第19話 隕石のち雪



 地上にて自身の首を振り回し暴れ回るデュラハン一人に、天使たちは手も足も出ない状況が続いていた。

「有り得ない……」

 上空よりデュラハンを見下ろす一人の天使が呟いた言葉通り、使族の中で最強を誇る天使が一人の魔族デュラハンに遅れを取ることなど本来ならば有り得ない。

 だが、有り得てしまった――天使の眼下ではその有り得ない状況が普通に繰り広げられている。

 アリアを殺さんと忍び寄ろうにも、高く振り上げられる顔面が天使同様に広く戦場を見渡しているため、すぐに気付かれ優先的に排除される。

 上から下へ押し潰す攻撃のみならば、なんの問題もなかっただろう。

 だが縦横無尽に振り回される顔面のせいで近づくことは困難極まった。

 それでも命令が下されてる以上、行かねば自身の敵はデュラハンではなく、天使となってしまう。

 無駄だと分かりながら特攻しなければならない自身の命運を呪いながらも天使たちはデュラハンの元へと突撃する構えをとる。

 だが、

「攻撃中止――」

 その言葉が耳に届き天使たちは思わず、安堵の息を漏らした――。



 セキエンは首を傾げた――と言っても自身の首は現在メテオとなって出張中、傾げる首はないのだが。

 ともかく、天使たちの攻撃の手が止んだから、セキエンは怪訝な表情を浮かべた――と言っても自身の顔は現在メテオとなって出張中、浮かべる顔はないのだが。

 それもともかくとして、天使たちの攻撃の手が止んだから、不思議に思ったのだ――と言っても自身の頭は現在メテオとなって出張中、思う頭はないのだが。

 心――心で、そう思った。

 とりあえず、といった具合に天使たちの攻撃の再開もすぐにはないだろうと心で思考して出張中の頭を引き戻し、天使軍を見あげる。

 攻撃の手が止まったわけは何かと思えば、すぐにセキエンの前に姿を現した。

 天使たちの前に出て指示を出したであろう銀色の翼を持つ者。

 身に纏う雰囲気が明らかに上位であることを物語っている。

 故にセキエンは思う――なぜ後ろで見ていたのかと。

「強いのですね。あなた」

 セキエンの前に降り立ち、銀翼の女天使はそう告げた。

 聞きたいことなら多々あるが、

「なぜ先陣に立たない」

 すぐに女天使に問いかけた。

 アリアと共に戦いアリアの隣で、後ろでずっと彼のことを見てきたから、セキエンは思っている――実力を兼ね備えた者が先陣に立ち、皆を守り多くの敵を屠るべきだと。

「そうならないためですよ」

 女天使は指を指しながら言った。

 示された先に何があるのか、セキエンは見なくても分かる。

 なぜならその男を守るために、方陣を組んだ最初の位置から離れずに戦っていた。

 だからセキエンの後ろには二人の元素精霊と――アリアしかいない。

「…………そうか」

 音を置き去りにしてセキエンは動く、鎖ではなく刀に手をかけ一閃。

 首と胴を躊躇わずに切り離した――はずだったが。

「硬いな」

 首で刀を止めるその女天使の表情は余裕で満ちている。

「やはり、刀は本職じゃないようですね」

 セキエンは答えない。

 首がだめなら、そう思考をして足を払うように斬り付ける。

 ――が、やはり刃は止められる。

 そこでセキエンは止まらない。

 攻撃の手を緩めることも悪手だとそう判断して――腕、胴、頭、と次々に斬り付けては見るものの火花を散らすばかりで一向に傷を付けることすら叶わなかった。

「ふむ。どこもかしこもカチコチでござるな」

「無駄ですよ。私の鉄の魔法にて硬化していますから。あなたの地の魔法よりさらに硬く」

「皮膚を鉄に変えられるでござるか?」

「それに答える義理はありませんね」

「確かにそうでござるな」

 ――少しの沈黙が訪れセキエンは首を傾げる。

 自身の前に降り立ったものの女天使は指先一つ動かさなかったから。

(なぜ攻撃してこない……)

 そして続けて思考をする――邪眼によって心が読まれていると分かったうえで。

(……攻撃してこないのではなく、ただできないのではないでござるか? 鉄のように硬めているから。体が固まっている……)

 天使とは違い、セキエンに邪眼はない。

 だから心を読むことはできないが、行動から推察し判断することはできる。

 微動だにしない――そんなレベルではない程に女天使は動いていない。

 風が吹けば髪は揺れるもの。

 髪も揺れなければ、ピクリとも動かないのは明らかに不自然。

「どうやら当たりのようでござるな」

(やりようはいくらでもあるが……)

