6/7 走って、飛んで、春。

「それで、音羽の様子はどうだった?」

 文兎くんはそのきれいな髪を、私の櫛を勝手に使って梳いている。

「いやー。人の背中を押してあげるのって、気分がいいね」

「いい感じに話は進んでいるということだな」

 私は親指を突き立てる。

「とりあえず、明日行ってみるって。そんで、ほら。見てみな」

 ファンタジークレイを見せる。みよ。もうほとんど個体になってるよ。

「あと少しだな。よし、この調子なら、明日の時点で固体化するだろう。そしたら液体化してしまう前にとっとと報告しておしまいだ」

 なんだ余裕じゃん。そして、余裕な私は、一つ重要な手紙を開けることにした。

「よし、音羽ちゃんのことはひと段落したし、私の方もどうするか考えようかな〜」

 朝、下駄箱に入っていた恋文だ。物思いにふけってやるんだ。

「ニヤニヤしてるとこ悪いが、その手紙にあんまり期待しないほうがいいぞ」

「なになに? なんであんたはそんなふうに人のいい気分をぶち壊そうとするの?」

 と悪態をついてみたけど、文兎くんは動じない。

「そうだな。このあとのお前の行動に支障が出ないように言っておいてやるが、その手紙はとある男たちがやっているゲームの駒だ」

「ゲーム? どう言うこと?」

「今日、図書室に行くときに見た男三人組を覚えてるか?」

 ヒソヒソと話していて邪魔だったあの三人組だろう。

「あの三人、扉の隙間から図書室を覗いてたんだ。多分、音羽のことを見ていたんだろう」

「そ、そうなんだ」

 頭の片隅に残っている男子たちの会話を思い出し、嫌な予感がした。

「俺はそいつらの後をつけていたんだが、どうやら、告白ゲームをやってるらしい」

 なんて、悪趣味な。

「そして、残念ながら、お前の手に持っている恋文は、ゲームの勝ち負けを決める道具なわけだ」

 でも、別にそれはどうでもいい。私は別に、どうでもいい。

「音羽ちゃんの貰った手紙も、そのゲームのものなの?」

 文兎くんは一瞬、言葉を詰まらせる。

「ああ。そうみたいだ。下駄箱に入れた手紙で呼び出して告白をする。一発で付き合えそうな人を当てるってゲームをしているらしい」

「そんなんで好きでもない人と付き合ったとして、その後どうするの?」

「それ、聞くか?」

「最低」

 ケーキを食べる気もなくなって、お母さんが帰ってくるまでそのまま布団に寝転んだ。

 文兎くんは姿を消して、私はお母さんが作ったご飯を食べ、眠れないまま朝を迎えた。


 ぼんやりとした頭には、悲しみが詰まっていた。遮光カーテンの隙間から差し込む光も、その輝きを失っているようだ。

「眠れなかったのか」

「うん」

 今日、音羽ちゃんは公園に行って、その男と会うのだろう。それがゲームだなんで、許せない。

「お前がどうするのか知らないが、俺から言えるのは、一つ。試練のことを忘れるなよということだ」

「うーん」

 文兎くんは何か言いたそうな顔をしているが、頭を掻いて一言。

「お前の元気がないと、調子が狂うな」

 それだけ言って、姿を消した。


 風香さんの車に乗り込み、学校に着く。

 風香さんは私の雰囲気を察してか、何も言わずに送ってくれた。車が去った後、「お姉さん暇だから、何かあったらなんでも言ってね」と連絡があった。

 私はそんな気遣いに反応する気力もなく、教室に向かう。

「あ! おはよう紅奈ちゃん」

 音羽ちゃんがいつもの三倍くらいの元気さで私に挨拶をしている。私は、そんな音羽ちゃんに合わせる。

「おはよう。音羽ちゃん」

「ね!」

 ね! とは、つまり、今日の公園のことだろう。私は、そんな音羽ちゃんに本当のことを言って、この先訪れるであろう悲しい現実の芽を摘まなくてはいけない。いけないはずなのに。

