第11話 カイルは過去を思う
その時が訪れたのは、唐突だった。
「カイル、手紙が来ていたぞ。」
同僚から渡された手紙を読んで突然、夢から覚めたような……そんな感覚に陥った。
その手紙は、故郷の友人からのものだった。故郷は、王都から数時間ほど馬車を走らせたところにある。
『いつもは少なくとも3日前にはこっちに来るのに、一体どうしたんだ? 何かあったのか、仕事が忙しいのか? とにかく当日にはちゃんと来いよな、きっとミリアもお前を待ってるよ。』
手紙には、そう書かれていた。
友人とは僕の今の魔導士としての身分なんて少しも関係がないから、こんな砕けた口調で手紙を寄越してくる。
王都に来ると、周りは貴族ばかりに囲まれるわけだからそうもいかない。僕だって僕なりに気を使っているつもりだ。
この手紙を読んだ時『そうだ、ミリアに会いに行かなければ』と使命感が湧き上がって来た。そうして、夢から覚めたような感覚に陥ったわけである。
今まで、なぜミリアのことを思い出さなかったのか不思議だった。
それから机に溜まっている仕事量に絶句した。驚くほどに、僕は仕事をしていなかった。
いや、普通の人と同量の仕事をしていたわけで仕事をしていないとは言えないが、僕はその程度数時間かけずとも終わる。だから、その2,3倍の仕事をこなすのだ。それでも定時に帰れる。たまにどうしようも無い時は徹夜で仕事をするけれど、そんなの年に1回あるかないか。
そもそもが人数不足なこの仕事場で僕が仕事をしなければ、皆の労働量は確実にキャパを超えるだろう。
そんな職場もどうかと思ってしまうが。
「あの、所長。今日は故郷に戻ります。」
「……あぁ、そういえばもうそんな時期か。」
魔道所の所長はカレンダーを見て、納得したように声を上げた。
「ただ、こうも仕事の溜まっている時に休暇を出すのは……ちょっとなぁ。」
所長の目の下にも隈が出来ていた。
明らかに疲れきっている、それは所長だけの話ではなく魔道所全体に言えることだが。
「溜まった仕事を片付けたいので、1週間ほど時間を頂こうと思ったのですが……。」
僕がそう進言すると、所長は目の色を変えて「本当か!?」と問いかけて来た。
その瞳は救われたと言わんばかりにキラキラと輝いている。
僕がコクコクと頷くと、所長は安堵したように吐息をついていた。
「仕事をしてくれるなら、むしろ大歓迎だ。」
所長はニコニコと笑って、僕の申し出を了承した。
そもそも僕が来る前はどうしていたのか? というと、その頃はまだ人手が多かったわけで。しかし、僕がここに来た時から魔導師団が大々的に活動を始めた。
脚光を浴びる魔導師団、影で働く魔道所。魔道所よりも高い給料の魔導師団。そんな諸々の条件により、魔導師団に流れたものが少なくはなかった。
そうして、魔道所の状態はこのようになってしまったわけである。
僕が机に戻り、早々に資料の整理を始めると手紙を渡してくれた向かいの同僚が声をかけて来た。
「カイルの故郷からか?」
「うん、だからこれから帰ろうと思って。」
「俺もそんな時期だとは思っていたんだよな。仕事の書類まとめてるけど……もしかして、仕事もしてくるのか?」
同僚は、僕の書類をじっと見つめて不思議そうに問いかけて来る。
「勿論、溜めてしまった分を片付けないと。ついでに出来る限り他の仕事も片付けようかと思ってるよ。」
僕の言葉を聞くや否や、同僚は「マジか!」と歓喜の声をあげていた。そうして、グッとガッツポーズをする。
「これでやっと残業地獄から抜け出せる! 何週間ぶりの休みだろう。」
「……そんなに忙しかったの?」
「当たり前だろ!!!」
「ですよねぇ……。」
僕は力無く乾いた笑みを浮かべた。
僕の机の溜まった仕事量からして当たり前の話だ。
突然、ガチャリと魔道所の扉が開いた。
その瞬間にブワッと強烈な匂いが部屋に充満する。そして匂いに嫌悪感を感じる。
