第5話 知る

 


 ライセは簡易拠点へ戻って早々に、セキエンの体を持ち帰る最中に抱いた疑問を投げかけた。

「そういえばアリアさんには師匠っているのか?」

「…まあ一応な」

 歯切れの悪いアリアの返事だったが、深く気にも留めずに続けた。

「やっぱりか。どんな人なんだ?」

「悪魔だ」

「まあそうなんだろけどさ、アリアさんの師匠なんだ。大悪魔どころか魔王の一人かもしれないだろ?」

「…その辺のことはよく知らないな、知りたいとも思わなかったから。ただ、母さんの知り合いだったみたいだし、当時の俺とは比べ物にならないくらい強かったからな。それなりに有名かもな」

 ライセとメイリーは唾を飲み込んだ。

 アリアより強い悪魔って魔王しかいないでしょ――二人はそう考えた。

 そしてメイリーが恐る恐る口を開く。

「ち、ちなみに、名前とかって聞いてもいいのかしら…」

「ん?確かリリスにはベリアルって呼ばれてたかな」

 メイリーの悲鳴が家の中に響いた。

 ライセは「うおおおおお」と言いながら何もない場所を切り裂いている。

 セキエンは満身創痍で倒れているため、よくわからない。

 とりあえずの問題はウニだった。

「ア、アリア! リリスって誰ですか! 女性ですか! どど、どういう関係なんですか!」

 そっちかよ――アリアは心の中でツッコんだ。

 アリアの肩を盛大に揺らしながら叫んでいる。

「ウ、ウニ落ち着いてくれ。女性だが、ただの知り合いだ。…いや、ただの知り合いではないか」

「いやああああああ! では、特別な知り合いなんですね! ど、どこまでですか! ど、どこまでしたんですか!」

「え、なにを…」

「いやああああああ! とぼけようとしてるうううう!」

 元気溌剌はつらつのウニさんだった。

「ま、待ってくれ! とぼけるってなんだ! リリスはベリアルと同じ師匠みたいなものだよ! そ、それに俺はウニだけを! あ、あ、あいす…うおおおおおお!」

 アリアは立ち上がり、ライセと同じく何もない場所を斬り始めた。

 その場所は、めちゃくちゃだった。

 アリアとライセはくうを切りつける舞を踊り、メイリーとウニは何かしらの叫びを思わせる表情だった。

 ただ一人、落ち着いているセキエンだけは、その状況を楽しんでいた。


 十分後、セキエンを除いた四人は皆一様に頬を赤く染めていた。

 落ち着きは、ある程度回復した代わりに恥ずかしさが込み上げた四人は、誰から言うでもなく膝に顔を隠して座っていた。

 沈黙――静寂がその場を包み込む。

 このままではらちが明かない、そうしびれを切らせたセキエンが口を開く。

「拙者の師匠の話に興味はあるでござるか?」

「ない」

「ないな」

「ないです」

「ないですね」

 アリア、ライセ、ウニ、メイリーの順にセキエンの問いかけに答えた。

 結果、セキエンは泣いた――――。

「いや、あるぞ? あるけど今はないって意味だ。なあ皆」

 アリアは、しくしくとすすり泣くセキエンの姿に心を痛め、すぐさま補足した。

 三人は大きく頷くと、慌てて各々の言葉でセキエンを宥めた。

 少ししてから、なにやら可愛げな声でセキエンが話す。

「ホントに? 拙者の師匠の話に興味ある?」

「あ、ああ」

 キモチワルッ――アリアはそう思ったが、その想いを必死に抑え込み、引きつった顔を悟られぬように返事をした。

「あれはまだ拙者が…」

「いや、さっきも言ったが今はいい」

「なんでござる、なんでござる。聞いてくれる流れでござったろう!」

「それとこれとは話が別だ」

 アリアは平坦な冷たい口調でセキエンの話を遮った。

 一応はセキエンのおかげで皆、落ち着きを取り戻し、一呼吸おいてメイリーが話を戻した。

「しかし…魔王アスタリアの息子が魔王ベリアルの弟子だったなんて。世界がひっくり返るような衝撃的な事実ですよ…」

「それはいくらなんでも、大げさなんじゃないか?」

 メイリーが表情に微かな怒気をはらませて、アリアに告げる。

「アリアさん。魔王ベリアルですよ、ベリアル。聞いたことないんですか?」

 グイグイと身を押し込んでくるメイリーの圧に、アリアは身を引かせながら答えた。

「さ、さあ。俺はウニとセキエンとしか基本話して来なかったから…ウニたちは知ってるか?」

「はい、その名前は聞いたことがあります。名前以外だと…謎の多い男。とかですね」

 謎の多い男――アリアはベリアルを思い浮かべ、確かに。

 そう思った。

「アリア殿、ベリアル様は魔族の二本の柱である心を担っておる存在でござるよ」

「二本の柱?心となんだ?」

「もちろん体でござる。精神的せいしんてき支柱しちゅうベリアル。そして神体的しんたいてき支柱しちゅうルシファー。この二人の魔王のどちらか一人でも欠ければ、魔族は総崩れになると言われているでござる」

