「トカゲとエルフ」

 草木が眠る深夜、アレスティア王国の近くにある丘で何者かが立っていた。フードを深く被っており、素顔は闇に包まれている。


 視線の先には森の中央が大きく抉られた痕跡。

「数日前に感じ取った気配といい。この威力。まさか」


 『それ』は勢いよく口笛を吹くと、森の茂みから狼のような魔物が唸り声を上げて、姿を現した。


 懐から杖を取り出して、魔物にマナを注いでいく。『それ』の腰ほどまでの大きさしか無かった魔物がみるみるうちに巨大化していく。


「この跡を作った奴を見つけて、排除しろ」

 魔物が敬服するように唸り声を上げて、踵を返した。


「さて、あのお方のためにも私も動かねばな」

 『それ』は不気味な笑みを浮かべて、静かな森の中に消えた。





 アレスティア王国の城下町はアイナと竜吾は進んでいた。辺りから無数の視線が伝わってきた。

「アイナ・フリードだ」


「ああ、あの落ちこぼれか」


「おい、聞こえるぞ」

 街の人間がヒソヒソと話している内容がいくつか耳に入ってきた。そのどれもがアイナを馬鹿にするような事である。


 フリード家は栄誉ある勇者の一族。しかし優秀な妹とは違い、出来損ないの姉というのが民衆にも伝わっており、好奇な目で見られているらしい。

「竜吾、まさか怒っている?」


『当然』

 親しい人間が家族、学園に留まらず、挙げ句の果てに街の人々にも見下されるような目を向けられる。これに対して怒りを抱くなという方が難しい話である。



「見ろ! 王国騎士団だ!」

 一人の町民の声とともに注目がアイナから別の方に移っていく。竜吾も気になり、住民達の視線の先に目を向けた。


 全身に鎧を纏った騎士達が隊列を成して、街の外に歩いていく。剣や槍を携えており、気迫が伝わってくる。


「あれは王国騎士団だね。噂だとどうやら近頃、森を荒しまわる魔物がいるみたいで、それを退治しにいくらしいよ」


『おっかないね』

 竜吾は魔物に対して内心、恐怖心を抱きながらも騎士団の姿を見て、その勇ましさに心を惹かれた。鋼の甲冑と剣。男児なら一度、憧れる要素の一つだ。


 住民達の方を見ると、皆一様に目を輝かせていた。先ほどのアイナを見ていた目とはまるで別物だ。勇ましさが漂っている騎士団の背中を静かに見ていた。



 アレスティア王国から少し離れた森の中、竜吾は新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んでいた。


 以前と同じ『魔泉』の近くで修行を行おうとしたが、アイナが地面を盛大に抉ったこともあり、罪悪感から別の場所に移動したのだ。


 近くではアイナ・フリートが剣術の修行をしている。数日前、実妹に挑むも敗北し、涙を呑んだ。おそらくあの時に味わった悔しさをバネに彼女に修行しているのだろう。


「はっ! はっ!」

 静けさが漂う森の中で木刀を振る音と彼女の掛け声がはっきりと聞こえる。いつにも増して真剣なその表情に魅力すら感じていた。


「ふう、そろそろ休憩にしようか」

 アイナが木刀を降ろして、竜吾の近くに腰を下ろした。心地よいそよ風が吹いて、竜吾とアイナを優しく撫でる。


『いつにも増して、修行に精が出ているね』


「カリナに負けて、本気で悔しかったからね。特に今回は竜吾が応援してくれたのにそれに応えられなかったというのが特に心に残っているの」

 竜吾は彼女の健気な姿勢に心を震わされた。今まで味方がいなかった環境下で修行をしてきた彼女にとって竜吾は心の支えなのだ。

 

