#3 ある囚人の話
「世の中狂ってる、狂いっぱなし。オレここにきてやっと気づいたんだよ」
昼過ぎだろうか、多分そうだ。
看守が昼ご飯を遅れて持ってきたときのことだ。コイツと同じ牢屋に入れられて1週間たったときのことでもある。
「なんだよう、いきなり」
コイツは、ボクより先に牢屋に入っていた。ボクが牢屋に入った時、まるでココの王者みたいな、知り尽くした顔で出迎えやがった。どうせろくでもない事をしでかした馬鹿者だ。まともなこと一つ言えやしない。そんな奴だと思っていたのに。
「俺たちがバカなんじゃない。世の中が狂ってただけだ」
昼飯のパンをボクの分まで食い散らかしながら、そんなことを言い始めた。
「それはどういう意味だ?」
「だから、俺はここに居られてラッキーなんだよ。狂人たちの顔色を窺わなくてすむからな」
狂人、それはむしろコイツじゃないか。
「だから、一体どこが狂ってるっていうんだ?」
「じゃあ、今からお前にシアワセの話をしてやる。お前にとってシアワセってなんだ?」
ボクは顎に手をあてて、髪をかきむしりながら考えた。
「こんなとこに居ない人生」
ボクはコイツに反抗するように言ってやった。
「はぁ…お前も看守(ヤツラ)と同じだった」
イラついた。
「じゃあ、お前はどう思うんだよう」
すると奴はボクの分のトマトを食べながら話しはじめた。
「シアワセなんていう偽造と、…フシアワセっていう真実をぶち壊す。カチカンっていうのも、幻想に過ぎない」
よく分からないので、ボクはこっそりコイツの分のキャベツを食った。それから耳をふさいで、寝転んだ。
「おい、話しの途中だぞ」
「シアワセが何かじゃないのか?シアワセが偽造だなんて、自分まで否定されている気がするよ」
「自分を否定されたくないから、世間は頭を振ってなんとか否定されない方法を思いつく。それがカチカンじゃねえの?」
はーん。と一度は目を古びたカビだらけの天井に目を向けて、分かった気になった。が、分からないので寝ることにした。
「…それで、何が言いたい?」
「カチカンなんてものに踊らされ続けている。他人のシアワセと自分のシアワセを切り離せていない、俺はそういうやつらを狂人と言うんだよ」
「つまり、お前はこんなところに居る方が幸せだ、カチカンに踊らされないから、塀の中で、隔離されて、しずかな傍観者で居たいわけだ!」
よくわからないコイツの話を延々と聞かされそうだったので、寝転がりながらコイツが言いたそうなことを言ってやった。
「お前も狂人の影が薄まってきたか」
コイツはそう言った。それから看守がやってきて、静かにしろ、と言われた。しかしコイツは看守の目を盗んで、コソコソとボクに話しかけてきた。
「いやはや同情するよ。静かな傍観者なんてかっこいい名前を付けてくれてさ」
いや、お前に付けた名前ではないが。心の中で静かに反抗した。
「じゃあお前自身のシアワセは何だ?もちろん他人を巻き添えにしないこと」
「具体的には言えない。家族だとか恋人はいないからな、カッコいいこと言えねえんだ」
「カッコいいこと?そんなものにこだわる必要があるのか?」
コイツは20秒ほど考えて口を開いた。
「子供の頃に見せつけられたヒーロー映画にあこがれていた、なんて言いたかったわ。とにかく俺のシアワセは今ここにいること。つまり自分なりに生きてきたってことよ」
「それじゃあ静かなる傍観者は?」
「どちらかというと、五月蠅いから。オレ、声でかいだろ?静かなる、なんて俺には似合わねえ」
コイツは静かなる、の意味を十分に理解できていないようだ。
「かつてはお前も狂っていたのか?」
「そうだ。俺は狂人だったわけだ。狂ってるものは、内側からだけじゃ見えない。奴らには客観的な視点もないわけだ」
「客観的な視点がそんなに大事か?」
「ああ、大事だ。それで、必要な事だ」
じゃあ、とコイツの好きな胡瓜をバレないようにつまんでやりながら話した。
「じゃあ、お前はどこからその客観的な視点を学んだんだ?」
コツコツコツ、と看守の靴の音が牢屋の前に響いている。コイツはボクがそう言うと、パンの食べかすだらけの床を見ながらボソボソと話し始めた。
「奴だ」
コイツはそういって、奴らを指をさした。
聞けばコイツは、20年前にここに収監されたらしい。
つまり20年前からここにいるわけだ。朝も昼も夜も知らされずに。
結局コイツには客観性はないのだろう、と思う。
どうりで、と思いながらボクはカビの生えた天井を見ながら本当の狂人を見定めたのだった。
―「ある囚人の話」終—
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