第三章 【エピソード1 狂った日常】
2021年2月1日 午後5時
人材派遣会社ビブリオ 本社
高梨美佳
もう2月か。1月はいろんなことがあって、あっという間だった…
それにしても、周りの環境も随分変わった。葵ちゃんを救出してひと月あまり、今週中にはギブスも取れるし、まだ以前のように自由自在とまではいかないが日常生活はなんとか送れるほどに回復してるし。後は整骨院の先生のもと何不自由無く動かせるまでリハビリを頑張るだけだ(葵ちゃんがだけど)。そろそろウィークリーマンションも引き払えそうだ。
堀田さんは……松木と3日かけて、出来るだけ細分化し、その後2台のミキサーをフル稼働して(廃校には電気が通ってないので業務用のポータブル電源を松木に買わされた。自分は一切金使わないやつムカつく)近くの公園を周り少しずつトイレに流して廃棄した。半分は松木が、『公園巡りなんて面倒ぉ無理〜』てことで自分のアパートのトイレで処分したと言っていた。
当初は感じていた堀田さんへの罪悪感も日々の忙しさの中、薄れつつある。そればかりか、堀田さんのやり残した業務をしている時、なんで私がやらなきゃいけないの!と怒りを覚えることすらある。やはり私も少しずつ狂っていっているのか。
早藤さんの話しでは、警察は堀田さんの失踪は事件性無しということで、一般家出人として処理したようだ。婚約者は堀田さんの捜索をまだ諦めきれず単独で堀田さんの痕跡を今も探しているらしい。可哀想な人だ。
そうそう、早藤さんも今月末で退社することにしたようだ…残念だが、こんな会社居たくないと思う気持ちは充分理解できる。
松木はというと、結局東京から千房が帰ってくる1月25日まで休み(まったく何を考えてるんだか)その間、紫花女学院高等学校の業務は事実上、停止した状態で学校側の怒りは凄まじく…今日から紫花女学院高等学校のある隣県に3月末まで出張させることになった。松木が2ヶ月行ったところで状況が良くなるとは到底思えないが一応体裁を取り繕うためだ。水田という派遣パート社員も全く使えないしポンコツ2人で更に当社の評価を下げることは間違いない。紫花女学院高等学校との契約は今年度をもって解約されるだろう。我が社の社員もどんどん減っていってるので今の数の業務はこなせなくなるだろうから、これはこれで仕方ない。
私はというと…今人生で1番幸せなときを過ごしている。千房だが、東京に一人置いて行かれたことが相当寂しかったのか、はたまた私は自分で気づかなかっただけで実は美人で魅力的な女だったのか…理由はわからないがその千房が私にメロメロなのだ。クズで糞で最低人間で大嫌いな男だったが…こうなってくると話しは別だ。ダメなところも可愛く見えてくる。今は千房のアパートで半同棲状態だ。へへっ
しかし…松木という勘違い殺人鬼が身近にいるので決して誰にも気づかれてはならない!細心の注意を払わなければ……しばらくは松木が本社に出社することも無いから、その間に何か策を練らなければ。
2021年2月5日 午前11時
IS整形外科医院
「堀田さん、どうですか?動かすと痛みは酷いですか?」
「……はい。痛いです」
「焦らず、ゆっくりリハビリしていきましょう。大丈夫、ちゃんと動くようになりますよ」
「はい。ありがとうございます。先生…実は私…来週くらい…引越すことになって…リハビリには通えないんです」
「えっそうなんだ!わかりました。ではこの後、自宅でできるリハビリを指導しますね。診察はこれで終わりです。車椅子は受付に返して下さい」
「はい。ありがとうございました」
無事バレずに終わった…よかった。ここでバレては計画が台無しだし。
久しぶりに自分の足で歩くわぁなんか感動!すっごい痛いし超ゆっくりしか歩けないけど、痛み我慢すれば何とかなりそう。さあ帰ろ!
今から私が帰るのは高梨家だ。3日前から、当面の間、高梨家で世話になることになった。ウィークリーマンションは近々引き払うらしい。私は高梨母にひと月近くお世話をして貰い、その優しく穏やかな人柄に癒されすっかり懐いてしまった。お母さんとはこういうものなのか…と初めて実感した。というのも私に母親はいない。産んだ女は確かにいたようだが、もちろん記憶には無い。それどころか私には戸籍も無い。
物心ついた時には70歳くらいのおばあさんと2人で生活していた。
N県の寂れた山村の打ち捨てられた家屋での自給自足の生活は決して楽なものではなかったが、おばあさんは優しく、多くのことを教えてくれた。学校に行くことは出来なかったがおばあさんのおかげで今も無知で困るということはあまり無いように思う。
そのおばあさんが2年前の冬に死んだ。月に1度だけ町に買出しに行くのだが、買出しから帰った夜に具合が悪くなり2週間ほど寝込んだ末、ある朝冷たくなっていた。私はほんの少し泣いて、家の裏に穴を掘り、おばあさんを埋め大きめの石を置いて目印とした。
おばあさんは寝込んでから私との出会いをぽつりぽつりと語ってくれた。
およそ15年前の桜が咲く頃、1人の女がおばあさんの家の戸を叩いた。その女はかなり憔悴し怪我もしている様子だった、しかも身重のように見受けられたので、おばあさんは家で休ますことにした。女は自分は追われている、少しの間匿って欲しいと言い『葵』と名乗った。おばあさんは怪我が治るまでならと、『葵』を匿うことにした。しかし『葵』はその夜産気づき、苦しみ抜いてようやく私を産み落とした。おばあさんが赤ちゃんの世話をするのを見て安心したのか「ありがとうございます……」と呟き眠ってしまい、それきり目を覚まさなかったそうだ。おばあさんは家の裏に『葵』を埋葬し、赤ちゃんに母親と同じ『葵』という名前を付けて育てることにしたそうだ。