 どの程度かは分からないが天使にはセキエンの考えが読める。

 だから心の中で言ってもいいのだが、念のために言葉にして、

「例えば話している間、口元は柔らかくなる。違うか?」

「…………」

 天使は答えない。

 それもそのはず、答えてしまえばセキエンに口を斬り付けられることなど明白であるから。

 そして、答えなかったことで死ぬことは避けられたが、代わりのセキエンの提唱した説を事実だと告げてしまった。

 いくらでもあるやりようを実行して見せる前に、セキエンの中に浮かび上がった疑問を彼女に投げ掛ける。

「……だが、なぜ降りてきた。攻撃できないのであればそちらに勝ちも転がらぬだろうに……上にいる天使が動く様子もない。アリア殿の命を狙っているのではなかったか? 時間をかければアリア殿が直に目覚めてしまうぞ? ……時間…………時間稼ぎ。なるほど……援軍か。援軍を要請していた。と考えれば貴殿が奥で縮こまっておった理由にも納得がいく」

「…………」

 もちろん女天使は答えない。

 今唱えた説が外れていたとしてもセキエンには構わない、その時は杞憂であったと笑えばいい。

 だからセキエンは決めてかかった――直に援軍が到着すると。

 ならば待ってもいられない。

 そして、女天使が思考を読んでいるとも決めてかかり、今から彼女を殺す技を心の中でまざまざと見せつけた。



 女天使は飛び退く――翼を羽ばたかせ、上空へ。


「岩――横時雨よこしぐれ


 セキエンの詠唱と共に、メテオによって砕かれた大地の残骸が、岩の豪雨となって女天使に襲い掛かる。

 各部位を硬化し迎え撃ち、時に回避を試みる女天使であったが、自身に向かってくる岩の数が文字通り雨のように降り注いでいるため全てを捌いてなどいられない。

 だから翼を狙った岩の排除を優先的に行った。

 気が遠くなるほどに降りしきる岩の雨であったが、それでも徐々に数を減らしていく。

 いける――そう天使が判断した時、翼の裏に激痛が走る。


 頭が鎖に繋がっていないからと、翼を羽ばたかせたのが運の尽き。

 無駄の多い広範囲に及ぶ岩の雨をセキエンはわざと降らせていた。

 避けるまでもないと女天使が見逃した岩が上空にて折り返し、翼を激しく打ち付ける。

(飛行能力が下がりますが仕方ありません)

 そう思考し関節のみを柔らかいまま残して翼までも硬化し羽ばたくが、すでに手遅れ。

 折り返してくる岩もまた、雨のように降ってくるのだから、いくら鉄と言えど打ち付けられ続ければやがて砕ける。

 そして、機能しなくなった翼が動きを止め、女天使は墜落する。

 地面に激突する際は全身、鉄と化していたのだろう。

 大したダメージは負ってはいない様子。

 だけどそれで構わないとセキエンは女天使に近づいていく。

 セキエンの思考を読んで何を見たのか、今にも泣きだしそうな表情で女天使は口を開く。

「やめてください……助けてください……!」

「……その願いを貴様らが叶えたことはあるのか?」

「…………」

 俯き答えない、その姿勢は斬り付けられることを恐れてのものではない。

 答えられないそれこそが、女天使の答えであると心を読めぬセキエンにすらしっかりと分からせた。

 叶えたことなど、無い――ということを。

「その言葉を口にしたかはともかくとして。アリア殿の母君も、きっと思っておった事……それを貴様はのうのうと……」

 怒りに震えることよりも、目前に控える罪人に判決を下す。


「沈め――地殻砂牢ちかくさろう


 終身刑の言い渡し。

 斬られることを恐れてか、別の想いがあったのか、俯いたまま動かない女天使を砂が地中へと運んでいく。

 喋った時に斬ろうと思えば斬れたはずなのに地中へと誘ったそのわけをセキエンが語ることはないだろう。

 自身の技にて地中深くへと消えていった相手に対し、

「貴様らの懇願と、アリア殿の母君の願いとでは質が違う……と拙者は思う」

 セキエンはそんなことを呟きながら、いつまでも戦いの余韻に浸るわけにも行くまいと、刀を収めて上空の天使たちに視線を移す。

(しかし、援軍が来るのなら何故降りてきた。高く飛行しておけば拙者は手を出せぬと言うのに…………考えても仕方ないな。さて、どうしたものか)

