第9話 理不尽にも程があります 前編



 ベネダ家との応酬から数日が立ち、私は軍事会に参加すべく城内を歩いていた。


 軍事会は、戦争の際に開かれる作戦会議のことである。

 ここ数日は特に大きな事柄もなく、いつも通りの日々を過ごしている。いつも通りというのは、つまりあの愚かな者たちも含まれているわけで。


 彼らをいち早くどうにかすべく、我々は考えを巡らせている。内側から崩れてしまうと敵に簡単に攻め込まれてしまうので、早急に対応しなければいけない。


「……あら、何て不運。」


 前方からカイル様が歩いて来るのが見える。それを見て、私は小さな声音でポツリと呟いた。

 リマさんのそばにいる者とは出来るだけ顔を合わせたくないというのに、ばったり会ってしまうなんて。


 なぜって? 会えば小言が酷いからよ。

 すれ違うだけで様々なことを言われて、挙句の果てには何でもかんでも私が悪いと言われて……理不尽にも程がありません?

 まあ、挨拶だけ済ませてしまえばいいか。


 流石に無視はいけないと思うもの、礼儀として。


「ご機嫌よう、カイル様。」


 私は1度立ち止まりお辞儀と共に挨拶をしてからまた歩き出そうとする。その時にカイル様が口を開いた。


「やぁ、ユニちゃん。今日も変わらず美しいね。」


 誰もが惹かれるような笑みを浮かべて、彼は私の手を取ってそれに口付けた。

 私はバシンと握ってきた彼の手を叩く。


「いたっ!」

「相・変・わ・ら・ず・の軽口ですわね、私は婚約者のいる身ですので控えて頂けます?」


 私が冷酷な視線を送るが彼の笑みは変わらない。


 一体どうしたというのか、リマ・ベネダと出会う前のカイル様の振る舞いとまるで同じ。小言も言わない、むしろ好意的……。


「お堅いお嬢さまだなぁ。」


 ヘラリと笑ってカイル様は叩かれた手をさすりながら言う。


「……リマさんとご一緒ではないのですね。」

「ん? あぁ、少し用事があってね、1週間ぐらいここを離れていたんだ。」


 どうりでカイル様には会わないと思った。

 他の人たちには何度か会うし、その度に小言などを言われたのだけれど、カイル様には会わなかった。


 そのうえ魔道所の仕事量が以前よりも格段に減っているという報告があるのもまた事実だった。


 魔導師団と魔道所は根本的に違う。

 魔導師団は戦争の際の戦いや魔物の討伐などの前衛的の仕事を行っている。

 つまりは、騎士団と同じような仕事である。


 それに対して魔道所は攻撃とは反対の民間の魔道的問題や魔道技術、魔道書の解読等が仕事である。


 ただ、カイル様においては攻撃魔法も特化しているため、戦場へ赴くことも多い。


「仕事をなさっていたのですか?」

「ああ、溜まってしまっていたから、外に出るついでに片付けていたんだ。それで、さっきここに帰ってきたばかりでね。」


 報告書を提出するのだ、と多くの書類を見せてくる。その数は本当に膨大で、これを1人でこなしたのかと思うと、彼がいかに有能でバケモノ並の人物なのかが分かる。


それにしても、彼が以前のように戻ったのはどのような経緯なのか? リマ・ベネダを好きではなくなったのか? 彼女に対しての反応もいささか良いとは思えない。


「仕事熱心が続いてくれれば良いのですけど。」

「僕はいつだって仕事に熱心だったことはないよ。」


 サラリと凄いこと言うな、この人。


 しかし、確かにカイル様はいつだって仕事に熱心とは言えなかった。自身に課せられた仕事を事務的にこなし、そうして女性と遊ぶ日々。考えてみれば、今とさほど変わらないかもしれない。その怪物並みの仕事量が減ったこと以外は。


 とはいえ、カイル様に関しては今までが凄すぎただけで、現在の仕事量は1人分の仕事をこなしているに過ぎないのだが。


 ただ、魔導師団に比べて魔道所は人数も少なく、それを補うようにカイル様が働いていたため、それが無くなるとそもそも人手不足なのに……という状況に陥るのだ。


「……以前は仕事熱心だったではありませんか。」


 数年前から、父の付き添いで軍事会に出たり軍師としての勉強のために城を訪れていた際にカイル様の仕事ぶりを見ることがあった。

 カイル様は、それは楽しそうに仕事をしていた。そして仕事熱心だった、誰がみてもきっとそう思ったはずだ。


 しかし、ちょうど3年程前だろうか? 彼は変わってしまった。女性たちと遊ぶようになり、仕事を作業的に行うようになったのだ。


「希望の無いことをしても、無意味だ。」


 カイル様は1音1音はっきりと言葉をはいた。

 悲しみと絶望と負の感情を纏った言葉。いつもの甘い声とは裏腹に、低く冷たい声だった。


 無表情から一転して笑みを浮かべる。


「1つ教えてあげようか、ユニちゃん。いや、ユシュニス公爵令嬢……いくら頑張ったって報われないことはあるんだよ。君がいくら動いたって変わらないものはあるし、いくら言葉を投げかけたって心が動くことはない。」


 それは今、私がしていることの否定だろうか。頑張っても、動いても、言葉を投げかけても彼らは変わらないと言いたいのか。


 だが私は信じているのだ、彼らが変わってくれると……私のこの言葉で心が動いてくれると。


「それでも精一杯、自分の仕事を果たします。それが私の役目なのだから。」

「あっそう、精々頑張ってよ。」


 つまらなそうに呟いてからカイル様は歩き出し、私の横を通り過ぎようとした時、突然口と鼻を手でバッと覆う。


「だ、大丈夫ですか?」


 なんだか具合が悪そうに見えて、突然のことに混乱しながらも私は心配して声をかけた。


「に、匂い、が。」

「匂い?」


 すんっ、と鼻を吸ってみるが特別何かの匂いがするわけでは無い。

 一体、なんの匂いがすると言うのだろうか?


「あ、頭がグラグラする……ゔゔ……。」

「えっと……治癒魔導師、呼びましょうか?」


 本気で心配になる、ヨロヨロとしているのだもの。グラリ、と倒れそうになったので私はそれを支える。顔色もさっき程より悪くなっているし、治癒魔導師を呼ぶ前に倒れてしまいそうだ。


 ああ、自分が魔法を使えないという事実を嘆くほかない。なぜ私は頭は切れるのに魔法と剣の才能が皆無なのでしょう!!!

 お兄さまもアシュレイも、なんだかんだ魔法も剣もそこそこ出来るのに!!!


「カイルさま!」


 どうして、このタイミングで来るのかしら。


 後ろからタッタッと足音が聞こえる。

 その人物が近くに寄ってきた時に、ふっとそちらを見ると、予想通りリマさんがいた。

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