第8話 正義感ならあります 後編


「それくらいにしたらどうです? ベネダ家のお2方。」


 彼らの胸元で光り輝いているエンブレムは、ベネダ家のモノだった。

 近くまで来て、初めて2人がベネダ家の三男と当主の末の弟だということがわかる。


 ベネダ家当主と末の弟は10歳以上も年が離れているため、弟は今20代半ば頃だ。


 私の声を聞いた2人はくるりと振り返り、私を見て眉を潜める。彼らの"お楽しみ"を邪魔してしまったからか何なのか、かなり鋭い視線や表情が私を貫いている。


「ユシュニス・キッドソン公爵令嬢。何か御用でしょうか?」

「御用も何も貴方たちの行動が目に余りましたので、声をかけさせて頂いただけですわ。」


 ベネダ家3男ーーソルティ・ベネダが険しい表情で聞いてきたので、私はニコリと笑いながら返答する。


「この女性が我々を騙そうとしたので糾弾したまでです。」

「あらあら、私には事実に理不尽を突きつけていたように見えましたけれど。」


 ベネダ家当主の弟であるジクター・ベネダが、表面的な笑顔を張り付けて弁解をする。


 しかし、私はそれに対しても反論をしてみせた。


「この馬鹿らしい値段が、真実だと?」

「ええ、勿論ですわ、ソルティ様。その女性が仰っていたように、現在のアレグエットは多くの商品が品薄です。それは生糸・綿・絹などの素材から鉄や銀などの鉱産物、外国の特産物である食べ物まで広範囲に渡っています。」

「ほう、それで? ならば仕入れれば良いだろう。」


 こいつらはバカなのか。


 現状、これほどの事態に陥っているのは彼らのせいだと言っても過言ではない。


 ベネダ家は元々はただの商家であったが、先々代ベネダ家当主が多くの功績を成し爵位を賜った。それを次いだ先代当主が伯爵まで成り上がり、現ベネダ家当主が数年前に侯爵という爵位を貰ったのだ。


 正直、ここまでの短い期間でこれほどに成り上がることは容易ではない。しかし、それを成し遂げたのはそれ程に多くの功績を残したからであった。

 貿易を渋っていた国との貿易を実現し、いくつかの貿易国と不利の一切ない条約を締結したり……アレグエッド王国に対して申し分ない程に多くの利益をもたらしてくれたのだ。


 しかし、リマ・ベネダを保護してからその仕事量は減っていく一方。ディオンさんたちだけでは賄えず、重要度の高い品物から貿易を行っている為にいくつかには手が回っていない。