「ふーん」

 興味の薄そうな返事に、メイリーは深い溜息をもらす。

「アリアさん。そんなすごい方から直に修行を受けていたんです。天使が知ればこう考える者も出てくる…第三の支柱になる前にその芽を摘み取らねば。とね!」

(キャラが変わってる、こんな子だっけ?)

 アリアはどこまでものんきであった。

 あ、聞いてないなコイツ――メイリーはしっかり理解していた。

「まあ、いずれ知られることなんだ。別にいいよ。探す手間も省けるしな」

「探す? 天使を探してるのですか?」

「ああ、言ってなかったな。俺の旅の目的は殺された街の皆の仇討ちだ。だからあの場に攻めてきた天使を探してる」

 何でもない事のように話すアリアにメイリーは絶句した。

 メイリーは言葉が出ない代わりに必死に身振り手振りで感情を伝えようとしたが、アリアは首を傾げるばかりで全然理解してくれない。

 深呼吸を三回して「あ、あー」と声が出ることを確認するとアリアは告げた。

「自殺行為です! やめてください!」

「やめないよ。それで死ぬのならそれでもいい。じゃなきゃ俺が納得できない」

 即答。

 メイリーはアリアの表情と、その言葉を受けて言葉を返せなかった。

「自殺行為…か。もしかして知ってるのか? 誰がやったのか」

 メイリーは口を手で押さえながら首を大きく横に振った。

(まあ知ってても言えないか…)

 アリアはそう思い至り――聞かないから安心してくれ。

 そう告げた。

「メイリー、ちょっと外に出ててくれ」

 ライセが自身の雰囲気に重たいものを纏わせて、メイリーに告げる。

「ちょっと! 言う気? せっかくアリアさんが聞かないって言ってくれたのに」

「俺は使族の身で、今まで散々天使様に守られ責任をなすり付けてきたが。今はアリアさんの味方だ。今から俺たちの国を救ってくれようとしてるんだ。何の見返りも求めずにな。だから俺は誠実でありたい。もちろん俺のままにメイリーを巻き込むつもりもない。だから外に出ててくれ」

 ライセの言葉にアリアは驚き、ウニとセキエンは微笑んだ。

 メイリーはその場を行ったり来たりを繰り返している。

 そして腹を括ったと言わんばかりに「どしんっ」と勢いよく座った。

 その様子からは王女らしさなど、下手をすれば女性らしさすら感じられないほどの格好良さに溢れていた。

「いいわ、話す。だけど、アリアさん約束して。死なないで、死んでもいいなんて思わないで」

「別に言わなくてもいいのに…なんなんだお前ら」

 アリアは嬉しかった。

 アリアは母親が死んでから独りだった。

 だが、ウニとセキエンと出会い独りが三人に、そしてメイリーとライセが現れ五人へ。

 自分を心配してくれる存在が五倍へ。

 気を抜けば泣いていただろう。

 アリアは堪え、約束をする。

「分かった。死なない。死なないように頑張るよ」

 その言葉にメイリーとライセの二人は顔を見合わせ笑う。


 そしてまずはメイリーが話し始めた。

「十年前、お父様。国王メルド・フィリアが天使様と話しているところを偶然、聞いたの。毎日のように起こる戦争の話に興味はなかったけど、国王が話している相手の声は自国の守護天使であるラファエル様のものではなく男性のものだった。不思議に思った私は、その場にとどまって話を聞いたわ。その内容は、魔族領域の大国ディアリスヘルンに攻め込むから、この国の人間からも人員を出せ。そういう内容だった」

 ライセが続ける。

「俺には年の離れた兄がいる。名前はトリオン。トリオンはその戦争に参加して生きて帰ってきた。だからこれは兄から直接聞いた話だ。その戦争に参加した人間は、周辺三ヵ国からなる合同軍で、その数は百万。…ありえないと思ったよ、そんな馬鹿げた数。トリオンは言った、見渡す限り人間で埋め尽くされ、何が何だか、自分が今どこを歩いているのかすら分からないって。そしてその上空に天使の兵が五万ほどいたらしい。目算だから正確ではないけれど五万は確実だってそう言っていた」

