第6話 エドワードは奮起する



 俺は、ユニと別れてから一直線にある場所に向かう。進めば進むほどに人通りは少なくなった


 俺の名前はエドワード・キッドソン。

 リマ・ベネダに恋い慕っている愚かな男の1人である。


 表面的には一人称は『私』なのだが、実際は『俺』を使用している。といいつつも、最近ではそれが崩れて『俺』を使用する頻度の方が高いのだが。


 きっと、俺に対しての印象が良い人は少ないと思う。自身でも、それは当然のことだと認識している。


 仕事もせず、権力を使いやりたい放題、まるで俺じゃない……穴があったら入りたいほどに恥ずかしいことだ。


 事実、今すぐ俺を知る者のいない場所へ逃げ去りたいくらいの気持ちである。


「ハル。」


 俺は、コンコンとすでに開いている扉を叩いて部屋の中に1人で篭っている者に声をかける。


「あぁ、エド! 久しぶりに戻ったんだね!」


 ギィと扉を閉めてハルーー本名、ハーツェンヌ・ラプラジエールの元へ歩いていく。


 ハルは薬学者で、薬を扱う科学研究をしている。薬学者は少なく10人程しかいない。

 科学者はたくさんいるというのに。


 俺たちが今いる場所は薬剤研究所で、城の端に位置している。


「シェーちゃんはここにはいないよ?」

「バカか? シエに会うためなら、こっちじゃなく魔法師団の方へ行く。」


 シエとはシェ・アイシクルのことだ。

 魔法師団のエース的な存在で、まだまだ若いというのにその功績は数多くある。


 ユニの1つ下で、騎士団のダ・アイシクルとは双子だ。


 シエは俺の婚約者に近い存在である。

 本当は婚約者になるはずだったが、それが実現する前にリマが現れたわけだ。


「薬は出来たのか?」

「そんな簡単に出来たら苦労しないよ。どうすればいいかもわからないんだもん。」


 ハルはムッと唇を尖らせる。

 ヒントのない状態では流石に難しいか……そもそも、俺がこうしてここに来られることも珍しい。


「それで、今日はどうして来れたの? またシェーちゃんが?」

「いいや、そうじゃない。」


 俺は、先程あったことをなるべく丁寧に細かくハルに伝える。

 ハルは、それをコクコクと真剣に頷きながら聞く。そうして聞き終わった後に「う〜ん」と小さく唸ってから口を開いた。


「それは怒るわ。」

「怒りで正気に戻るとは思わなかったが。」

「不敬覚悟で言うけど、殿下にこの国任せたくないよね。」


 同感だ、と俺は力強くコクリと頷いた。

 誰も彼もが俺と同じ状況とも思えないし、殿下は正気を失っているというよりは……心底彼女に惚れているように見える。


 俺が、こうして正気に戻るのはこれで3回目だった。


 1度目は、偶然にも1人で城内を歩いていた際にシエと会った時。

 心にもない酷いことを言ってしまい、目に涙を浮かべた彼女に頬を思い切り叩かれた。

 正気に戻った俺は、シエに連れられここに来たわけだ。


 勿論、ハルとは昔からの友人だ。


 2度目は軍師として戦場に出た時。

 戦という重圧のかかる状況下だった為か、自身の集中力か責任感か精神力か。何が原因だったのかわからないが、俺は正気に戻った。


 先程の様子だと、あの時に正気だったとユニは気づいていないだろう。


 これを言うとユニに怒られてしまうだろうから話さないが、あの時のユニは自身の作戦が実行される緊張やプレッシャーからか冷静さが欠けていた。


 勿論、俺とアシュレイがいたからどうにかなったわけだが……もしも俺が正気でなかったことを考えると恐ろしい。


 俺たち兄弟の1人1人はまだ未熟でも、こうして3人で足りないところを補い『エヴァネ砦防衛戦』は勝利することが出来た。


 勝利した後のユニは半分魂が抜けていた。

 その後、アレグエッド王国へ帰還した時にシエとハルに会い、ハルには正気に戻ることの出来る薬を作って貰えるように頼んだ。


「それで? 新しくわかったことは?」

「そうだな……これは前にも感じたことだが、正気に戻る前には心の底からリマを好きだと思えるんだ。その気持ちがああして俺を動かしている。しかし、こうして正気に戻っていると、好きだという気持ちが一切無くなる。」

