「トカゲと絶望」

 滞空時間が長いと自分が空を舞っているような不思議な気分になる。どこまでもこうしていたい。


 そんな風に思えるほど、竜吾はどこか心地よさを覚えていた。


 しかし、現実は非情にもその空間を地面に激突するという形で覚ました。


「がはっ!」


「ぐっ!」


「ゲホッ!」


『三人とも!』

 アイナ、アーノルド、エーナが地面に落ちた後、腹部などを抑えている。よく見ると鋭利な刃物で切られたような跡がある。おそらく先ほどのヴァーレスの攻撃だ。


 傷を抑えてはいるが、それでも抑えきれほど出血量が多い。血が流れるたびに鉄の臭いが竜吾の鼻腔に染み込んでくる。


「今の人間の実力がどれほどのものなのか、試して見たんだがな。所詮はこの程度か」

 竜吾の支援を受けたアイナ、アーノルド、レティール、エーナですら力が及ばない。本能が危険信号を発しているのだ。全身の細胞が戦闘を拒否している。


「ダメだ。強すぎる」

 一人の兵士が怯えたような表情でそう呟いた。


 竜吾は兵士達の方に目を向けた。皆、顔に恐怖の色が宿っていた。敗北。恐れていたそのふた文字が脳裏を過ぎる。


 そう思わざる得ないほど、ヴァーレスと竜吾達には圧倒的な力の差が存在していたのだ。


 マナの保有量。肉体的な強さ。そして、生物としての強さ。全てに置いて自分達とは次元が違う。


 ここまで強いとヴァーレスが自身の力に溺れて、傲慢に振る舞う理由がよく分かる。


「そなたらが今、抱いている感情。恐怖だな。分かるぞ。我もかつての姿は小さなトカゲ。弱き生物だった。しかしマナの力を受けて、このような姿へと変異を遂げたのだ」

 竜吾は耳を疑った。魔王の正体。それはマナの影響の受けて絶大な力を得たトカゲだったのだ。


「ならなんで弱い奴に寄り添わない。弱い存在なら、その立場を理解できるはずだ!」

 アイナが青筋を立てながら、ヴァーレスに怒号をぶつけた。自分の強さを弱き者達のために使ってきた彼女にとっては許しがたい悪行なのだ。


「寄り添う? 何故、そのような事をせねばならんのだ。それにその理屈を述べるのなら何故、強者はかつての弱かった我に寄り添わなかったのだ」


「あんたに何があったかわからない。でも自分勝手な事にしか使わない辺り、元々、ロクでもないやつだったんでしょうね」


 アイナが鋭い目を作った。竜吾には分かっていた。彼女にはすでに体を動かす体力はない。しかし、その目には未だに闘志が宿っていたのだ。


「力とは私利私欲の為、私服を肥やすために使うもの。その真実から目をそらし、悪というレッテルを張る貴様らの方がよほど悪意に満ちておる。弱者の嫉妬だな」

 ヴァーレスが異物を見るような目をアイナに向けた後、レティールに視線を移動させた。


「エルフよ。魔泉の場所はどこだ? 教えれば命までは取らないでいてやろう」

 ヴァーレスが低く、重厚さが漂う声でレティールに詰問する。


「ふざけるな。誰がお前なんかに」


「そうか」

 ヴァーレスがため息をつくと地面で傷口を押さえて、呻いているエーナの体をその手で掴んだ。


「がああああ!」

 ギリギリと音を立てて、エーナの体が圧迫されていく。それとともに彼女の口から耳を塞ぎたくなるような悲痛な叫び声が聞こえた。


「エーナ!」

「ほれ? このままではこのダークエルフはボロ切れのようになってしまうぞ? お前の大切なともであろう?」

 竜吾は憤りで気が狂いそうになった。なぜ、手負いの者をここまで踏みつけに出来るのか理解できなかった。


「だっ、だめ、レティー、ぎゃあああああ!」

 エーナが先ほどよりも激しい悲鳴をあげた。顔からは唾液と涙が流れていて彼女の受けている苦しみがこちらにも伝わってきそうな程、悲痛に満ちている。


「言う! 言うから話すから! 私の友達を傷つけないで!」

 レティールが必死に懇願するようにヴァーレスに言葉を投げ打った。するとヴァーレスの手が力を緩まった。


 手元ではエーナが度重なる拷問で目を虚ろにしながら、小刻みに震えていた。


「この先にある」

 レティールがある一点の方を指差した。そこは竜吾とアイナが倒れている場所の真後ろだったのだ。


 ヴァーレスが手元で伸びているエーナを力強く地面に叩きつけた。


「エーナ!」

 レティールが涙を浮かべながら、傷だらけの体でエーナの元に駆け寄っていく。


「なっ、んで言っちゃったの?」


「ごめんなさい。でも貴方が死んでしまうところなんて見たくなかったの」

 血を吐いたのか、口元が血だらけのエーナがレティールに笑いかけていた。


「ふん。早々に言っておれば、そうならずに済んだものを」

 ヴァーレスが露骨にため息をつきながら、魔泉の場所に向かっていく。


 地面を揺らすような巨大な地響きが竜吾の耳を揺らす。竜吾はヴァーレスを止めたいという一心でゆっくりと体を起こした。


 現時点でも強大な力を持つヴァーレスが魔泉のマナを吸い上げたらどうなるか、考えるだけでも恐ろしい。


「魔王ヴァーレス。貴様は何が目的だ」

 木陰で口の端から血を流しているアーノルドが尋ねた。


「そなたらもおそらく理解しているだろう。魔泉のマナを吸収し、力を手に入れて世界を支配する」

 ヴァーレスが全てを見下すような酷薄な笑みを浮かべる。この怪物の頭にあるのは支配。ただそれだけなのだ。


『行かせない!』

 竜吾はヴァーレスの眼の前に立ち、殴り書きの筆跡で怒りをぶつける。言葉が話せない以上、彼にできる事はこれだけだ。


「やっ、やめて。竜吾。あ、危ないから」

 アイナが掠れた声で竜吾を止めようと説得する。アイナ自身、体力が限界で彼を止めようとするものやっとのくらいだ。


「虫けらが」

 ヴァーレスが竜吾を薙ぎ払うよりに鋭利な爪が備わった右腕で彼を叩いた。


 竜吾の口から真っ赤な血が吹き出た。自分の体では許容できない程のダメージを受けたせいか、体の感覚がない。


 薄れていく視界の中、竜吾の目にあるものが写った。魔泉である。


「竜吾!」 

 竜吾はアイナの胸を痛めるような叫びを置いていくように頭から魔泉に落ちた。


 水面で揺らめく月光が遠ざかっていく。体に一切、力が入らない。僅かに入る水と泡の音に心地よさを感じながら、ゆったりと落ちていく。


 久しぶりの感覚。まるで故郷に戻ってきたような、そんな懐かしさすら覚えた。


 ゆっくりと確実に意識が遠のいていくのを感じる。自分はこのまま死んでいくのか。何も果たせずに、中途半端に幼少の頃の夢を叶えようとして、全て台無しになった。


 ごめん。アイナ。水中にも関わらず目頭に火傷しそうなほどの熱さを感じながら、意識が途絶えた。

 

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