#4 彼方の待ち人 —2
『あなたは、ただ記憶にすがっているだけなの。記憶の中であの人を生かし続けているのよ。忘れなさい』
『そんなこと、忘れられるはずないでしょう。私の涙は、朝露に消える百合の涙のごとくもろいのです。誰にも触れられない空間の中で、あの人を想い続けるのです―』
父に初めて優しく手を引かれ、期待と興奮の渦の中、私はあの演劇を見に行った。
―—その演劇を見ているとき、父は笑っていた。
私は、有名資産家の娘だった。
私は演劇を見ている父の横顔をそっと見ていた。
笑っていた、というよりは少しにんまりとしたような表情だ。
そこに、嬉しさと、気持ち悪さという、密接した、そういう感情が巻き起こった。
演劇は、二人の女が男役と女役に分かれて、愛し合う男女を演じるものだった。
しかし、熾烈な運命を背負う二人は、互いに死のうと言い出す。
女が短剣を取り出し、男に刺そうとしている―すると、男は隠し持っていたナイフで女を刺したのだ。響き渡る女の悲鳴が、会場に響き渡った。
観客は唖然とし、口元に手をやる客が大勢居た。—父もその一人だ。
その後は、あまり覚えていない。
なぜならば―—その衝撃に、冷めやらぬ興奮を覚えた父が私の手を強引に引っ張った記憶の方が強いからだ。父は紛れもない変態だった。
その後は、女学校に転入し父とはかけ離れた生活を送っている。
私も、父も、その記憶を忘れたいからだろうか。いや、そうした方が父にとっても、ある意味良いのだろう。
「東條元麗華様」
「麗華様」
「東條元様」
私に駆け寄る男は、その名前を出してくる。
私を踏み台にして、のし上がろうとするのはよく分かっていた。
そこに純粋な愛は、無いのだろう。男はそういう生き物だと知った。それでよかった。どうでもよかった。
だから、利用することにした。かつて父が、私に母の面影を求めたように。
もう失うものなど何もないのだから。
野蛮なヤツら、は狂った猛獣のよう。かつて父の根底にあったものそのものだ。—コイツらは、外向きな紳士の仮面を持つ父とは違い―—欲そのものの原石だった。磨けば磨くほど、その鈍い輝きが私を照らしていた。
取り巻きの女たちも、ヤツらを利用していた。私を経由し、たかった金で好きな物を買う―—自分磨きもいいとこだ。そうして私達は、自分たちの欲の原石を磨いていった―とでも、思いたかったか。全く、光に盲目だった。
そして『彼女』に出会った。——清水ふみ花、彼女があの演劇の主人公なのだろう。
私の盲目の光は、彼女によって打ち消され、純粋な欲の原石を見つけた。
「まあもったいないですわ!清水さん、可愛らしいのですから。男は利用するものですのよ。ああたやすいこと。今度教えて差し上げるから、放課後いらしなすって」
教室中に聞こえるよう、いいや、仲間が来た、と子猫たちに言ってやったようなものだ。私は、ヤツらに知らせ、彼女を襲うよう命じた。
彼女の手を強引に引っ張った。これまでの誰よりも強く。
そして彼女を突き放した。猛獣の檻へ、と。案の定彼女は気を失い、猛獣のえさとなりつつあった。
―しかし、私は思ったのだ。私も父と同様—変態そのものなのだ、と。彼女を襲わせるのは、自分の弱さゆえに、父と同様だ、とも。誰かに奪われるなら、自分の手で。まるであの演劇のようだ、私は主人公を救えるのだろうか―—…
「その娘には手を出さないで…代わりなら、私が居るわ」
そう、それでいいのね。まだその輝きを放てばいい―— …ああ、変態だ。
スポットライトよ、私を照らしなさい。
「私があなたを襲わせたこと、言いふらさないの?」
翌日、何食わぬ顔で教室に入ってきたふみ花に耳打ちで問い詰めた。しかし彼女はあの時の記憶を忘れているのか、私を嗤っていた。
「清水さんは、男の方が大好きなようですわ。とんだ遊び人だったこと。」
―—これは敵の合図だ。子猫たちは毛をさかだって、目を光らせる。出ていけ、と。その合図は、学校中に知れ渡った。構わない、恐れ怯え、驚愕の瞬間を堪能する。彼女の表情が見たい…ただ、気を惹きたい。
彼女は――学校に来なくなった。
ウワサでは、御曹司と駆け落ちしただとか、引っ越したとか―言われていた。私の教室には、原石が居なくなってしまった。
そもそも、何故こんなにも彼女を見ていたのか分からない。純粋な欲を持つ彼女の輝きに触れてみたかった―?