 どうにかしなくては、と別の商人に手伝いを求めれば品物が渡っていくうちに値段が高騰する始末。


 貿易相手もチャンスと言わんばかりに高値で売りつけてくる。


 どう考えても悪循環だった。


「仕入れはそちらの仕事でしょう?」

「我々は聖女を保護しているのだ。重要な仕事で手一杯だと理解して欲しいものだな。」


ジクター様がさも当然だと言うように、少しの悪びれもなく言い放つ。


「そうして甘やかして、国を衰退させることの何が重要だと?」


 私が問いかけると、彼らはあからさまに不機嫌そうな表情を見せた。


「……リマの存在が重要でないと言いたい

のか?」

「そうとまでは言っていません。が、少なくとも、この状況を考えるならば優先事項くらい考えて頂きたいですわね。」

「言わせておけば!」


 昂る感情を抑えながら静かに言葉を述べると、カッと怒りの表情を見せたソルティ様が私に殴りかかろうとする。


「ユニ!」


 横からエリスさんが飛び出してきて私の前に立ちふさがる。ソルティ様の拳が振り下ろされる前に、スッ剣が彼の行動を阻んだ。


「そこまでだ。」


 オズウェルの凛とした声が響いた。

 辺りに多くの人がいる中で、彼の声だけが明確に耳に届く。


「あまり騒ぎを起こさないで頂きたい、ベネダ家の方々。それに、女性へ暴力などみっともない。」


 くっ、と悔しそうにソルティ様は拳を下ろして後退した。


「エリスさん、無茶なことを……。」

「自分の子供を守って、何が悪いのかしら。」


 ムッとエリスさんは頬を膨らませる。


「でも、私は……。」

「本当の子供じゃないなんて悲しいことは言わないで頂戴ね。」


 予測するように私の言葉を遮るエリスさんの表情は悲しそうで、数年前の今日させてしまった表情とまるで一緒だった。


「オズウェル・ジュラード副団長、その剣を収めていただきたい。」


 割って入ってきた声に、私たちは目を向ける。そこには現ベネダ家当主である、グライフ・ベネダがいた。

 グライフ様は完全なる愛想笑いをニコニコと浮かべながら、コツコツとこちらに近づいてくる。


 その言葉を受けてオズウェルはスッと剣を下ろした。


「父上!」


 これは勝った、と言わんばかりの笑みを浮かべてソルティ様はグライフ様を見る。

 しかし、返されるのは冷たい視線。


「このザマはなんだ、ソルティ。みっともない。」


 その言葉に、ソルティ様は顔を青ざめる。

 グライフ様は次にジクター様へ目を向けた。


「まさかお前まで付いていながら、ベネダ家の名前に傷が付く恥ずべき状況になるとはな。」

「だけど、兄さん!」

「もう良い、お前達は下がっていなさい。」


 ジクター様は目を泳がせながら抗議の声を発するが、グライフ様はそれを遮って2人を後ろへ下がらせる。


「申し訳ない、ベネダ家の者がご迷惑をおかけしたようで。それで、絹の値段が高いという話でしたよね?」

「あ……はい。」


 グライフ様が店の女性に視線を向ける。

 女性はコクリと頷いた。


 グライフ様は話の通じるお方なのだろうか?

 しかし、その考えは直ぐに打ち砕かれる。


「ここにある絹全て買いましょう……5万ガリオムで。」


 5万ガリオム……そんなのおかしい話だ。


 絹の通常価格は2千ガリオム、現在の価格が8千ガリオム。約4倍程に跳ね上がっている。

 それを全て合わせて5万ガリオムだなんて、利益が入ってこない状態だ。確かにマイナスにはならないが……。


 一般的に人が1人が生きていくのに必要な1ヶ月のお金はおよそ10万ガリオム。

 何かを作る際、絹がたった一枚で事足りるなんてことはない。つまり、現在の値段では到底平民が絹を買えるはずがない。


 だからといって、そんな不当な値段を提示するなんて……。


「そんなっ! こちらに利益がありません!」

「利益は無いが不利益も無い……そうでしょう?」


 女性の意見にグライフ様は理不尽を突きつけた。

 あぁ、結局彼も同じだった。


 予想はしていたけれど。


「ですが、それでは……。」

「マイナスにならない、それだけで十分でしょう? このご時世ですから、利益より安定を求めたらいかがですか。」


 変わらずニコリと笑顔を貼り付けたまま、女性の肩へと手を置いた。


「あ、あの……あの。」


 その手にギリギリと力が加わっていくのが側からでもわかった。


「売るのですか? 売らないのですか?」


 笑顔の、威圧。

 女性は顔を真っ青にしてブルブルと震え出す。そしてコクコクと勢い良く首を縦に振った。


 少なくとも私には、彼女に選択肢があったようには思えなかった。


「う、売ります、売らせて、頂きます。」

「ええ、ええ、それが良いでしょう。」


 グライフ様は、ジクター様に目をやる。

 すると、ジクター様は女性の元へ行き金を払って絹を受け取った。


「彼女は不利益を被る心配がなくなる、我々は絹を購入出来る。Win-Winではありませんか。」

「なにが、Win-Winですか……貴方のソレは脅迫と同義ですわ。」


 笑顔のままに、ギロリとグライフ様が私に鋭い視線を送ってくる。

 私は少しだけ体を引いてしまった。


「脅迫? どこが脅迫だと? 私は、お互い損のない提案を持ちかけただけですよ、ええ。それを呑んだのは彼女でしょう? それの何が問題だと言うのでしょうか、説明して頂けますか? ユシュニス・キッドソン公爵令嬢。」