このような経緯で私には戸籍も無く、母親もいない。今思えばおばあさんも何らかの犯罪に関わり、逃亡潜伏していたのだと思う。だから『葵』を病院に連れて行くことも、自分が病院にかかることも出来なかったのだろう。また私を公的な機関に預けることをせず、自ら育ててくれたことも、そのような事情からだと思う。
それでも、赤の他人の私を一生懸命育ててくれたことに心から感謝している。
おばあさんが亡くなってから私はしばらく一人で今まで通り生活していたが、ふと人恋しくなり、おばあさんが死ぬ前に「町に行くときはこれを持って行くと欲しいものと交換してくれるから」と教えてくれた『金』を少し持って町に出た。1週間ほど毎日町に行き、いろんなところを散策し学んだ。お金の価値や使い方を覚え、洋服や化粧品を購入し準備を整え、土の下に眠るおばあさんに別れを告げ残り全てのお金をもって家を出た。おばあさんのお金は残り200万円ほどあったので一人で生きて行く準備には充分だった。死ぬまで細々とでも食い繋げる程の金額を所持していたことから考えても、やはりおばあさんはお金絡みの犯罪に関わっていたのではないだろうか。
それからは20歳と嘘をつき、住込みで、できる仕事を転々とし、スナックホワイトに行き着いた。そんな折、今回の一件に巻き込まれてしまった。
2021年2月5日 午後1時
高梨家
葵
「おかえり〜葵ちゃん、一人で大丈夫だった?」
「ただいまです。はい!タクシーを使ったんで大丈夫ですよ」
「そうか〜しっかりしてるね!お腹空いたでしょお昼、用意出来てるよ」
「ありがとうございます、いただきます!」
「歩ける?ほら私に捕まって!」
「あっすみません」
私の計画はこうだ。
戸籍の無い私は、普通の人ができる当たり前のあらゆることが、出来ない。もちろん今のように怪我をしても、病気になっても病院にも行けない。当然、日本から出ることも出来ない。
今回、堀田佳奈として病院に行くことになった経緯を高梨に尋ねても当初は「それは言えない」の一点張りで教えて貰えなかったが、私が自分の生い立ちを話すと気を許したのか、利用できると思ったのか、全てを話し出した。
全てを聞いて、私は《堀田佳奈》になることを決めた。《堀田佳奈》として日本を出る。その後は何処かの国で《堀田佳奈》として生きてもいいし、日本に帰りたくなったら別の誰かの戸籍を買ってもいい。海外では比較的簡単に身分が買えるらしい。この計画が成功したらゆっくり考えようと思う。お金の目処はついている。
「葵ちゃん、美味しい?」
「はい!とっても!」
「嬉しいわぁ〜夕飯は何食べたい?」
「うーんと…ハンバーグ!」
「了解!ハンバーグねっうふふ」
「わぁーい、楽しみ〜」
この優しい人を騙すのは本当に心が痛むが……
「高梨お母さん、こないだ言ってたお店の話しだけど…お金のこと、ほんとにいいの?」
「あーあれね!大丈夫よ、いつでも書類もってきてね。葵ちゃんのこと信用してるから」
「ありがとうございます!」
「いいのよ〜手続きは葵ちゃんがしてくれるし、私はサインするだけなんだから」
「……このお漬物、すっごく美味しい〜」
「うふふ」
最初この計画を思いついた時はこの人(高梨母)から預貯金を根こそぎ頂こうと思った。しかし…この人が自由になるお金は毎日の生活費のみということがわかった。ところが話しているうちに、このマンションの名義がこの人のようだと気づいた。
そこで、自分の店を持つのが夢だと嘘の夢を語り、その為の資金が必要だが、自分には到底用意できる金額では無く、銀行から借入が出来れば返済は問題無くできる自信はあるのだが、担保も信用も無い自分に銀行は融資してくれないから諦めるしかないと、涙ながらに語ると「私が葵ちゃんの代わりお金、借りるわ。葵ちゃんの力になりたいの」とまんまと罠に嵌ってくれた。
私の計画にはお金だけで無く《堀田佳奈》の保険証と社員証が必要なのが調べてわかった。
まず最初に、高梨に頼んで《堀田佳奈》を退職させずにしばらくの間、在職させるようにしてもらう。理由は、せめて怪我が完治するまで保険証が無いと不安で…ということにしておいた。
高梨は部長という立場を利用し、上手く《堀田佳奈》の退職をしばらく保留することに成功したようで、「堀田さんの保険証、葵ちゃんが持ってていいよ」と言ってきた。
高梨は、最近ほとんど自宅に戻らないようで、高梨母が「ようやく彼氏が出来たみたい」と喜んでいる。確かに、この家にきて3日間のうち居たのは最初の1日だけだった。どこの物好き?!と思うけど私にとっては好都合でしかない。
そして昨日、高梨の部屋に隠してあった《堀田佳奈》の鞄を見つけ、物色したところ社員証を発見した。都合のいいことに写真無しのものだったので、このまま拝借、あとアパートの鍵らしき鍵が、可愛いキーホルダーに付けてあったので、これもいずれ必要になるので頂いておくことにした。
あとは、《堀田佳奈》の保険証の裏に書いてるアパートに忍び込み《個人番号通知カード》を盗む。あればいいけど…無ければ高梨に調べさすか…。
それ以前にマイナンバーカードを《堀田佳奈》が所持していたら…この計画は諦めるしかないけど…今は持っていないことにかけるしかない…。
図書室1
ここは何処?
随分、あなたと離れてしまった…………
寂しい…………会いたい……会いたい……
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