「竜吾と別れの夕暮れ」
次の日、竜吾はどこまでも広がる青空を飛行していた。アイナは今日、学校に向かったので寄宿舎にはいない。
昨日の夜。アイナに魔泉の近くで最後の別れの挨拶をしたいと言われたので彼女が戻って来るまでの間、竜吾は一人、最後の異世界巡りをしていたのだ。
「うーん。風が気持ちいい」
空を自由に飛ぶ。幼い頃、大空を気ままに舞う鳥を見て、憧れた夢の一つだ。
時折、鱗越しに感じるひんやりとした風が心地よい。
この世界の空を舞うのはおそらくこれが最後だ。いや、こうして直接、風を感じて飛行する機会など二度と訪れないだろう。
山や大きな川。大地を駆け巡る獣達。
魔物の討伐などで王国の外に出ることが多かったので、こうしてじっくり見るのは初めてだった。
全く違う文明。全く知らない動物や種族。この世界には自分の知らないことが山ほどある。おそらく自分の一生涯だけでは知り尽くすのは難しい。
しかし、未知の元を知った。又は接触した。その事実に竜吾はとてつもない感動を抱いていたのだ。
「本当に広いなあ」
竜吾は眼前に映る壮大な景色にうっとりしていた。
夕暮れ時、空の旅を終えた後、竜吾は魔泉のある森に向かった。それとともに友やこの世界との別れも近付いている事を示している。
距離が近づくごとに低飛行にしていくとこちらに向かって、手を振る人影が見えた。アイナだった。
彼女だけではない。そこにはアーノルド、レティール、エーナ、レイニス。そして、整列する騎士団の兵士が待っていたのだ。
着地するとアイナ達が駆け寄ってきた。
「みんな」
「英雄が生家にご帰還されるんだ。これくらいの催しはさせてくれ」
レイニスが照れ臭そうに竜吾の鱗に覆われた腕に触れた。
「竜吾。かつて人間を恐れていた私に再び、人間を信じる気かけを作ってくれたのはあなたです。ありがとうございました」
「君のおかげで私はヴァーレスを討ち滅ぼして、父の仇を打つことができた。魔物や魔族が人間と共存できるような世界を作る。必ず」
レティールとエーナが信念の篭ったような目を竜吾に向けた。
「かつて君は自身の力について悩んでいたが、今はそんなことはなさそうだね。今の君には聖竜の力を行使する上でもふさわしい資格があるよ」
アーノルドが穏やかなでかつ説得力にあふれた言葉が脳裏に響いた。
かつて無力さに悩んだ彼に寄り添い、助言してくれたアーノルドに対して、竜吾は心から感謝していたのだ。
「トカゲと意思疎通。中々、体験できない経験だったね。僕は君に会えてよかったよ。そして、改めて我が国とその中で暮らす国民達を守ってくれてありがとう。この恩義は生涯、忘れることはない」
レイニスがかしこまった態度で一礼した。普段、竹を割ったように誰にでも快活な振る舞いをする彼が、慇懃な態度で接してきたことに若干、驚いた。
「竜吾。あなたと出会う前、私はとても孤独だった。憧れだった勇者アレフに全く近づけず、妹や父に冷遇され続ける日々。正直、絶望すら感じていた」
竜吾には彼女の気持ちが痛いほど、分かった。憧れに届かない苦悩の辛さ。
かつて絵本の中の英雄に憧れを抱いた竜吾には現実に直面した際の絶望感は骨身にしみている。
「でもあなたと出会って、世界が変わった。自分に自信が持てた。そして、こんな素敵な仲間に出会えた」
アイナが辺りを見渡すと、皆、恥ずかしそうに頬を赤く染めたり、視線をずらし始めた。
「全部、あなたのおかげだよ。ありがとう」
アイナが満面の笑みを浮かべた。何度も見た。心安らぐ優しい笑顔。おそらくこれが見納めになるであろう。
各々が皆、竜吾に次々と感謝の言葉を述べていく中、彼は心の中で暖かな気持ちが広がっていくのを感じた。
「僕もみんなに会えてよかったよ。こんなに優しい友達ができて、幸せだった」
竜吾は声を震わせて、出会った全ての存在に抱いた想いを伝えた。
「さようなら。アイナ。みんな。どうか幸せに」
竜吾は友の幸せを願いながら、天高く上昇した。そして、勢いよく魔泉へと突っ込んだ。
激しい水しぶきと視界を覆う泡を振り切り、泉の底へと向かっていく。
しばらくすると水底が緑色に輝いているのが見えた。元の世界に戻る場所だと確信した竜吾は体を蛇のようにうねらせる。
「君とはここでお別れみたいだ」
突然、頭の中に聖竜メノールの事が流れ込んで来た。
「ああ、正直寂しいけど、いつか別れは来るからね」
竜吾は心で念じるように思いを伝える。おそらくもうこの世界に来ることは出来ない。そう思うと悲しみとともに涙がこみ上げて来る。
「でもここで過ごした波乱万丈の日々は決して忘れないよ」
「ならきっとあちらに戻っても大丈夫だな。頑張れよ。竜吾」
「うん」
返事を返したと同時に緑の光に突入した。その瞬間、竜吾の意識は途絶えた。
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