鼈甲のサングラス

第41話 ①

8月31日


 その日、相葉崇史あいばたかしは後輩である蒲田遺品整理業者の事務員の林希美はやしのぞみと飲んだ後に久間のアンティークショップに一人で訪れていた。宝生駅から店まで近いのにも関わらず、歩いているうちに残暑で汗だくになってしまい、すっかり酔いが冷めてしまった。


 宝生駅前の通りは静まり返っていて、川の方から虫の鳴き声やカエルの鳴き声が聞こえる。久間にもらった店の名刺を頼りに酒屋と喫茶店の間の石畳の道を進むと、小さなアンティークショップにたどり着いた。こじんまりとしたお洒落な店だ。相葉は窓から中の様子を伺いながらゆっくりとドアノブを回してレジ前の久間に笑顔を向けた。


「こんばんは」


「相葉! いらっしゃいませ」


 久間はレジ台を拭いたりと開店準備をしている。


「開店おめでとうございます」

「ありがとうございます」


 相葉は店内をぐるっと見回した。


「お洒落な店だなぁ」


「もともと、テイクアウト専門の珈琲店だったから、狭いのを生かして改装できたから良かったよ。広い店だと改装が大変だからな」


 久間はレジの後ろの席に座った。深緑色の着物を着ていて、いつもとガラリと印象が変わっている。店内は棚とレジのある台と椅子しかなくインテリアなんかは皆無だが暖色のライトが店内を輝かせて見せている。


「改装は自分で?」

「ペンキで塗り直しただけだけど」 

「なるほど」


 相葉は棚に目を移した。


「あ、これ、見覚えあるものもあるなぁ」

「現場で買取したものがほとんどだからね」

「今日は、林さんのお姉さんの命日に渡すものと、あと目当ての物があって……」


 久間は立ち上がり相葉の隣に立った。


「そうか。確か数年前に……」

「そう」


 相葉は棚から花のキャンドルと蝋燭の入った箱を取り出した。


「これは、どうかな? この花はアングレカムっていう花のアロマキャンドルで、蝋燭も入っているから」

「アロマキャンドルって大丈夫かな? 仏壇にそういうのを置かない人もいるだろ?」

「アングレカムは仏花としても使われているし、蝋燭も付いているから大丈夫かと思うけど。これは新品だし」

「じゃあ。それもらおうかな。あと自分の物は……」


 相葉は棚を熱心に見た。


「前に、久間が買い取りしてたサングラス。あれ、売ってる?」

「あぁ……あれね。レジ前の席でちょっと待ってて」


 久間はカーテンで仕切られた店の奥に向かうと、眼鏡ケースを持って現れた。


「これで合ってるかな?」


 眼鏡ケースを開けると、鼈甲べっこうのサングラスが出てきた。貴重な本物の鼈甲を使ったサングラスで、レンズはごく薄い茶色のグラデーションのサングラスだ。


「これ! だけど、買い取りしたときとは形が違うような……」


「耳掛けがちょっとヒビが入っててレンズは割れてたんだよ。だから、俺が買い取って細身の耳掛けに削ってレンズも入れ替えた」

「なるほど」

「元々は資産家のものだったから、太い耳掛けに丸い分厚いレンズが入ってたよ」

「いくらかな?」

「3万円です。ちょっと高級サングラスなんだけど……」 

「久間、鼈甲のメガネがいくらで売ってるか知ってる?」

「もちろん」

「定価なら30万。中古でも価値は下がらない代物を……これは安すぎだろ……」

「ありがとうございます。じゃあ、キャンドルと合わせて3万円でどうでしょう?」

「よろしくお願いします!」


 久間は保証書を付けて丁寧にラッピングした。


「ありがとうございます」

「また、来るよ。お疲れ様」


 相葉はもと来た道を帰り帰路についた。


 相葉は店を出ると終電に乗って帰宅した。相葉の趣味は眼鏡やサングラスを収集することで、ブランド物は一通り買ったと言っても過言ではないくらい収集していた。早速ウォークインクローゼットのメガネ置き場に鼈甲のサングラスをかけた。


「いいねえ」


 鼈甲の耳掛けの独特の風合いの美しさ、丸いレンズは薄く、色合いもグラデーションして輝いている。掛けてみると思った以上の高級感で大満足だ。相葉はサングラスをかけたままリビングに移動するとソファに横になった。目を閉じると居酒屋での林が浮かんでくる。酒は強いが最後は顔が赤くなってほろ酔いして可愛かったな。家まで送ったけど、紳士を装って入口前で別れた。


「今日も何も言えなかったな……」


 ふと目を開けたときだった。部屋に誰かが横切ったのが見えてギョッとした。部屋は無音で他に人がいる気配は一切感じられない。サングラスを外して部屋を見回したがやはり誰もいなかった。


「気のせいか……」


 再びサングラスをかけ直した時だった。グラスの右端に小さく誰かが映っているのが見える。


「えっ……!」


 よくよく目を凝らして見るとそこに映っているのは、自分だった。反射しているんだとホッとした瞬間、鏡に映ったようにくっきりと映った自分が空虚な瞳でこちらをぼんやりとこちらを見つめていることに気づいた。それも、高校生の時の制服を着ている。


「……っ!」


 相葉は慌ててサングラスを外してグラスを確認したが、そこには薄っすらと反射した部屋が映っているだけだった。

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