 また、メイリーが話し始める。

「国王と話していた天使こそが、その軍の指揮官。そ、その天使の名前はミカエル。大天使ミカエル」

「そして、ミカエルを支える二対の副官、カマエルとクシエル」

 そしてメイリーが話を締めくくる。

「アリアさんのお母さま、アスタリア様と対等に戦えるのは恐らくこの三天使だけ。なぜ、ディアリスヘルンだったのかとか、そういう理由は分からないけれど。これが私たちが知る、あの戦争のいきさつよ」

 アリアは黙って思考していた。

 百万の人間、五万を超える天使。

 国を滅ぼせる規模で仕掛けておきながら国は、土地は取らず、魔王の一角、母を殺して撤退した。

 だが、そんな謎は今はどうでもいい。

 仇の明確な情報が手に入った。

 ミカエル、カマエル、クシエル。

 アリアの中で誰にも気付かれず揺らぐ火は、その熱量を増して炎へ。


「アリア、大丈夫ですか?」

「ん? ああ、大丈夫だ。ウニ」

 話が終わっても、ずっと黙ったままのアリアに、ウニが声をかけた。

 アリアは意識を引き戻し返事をすると、メイリーとライセを見た。

「メイリー、ライセ。ありがとう」

「アリアさんの役に立てたのなら光栄です」

 そう言って微笑むメイリーを見て、アリアが照れを見せながら話す。

「今更だけど、アリアさんはやめてくれ。アリアでいい。こっちは最初から呼び捨てだったしな」

 メイリーとライセは驚きながらも嬉しそうに答えた。

「アリアが、そう言ってくれるのであれば、お言葉に甘えるしかありませんね」

「ああそうだな。これからもよろしくな! アリア」

「それでは、拙者もお言葉に甘えるでござるよ。アリア」

「調子が狂うからお前は殿をつけろ」

「それでは私はアリア様と呼びますね。アリア様」

「珍しくウニがボケた!」

「いや、これは割と本心が混ざっておるでござるよ」

 確かにここにある幸せを五人は心通わせ共有し、高らかに笑いあった。

 

 使族領域のとある国の熾天宮してんきゅうにて――。

 天窓より差し込む光が、炎のように赤い髪を際立たせ、その天使ミカエルが告げる。

進捗しんちょくは」

「はっ。メイルシュトロム、アンティアキア共に予想通り、縦深防御じゅうしんぼうぎょを徹底しており、敵戦力の被害は甚大です。ですが、こちらの犠牲者の数も凄まじいものに…」

「構わん、続けろ」

「はっ」

 ミカエルは従者が去り一人となった、その場所で上着を脱ぎ捨て上半身をき出しにする。

 そして、背中に意識を集中させ『純白』の翼を広げた。

 薄く笑みを浮かべたミカエルは、呟く。

「…動け、ルシファー」

 その独り言はやがて消える。

 天窓より差し込んでいた光は、いつの間にか空を覆う雲に隠されていた。

 今はミカエルを静寂だけが、ただ包み込んでいる――――。


 メイリーとライセはセキエン指導の下、修行を再開していた。

 セキエンはノリノリである。

「さあ、二人とも。休んでる暇はないでござるよ! メイリー殿、その手に持つゴミは捨てて! 次を作るでござる! ライセ殿、イメージはフラフープでござる! もっと腰を回さないと落ちるでござるぞ! そうでござる、そうでござる、いい感じでござるなー!」

