第12話 未知のコンピュータウィルス
椿さん以外にも、人間そっくりのアンドロイドは開発されている。それは見かけだけでなく言動も人間そっくりなのだ。ただしそれは、膨大な感情表現のパターンからAIが最適なものを選択しているだけで、感情を持っている訳ではない。これまでの話を総合すると、目の前にいる椿さんは意識体の宿っているアンドロイドということになる。
「じゃあ椿さんは、日本で唯一、いや、世界で唯一の意識体を持ったアンドロイドなんですね」
俺の言葉に頷き椿さんは立ち上がって「えっへん」と胸を張る。
「そうなのです。私は地球上で唯一無二の存在。意識体を持つアンドロイドなのです」
プルプル揺れる胸元が悩ましい。意識体とか、その存在すら曖昧な概念を堂々と持っていると言い放つ椿さんである。その意識体とは、人間で言えば魂に該当するのだろう。つまり、感情を持っているという事になる。
「だから椿さんは人間らしいと言うか、人間そのものって感じなんですね。だからそんなに魅力的なんだ、そうかそうか」
妙に納得してしまう。すると椿さんはしゃがんで俺の右手をつかみ、上目遣いで見つめてくる。
「嬉しい。それ本心なの?」
そう問いかけてくる椿さんに力強く頷く。
「もちろん本心ですよ。先ほど映画を見てたんです。ローマの休日って古い映画だったんですが、主演のオードリー・ヘップバーンよりも椿さんの方がよっぽど魅力的だなあって思ってました」
キャーキャー言いながら椿さんが抱きついてきた。
「ホントにホントに! あの大女優より私の方が素敵って、魅力的って!」
「椿さん落ち着いて、興奮しないで。確かに、俺は椿さんの事が好きになりましたよ。昨日は何と言うか、いきなり来られて半信半疑だったのですが、今は心の底から大好きです」
「うわぁーい!」
今度は俺から離れ、飛び上がって喜ぶ。激しく揺れる胸元から目が離せない。鼻血が抜けるんじゃないかって程、顔が熱くなっていた。
「私達、両想いですね」
「はいそうです」
「きゃー!」
そう叫んで椿さんが抱きついてくる。俺も彼女の背に手を回して抱きしめた。この柔らかい感触は病みつきになりそうだ。
「ところで一つ気になる事があるんですけど」
「はい。何でしょうか?」
「俺の事を好きになってくれてものすごく嬉しいです。でも、いつからなんですか。俺の事、どうして知ったんですか?」
俺の質問に答えられないのか、椿さんは俺から離れてくるりと後ろを向いた。
「ごめんなさい。今は言えないの」
「どうして?」
「秘密なの。そのうち、正蔵さまの準備が整えばお話しできると思います」
体よくかわされた格好になった。しかし、詳しく話されても俺自身が理解できないかもしれない。そしてあの、獅子の獣人と黄金の女鹿の事も気になる。
「あっ。正蔵さま。楽しい時間もここまでです。そろそろ講義が終わりますね。教室へお戻り下さい」
その一言を聞いた瞬間、俺は教室にいた。映画の上映が終わりカーテンが開かれる。照明が点灯し部屋が明るくなった。
目が眩んだ。何かレポートでも提出させられるかと思ったが、そのまま解散となった。こんないい加減な講義があって良いのかと疑問に思うが、個人的には大賛成だ。次回はスターウォーズシリーズを希望したい。
トイレをすませ自動販売機で買ったコーヒーを飲む。次は経済原論だ。こいつを落とすと卒業できない難関講座である。専門課程の講義なので、椿さんがついて来るのは流石に不味い。俺はその事を椿さんに説明した。彼女は頬を膨らませてムスッとしていたのだが、ここは納得してもらうしかない。
椿さんと別れ、経済学部へと向かう。講義室の真ん中に陣取って気合いを入れた。最近はやる気が皆無だったのだが、今は違う。椿さんと出会って心根が変わったのだろうか。このやる気が溢れてくる感覚は不思議だった。
しかし、残念なことにそのやる気も30分しかもたなかった。大いなる睡魔に襲われ、俺の理性はあっさりと陥落してしまった。
俺は再びあの公園にいた。今度は池のほとりのベンチに腰かけている。隣には椿さんが座っていた。
「あら。また私に会いに来てくれたんですか? 講義の方は大丈夫かしら」
「大丈夫じゃない気がします。やる気になってたんですけど、途中で意識を失ったようです」
「意識を失ったとか大げさですね。ただの居眠りなのに」
「あはははは。面目ない」
「夜間のバイトはもうお辞めになった方がよろしいのでは?」