 すでに問うことができない疑問に区切りをつけて、セキエンは来るか分からない援軍に対してのものに思考を切り替えた。




 上空に立つサタナキアは項垂れる。

「つまんない……」

 そう呟く彼女の前には天使が千人――いたのだが……現時点では百人を切っている。

 そして、彼女の頭上で物凄い剣幕を浮かべた天使が一人。

「死ね! サタナキア!」

 殺意を叫びながら雷を纏った剣を頭目掛けて振り下ろすものの、

「いやー」

 余裕と言った様子で、ひらりと避けるサタナキア。

「ミッちゃんだめだよー? 攻撃する前に喋ったらー。それともそういう魔法なのー?」

「ぐっ……俺はミッちゃんじゃねえ! ジィンだ!」

「えー! そんな名前だっけー?」

 指を一本、頬にあてながら首を傾げて話すその様は明らかにジィンを挑発しているものだ。

 ぐぐぐ――と唸りながら歯を食いしばるジィンを見る限りその効果は覿面だったと言えるだろう。

 怒りの感情が時に強者へと至らせる。

 サタナキアは分かってやっているのだ、自分が楽しむために少しでも強くなってもらおうと。

 だが、

「ジィン。少し落ち着け。一人で焦って突撃しても奴に返り討ちにされるだけだ」

 すぐそばで飛翔する天使が彼をなだめに入ってくる。

「うるせえ! もうあいつに九百はやられてんだぞ!」

「分かってる。だけど私たちは一人もやられてはいない」

 その言葉通り、サタナキアが仕留めた者は全員天使に生み出された天使もどきたちで、彼女は本物の天使を一人として撃破してはいなかった。

 ただ、ジィンはその事実を分かったうえで焦っている。

(やられていない? 馬鹿言うな。遊ばれてるだけだ。分かってねえのか?)

「それも分かってる。だが焦るな。直に援軍が到着する。そうなれば奴は終わりだ」

 ジィンの心を読み取り返事をする、その天使の表情には余裕を感じられるものはない。

「俺たちも終わりじゃねえのか……?」

「…………それは……分からない」

 援軍を率いてくる者の裁量によっては、天使たちは任務失敗の咎を受ける事になる。

 ジィンの言葉通り、「終わり」つまりは死刑を言い渡されることだって有り得る話だった。

 その会話を聞いていたサタナキアは思考する。

(援軍かー。めんどくさいことになったなー。誰が来るんだろー。クーちゃんなら……まあ大丈夫……かな。それ以上だと……私たちにも援軍来ないとまずいよねー)