 まくしたてるように、ペラペラと言葉を放ってくる。私はそれに負けないように口を開いた。


「明らかに、そちらに得しかない交渉でしょう。商売で利益が無いなんて、それでWin-Winだなんてよく言えますわね。仮にも商家の人間がそれすらも分からないのですか?」

「君こそわかっていないね、商売は『どちらがより優位に交渉を進められるか』だ。所詮は競争なのだよ、ユシュニス公爵令嬢。君も先に身を引いてしまった時点で負けさ。」


 私はグッと唇を噛みしめる。

 それでは、とグライフ様は綺麗なお辞儀をしてソルティ様とジクター様とお付きの者を従えてその場を離れていく。


 確かに、彼の威圧に勝てなかった。私は少しの恐怖から身を引いてしまった。

 いやしかし、負けてはいない、負けてはいなかったはずだ。必死にそう思い込むが、わかっている。ここは私の負けなのだと。


 悔しさを胸に抱きながら、私は屋台の女性の元へ向かう。


「大丈夫、でしょうか?」

「ええ……確かにこの数日で絹を買い求めたのは1人や2人、余ってしまえば叩き売るしか無い。ここで売ってしまえばその心配はなくなります。」


 そう言っていた彼女だが、確実にその顔は悲しみや悔しさに帯びていた。


「申し訳ありません。」

「い、いえ! ユシュニス様が謝ることではございません! お心遣い、ありがとうございます。」


 彼女はニコリと笑って私を見た。

 私も小さく笑みを返してからその場を離れる。


「何もできないことが、悔しいわね。」


 エリスさんの言葉に『同感だ』とコクリと頷いた。


「あのね、ユニ。私は貴方達のことを本当の子供のように育ててきたつもりよ。だから、危険な目にも遭って欲しくないし、出来るだけ私が守ってあげたい。」

「うん……心配かけてごめんね。」


 私が素直に謝ると、エリスさんはニコリと笑って私の頭をポンポンと撫でてくれる。


「さっき言おうと思ってたことだけど、いつかね、みんなにお母さんって呼んでもらうのが夢なの。」


 エリスさんはとびきりの笑顔を見せて、堂々と自身の夢を語ってくれる。


 それに対して私は何も言えなかった。

 何もだ、何を言えば良いのか分からなかった。


「あなたはオズウェル君に送って貰いなさいね。」


 エリスさんは私の横に立つオズウェルに視線をやってからひらりと手を振ると、再び侍女と共に大きな荷物を抱えて歩いて行った。


「何といったら良いかわからないが……無茶はするものではないぞ。」


 エリスさんを見送った後、オズウェルが告げる。


「無茶はしていませんわ、これが私の仕事です。」

「そうじゃなくて。」


 私は不思議に思いオズウェルの方を見る。

 オズウェルはチラリと目線だけでこちらを見て、目があったところで直ぐに視線を落とした。


「そうじゃなくてだな……心配させるなってことだ。」

「……ええ、そうですわね。」


 心配させるようなことをしている自覚はない。間違ったものを間違っていると戒めることが悪いとも思わない。

 しかし、オズウェルが……そしてエリスさんが心配だと言うのならば、それは心配させてしまっていると言う証拠なのだろう。


「帰ろうか。」


 オズウェルの言葉で深く考え込んでいた私はハッとする。それから、コクリと頷いて歩みを始めた。




 その日の家の夕食は豪勢で、何事かと聞かれたエリスさんは私へ語った話をして彼女の夢を語った。ルナベル姉さまもアシュレイも目を丸くして真剣に話を聞いていた。

 ただ1人、お父様だけは全てをわかっているかのような顔をしていた。

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