「ふむふむ……他には?」

「匂い、かな。」


 匂い? とハルは首を傾ける。


「こうして正気に戻った後に彼女に近づくと、強烈な匂いがするんだ。それが良い匂いのような……でもそれを嗅ぐと頭がくらくらして……そしていつの間にかあの状態になるんだ。」

「その匂いが原因なら、彼女に近づかなければ?」

「俺が近づくんじゃない、彼女が近づいてくるのさ。」


 ハルは可哀想にと哀れむような目で俺を見る。俺は、その目が気に食わなくてフイッと視線を逸らした。


「それは、たぶん『魅了チャーム』の一種だと思うの。」


 ギィと扉が開いて、入ってきたのはシエだった。


「外に声が漏れてる、もっと注意を払って欲しいの。」


 俺とハルは申し訳ない、と手を合わせる。

 シエはコクリと頷きニコリと微笑んだ。


「それで『魅了』って……?」


 ハルがシエに質問をする。


「会得出来る魔法じゃなくて、潜在的に宿っている魔法。意図的に放つこともあれば、知らず知らずに使っている場合もある。ただ、人格まで変えるほどのモノは聞いたことないの。」

「匂いに関連は?」

「ある、魅了がかかる対象はその匂いを嗅いで魔法にかかる。ただ、かかる者には条件があるの。他人に愛情を抱いていないもの、心に隙のあるもの、それを満たさなければ魔法にはかからない。」


 『魅了』か、中々厄介なモノだ。


「シェーちゃんは、魅了を解く薬の作り方を知ってる?」

「流石に知らないの……でも、カルクレアに行けばわかるかも。」


 カルクレアとは、アレグエット王国から更に南に進んだカルクレアの森にある『カルクレア自然同盟国』のことである。


 そこにはエルフや妖精が多く住んでいて、国として薬学や魔法に長けている。


「カルクレアかぁ、流石に1人で行くにはキツイなぁ。」


 道中は魔物も居て危険である。

 ハルは薬学者としては優秀だが、途端に戦闘となるとポンコツ以下、世界最弱の魔物にさえ押される始末。


 1人で行けばきっと、屍となってしまうに違いない。


「魔法師団でそっちに行くことが近々あるの、その時にハルも付いてくればいいの。」

「おー! それなら安心だね! シェーちゃんナイスアイデア!」


 ハルはグッとシエに親指を立ててニッと笑う。どうやら薬が作れるようだ、これで安心することができる。


「薬が出来たら、どうにかして俺にそれを飲ませてくれ。」

「勿論、素直に受け取ってはくれないだろうから良い方法を考えるよ。」

「ありがとう、ハル、シエ。」


 俺は、笑顔を浮かべて2人に言う。

 2人もニコリと笑って頷いた。


「そろそろ行かなければ、動けるならば出来る限りのことはしたい。」

「私も戻らなきゃなの。」


 俺とシエはそう言って扉へと向かう。


「おっけーおっけー、薬のことはまっかせてよ!」


 ハルはゴーグルをつけて再び研究に取りかかり始めた。


 俺とシエは2人で薬剤研究所を出て廊下を歩く。

 沈黙が流れる、どうも上手く言葉が出てこない。


 何か話題は無いかと探していると、シエが口を開いた。


「ユニさんは、このことを知っているの?」


 このこと、とは……薬のことだろうか?