 セキエンは、どこからともなく取り出した鎖を鞭のようにして地面を叩きつけ、教官のごとく振る舞っている。

 ござるござる、うるせえ――教官とは関係ないことに二人は限界を感じていた。

 ござるのゲシュタルト崩壊を起こしかけているライセは恐る恐る口を開いた。

「セキエン、アドバイスはありがたいが…」

「そこ、私語は慎むでござるよ! スパルタでもいいと言ったのはそっちでござる! やめるでござるか!? 拙者はいつでもやめていいでござるよ!」

「い、いやそうじゃなくて。ござるを控えめに頼む」

「ござるでござるか?」

「あー! もういい!」

 無になろう――そう決めたライセであった。


 アリアとウニは近くを流れる川まで来ていた。

「ウニの次の訓練は自然が生み出したものの操作だ」

「はい、頑張ります」

 魔術によって生み出されたものと、自然が生み出したもの。

 含まれる魔力は自然によって生み出されたもののほうが著しく低い。

 それに伴い、魔法で操る難易度は著しく高くなっている。

「とりあえずやってみるから、そこで見ててくれ」

 アリアはそう言うと川から少し距離をとった。

 そして川に向けて右手を伸ばす――無論、届いてはいない。

「どうしようか…じゃあ、上昇――止まれ――丸――ドーン」

 ウニは目を丸くして見ていた。

 上昇で川の水が引っ張られたように上に上がり、止まれでその動きを止めた。

 丸と唱えたら引っ張られた水が丸く集まり、ドーンと言うと花火のように飛散した。

「あ、あの。今のは…」

「あー言葉は適当だ、頭の中でイメージさえできていれば言葉は何でもいい、というか必要ない…いくぞ――」

 アリアは終始、無言だった。

 だが、水は持ち上がり止まり丸くなりぷかぷかとウニに近づいていき弾けた。

 ウニに弾け飛散した水がかかる。

 アリアは笑っている。

 ウニは「もー」と頬を膨らませているが、纏う雰囲気は楽しげである。

「――悪い悪い。まあ、言葉にすることで音を発し、耳から取り入れ、頭の中で反芻はんすうする。そうすることでイメージが固まりやすくなるわけだな。だからウニも初めは自分の言葉で練習すればいい。さっきみたいに『ぷかぷか』とか、言葉で表現しにくい動作とかどうすんだって話のためにやって見せただけだ。そういう時以外は唱えたほうが効率はいいよ」

「ふむふむ。勉強になります」

「まずは水と手をつなぐ。その後は、上昇と停止だな。これが案外難しい、というか重たい…」

 ウニは手を川に向けたまま唸っている。

「その水は手だ。そう思い込め―」

「そ、そんなこと言われても…」

 アリアはそのウニの様子に見惚れていた「うー」と唸るウニが可愛すぎたためである。

 そのウニがパーッと表情を明るくさせた。

「あ、ありました!」

(やっぱりウニは呑み込みが早いな。さすがだ)

「可愛い、好きだ」

 はっ――として我に返る。

 ウニはその顔を真っ赤に染めている。

 思っていることを言葉に出し、言葉にすべき感じたことを思ってしまった。

 アリアは取りつくろう言い訳を必死に探した。

「…あ、ありがとうございます。嬉しいです」

 ウニの言葉を聞いて、アリアはあたふたするのをやめた。

 もう言ってしまったのだ。

 そしてメイリーのある発言を思い出し覚悟を決めた。

(ところでアリアさんとウニさんはお付き合いをされているのですよね?)

 ウニはなにやら覚悟を決めたような様子で近づいてくるアリアをチラチラと見ることしかできなかった。

 そしてあと一歩、というところまで近づくと一呼吸おいて尋ねる。

「う、ウニはどう思ってるんだ? 俺のこと」

 分かってはいる、ウニはサキュバスではないのだから今までの言動でその気持ちに嘘はないと確信もしている。

 だが、アリアはウニに好きだ、とちゃんと口にしたのは、先程が初めてで、ウニからは実のところまだ一度もない。

 ちゃんと言葉を聞いてから告げよう。

 そう思っての問いかけであった。

「わ、私はずっとアリアのこと…愛しています。今もこれからも」

 見つめあう二人。

 ウニの肩にアリアの手が触れる。

 ウニは緊張した様子で目を閉じた。

 早鐘のごとく脈打つ心臓。

 ドクドクとお互いの鼓動が騒がしい。

 唇の接触まで――――あと一秒。


「アリアどのー! 聞いてくだされ―!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおお」

「きゃあああああああああああああああ」

 アリアは華麗なドラミングを披露し、ウニは両手を上げ、お尻に火をつけられたかのように駆け回っていた。

 セキエンはその二人に狂人の意を見た。

 のちにセキエンはこう語る。

「ええ、あれはまさしく狂人、バーサーカーでござった。二人は水を操る訓練のはずが、一人は胸筋を激しく打ち付け、もう一人は凄まじい速度で走り回り下半身を苛め抜いておられた。魔力だけでなく体力まで。限られた時間の中、おのが成せる最大限まで鍛えぬく心意気には感服せざるを得ない。だが、やり方は考えたほうが良いでござるな…」

 そこから数時間、セキエンはアリアとウニに口をきいてもらえなかったという。

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