私にはただただ疑問が残ったのだ。だが、私も父と同じで変態だという事実はゆるぎなかった。おそらく、そうありたいと思っていた。
ある、月の出る夜の事だった。
屋敷を抜け出して、彼女に逢いに行こうと思った。
いつもの口実で担任から彼女の住所を聞き―—赤色の靴で夜道を走った。
月の明かりを頼りにしながら、私は走った。
―—女学校を通り過ぎた時のことだ。ざわざわとなまぬるい風が頬をつたった。女学校の裏庭、百合の花壇—あの場所に彼女は横たわっていた。
彼女が気を失ったあの場所に、目をつぶりながら。
「清水…さん」
思わず駆け寄り、彼女の頭部を自分の膝の上に乗せた。固い花壇の土よりは、マシだろうと。彼女はすやすやと眠り、時々何かぼやいている。
彼女の顔をまじまじと見ようと、私は顔を覗き込んだ。すると、ふっと彼女の手が私の頬に伸びていた。離そうにも離せない、離したくはない。すっと頬をなでると、私の薬指を口元へとやった。私はこれ以上にない原石の輝きを見たようで――、心から変態を感じた。
月の光がかげるころ―私は、家路に着いた。道が分からなくなるのは大変だ、と。彼女を背負って、家の前にそっと横たわらせておく。
「そう、それでいいの。私のために輝きを放ってほしい―—」
そう、一言置き土産に。
―—「もう紹介してくれないの?」
アイツらはそう私にいい放った。私はその言動を無視した。
―—月が欠けている。光冷ややかに、風なめらかに頬を伝い、私達を照らす。
満月になることはない、終わりゆく時間、そう、寂しい時間だ。ああ、世界中の光が静かに私達を照らせばいいのに。純粋な輝きのままでいてほしいという願いの元、私は月が出る晩にこうして彼女と会うことにした。そうすることで、自分の変態さを、抑えようともしていた。
ある月光が雲に隠れてしまうほど暗い晩のことだ。
彼女は―清水は、あの花壇に居なかった。いつものように横たわっているわけでもない、では一体どこへ?彼女は、彼女はついにいなくなってしまったのだろうか。
「『ああ、消えて行った。私の、私のあの人は消えてしまったのです…もうどこにもいない、』」
するどい視線が私を貫いた。痛かった。すべてを見透かされ、全てさらけ出せと言われているように。その声が。
私が後ろを振り返ると、赤い眼光が光るグレーの髪の少女が立っていた。女学校の制服を着ていた―—とても美しい女だった。
「あの子を―—探している」
その美しい女は、右手に隠し持っていた刃の短いナイフを私に向けた。一瞬だ。目の鼻の先のナイフに、私はただ息を飲むしかなかった。
「…なにを」
「『あなたは、ただ記憶にすがっているだけなの。記憶の中であの人を生かし続けているのよ。忘れなさい』」
―—そのセリフには、聞き覚えがあった。
「もしあなたがここで―—いくらでも、春が過ぎて夏が過ぎて、全てがあなたを遠ざけ、通り過ぎたとしても、彼女を待ち続けるのなら、彼女はやってくるのでしょう」
美しい女は、そういって血の付いた短剣を私に渡した。
「さあ、演劇の続きを―— 早く彼女を刺してあげて」
月の光が見えなくなった。何も私達を照らさなくなった。
あなたの姿が見えない。
『なぜ私を……私に…あなたを刺させたのですか』
違った。違ったのだ。あの演劇の続き―— 女に刺したと思ったあのナイフは、男が女の手を包みながら、男自身が刺させたのだ。男自身を。
『どうかその永遠の光を、私の元で照らし続けてください――そうすればあなたの想いは永遠に私の物なのです。あなたは私を、忘れることは出来ないのです―』
もう一度あの場所、百合の花壇に戻って、私は百合を一本ずつ抜き始めた。うつくしい女にもらったナイフで、楽にしてやろうと、茎を折った。そして一本だけ白い百合の花を―—あなたを想って、残しておこうか。
あなたもまた、私をわすれることはありません。
『私は、あなたに夢を見させていました。
心地の良い夢でしたか?それはそうでしょう。
ずいぶんと長く、あなたを待っていました。気が遠くなるほど、長い月の夜でした』
再びあなたの前に現れるとき―—私はそう言うつもりです。
花は枯れ、地は轟を忘れ、生命は何度滅び、そしてまた呼応したことでしょう。
私の髪は長く伸び月の光に似合う、綺麗な色になりました。
私の眼はあなたが私を見つけやすいように、ほころびの色になりました。
私の声はあなたに寄り添うように、美しくなりました。
白い百合の花言葉を知らないあなたを、私は何度でも待っています。
こんな変態なわたしを、どうか許してください―—
「終劇」
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