第7話 正義感ならあります 前編
「こうして、2人で街を歩くのはいつぶりかしら。」
私は、ニコリと笑ってオズウェルを見上げる。
私たちは今、街中を歩いている。
いつもは馬車で移動をするが、オズウェルがいることもあり、たまにはのんびりと歩くのもいいと思ったのだ。
「少なくとも、5年以上は経っているだろうな。」
オズウェルは前方から視線を逸らさずに言う。
昔はそんなにも身長差が無かったのに。
いつ、こんなにも差が出来てしまったのか。
オズウェルと私は、幼い頃からの仲だった。
お母さまと彼の母が仲良しだった、という縁からの付き合いだ。
物心付いたときには、お兄さまとお姉さまとオズウェルの4何で遊んでいたように思う。
1番年下の私を3人はとても可愛がってくれた。
しかしながら、私が12歳の頃には殿下との婚約が決まった上にオズウェルも騎士団で働いていたために、会うことも少なくなったのだけれど。
「ユニは、殿下との婚約が無くなったらどうするんだ?」
「そうね、どうするのかしら。」
王妃として教育されてきた私。
それ以外の道を歩むなんて考えてもいなかった。
幸いにも、私は軍師としての仕事や政治的な仕事もいくらか担っている。お先真っ暗、というわけではない。
少なからずプレッシャーから解放された部分もあるが……ただ、圧倒的な虚無感。
一体これから何がしたいのか、自分が1番わからない。確かに殿下への愛は無かったけれど、日々努力し公務に励む彼の横に王妃として立つ自分の姿は明確に想像出来ていた。
そして、王妃として彼を支えたいとすら思っていた。しかし、それも所詮は過去の話。
私が支えたいと慕う彼はいなくなった。
もしも彼が正気に戻るかもしれない、という仮定すらも出来なくなったら……そんな未来を想像して、また私の心は軋むのだ。
「……強がりは一旦やめにしないか?」
ポンと頭に手が乗っかる。
私がチラリと彼を見ると、彼はクールさを少しも感じさせない程の笑顔を向けてきた。
そうして、くしゃりと頭を撫でる。
綺麗に整えた髪もぐしゃぐしゃだ。
だが、心境としては何も悪い気はしていない。昔に戻ったようで、逆に嬉しく感じていた。
強がり、か……強がってなどいない、と心の中では思っていても、きっと彼には伝わっているのだろう。不安が、悲しさが、辛さが、憎しみが、苦しみが、怒りが。
そんな負の感情、抱いたってどうにもならない。
大好きなお兄様が戻らなかったら。
殿下がこのままだったら。
王妃になるため、私が努力してきたことはなんだったのか。
なぜ、リマ・ベネダは私の大事なものを奪っていくのか。
アシュレイがリマ・ベネダの元へ行ってしまったら。
オズウェルまでも、私から離れてしまったら。
気づけば、目に涙が浮かぶ。
まだ早い……泣くにはまだ早いのだ。
「随分と舐められたものですね、私がこの程度で何を強がると?」
私はバッと彼の手を払い退けた。
それから前を向いて歩き出し、いつもの強い口調で言葉を放つ。
彼はどんな顔をしているだろう。
心配しているのにと怒っているだろうか、それとも……こんな私に失望してしまっただろうか。
後ろからタッタと音がしたと思うと、それは私を追い越して進行を阻んだ。
「ユニが望むならば、俺はいくらでもこの胸を貸す。」
真剣な瞳が私を一直線に見つめる。
どこまで彼は優しいのだろう。
いくら拒絶しても彼は私を見捨てないでくれる。
「結構ですわ。」
いつも通りの声音で答えるが、自然と少しだけ微笑を浮かべてしまう。
彼は私の言葉を聞いて「そうか」とだけ呟いた。
そして、また歩き出す。他愛のない話をしながら楽しい時間が経過していった。
中央噴水広場へ辿り着き、ふと市場の方に目を向ける。
「あれ……?」
そこには、大きな荷物を抱えたエリスさんがいた。私はすぐに駆け寄って声をかける。
「エリスさん! こんなところで1人で何を……。」
「あぁ、ユニちゃん。今日は、みんなの為にご馳走を作ろうと思ったの。」
優しい声音でエリスさんは言う。
「侍女は? 誰も付けてないの?」
「ううん、向こうで買い物して貰ってるの。買う物が多くって。」
既に両手一杯なのにまだ買うのか。
まるで誰かの誕生日じゃないか、と思わせるほどの大量な食材がある。
エリスさんはチラリとオズウェルを見て「まぁ!」と驚いてから微笑んだ。
「誰だかわからなかったわ、オズウェルくん。大きくなったのね。」
「ご無沙汰しています、エリスさん。」
お母さまが亡くなった後も遊びに来ていたオズウェルは、勿論エリスさんとも面識がある。
ただ、家に来なくなったオズウェルとエリスさんが会うのは数年ぶりだろうか。
「手伝いましょうか?」
「いいの! いいの! 気にしないで!」
オズウェルの申し出に、エリスさんはブンブンっと首を横に振るう。
「重いでしょう? 1つ持つから。」
「いいの! 私のことは気にしないで!」
ニコリとエリスさんは笑いながらも、頑なに私たちの手伝いを受け入れなかった。
そこまでして拒否するのは何故なの。
その時突然、市場の奥で怒鳴り声が聞こえてくる。
「すまない、ここで待っていてくれ。」