「いや、まさか。ユニには何も伝えていないさ。もし正気に戻った俺がユニを責めていないと知ったら、今のような接し方が出来ると思えない。」


 ユニには、今の俺ではなくリマを好きでいる俺に対しての印象を持ったままにしないといけない。


 だから先程はリマが好きだ、と彼女に伝えた。

 そうしないと怪しまれてしまうから。


 ちなみにこのことはアシュレイや父も知っていることである。知っているが、ユニの前でそれを表に出すことは少なからず無いだろう。


「ユニは演技が下手くそなんだ。」


 きっと、この状況を知れば少なくとも以前のような振る舞いは出来ない。そうすると、確実にリマに何らかの不信感を与えることになる。


「エドワード。」


 シエが、俺の服の裾を掴む。

 彼女の顔を見ると、なぜか悲しそうな表情をしていた。


 シエはユニに対しては敬称をつけるくせに、俺のことは呼び捨てにする。昔からそうであるため、今さらそれを変えようとは思わないが。


 もしも、リマが現れなければ……今頃俺はシエと婚約していたのだろう。

 あの頃は、何も感じなかったくせに、段々と俺の中でシエの存在が大きくなっていく。


 いや、もしかしたら以前から好意を感じていたのかもしれない。


 いつもはリマに塗りつぶされてしまう感情が、確かにここにある。こうして自己主張をしている。


「シエ。」


 俺はスッと彼女の頬に手を添える。

 そして、彼女の瞳をジッと見つめる。お互い視線を逸らさない。


 どくん、どくん、とゆっくり……しかし大きく鼓動は鳴る。


「本当は、俺は……シエが「エドワードさま、ここにいらしたのね。」


 キンッと甲高い声が聞こえる。

 俺はすぐに手を下ろして声の方を見た。


 冷たい視線が突き刺さる。


 リマ・ベネダ……。

 予想より随分早く見つかってしまった。

 これでは今のうちに始末してしまおうと思っていた仕事がまた溜まってしまう。


 ブワッと強烈な匂いが辺りに広がる。

 頭がクラクラとして、何か他のものに意識が侵食されていく。


「リマ、探させてしまってすまないね。」


 いつもなら出すはずのない甘い声、まさか自分のものだなんて思いたくない。

 心底会いたかったと言うような表情で、俺はシエから離れてリマへと向かっていく。


「わ、わたしこそ、邪魔をしてしまってごめんなさい!」


 先程の冷たい視線など無かったかのように、いつもの彼女が現れる。


 少しもそんなこと思っていないだろうに。


 いやしかし、そんな彼女が可愛いのだ、これこそが俺の愛するリマなのだ。


 ……一体、何を言っているのだろう。


 身体も言葉も感情も意識さえも俺の言うことを聞いてくれない状態で、俺はいつも傍観している。

 この吐き気がするような状況を。


 乗っ取られる手前の状態で常に留まり続けるのだ、そうしてまるで俺じゃない俺を見るのだ。


「いや、こんな女に構っていた俺がどうかしていたさ。」


 グイとリマの腰を抱き寄せて、俺はチラリとシエの方を見て嘲るようにフッと笑った。


「そんな……失礼ですよ。」


 可愛いとでも思っているのか、ムッと頬を膨らませてリマは俺を見る。


 断然、さっきのシエの方が可愛かった。


 いやそんなことあるはずがない、俺のリマが1番可愛いに決まっているさ。


「リマより素敵な人などどこにもいない、この女には嫌気がさしていたんだ。可愛さのかけらも無い貴様が婚約者にならなくて、心の底から嬉しいよ。」


 違う、違うんだ、シエ。

 こんなこと言うつもりもないんだ。


 言うつもりは無くとも事実だから仕方ないということもあるけれどね。なんせリマと出会ってしまったのだから。


 ああああ、もう、うるさい!!!

 お前は出てこないでくれ!!!


「わかっています。」


 シエがニコリと優しげな笑みを浮かべる。


 俺の気持ちを、わかってくれているような。

 そんな笑みだった。


 俺はフンッと鼻で笑いリマの方を見る。

 リマもこちらをチラリと見て頬を赤く染めた。


「それでは、エドワード様・、リマ様、失礼致します。」


 女は綺麗にピシッと礼をしてその場を去った。

 俺とリマの2人だけの環境になる。


リマがキュッと私の腕にしがみつく。


「エドワードさま、この後はお暇ですか?」

「ああ、勿論だ。俺の時間は君のためにある。」


 リマの頬にキスを落とすと、彼女は顔を真っ赤にして俯きながら言葉を放った。


「エドワードさまったら、外ではいけません。」

「すまないリマ、さあ行こうか。」


 俺の可愛いリマ、俺の可愛いリマ。

 俺は君のためにある。


 そして今日もエドワードはリマと共にあり、仕事を放棄し、愚かな兄となるのだ。

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