第40話 ③

 帰宅してから何時間煙草を吸っていただろうか。痺れような快感と脱力感、意識はどこか遠くに行ってしまっていて気付いた時には最後の一箱を開けていた。


「嘘だろ……もう無いのか……?」


 灰皿はすでに捨てるスペースも無いほどに煙草が山のように捨てられている。我慢しようと思って一度箱から手を離したが、すぐに手足が震え口がカラカラになった。冷蔵庫の中のビールを飲み干したが、喉の渇きは悪化し、頭の中が煙草に支配されている。


 煙草! 煙草! 煙草! 煙草! 煙草! 煙草! 煙草! 煙草! 煙草! 煙草! 煙草!


「どうしたんだ? ヤバイ薬でもやってるわけじゃないのに……」


 結局、最後の一箱を開けてしまった。


「一本だけ……」

 一本だけ……

 一本だけ……

 一本だけ……

 あと一本だ……

 あと一本だ……

 あと……

 あと



 箱は空になった。



高田は絶望した。手足の震えが襲ってくる。発狂しそうだった。


「俺の煙草はどこだ!」


 カートンにはもう一箱あるはずた。床に転がった空箱を一箱ずつ確認しリュックをひっくり返して一本でも煙草が無いか探した。どこにも無い苛立ちと不安で灰皿をひっくり返し吸い殻をぶち撒けると灰皿を床に叩きつけた。

 もはや煙草のことしか考えられない。テーブルに頭を打ち付け、自分が正気なのか…生きているのか確認した。頭が割れて血が滴る。


「生きてる! 俺は生きてる!」


 痛みよりも煙草だ。


「煙草!」

「そうだ……! 久間……あいつ……あいつが一箱を持っているかもしれない!そうだ……!」



高田は高笑いをするとキッチンにある包丁を手にして玄関を飛び出した。


 高田は営業所に着くとドアを思い切り開け放った。そこには、すでに社長の蒲田しかいない。蒲田はギョッとした顔をした。


「ど……どうしたんや? 頭から血が出てるで!」

「久間は?」

「久間?」

「久間はどこなんだ!」


 社長は高田の持っている包丁に気付き息を呑んだ。


「……久間は帰ったで」

「家はどこだ!」

「落ち着け高田。救急車呼ぶからそこにいるんや!」

 

 高田は営業所を飛び出した。頭から血を流し包丁を手にして、巨体をフラフラさせながら階段を転がるように降りた。


「高田さん」


 声をかけられた高田は目をギョロギョロさせて辺りを見回した。息が上がる。苦しさのあまり口を閉じられずヨダレが口から流れ出した。


「どうしたんです? 体調が悪かったんじゃないですか?」


 久間だった。作業着で営業所を出たところの道路に立っていた。


「あはは……久間……早く出してくれ……」

「何をです?」

「わかってるだろ? 煙草だよ……! あのセブンスターの残りの一箱を!」


 高田は包丁を振り回した。刃がブンブンと風を切る。


「なぜ、私が持ってるんです」

「俺がパクったのは一箱たりなかったんだ……。それをお前は持ってるだろ? あの時、お前、取っただろ?」

「持っていません」

「ガタガタ言うな! 早く出せ!」


 高田は目玉が飛び出しそうなくらいの、形相で怒り狂っていた。顔から首にかけて真っ赤になり、汗とヨダレでベトベトになっている。相変わらず包丁をブンブンと振り回している。


「大丈夫ですか? ……って、全然大丈夫じゃないですね」


 高田は、息を荒くしてヒイヒイと悲鳴のような音を喉から出した。


「殺して奪う!」


 鼻血が滴る。血圧が上昇したからかもしれない。突然久間に包丁を振りかざして突進したが簡単に避けられてしまった。


「惨めだ」

「あ?」

「あなたは、違法なことをした上に手を出しては行けないものにまで手を出した」


 目が霞む。久間が二重に見えた。それさえも霞んでいく。高田はまわりをキョロキョロと見回して絶叫した。涙まで溢れ出す。


「煙草を! 煙草をくれ!」

「最後の一箱は亡くなった方が吸ったんじゃないですか?」

「煙草! 煙草! 煙草! 煙草! 煙草!」

「カメラでカートンを撮影したときにすぐにヤバイのはわかったんですよ。可燃ゴミで捨てようとしてたので無くなったのにすぐ気づいたんです」

「煙草! 煙草! 煙草! 煙草!」

「これに懲りて、違法なことはやめたらどうです」


 高田は久間を刺し殺そうとして電柱に激突し、血まみれで道路に倒れた。手に持っていた包丁は道路に投げ出された。


「あ、救急車来ましたよ」


「煙草! 隠してるだろ……煙草……煙草……煙草をくれ! 煙草!」


 倒れながらも目をギョロギョロさせて久間を探す。


「亡くなった方も怒ったんじゃないですか? 高田さんのような方が大切にしていた煙草を吸ったこと」


 高田は痙攣を起こした。天を仰ぎ白目を向いている。


「絶対に持って帰ってはいけないものだったんです」


 高田はそのまま痙攣を続け、泡を吐き出し続けた。

  

* * * * *


「高田! 大丈夫か?」


 蒲田が営業所から飛び出してきた。


「久間おってくれたんやな!」


 高田が救急車に乗ると、蒲田が付き添うことになった。


「病院に着いたらまた、連絡するわ」

「お願いします」

「高田……久間を探してたみたいだったけどなんやったん?」

「どうやら、昨日遺品整理に行った方の家の物を探していたようですよ」

「なんやと? 何探してたんや?」

「特別な美味しい煙草があったみたいですねぇ」


「付き添いの方、お願いします!」


 蒲田は救急隊員に呼ばれ後ろを向いた。


「悪いんやけど、事務所閉めてから帰ってもろてええか?」

「わかりました」

「あとで、またさっきの話聞かせてぇや」

「はい」


 蒲田は救急車に乗ると久間に手を振った。久間は一礼をすると営業所に向き直り歩き出して一人呆れながら呟いた。


「だからあの煙草は違法・・だと注意したのに。亡くなった方もそれを最後に吸ったのが心筋梗塞の引き金だったのでしょうねぇ」


 久間は営業所の鍵を閉めると、アンティークショップに向かって歩き出した。






                了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る