な顔を更に真っ赤にさせる。
それは、羞恥からなのか、怒りからなのか。
今日は、本当に笑いの止まらない日です。
ふふっ、愉快愉快。
「ユニさん、笑ったら失礼だって。あーしティッシュ持ってるから、これ鼻に詰めたら良いよ。」
はい、とミヨちゃんはオルドロフ様にティッシュを差し出した。しかし、オルドロフ様はソレをパンッと弾く。
「不愉快ですっ!」
そう言ってズンズンと部屋の外へ歩き出した。
「まだ仕事が残っていますわよ、オルドロフ様。」
「わかってるよ!! 治癒室で少し休んでくるだけだ! 後でまた戻る!!!」
オルドロフ様は怒鳴り散らかした後、バンッと扉を閉めた。やだやだ、こちらも常識がなっていないのかしら? そんな勢い良く閉めたら扉が壊れてしまうじゃないの。
「なに、あの人。ちょー失礼なんですけど。」
弾かれたティッシュを拾いながら、ミヨちゃんは悪態をついた。
「しかも、仕事を途中で投げ出すとかありえないし。あーしだってそんなことしないわ。」
ないない、と首を横に振りながら、ミヨちゃんは私から書類の受領書を受け取った。
「まあ、この後帰ってくると言っているから。」
私は、再び書類に目を通す。
東国の製品は質が良い上に値段も手ごろなのでとても助かる。今回は剣などの武器を購入するつもりだ。質も良く壊れにくいので、我が国は頻繁に東国からそれらの品物を輸入する。
「あーっと、これこれ! 夏目さんからの手紙です、忘れるところだった。」
「あら、何かしら?」
手紙を受け取り、それを早々に読み始める。
『ユニさんへ
新たに和紗国付近で見つかった『
夏目より』
和紗国周辺は霧に包まれた未開の地があり、きっと『七雲島』はそのあたりにある島なのだろう。
私は、すぐに筆を取り返事を書きだす。
『夏目さんへ
勿論、和紗国には懇意にして頂いていますので是非お力になりたいです。
しかし、私の一存では決めかねます。次の軍事会で話し合いますので少々お待ちいただきたいと思います。前向きに検討致しますので、詳しい書類を送ってください。
ユシュニス・キッドソンより』
「これを夏目さんへ届けてください。」
手紙の返事をミヨちゃんに渡す。
「りょーかいでーす。」
ミヨちゃんはそれを受け取り、カバンにしまった。
「ていうか、ここに来る途中で変な女に会ったんですけど、何ですか? あれ。エドワードさんが居たから挨拶に行ったら、すっごい睨まれたんですけど。しかも、エドワードさんには嫌そうな顔されたし。マジ意味わかんないし。」
変な女と言われた瞬間に誰だかわかったけれど、おそらくリマさんのことだろう。今のお兄さまに会ったら確実に好印象は与えない、ということは考えなくてもわかることで。フォローの言葉が何も出て来なかった。
「まあ、あーしも急いでたんで良いんですけどね。それじゃあ、まだ仕事があるんで帰ります〜。」
ミヨちゃんは、気にしてないという素振りでニコリと笑った。それから、ペコリと頭を下げて部屋を出て行った。
「ん〜っ!」
誰もいなくなったところで、筆をおいてグーッと伸びをする。
オルドロフ様は、いつ戻るだろうか。
こちらとしても切迫詰まった状態なので、早く帰ってきて頂きたいのだけれど。
そうは言っても、探しに行く時間すらも惜しく、ちゃんと戻って来てくれることを願うしかないわけで。
それをもどかしいと感じながら、私は再び筆を取り仕事に戻った。
数十分後に、オルドロフ様はオズウェルに引っ張っり戻され、不服そうな表情を浮かべグチグチと文句を言いながら仕事をしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます