「トカゲと恩人」

朧げな意識の中、竜吾は目を開いた。毎度同じの聖竜メノールの夢の中だ。今回は視界の半分は水面を映し出している。


 どうやら今、泉か湖に体を横にして浸かっている状態のようだ。しかし、体を動かす気配はない。


「グッ」

 メノールが苦しそうな呻き声を上げた。おそらく今は立ち上がれそうにないほど、疲労しているらしい。


 するとメノールの視界に二つの人影が写った。一人は興味深そうに覗くお爺さんとその横で恐怖のせいか、引きつった表情を浮かべるお婆さんがいた。


 服装が異世界のものとは違う。まるで竜吾が昔、学校の教科書を読んだ際に見た昔の農民の服によく似ていたのだ。


『ここはもしかして日本?』

 竜吾は半ばそう確信した。


「婆さん! 何かがおるぞ! 怪我しておる! 手当てしてやろう!」


「でっでも、爺さんや」


「でももクソもあるか! 怪我しとるやつを見過ごせと言うんか!」

 お爺さんが動揺するお婆さんを咎めると、早々とこちらに向かってきた。


「大丈夫か!? 今から助けてやるからな!」

 お爺さんが傷ついた聖竜の体に何度も水をかける。時折、手で優しく首元をさすってくれた。


 見ず知らずの、しかも他種族である自分を気にかけてくれたのだ。


 鱗越しに伝わる老人の手は暖かく、まるで彼の心の温もりが伝わって来たような気がした。


 その瞬間、視界が真っ白に染まっていった。現実が彼を迎えにきた。





 晴れ渡る青空の下、アレスティア王国は活気に満ちていた。竜吾はアイナとともに市街地に買い物に出ていた。


 兵士の一人に街へ買い物に行くように言い渡されたのだ。市街地というだけあり相変わらず、人が多い。


「今日も賑わっているね」


『そうだね。さすがは王都だね』

 アイナの言葉に返事を返しつつ、竜吾は夢に出てきた老夫婦の事を思い出していた。


 すると遠くから悲鳴が聞こえた。竜吾はアイナと顔を見合わせて、声のした方に足を運んだ。


 場所に向かうとすでに何人か野次馬がおり、辺りは騒然としていた。


 母親だろうか、女性と男児が抱き合いながら震えていた。


 二人の視線の先には剃り上げた頭部と腕にタトューをしたいかにもガラの悪そうな男が二人。殺意と怒りに満ちたような目が睨みを効かせていた。


「申し開けありません! どうかお許しください! 息子にはきちんと言い聞かせますので!」


「ごめんなさい!」


「ああん? 謝って済むかよ!? 俺のダチに思っ切りぶつかりやがってよ!」


「あー、痛えよー 助けておかーちゃん!」

 もう一人の男は誰にでも嘘だと分かるくらいの下手くそな演技をしていた。竜吾は歯ぎしりした。ぶつかったのは事実かもしれない。


 しかし、憤りを覚えるような素行の悪さに吐き気を催した。


「あなた達! 何をしているんですか!」

 竜吾とアイナは母子達をかばうように仁王立ちをした。


「ああん? てめーには関係ないだろ! 痛い目見ないうちに偽善者は引っ込みな!」


「その言葉。そっくりそのまま、返してあげる。痛い目を見ないうちに立ち去りなさい」

 アイナが毅然とした態度で暴漢達を睨みつける。すると暴漢の一人が癇に障ったのか、眉間に青筋があった。


「なめてんじゃねえぞー!」

 暴漢の一人が声を荒げながら、アイナの元に突っ込んできた。竜吾はすかさず彼女を強化しようとしたが、彼女が手のひらを見せてきた。


「大丈夫だよ。竜吾。これくらいどうにでもなる」

 アイナは襲いかかってきた暴漢の手を掴んで、いともたやすくねじ伏せてしまった。


「グエッ!」

 暴漢が首を絞められた鶏のような情けない声をあげて、気絶した。


「うそ、だろ。兄弟」


「こうなりたくなかったら、すぐにここから去りなさい!」

 アイナが語勢を強くして、もう一人の暴漢を睨みつけた。


「すいませんでしたー!」

 アイナの剣幕にオクしたのか、生まれたての子鹿のように震えながら、もう一人の暴漢が気絶した友人を担いで逃げて行った。


「ありがとうございます!」


「ありがとう! お姉ちゃん!」


「ああ、いえ!」

 母子の感謝の言葉にアイナが嬉しそうに頬を緩めた。少し前まで周囲から冷たい視線を向けられた彼女とは大違いだ。


 すると周囲から拍手が湧き上がり始めた。先ほどの野次馬の人たちだ。彼らもおそらく助けたかったが勇気が出なかったのだ。


「すごいぞー!」


「俺たちの代わりに追っ払ってくれてありがとう!」


 町民達の感謝が辺りを包み込んでいく。一人の少女の勇気がみんなを幸せにしたのだ。アイナを讃える声が城下町にいつまでも漂っていた。





 


 静寂に包まれた夜。優しい光を放っている満月を竜吾は引き寄せられるように眺めていた。


 横にはテントがあり、その中からアイナの寝息が聞こえる。


 月を見ながら、昼間のアイナの事を思い出していた。彼女は自身の力でのし上がっていった。


 それに比べて自分はどうだろう。英雄になりたい。その想いは変わらない。しかし、あくまでこの力は聖竜から授かったものだ。


 決して誇れるものではない。竜吾は自分の能力に対して疑いを持ち始めた。


「おっ、英雄が一匹で何をしているのかな?」


『アーノルドさん。本部の方にいたんじゃ?』


「視察だよ。部下達がどうしているのか気になってね」

 騎士団長のアーノルドが笑みを浮かべながら、竜吾の隣に腰を下ろした。


「ダークエルフのエーナさんから君の話は聞いたよ。元は人間だったらしいね。それも別世界の」


「信じてくれるんですか?」


「まあ、マナや魔泉は未だに謎が多いらしいからな。自分の常識を超越したような出来事も起こるのだろう。これくらいの柔軟性無くして団長は務まらんよ」


 彼の物事に対する柔軟性は尊敬に値する。それほど、彼は騎士団長という地位に責任や誇りを抱いているのだろう。


「何か悩みでもあるのか?」


『トカゲの姿なのによく理解できましたね』


「たくさんの人間をまとめる役職につくと自然と身につくもんなんだよ。察する程度だけどね」

 アーノルドの察しの良さに若干、驚きながらも頷いた。


『自信を持ってこの力を使っていいのかなあって』


「自信?」

 竜吾は黒雲に覆われたような鬱屈した胸の内を明かすことにした。


『幼い頃、僕はある本を読んだんです。勇敢な青年とそのお供の龍神が世界を救う。僕はその主人公みたいに人を助けたいと思いました。けどいじめられている子を助けたら、今度は僕がいじめの対象になりました』

 言葉にするたびに過去のトラウマが内側からせり上がっているような気がした。その度に気道が詰まったように言葉が出来にくくなる。


『最初は周囲を憎みました。けど今思えば、僕は良い事をしたら讃えられて当然だと思っていたんだと思います。でも相手から望んだ対応が来なかった。だから絶望したんです』

 トラウマという鎖でがんじがらめにした金庫を解くように自身の過去をつらつらと明かしていく。


『この力を持てば、英雄になれると考えていた。でもこの力だって結局、借り物だ。他者から貸し与えられたもので横暴に振る舞うなんて滑稽じゃないですか』


 竜吾は耐え止まない自責の言葉が濁流のように流れ出てくる。その中にはおそらくアイナに対しての劣等感も含まれていた。


「私だってそうだよ。王国騎士団なんて大層な名前の役職についているが一部の人間には国民の血税をドブに捨てるノロマの集まりと罵られる。」


『そんな言い方あんまりじゃないですか』


「ありがとう。でも全員に好かれるなんて無理な話さ。我々にできるのはこの国を守る事だ。勇者アレフも人間にとっては英雄だが、魔物共にとっては怨敵でしかないだろう」

 アーノルドが屈託のない笑みを浮かべた。これくらいの気前と精神がなければ一国の騎士団長など務まらないのだろう。


「君は頼られた人に対して、全力で答えればいいのさ。そうすればその人にとって英雄になれる。能力云々ではない。大事なのは君の意思で誰かを助けることなんだ。君だって誰かに感謝されたことくらいあるだろう? 私だって君に命を救われた人間の一人なんだ」

 竜吾の脳裏にアイナの姿を浮かんだ。優しくて、それでいて気高い青髪の少女。それだけではアーノルドや騎士団の仲間達も自分を慕ってくれていたのだ。


「もし一人でも自分を信じてくれているものがいるのなら、君はその者の為に戦えばいい。きっと誰でも英雄になれる」

 アーノルドが白い歯をみせて、笑った。


『はい』

 黒雲が覆っていた心の中に一筋の光明が差した気がした。悩みを打ち明けた後に見る夜空は一層、美しく見えた。


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