「ね。音羽ちゃん、緊張しないでね。行って、返事をするだけでいいんだから。その時の気持ちに従えばいいんだよ」

 なんて、悲しい現実の先延ばしにしかならない言葉を言ってしまう。

「うん。私、ドキドキしてるよ。私を好きな人って、どんな人なんだろう」

 音羽ちゃんが恥ずかしそうに笑っている。ファンタジークレイがまた硬くなっていた。それがよりいっそう私の心を締め付ける。


 放課後になると、音羽ちゃんは私のもとにやって来た。

「行ってくるね。本当はついて来てほしいんだけど」

「えっと、ごめん、どうしても外せない用事があってね。いってらっしゃい」

 その瞬間を見たくないがために、そんな嘘をついて、そして、チャンスが失われてしまう。

 多分、このまま何も言わなくても、音羽ちゃんはゲームに付き合わされてたなんて気が付かずに終わる。

 私はそのことを知っているのに、きっと音羽ちゃんのいろんな話を聞くんだろう。相手は音羽ちゃんを別に好きでもなんでもないことを知りながら。

 ふと、私はどこか適当な場所を歩いていることに気がついた。


 はあ、何してるんだろ。私。


 時計を見ると、三十分もふらふらとしていたらしい。

 時間的には、もうそろそろ、公園で告白される時間かもしれない。


 やっぱり、だめ。


 やっぱり音羽ちゃんに本当のことを言わなくちゃ行けない。

 急に、そんなふうに思った。もっと早く決断していればとは思う。けど、そんなの難しい。

 とにかく走ろう。

 私は、公園に向かって走った。心なしか、体が軽い気がする。

 公園には、無事着くことができた。音羽ちゃんからなんとなく場所路聞いていただけで、少し迷ってしまったが。

 汗だくだ。

 公園のベンチには、ポツリと音羽ちゃんが座っている。すでに、男と話しているようだ。

 たしかに、図書室の前にいたうちの一人だ。ちゃんと覚えてるわけじゃないけど。

 なんとまあ、ノリだけで生きて来たような感じの男だ。まあ、事前情報のせいで偏見まみれなんだけど、しょうがない。

「音羽ちゃん!」

「え、紅奈ちゃん?」

 男は、キョトンと私の方を見ている。ったく。何とボケた顔をしてんだよ。

 私は、音羽ちゃんが悲しむのを覚悟で、本当のことを話した。だけど、反応がおかしい。あれ?

 ポケットの中のファンタジークレイがドロドロに溶け始める。

「なんでそんなこというの? 紅奈ちゃん。私のこと嫌いなら、最初からそう言ってよ」

 なぜか、涙目になってそうなことを言っている。

 私は倒れ込みそうになる。つまり、私の言葉が信用できないんだ。まさか。でも確かにそうらしい。

「紅奈ちゃんっていうの? 俺、そんなこと言われると傷ついちゃうよ。な、音羽」

「そう、ですよね。先輩」

 冷や汗が出てくる。なんとも、馬鹿らしい。けど、確かに音羽ちゃんは騙されている。図書室の前の会話をはっきりと思い出す。それと、文兎くんの言葉。

 でも、本人がいいならそれでいいや。

 そう、自分を納得させるしかなかった。

「音羽ちゃん……」

 ただ、名前を呼ぶしかできない。


 その時、音羽ちゃんの体が高く飛び上がった。

「うわっ」

 男がよろける。空に浮いた音羽ちゃんの体は、わずかに静止した後、男の方に向かって墜落を始めた。

「わ、わ、わー! 先輩!」

 音羽ちゃんから聞いたことがない大きさの声が聞こえる。そりゃそうだ。急に空に飛び上がったらそうなるだろう。

「先輩! 受け止めてください!」

 そう音羽ちゃんが叫ぶが、私は男が明らかに逃げ出すのを見逃さなかった。

 さっき駆け出した体は、すでに乾き切っていたが、私はそんな限界を気にせず走る。この体で音羽ちゃんを受け止めなくては。

「おりゃ!」

 ギリギリで墜落地点に入り込む。正直、受け止め切れるかわからない。だけど、選択肢なんてない。やるしかない。

「どうなってるの!」

 私はとにかく叫びまくることにした。そうしたほうがいい気がしたからだ。すると、声が聞こえた。

「調子が戻って来たんじゃないか」

 銀髪のあいつの声だと思う。

 私の体に、音羽ちゃんの体がゆっくりと降りてくる。

 拍子抜けな軽さに、腰をやってしまいそうになるがぎりぎり大丈夫だ。

「紅奈ちゃん! 大丈夫」

「こっちのセリフだよ音羽ちゃん」

 思わず笑ってしまう。まずは自分の身をわ案ずるべきなんだよ。音羽ちゃん。

 と、笑っているのも束の間、音羽ちゃんはあたりを見回した。探しているのは、先輩と呼んでいるその男だろう。

 少し離れた場所にいた男は、こちらに歩いてくる。

「大丈夫だったか! 音羽」

 さも、必死のような見せかけだ。私は何か言おうとしたが、音羽ちゃんが先だった。

「先輩、なんで逃げたんですか?」

「ん? 逃げてなんかないよ」

「いえ。あなたは逃げました」

「どうしたんだよ。音羽ちゃん」

「……」

 それから、音羽ちゃんは無言で男を見ていた。

 すこしして、男はこんな捨て台詞を吐く。

「あー、負けだ。お前のせいであいつらに奢りじゃんかよ」

 そして、男はどこかに歩いて行った。

「音羽ちゃん……」

「帰ろう。紅奈ちゃん」

 振り返った音羽ちゃんは笑っていた。だけど、目が充血してるのはいくらなんでもすぐに気がついた。

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