「トカゲと落ちこぼれ勇者」
「あなた一体。何者なの?」
少女が眉間にしわを寄せて、端正な顔を竜吾に近づける。竜吾自身何が起こったか、ほとんど理解できていない。
わかることは自分が傷口に触れた瞬間、彼女の傷が治った事と、自身が無自覚に彼女に凄まじい力を与えたという事だ。
「でも、ありがとう」
少女が硬い表情を解いて、にこやかに頭を下げて来た。
「私の名前はアイナ。アイナ・フリード。と言っても言葉が通じているかは分かんないか」
アイナがぎこちない笑みを浮かべた。竜吾は首を縦に振って応えた。
その瞬間、竜吾は己の過ちに気づいた。
今の自分の姿で会釈を返すのはおかしいからだ。言葉を理解できないはずのトカゲが言葉に対して返事をしない。
下手をすれば、殺されるかもしれない。竜吾は死を覚悟して、目をつぶった。
しかし、彼女が手を上げる気配はない。アイナの方を見ると、目を見開いて
驚いているようには見えたが敵意は感じてない。
「もしかして、私の言葉が理解できるんですか?」
再び、頷くと意思疎通できたのが、嬉かったのか。彼女は青空のように晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「声は出ないの?」
竜吾は喉の前で前足をクロスさせて、声が出ないことを示した。するとアイナの眉を下げ、表情が曇った。
どうやら言葉を交わしたかったらしい。竜吾自身、声が出ないという自身に対して、戸惑いと煩わしさを感じていた。
常に意志を伝えるのに言葉を使っていたので、こういう非常時にはどう自分の意思を伝えて良いのか分からない。
しかし体はトカゲになったとはいえ、思考能力は人間の頃と同じように働くのが、不幸の幸いだ。
「ならお礼として文字をお教えします」
ジェスチャーにも限界は必ず存在する。そのためにこの世界の言語を学ぶ必要があるのだ。竜吾は素晴らしい提案に同意すると、アイナは再び、口角を上げた。
この世界についてはまだまだ知らないことばかりである。文字を理解していち早く情報を集める必要がある。
両親や祖母、叔父叔母は今頃、自分の事を捜索しているはずだ。竜吾はなんとか安否のほどを伝えたいところだが今の所、手段がない。そして、何よりこの世界からの脱出方法が分からない。
「とりあえず、私の家にいきましょう」
アイナがそういうと竜吾をそっとすくい上げて肩に乗せた。地面から急に高いところに来た高低差に若干、戸惑ったものの、他の生物に食べられる心配がないと理解して安心した。
美しい月明かりの下、見るからに豪華な洋式の館があった。建物の周りには生い茂った芝生が生えており、外観もとても美しい。
木製の扉が開くと、 顎髭を生やした無愛想な中年の男とアイナに瓜二つの外見の少女が玄関に立っていた。
二人の姿を見たとき、アイナの表情が僅かに曇った。
「お父様、ただいま戻りました」
「全く帰りが遅いと思えば、また修行しておったのか?」
「まあまあ、お父様。姉様もなんとか家督を継ごうと努力していらっしゃるのでしょう。徒労に終わるとわかっていても、継続しようとするご意志には畏敬の念すら抱きます」
「カリナ」
発言からしておそらく妹だろうか、その目にはアイナに対して侮蔑や哀れみを孕んでいるように見えた。
「それもそうだな。無能なりに足掻いておるというワケか」
竜吾は腹の底から憤りを覚えた。自分の娘が努力を行なっているというのにも関わらず、心配や励ましの一言もない。
妹もそうだ。アイナに対して親しみや敬意を全く感じられない。唯一感じるのは底なしの悪意。
かつていじめられた時に加害者から感じ取った気配にそっくりである。
「さっさと部屋に戻れ」
「はい」
アイナがカリナの横を通り過ぎようとした。
「死ねばよかったのに。アンタみたいなグズ」
アイナの耳元で恐ろしく低い声で家族に向ける言葉とは思えないほどの残酷な言葉を呟いた。
しかし、アイナは何も言わず、顔を下げたまま階段を上がった。
「情けないところを見せたね」
部屋に入るなり、アイナが竜吾に苦笑いを向けた。それは森でみた優しい表情ではなかった。口の端を糸で引っ張ったような作り笑いである。
「私の家は代々、勇者の血筋なの」
勇者。なんとも勇ましい呼び方だろう。竜吾はゲームやファンタジー作品に出てくる勇猛さと優しさを兼ね備えた聖人君子が脳裏に浮かんだ。
竜吾はつくづく自身のいた世界とは違うと実感した。
「私はその中でも唯一の落ちこぼれ。だからお父様もあんな態度を接しているの。でももう慣れた」
竜吾には彼女の気持ちが痛いほど理解できた。絶望し続けると、麻痺してその環境に慣れてしまうのだ。
「お勉強は明日からにして寝ましょうか」
アイナが布団を被ると、静かに目を閉じた。
「おやすみなさい」
明日も情報集めに精を出そう。竜吾の元にもすぐに眠気がやってきて、意識が暗闇に飲まれた。
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