「そうですね。そうします」
「良かった! それでは私とイチャイチャしながら勉学に励むことができますねっ。ねっ!」
女性とイチャイチャしながら勉学に励むと言うのはどうなのだろうか。励むよりは疎かになるような気がするのだが、彼女には関係ないようだ。こんな他愛もない会話でもニコニコと笑顔を絶やさない椿さんだった。
「ところで正蔵様、携帯の電源は切ってますか?」
「ああ、俺は講義に出るときはいつもオフにしてるよ。どうかしたの?」
「今、大学内で不審なウィルスが蔓延しているようです」
「それってペストとかの伝染病かな?」
椿さんが言っているのは、コンピュータに悪影響を及ぼすソフトウェアの事だろうが、わざととぼけた返事をしてみた訳だ。彼女は笑いながら俺の肩を叩いた。
「いわゆるコンピュータウィルスの事ですよ。分かっててとぼけるんだから。それに、ペストはペスト菌による感染症で、ウィルスではありません。細菌ですからね。間違えると恥をかきますよ」
人差し指を立てて横に振る。それはダメダメですよ〜のゼスチャーだ。
「大学内が混乱してきましたね。そろそろお戻りになってください。携帯の電源はオフのままで」
「ああ」
「タブレットの電源も入れないで」
「わかった。気を付けるよ」
不審なウィルスとは何なのだろうか。通常のコンピュータウィルスはメールの添付ファイルを開いたり、何か動画などのファイルをダウンロードした際にくっついてくるものだ。感染防止のため、携帯電話やタブレットの電源を落とさなくてはいけないウィルスなど聞いたことがない。まさか空気感染のように、携帯電話やWi-Fiを通じて感染していくのだろうか。
とまあそんな事を考えてみたものの、俺は文系でありコンピュータウィルスに詳しいわけではない。実際、感染経路を技術的に説明されても理解する事は難しいだろう。
気がつくと俺は講義室にいた。30分ほど眠っていたようだ。周辺がざわついている。講義室内では他の学生連中が、携帯が繋がらないとか、ノートPCが勝手にダウンしたとか、そんな事をこそこそと話し合っている声が聞こえる。外でも繋がらないとか、動かないとかの話し声が聞こえる。講義が終わる時間になってもチャイムは鳴らなかった。教官は講義終了を告げると足早に出ていった。研究室のPCでも気にしているのだろうか。
椿さんの予告通り、何やら怪しいウィルスが様々な端末に感染し悪さを始めたようだ。携帯電話、パソコン、学内の設備など、全てがダウンして稼働しない。校舎から外に出ると人だかりができていた。覗いてみると、その中心には椿さんがいた。
「君、学部はどこ。山大でしょ」
「他所の大学?」
「写真撮っても良い?」
十数人の男子学生に囲まれている。何人かが写真を撮ろうとしてスマホをいじくっているのだが、正常に機能しないようだ。皆おかしいとか動かないとか言っている。写真が撮れた奴は一人もいない。
椿さんは俺を見つけると走ってきた。いきなり腕に抱きつき、いかにも恋人同士だという態度をとる。
「綾瀬じゃないか。お前、彼女と付き合ってるの?」
「名前教えてよ」
「スリーサイズも是非」
特に親しくもない連中だったので、適当にあしらいその場を離れた。
「椿は寂しかったのです。心細くて心細くて、涙が溢れて止まらなかったのです」
「ごめんね」
「仕方がないですけど、なるべく講義にもご一緒しますから。聴講生の許可を取ります」
「えーっと。そんなこと可能なの?」
「可能です。コネを使って捻じ込んで見せます」
どんなコネがあるというのだろうか。この辺も謎なのだが、この大学にも綾瀬重工の影響力は大きいらしい。
大学を出たのだが、道路は思いっきり渋滞しており、車は全く動かない。自転車だけがすいすいと元気よく走っていた。
「うーん。ソフィアさんに迎えに来てもらおうかと思ったのですが、ここまではこれないみたいですね。歩きましょう」
「はい。ところで新居はどちらで?」
「黒川です。大学から西へ三キロほどですね。少し古い戸建て住宅を確保しています」
驚異的な手回しの良さだ。俺と椿さんは肩を並べ、渋滞している道路を眺めながら歩道を歩いて行った。周囲では大変な事が起きているのだろうが、俺は椿さんとデートでもしている気分になっていた。こんなにウキウキしたのは久方ぶりだった。
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