何故だかわからないけれど僕は、隠れなくちゃいけない、見つかってはいけない気がしてバッとしゃがみこむ。
幸い、ドアと対面するように僕の机は並んでいるので、しゃがんでしまえば向こうから僕は見えない。
匂いがキツイので、僕は素早く鼻をつまんだ。
「カイルさまは、いらっしゃいませんか?」
リマの声だった。
以前ならば、声を聞くよりも前に飛び出して行っただろう。だけれど、どうしてもここから出て行く気にはなれなかった。
あれだけ好きだと感じていたのに、今は彼女に会いたくない。きっと彼女の元へ行けば、代わりにミリアの元へ行けなくなるから。
バチッと所長と目があった。
困ったようにこちらを見る所長に、僕はプルプルと首を横に振った。
「あー、今さっき仕事で外に出たばかりなんだ。」
「あら、そうなのですか? いつ頃お戻りに?」
「少なくとも1週間は戻りませんねぇ。」
「い、1週間!? そ、そうですか、わかりました……失礼いたします。」
バタン、と扉の閉まる音がした。所長の言葉を聞き、リマは扉をしめて出て行ったようだった。
それと同時に充満していた匂いが無くなるのを感じる。プハッと息をすると、まだ微かに匂いは感じるものの嫌悪感は無くなった。
「よく嗅ぎつけてくるよな。ここに来る時は絶対お前がいる時だぜ?」
半分関心したように同僚が言う。
それから僕の顔を見て、酷い顔だと笑った。
「外に出るまで気を抜くんじゃねーぞ。」
「わかってるよ。」
僕は仕事の書類やら様々なものをカバンへ無造作に詰め込み支度を整えた。
「じゃあ、いってきます。」
「いってらっしゃい。」
僕が挨拶をすると、みんながにこやかに送り出してくれた。やはり、ここの空間はラクで居心地がいい。人数が少ないこともあり、皆が家族のようなのだ。
僕がとんでもない迷惑をかけても、醜聞に晒されていてもこうして何でもないように笑いかけてくれるのだから。
僕は、みんなの顔を見て笑顔を浮かべながらガチャリと扉を閉めた。
「クレヴィア港町に着きましたよ。」
到着の声を聞き、僕は少し唸りながら目を覚ました。どうやら、馬車の中で寝てしまっていたようだ。
扉を出てから馬車に乗るまで、少しも気を許さずに警戒していた。始終気を張っていたせいか、思いの外疲弊してしまったらしい。
リマとは馬車に乗るまでに少なくとも3回は会いそうになったが、僕はどうにか回避した。『
『探索』は、誰かがどこにいるかわかる優れた魔法などではない。気配を鋭くする魔法だ。
モノに対してならば、その気配をたどって探し物など出来るが、人に対してはそこまで万能とは言い難い。
彼女はどうやら僕のいる場所がわかるようだった。ただ幸運なことに、細かくここだ!とポイントでわかるわけでは無く、大体ここらへんだとわかるだけのようで、そのおかげでどうにか回避出来た。
ただ、馬車が王都から少し離れた時にチラリと街を覗いてみたら、リマがこちらをじぃっと凝視していたのが見えた。
ゾワリとした。背筋が凍るとはこういうことかと思った。
すぐに顔を引っ込めて、一息つきそれからは外を眺めていた。
しかし、いつの間にか寝てしまったようで今に至る。
「んーっ、去年から帰って来てなかったから久しぶりだなぁ。」
僕は、ぐいーっと伸びをする。
クレヴィア港町は、アレグエットでは2番目に大きな港町だ。主に東国の『
そのため、東国の人やオハミアの人を含めた多くの人々で常に賑わっている。
僕は、ふっと肩の力を抜いて歩き出した。
身分証を提示して、何ということもなく関所を抜けると、ふわりと懐かしい匂いが漂う。
それは『クレヴィアの花』の匂いや海特有の香りだ。
土質や海の近くであることなど、様々な条件が上手く重なったこの場所でしか『クレヴィアの花』は咲かない。
『クレヴィア港町』の名の由来はこの花にある。