オズウェルはすぐさま怒声に反応し、私たちにひと声かけてからそちらへ向かっていった。
騎士団だもの。治安を守ることも彼らの仕事だ。
「それにしても、何か特別なことでもあったの?」
私が大量の食材を見ながら言うと、エリスさんは恥ずかしそうに笑った。
「私にとっては特別な日っていうか……。」
「? どういうこと?」
どういうことなのか、わからずに聞き返すと少しの間が空いたあとにエリスさんは口を開いた。
「私たちが、家族になれた日。」
「家族に……?」
お父さまと結婚した日? いや、3ヶ月前に結婚記念日は盛大に祝ったはずだ。
エリスさんと出会ったのは季節が真逆の時だし……全く頭に浮かんで来ず、うーんと頭を悩ます。
「みんなが母親として私を認めてくれたの。最初はね、やっぱり誰も懐いてくれなくて……特にルナベルとエドは冷たかったなぁ。ユニは覚えているかな? 数年前の今日ね、みんなでサニアさんのお墓に行っちゃったのよ。」
エリスさんは、懐かしいと朗らかな笑みを浮かべた。彼女にとっては苦い思い出になってしまってもおかしくない経験のはずなのに。
サニアさんとは私の本当のお母さまのこと。
その時のことは今でも鮮明に覚えている。
10歳の頃、私たちは勝手に屋敷を抜け出して、お母さまのお墓へ向かった。
私たちと良好な関係を築こうと頑張ってくれるエリスさんに対して、ただ幼心から反発したかっただけなのだと思う。
言いだしっぺのルナベル姉さまも、思春期真っ只中の年齢だったわけなので。
そうして、勝手に抜け出して人攫いに襲われた。いや、襲われかけた。
運良く、すぐに騎士団がかけつけてくれたから事なきを得た。お兄さまは私たちを庇って数発殴られて怪我を負っていたので、無傷だったとは言い難いけれど。
しかし、それだけで済んだのはエリスさんが一生懸命に探し回ってくれたからだ。
エリスさんが見つけてくれたとき、開口一番に私たちを怒鳴りつけた。お父さまはあまり叱らない。お母さまも静かに諭す人だった。だから、厳しく叱りつけられた経験は私たちにとって初めてのことだった。
だけれど、エリスさんは一方的に叱りつけるわけではなかった。ひとしきり怒った後は、涙を流しながらもぎゅっと私達を抱きしめてくれた。
どうしてか、エリスさんがごめんねと謝っていた。私のせいだと自身を責めていた。
エリスさんは何も悪くないのに。
幼いながらにも、エリスさんが真剣に私たちを思ってくれているのだと感じて、もう困らせるようなことはしないと誰が言うわけでもなく心に決めた。それから、少しずつだけど私たちは彼女に信頼を寄せていったのだ。
「あの日、みんなが私を認めてくれた気がするの。だから、勝手に私が家族の日にしてる。いつか、いつかね……。」
エリスさんが重大な決心をして何かを告げようとしたそのとき、広場の一角に開かれているお店で怒鳴り声がした。
あぁ、またか、なんなのだ、と私は呆れながらも目を向けると、貴族が女性にイチャモンを付けているところだった。
「なぜ、絹がこれほど高いのだ! 我々が貴族だからと、値段を詐称しているのではないか?」
「申し訳ありません……ですが、これは市場で出回っているものと同じ価格です。」
どうも、絹を買おうとしたが値段がいつもより数倍も高いことが彼らの気に障ったらしい。
貴族の2人組は女性に向かって非難という名の難癖をつけているのだ。
「数日前はもっと安かったぞ!」
「多くの製品がアレグエット領に入って来ずに品薄状態のため、価格は日に日に高騰しているのです!」
女性からの悲痛な叫びに、貴族の2人はギリリと歯を噛み締め、眉間に皺を寄せて女性を睨み付けた。
女性にとっても苦しい状況下だということは、少しも2人に伝わってなどいなかった。
「その理由こそ貴様がでっちあげたのではないのか!? いいから、もっと安く売れ!」
「ですから、これが相場で……。」
「我々を誰だと思っているんだ!」
まるで話の通じない相手に矢継早に怒鳴りつけられ、女性は目に涙を浮かべる。
私は彼らの胸元にあるエンブレムを見て、この状況でに対して『なるほど』と納得するほかなかった。
助け舟を出すべく歩き出したところで、パシッと腕が掴まれる。
「エリスさん、何を。」
「首を突っ込むつもりでしょう?危険だわ、怪我でもしたらどうするの!? 近くに騎士団の人たちがいるはずよ。」
「待っていたら、あの女性が理不尽な値段で売らなければならなくなるわ。」
「だったら、私が行く。」
必死に私を引き留めてたエリスさんはバッと立ち上がって歩き出そうとした。しかし、私はその腕を掴んでグイと引き寄せてから、今まで座っていたベンチにもう一度座らせる。
「大丈夫、ここで待ってて。」
安心させようと、私はエリスさんにニコリと微笑みかけてから足早に騒ぎの渦中へと向かっていく。
「ユ、ユニちゃん!」
エリスさんは私を追いかけるべく立ち上がったが、彼女が私に辿り着くよりも私が屋台へ辿り着く方が随分と早かった。
「それくらいにしたらどうです? ベネダ家のお2方。」
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