『アイナ。剣を構えて。何かいる』

 突然、竜吾は森の奥から凄まじい殺気を感じた。草木と地面が激しく揺れて何かが近づいてきているのがはっきりと分かった。


「グアア!」

 狼のような姿をした巨大な魔物が草陰から飛び出してきた。鋭利な牙が見せて、口の端からはトロリと涎が垂れている。


 竜吾は魔物の目があった。全身に悪寒が駆け巡るのを感じた。


「竜吾! 隠れて! 私一人で相手をする!」

 アイナが木刀を構えて、魔物の攻撃に備え始めた。竜吾は緊張感で小さな体をカタカタと震わせていた。


 彼女の実力も積み重ねた努力も知っている。しかし、戦いというものはいつ何が起こるか分からないのだ。

「ガアッ!」

 魔物が地面を強く蹴り、雄叫びを上げながら近づいてきた。


「はあ!」

 アイナの木刀と魔物の爪がぶつかった。両者ともに凄まじい勢いでぶつかっていく。竜吾はその光景を草陰から目に焼き付けていた。まさしく命の取り合いである。


「この魔物。強い! なかなかの手練れね」

 アイナが魔物に若干、押されていた。魔物の方をよく見ると手足や胴体に古い傷のようなものが見えた。


 おそらく多くの修羅場をくぐり抜けってきた猛者なのだろう。竜吾は彼女に力を注ぎ込もうか考えた。しかし、頭を何度も振り、その思考を取り消した。


 今、ここで援助すれば彼女の実力を否定する事になるかもしれないからだ。


 すると魔物の尾がアイナの手首に叩きつけられた。


「ぐっ!」

 彼女の顔が痛みでゆがんだ瞬間、魔物が強烈な前足が彼女の腹部に食い込んだ。


「がはっ!」

 アイナが凄まじい勢いで弾き飛ばされて、木に叩きつけられた。苦悶に満ちた表情を浮かべて、痛みのせいか体をカタカタと震わせていた。


「グルル」

 すると魔物が唸り声を上げて、竜吾の方に向いた。竜吾は背筋が凍りついた感覚を覚えた。


「竜吾!」

 アイナの声を振り切るように竜吾は必死に森を駆け抜ける。魔物の図体は竜吾よりも巨大で、歩幅も圧倒的に大きい。


 草木の間を必死に縫って、逃走を図るも粘り強く追跡してくる。このままでは追いつかれてしまう。竜吾の内心を恐怖心と焦燥感が同時に駆け巡っていく。


 一心不乱に突き進んでいると、ついに森を抜けた。このまま逃げ切れるかもしれない。そんな彼の淡い期待を現実は見事にへし折った。


 崖だったのだ。見下ろすと強風が吹き上がって来た。


「ガルル」

 唸り声が聞こえた。恐る恐る振り返ると、そこには口の端から唾液を垂らした魔物がいた。


 後ろは崖。前には魔物。退路は絶たれてしまった。魔物の機動力を考えれば、不意をついて逃げる事はほぼ不可能だ。


 絶望感で高まる心臓の鼓動。ざりざりと砂を踏みながら近づく足音。ついに自分は死ぬのか、そう思った。


 恐怖のせいか、体がうまく動かせなくなっていた。まるで蛇に睨まれた蛙そのものである。


「グアア!」

 魔物が雄叫びを上げて、こちらに走って来た。眼前に迫る死とともに心臓の鼓動が加速していく。


「魔物よ。立ち去りなさい」

 ふと竜吾の耳に凛とした声が入り込んだ。その瞬間、魔物の足が静止した。

 竜吾の壁になるように一人の女性が魔物の前に立った。


 竜吾はその女性を見て、息が止まりそうになった。あまりに美しかったからである。


 尖った耳と雪を欺く白い髪と肌。眩い琥珀色の瞳。端正な顔立ち。その誰もが竜吾を魅了するには十分なものだった。


「グオオオ!」

 魔物が雄叫びを上げながら走ってきた。すると女性が手を目の前に突き出した。

 手のひらに白い光が集まっていき、球体状になっていく。


「はあ!」

 女性の手から光の玉が飛ばされて、魔物に直撃した。


「ガアア!」

 相当痛かったのか、魔物がこれまでにないほど大きな雄叫びを上げた。アイナが倒せなかった魔物のこの女性が追い詰めている。目の前で起こる出来事に竜吾は動揺していた。


「まだやりますか?」

 魔物が先ほどと同じように唸り声をあげているものの、踏み出してくる気配はない。おそらく実力差を悟っているのだ。そのまま、踵を返して森に消えた。


「ふう、危ないところでしたね」

 女性はその身をゆっくりと竜吾の方に向けた。先ほどの鋭い声とは違い、優しさを孕んだような声である。


「この森では見かけない方ですね。迷い込んでしまわれたのでしょうか?」

 端正な顔が近づいてくる。吸い込まれるそうになる程、深い琥珀色の瞳と目が合い竜吾は思わず、目をそらした。


「ふふ。可愛らしいですね」

 女性が口元を押さえて、クスリと笑った。

 

「私はレティール。見た通りエルフです。ところで貴方一体、何者ですか? 凄まじいマナを感じますよ」

 エルフ。以前、アイナと勉強した際に読んだ本に書いてあった種族だ。森に住んでおり、生まれつき多くのマナを保有しているという。不老長寿で中には千年以上生きるものもいるとの事である。


「竜吾! 大丈夫!?」

 声のする方に目を向けるとアイナがこちらに向かって走ってきた。


「ごめんなさい。私がせいで」


『構わないよ』

 心配するアイナを落ち着かせようとした時、周囲の空気が急に張り詰めていくのを感じた。


「人間」

 竜吾はレティールの方にゆっくり目を向けた。先ほど竜吾に見せた穏やかな表情に似つかわしくない程、目つきが鋭くなっていた。


「貴女が私の友達を助けてくれたんですか? ありがとうございました」


「なぜ、ここに?」


「あっ、剣の修行をしていたんです。森の中から集中して修行が出来るので、そしたら魔物が現れて」


「お仲間の事ぐらい守ったらどうなんです? 私が来なかったらお仲間は亡くなっていたかもしれないんですよ。魔物がいるくらい分かっているでしょう?」


「すみません」


「まあいいです。早く街へお帰りなさい。全くこれだから人間は」

 レティールが露骨にため息をついた。アイナが罪悪感を抱いたような表情でレティールに頭を下げて、踵を返した。


「コテコテに怒られちゃったね」

 アイナが眉を八の字にして、人差し指で頬を掻いた。おそらく魔物から竜吾を守れなかった事とそれをレティールから咎められた事の二つである。


『気にしないでね』

 竜吾は彼女に慰めの文字を見せた。


 突然、爆発音が竜吾の耳に届いた。音の方を見ると、黒煙が天に昇っていた。

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