賑やかな通りを過ぎ、坂道を上がり、小高い丘へ辿り着く。そこには一軒、大きな家が建っている。
僕は、その家をじっと見てから首を横に振って来た道を引き返した。
オヤジさんと会ったところで、追い返されるだけだ。
「カイル、思っていたより早かったな。」
坂道を下っているところで、声をかけられる。
前方を見ると、そこに居たのは僕に手紙を送ってくれた友人だった。
「あー、ゼノ……手紙ありがとう。」
「いや心配だったからよ。今年もミリアの家には行かないつもりか?」
ゼノが僕と一緒に坂を下りながら問いかけて来る。
「きっと、行っても門前払いだもん。ミリアのところには夜に行くよ。」
「まぁ、そうだよなぁ。勿論、今年も泊まっていくんだろ?」
「いや、今年は仕事を片付けなきゃいけないから。」
いつもは実家とゼノの家に泊まるのだが、今年はそうも行かない。色々な所へ行かなければならない、仕事は山積みだ。
たくさんの話をしながら実家に向かって歩いている中でゼノが突然、 顔を顰める。
「最近のお前の評判……すっげぇ悪いぜ、何があったんだよ。」
「何がって……何だろうな。」
自分でもよくわからなかった。
どうしても、リマといると感情が昂ぶる。
仕事よりも何よりも、彼女と居たいし彼女を優先したいし、他のことなんてどうでも良くなる。
そうして時間が経ってしまい、周りからの評価は当然悪くなる。
今までは、特に気にも止めなかった。たまに、ふっと現実に引き戻される感覚に陥る時がある。そんな時だけは、自分の行いを恥ずかしいと思い周りの評判が嫌に耳についた。
まるで今のように。
「一体どうしたんだ。お前年々おかしくなってるぞ。」
「おかしくって、なんだよ。」
僕がジッと睨んで言葉を返すと、ゼノはその目を逸らした。何か言いたそうだが、それを言わないように留めているようだった。
「……とにかく、カイルの母ちゃんと父ちゃんには迷惑かけねぇようにな。あと、カノンちゃんも随分心配してたぜ。」
家族にまで、迷惑をかけるつもりは無い。
しかし今の現状、それは無理か。幸い、僕の家に何かあったという話は聞いていない。けれど、随分ツライ思いをさせているのだろう。そう思うと胸が痛んだ。
記憶の中の街並みはまるで変わらない。
何が起きても、変わらずそこにある……何があろうとも。
「お兄ちゃんっ!!」
カノンの声がした。不安そうな表情を浮かべながら、そわそわと家の前に立っていた。
たったっと駆け寄って来て、ギュッと僕に抱きつく。
「病気してない? 何かあったの? カノン、ずっと心配だったんだよ。最近のお兄ちゃんの話……良くないから。」
しょんぼりとするカノンの頭を、僕はポンポンと優しく撫でる。
僕が思っていた以上にツライ思いをさせてしまっていたようだった。
「大丈夫だよ、カノン。心配かけてごめんね。」
「うん……ゼノさん、上がっていく?」
「いや、いいよ。俺ん家近いんだからさ、カイルとも話したいしまた来るよ。」
ゼノはそう言って、ひらひらと手を振りながら自分の家の方へ歩いていった。
「お父さんとお母さんも待ってるよ、行こう!」
僕はカノンにグイグイと腕を引っ張られて家に入った。中では、母さんがご飯をテーブルに並べていて、父さんは新聞を読んでいた。
2人ともすぐに僕に気づいて、満面の笑みを浮かべた。
「「おかえりなさい」」
2人が声を揃えて、笑顔で迎えてくれる。
「た、ただいま。」
僕は何だか照れ臭くなって、控えめに返事をした。
僕は結局、リマのことも何も家族に話さなかった。いや、話せなかった。
話したくなかったのだ、彼女のことも僕の現実も心情も。きっと噂で僕がリマに熱をあげていることも、そうして仕事が疎かになっていることも知っているのだろう。
でも僕の口からそれを告げたくはなかった。そうしたら、その噂を家族は信じなければならないから。所詮、噂ならば噂で留まってくれる方が良い。