 どの道遊んでる場合では無いという結論を導き出したサタナキアは表情を引き締めた。

「さっさとやって、みんな連れて逃げる!」

 サタナキアは動く。

 翼を大きく羽ばたかせ空を蹴るようにしてジィン――ではなく、隣に立つ天使に向かって飛翔し一気に距離を詰める。

 彼女の手には氷で出来た剣が一本、それをそのまま横薙ぎに払う。

 分かっていても避けられない。

 それほどまでにサタナキアの動きは速かった。

「まずは一匹」

 正確に敵の数を把握していない彼女には残りの数など分からない。

 ただ呟いたその言葉は全力戦闘へ移る開始の合図に過ぎなかった。

 故に二匹目――すぐそばに控えているジィンに視線を移す。

「炎でなんとかしろー!」

 すぐさまサタナキアから距離を取り、ジィンは叫んだ。

 それに応じて炎を得意とする天使たちが魔法を唱える。

 一人によって唱えられたわけではなく、大勢の天使によって行使されたその炎たちは集まり大炎となる。

 それは太陽のようにも思えるほどの大きさで、サタナキアの視界を覆い包み込む。

 炎にまもなく呑み込まれると言うのに、彼女は微笑み詠唱をする。


氷のアイス奉仕ディースト――雪化粧シュネードリリアン


 氷は火に弱い。

 なぜなら融かされるから。

 サタナキアの手に握られた氷の剣は、一瞬にして融けて消えた。

 それは、辺りに深々と降りだした雪とて同じこと。

 詠唱したのち動かない彼女をそのまま炎が呑み込んだ。

「やったのか……?」

 炎を放った天使の一人が半信半疑で口を開いた。

 今この場にいる天使たちで彼女のことを知らない者はいない。

 彼女は天使であった頃から、現魔王の直属だったのだから。

 言ってしまえばカマエル同様に自分たちの上官だったようなもので、その実力もやはり折り紙付き。

 自分たちの放てる最大火力の魔法ではあったが、仕留められたとは到底思えなかった。

 そして、

「炎を消すな! まだ生きてるぞ!」

 ジィンが再び叫んだことで、炎一点に向けていた天使たちの視界が開ける。

 雪が降り続けている。

 魔法を行使した者が死ねば、自然とその雪は消えるはずで、未だに降って止まない事からジィンの言葉通り、彼女がまだ生きていることを証明している。

 実際にはどれだけ時間が経ったのか、引き延ばされたように長く感じる時間の中で、止まない雪がさらに心を駆り立てる。

「俺たちの魔力も無限には続かないんだ……早く死んでくれ……」

 自身の手より炎を吐き出しながら一人の天使が呟いた。

 抱いた願望が口をついて出ただけのようにも思うが、まもなくその時は訪れる。

 ――降りしきる雪が止んだ。

「やった。殺した……殺せたぞ……」

 緊張の糸が途切れ、今にも墜落してしまいそうな程の脱力感に身を任せながら、その天使は喜び安堵した。

 横にいたジィンの手が肩を掴む。

 やったな――そんなことを言いたかった。



「おいお前! 起きろ! 死ぬぞ!」

 その言葉を受け、意識が覚醒する。

 そしてすぐさま絶望した。

 目の前に広がっていた光景は、サタナキアの死に喜ぶ天使たちではなく――惨状だった。

 自分は飛翔していたはずなのに地面に横たわっている。

 そして自分の周りにいる天使たちの半分以上が、切り刻まれて転がっている。

「な……なぜ……」

 彼女が生きている――そう思った。

「おい! 寝ぼけてんじゃねえ! 早く魔法で援護しろ!」

 ジィンのその言葉を受けてやっと気付く。

 眠っていたのか、と。

 そしてすぐさま魔法の詠唱をしようと手を前にかざす。

 だが、

「かっ……っ……!」

 サタナキアの握る剣に首を両断されていた。

 ジィンは自身の心に纏わりつく恐怖を振り払えない。



 数刻前――――。

 大火力の炎がサタナキアを包み込む時にその詠唱は聞こえた。

「氷の奉仕――雪化粧」シュネードリリアン

 詠唱が終わると同時に辺り一面に白い雪が降り出した。

 雪に奪われた視線をすぐさま炎の先に立つ彼女の元へと移すが、すでにそこに彼女はいなかった。

 刹那――周りにいた天使たちが次々に墜落していく。

 彼女に切り刻まれたわけでもなく墜落していく仲間を移す視界の端でジィンは彼女を捉えた。

 正体不明の技を回避できた、つまりは未だに墜落せず飛翔していられた者たちから順々に彼女は切り刻み殺していっている。

 ジィンは飛翔しているのに、彼女はわざと自分を生かしている気がしてならなかった。

(お、俺は……動いていないのに……なぜ……殺されない……)

 ジィンはそこまで思考して頭を横に振るう。

(こんなことを考えている場合じゃない。早く何とかしないと)

 そして墜落していった天使の元へと飛翔して状態を確認する。

(眠っている。だったら早く起こさないと……!)

 上空にて戦うサタナキアから視線を切って、次々と天使たちを起こして回った。

 幸いなことに揺さぶり、声をかければすぐに仲間たちは起き上がった。

「おいお前! 起きろ! 死ぬぞ!」

 そして最後の一人を起こし終えた。

 まだ頭がぼんやりしているのか、その天使は状況を理解できていない様子だった。

 だから、

「おい! 寝ぼけてんじゃねえ! 早く魔法で援護しろ!」

 視線を眠る仲間に移していたため、ジィンはサタナキアの位置を把握できていなかった。

 次の瞬間、その天使の首を氷の刃が両断していた。

 ジィンはゆっくりと空を見上げて驚愕し、目の前に降り立った悪魔に恐怖する。

 すでに飛翔する者だけじゃない。

 起こして回った仲間も含めて、誰一人としていなくなっていた。

「えー! ミッちゃんってひどいんだねー。自分は戦わずに仲間だけを戦わせるなんてさー」

 ミッちゃんじゃねえ、ジィンだ――そんな言葉は出てこない。

 ただ、自身が握る剣を地面に落として、その場にへたり込んだ。

(さ……サタナキア一人でこれ……なら八魔王が動いたらどうなるんだよ……)

「えー! 瞬殺。だよ?」

 心を読まれたことに驚くわけもなく、ただただジィンは思い返す。

 今までの自分たちの行いと、それに対する悪魔たちの対応を。

 そして、落とした腰を持ち上げる気も、落とした剣を拾う気もなく、ただ諦めた。

(どっちが悪魔だか……分からねえな)

「えー! そっちでしょ」

 はっきりと言いやがる――そんなことを言えば、というか言わなくてもどの道殺されるのだから、言っておいた方が少しは気が楽になるかもしれないのに、ジィンはその思いは胸に秘めたままにした。

 そして代わりに、

「一思いにやってくれ」

 そんなことを口にした。

「……死にたいならさ。自分で死んで?」

 は? ――その言葉も口を突いて出ては来ない。

 ただ思っただけだった。

「いやー私もやり辛いしー。そっちの方がミッちゃんには地獄でしょ? アリア様を狙うならーその時は殺してあげるけど。そうじゃないなら生きて反省! しておけば?」

 そこまで告げて氷の剣を消し「じゃあね」と手を振りアリアたちの元へとスキップで戻っていくサタナキアは援軍のことなど忘れているのだった――。


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