「トカゲとアイナ先生」
日も上がらない早朝、等間隔で木を打つような音が聞こえて、竜吾は目を覚ました。
音の方に目を向けると、アイナが振り子のように揺れ動く木に木剣を振るっていた。
なんて努力家なんだろう。竜吾はそう思った。
彼自身、人間だった頃は何かに情熱を注げるような人間ではなかった。
気づけば東の空から静かに陽が昇っていた。
本日からアイナに文字の書き方を教わることになった。ペンを持つことも出来たが、かなり重いからやめた。
代わりに文字を書くのは爪先にインクをつけて、書く事が出来たのでそれで代用することに決めた。
予想していたが、この世界の文字は竜吾がいた世界とは異なる表記である。
文法は日本語と同じだったため覚えるのに苦労はしなかった。
しかし、一から文字や単語を覚えていくのは辛かった。
「文字も書けて来ましたね。もし有るのでしたら、あなたの名前を教えてください」
竜吾は爪にインクを塗り、白紙に書いていく。
『石上竜吾だよ』
「竜吾っていうんだね。よろしく」
相当彼の名前の知りたかったのだろうか。アイナが満面の笑みを浮かべた。
これからは紙での対話になるだろう。当然、彼の脳裏にとある言葉が過ぎった。
『アイナ。前に言っていたマナって何?』
「ああ、マナというのは大地から溢れるエネルギー。この世界に生きる者には必要不可欠なもの。それを糧にして使用する特殊な力を魔法というの。そして、マナが絶えず噴出しているのが
この世界で生きるためには情報を収集する必要がある。
今の竜吾にとってはこれほどありがたいことはない。もしかしたら元の世界に帰る方法が見つかるかもしれないからだ。
言葉の他に色々知った。どうやらアイナは十八歳で竜吾より一つ年上である。
ここは『アレスティア王国』という国の一つだという事。
無知な自身に色々な知識を授けてくれた彼女に感謝しながら竜吾は色々な本を読んだ。生物や魔物に関する本。文献などを読んだがやはり自分がいた世界とは全く異なる。
犬や猫などの生物はいるものの、魔獣など自分が元いた世界では見たこともない生物を確認した。
しかし、元の世界に帰る術はどこにも見つからなかった。
ふとアイナの方に目を向けると一冊の本を幼い子供のように楽しそうな表情で読んでいた。表紙には『勇者アレフと龍神メノール』と表記されていた。
『何を読んでいるの?』
「これは童話。そして、私が剣を諦めない理由を生み出してくれた本」
『よかったら読んでくれない?』
「うん」
竜吾は気になったのだ。周囲から冷遇されながらも、必死に剣術に精を出すアイナを奮い立たせる根幹を作った物語。
「昔あるところに、それはとても恐ろしい魔王がいました。魔王はとても乱暴で自分に逆らう者達を酷く、嫌っていました。そこで一人の青年が立ち上がりました。青年の名前はアレフ・フリード。彼は悪行を重ねる魔王を倒すために旅に出ました」
アイナが子供に読み聞かせるような穏やかな声で話を進めていく。
「旅の途中で白雪のように白く美しい鱗を持つドラゴンと出会いました。名前はメノール。アレフは魔王退治に協力してくれるように説得しましたが、メノールは自分の住処にやってくる人間をとても嫌っていました。これまで出会ってきた人間はメノールの美しい鱗を剥ぎ取るとするコソ泥や魔泉を荒らそうとする輩ばかりだからでした。しかし、アレフは説得し続けました。するとメノールが自分に勝負で勝つことが出来れば協力してやると言いました。見事にアレフは勝利を掴むことが出来ました。メノールは勝負にかける熱意と魔王退治への思いを深く感じ、人間を見下していた非礼を詫びました。アレフはそれを許し、メノールとともに旅を始めることにしました。アレフとメノールは魔王の城に向かいました。その道中で彼を待ち構えていた無数の魔獣や魔物を討伐し、ついに魔王を退けることに成功しました。しかし、アレフは激闘の末、力尽きてしまいました。友人を失ったメノールは声を上げて泣きました。アレフの遺体は人間達に手厚く埋葬され、メノールはどこかへと消えてしまいました」
おしまい。そう言って彼女は本を閉じた。
「なんとなく察しはついていると思うけど、この勇者アレフは私のご先祖様だよ。私は彼のようになりたい」
アイナは純粋無垢な子供のような笑みを浮かべた。彼女の夢はとても立派だ。
心優しく腕の立つ人物なら勇者の肩書きを背負っても似合うはずだ。
そして、竜吾は彼女の話してくれた勇者の話に既視感を覚えた。祖父に聞いたおとぎ話によく似ているのだ。
鬼と表現されていた箇所は魔物達のことを示し、英雄の事はアレフ。
そして、龍神様は聖竜メノールに置き換える事も可能なのだ。
まさかな。竜吾は微かに疼いた疑念を内に沈めた。
「んーなんだか、外の空気が吸いたくなった。外に出よう」
『そうだね。息抜きもしないとね』
竜吾は彼女の肩に乗り、外に出る事にした。
「やっぱり外の空気は美味しいね」
庭の芝生に腰を下ろしてアイナが指を組んで、背筋を勢い良く伸ばした。
上には澄み渡るような美しい青空と燦々と輝く太陽。そして、時より吹く優しい風が竜吾の心に安らぎを与える。
「あっ、そうだ」
アイナが懐から何かを取り出した。手のひらサイズの木ノ実だった。
「よかったら食べる?」
竜吾は首を縦に振った。半分に割られた木ノ実が目の前に置かれる。
日の光に当てられて、光沢を帯びた果実は食欲を掻き立てる芳醇な香りを放っている。
この世界に来て、初めての食事である。妙な緊張感が体を駆け巡った。
「あら、姉様。御機嫌よう」
嫌味たらしい声が聞こえてきた。声の主が誰かは明らかだった。カリナ・フリード。アイナの双子の妹である。
カリナの両横には取り巻きであろう女の子も同様にアイナに見下すような目を向けていた。
「うっ、うん。アイナも元気そうね」
何か言うのでもなく、彼女たちは嘲笑うような声を上げながら通り過ぎていく。
先ほどの夢を見る少女とは違い、影を帯びていた。
『アイナ。大丈夫か?』
竜吾は彼女を心配するとぎこちない笑みを浮かべた。晴れ晴れとした天気に似合わない雰囲気が辺りに漂い始めた。
全てが寝静まる夜。竜吾は静かに星空を眺めていた。横ではアイナが小さく寝息を立てている。
昼間に見た彼女の曇った顔。実の妹とその取り巻きから浴びせられた嘲笑。思い出すたびに胸が痛み、憤りを覚えた。
気を紛らわそうと竜吾は星空を見た。この世界でも星空は美しい。
きっと向こうの世界では今頃、両親が自分のことを探しているだろう。
出来ることなら自身の安否を伝えていたいが、竜吾には伝達の手段がない。
何よりこの姿だ。仮に元の世界に戻れたとしてもこんな姿じゃあ家族に気づかれない。
そして、極め付けはこの体に備わっていた謎の力だ。
自身が力を与えた瞬間、華奢な少女が一振りしただけで地面が裂けたのだ。明らかに異常としか思えない。
その時、彼の脳裏にある事が浮かんだ。幼少の頃の夢である。
夢に出た勇者のように誰かを助けられる存在になりたいと言う高尚な願いだ。
この力を使えばそれが叶うかもしれない。彼の心に一縷の光が差し込んだ。
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