わざわざ、真実を告げる必要があるのだろうか? いや、ないだろう。
こうして正当化したように言っているが事実、僕が保身に走っているだけの話だった。
「お兄ちゃん、もう行くの?」
日が暮れて随分と時間が経った頃、僕が家を出ようとするとカノンが声をかけてきた。
「あぁ、仕事が溜まっているからね。」
「たまには顔見せに来てね。」
そうカノンは僕に言って、そろそろと自身の部屋へと戻っていった。
僕は、荷物を持って静かに家を出た。
人通りの少なくなった通りをゆっくり歩いていく。
その足取りは重かった。リマとのことを考えると、このままミリアの元へ行ってもいいのかと心に迷いが生まれた。
いや、リマとのことだけではない。思い返せば僕は随分とミリアに対して不誠実だ。
ただ、それでも、彼女に会いに行かなければいけなかった。だから僕は向かった。小高い丘の木の下へ。
「遅れてごめんね、ミリア。」
目の前の墓に向かって、僕は言葉をかけた。
ミリアと僕は、幼馴染だった。
平民の僕と、この街では有名な地主であるミリアとでは身分の差があった。しかし、ミリアのお母さんと僕の母さんが友人であることが関係を生んだ。
良く2人で遊んで、楽しい日々を過ごしていた。
少ししてカノンも加わって3人で一緒にいることが多かった。
10歳くらいの時、平民であったはずの僕は魔法の才能を開花した。名の知れた魔導師になった頃には、もう彼女とは恋人同士のような関係だった。
当時はミリアのお母さんが病気で早くに亡くなったために、ミリアを1人で育てていたオヤジさんとも仲が良かったし、良好な関係を築いていた。
ただ、ミリアは病弱だった。そうして重い病気にかかり3年前の今日、亡くなったのだ。
それは、皮肉にもミリアのお母さんと同じ病気だった。
ミリアが亡くなったのは、僕のせいでも何でもないけれど、僕は彼女に申し訳ないというような気持ちを抱いていた。
そうして黒い感情を心の底に封じ込めて、鍵をかけて、表には出てこないように。
「ミリアは、こんな僕を許してくれる? ……そんな訳ないよね、僕は君に許されるはずがないんだ。」
僕は逃げた。
ミリアへの罪悪感も思いも投げ捨てて、彼女から、オヤジさんから、ツライ現実から、全てから。
だから僕は年に一度、命日にしか会いに来ない。そんな僕を薄情だと、君は笑うだろうか、嘲るだろうか、怒るだろうか。
それとも、嘆くだろうか。
ああして、オヤジさんに会いに行く勇気もなければ現実に向き合う勇気すらない僕。
リマは、そんな僕を許してくれたけれど……彼女に許されたって何も意味はない。
いや、彼女の存在すら僕にとっては何の意味も為さないことを僕は知っている。
今まで僕はミリアへの思いを他の女の子にぶつけていた。その矛先がリマへと移っただけ、そうそれだけのことだった。
リマはミリアに似ていた、しかしミリアでは無いのだ。
わかっているんだろう? 僕は、リマという存在に隠れているだけなのだと。
「そこで何してるんだ。」
「! オヤジさん。」
ミリアとはまるで似ていない強面の顔で、到底地主とは思えないような男性が立っていた。
「帰れ! とっとと、ここから出て行け!!」
そこらへんの石を僕に勢いよく投げつける。
僕はそれを防いで、坂道へと駆けた。
「もう2度と来るんじゃねぇ!!」
オヤジさんの怒鳴り声が後ろから聞こえた。
3年ぶりに見たオヤジさんの顔。やつれて、痩せ細ってしまっていた。
オヤジさんが僕を憎む理由の多くも、僕のせいでは無かった。けれど、僕のこの小さな罪悪感は次第に大きくなり、今ではこんなにも膨れ上がってしまったのだ。
僕は走るのをやめて、トボトボと歩いた。
月明かりが僕の頭上から差し込む。
地面に映る影が、嘲笑っているように見えた。
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