第67話「未来へのチケット」

 ヴェルナー商隊長が去った後も、俺はその場にとどまり続けた。

 半分以上空いたワインボトルの傍らに、ぽつねんと座り込んでいた。


 商隊長が口にした言葉を思い出した。

 人の口には戸が立てられない、それはつまり、商隊長もまた知っているということだ。

 元々がレアな『神様のギフト』、中でも歴史的レベルで貴重なSSレアの『癒しの奇跡』。それをセラが持っているということに。


 ならば当然、3年後に開催される聖女選定会議のことも知っているはずだ。

 このままいけば、セラがその場に引き出されるだろうことも。 

 その上でこれを俺に渡すってことは……俺たち・ ・ ・のために ・ ・ ・ ・ってくくりの意味は……。


「……王都直行便。もしくは国外脱出便ってことかよ。たまらん気遣いだなおい……」


 心の底から、ため息をついた。


 聖女になるもならぬも、決めるのはセラだ。

 本来なら、何より本人の意志が尊重される。


 だが実際には、周りがそれを許さないだろう。

 ルキウス教の信者たちが、宗教的指導者たちが、老齢の聖女に仕える多くの者たちが。

 彼女の代わりになる若き器を逃がすとは思えない。


 だからこそ、商隊長は俺にこれを託したのだ。

 いざという時にセラが自らの意志で選べるように、未来へのチケットとして。

 あるいは俺がなんらかのトラブルに巻き込まれ命の危険に晒された時の、命綱として。


「ともあれ、ありがとうございます。なるべくこれに頼らないようにしたいとは思ってます」


 手紙の束を腹に抱くと、俺は商隊長への感謝を口にした。

 

 そこへ急に。


「わおーん! セラだぞー! 狼のセラが来たんだぞー!」 


 両手の指をわきわきさせながら、セラが丘を駆け上がって来た。


「……なんだセラおい止まれ……ってうお──」

「わおーん!」


 セラはなんの躊躇もなく飛びついて来た。

 さすがに突然すぎて受け止めきれず、俺はそのまま後ろに倒れこんだ。

 セラは俺の腹の上に座るような格好になると、ケラケラと楽しそうに笑い声を上げた。


「あはははは! ジローが倒れた! バターンって! セラの勝ちだね! あはははははは!」

「おまえなあ……」


 デコピンでもしてやろうと思ったが、やめた。

 なんとなく力が抜けて、俺はそのまま地面に横たわっていた。


「あれ? どしたのジロー? なんで起き上がらな……はっ、もしかして強く当たりすぎた!? お胸痛い!?」


 どーしよ、どーしよ、とばかりに慌てるセラ。

 そう思うなら早くそこをどけという話だが、気が動転しているのだろうセラはそのまま座り続けた。


「ごめんね!? 今すぐ治すからね!?」

「いいんだ。大丈夫」


 慌てて『癒しの奇跡』を行使しようとするその手を掴んで止めた。


「俺は全然痛んでねえよ。おまえぐらいのお子ちゃまの体当たりでどうにかなるほどヤワじゃねえよ」

「ホント? ホントにホント? はああああー……良かったあー……」


 セラはいかにも安堵したといったように胸を撫で下ろした。

 

「はいはい、大丈夫だからそこをどきな」

 

 セラを腹の上からどかすと、俺は上体を起こした。

 どかされたセラはその場にぺたんと座り込み、そこで初めて地面に散らばった手紙の存在に気づいたようだ。


「あれ? これなあに? お手紙?」

「あー……商隊長さん宛だよ。ほら、ザントで必要な品とかを発注したりするためのものだ」


 どこへでも連れて行ってもらえるチケットだとはさすがに言えないので適当なウソをつくと……。


「ひつよーなしな……はっちゅー……。なるほど、ふむふむ、なるほどなー」


 腕組みしてうんうんうなずき、いかにもわかってる風だが……。


「……おまえ絶対わかってないだろ」

「ん、んんんー? そ、そんなことないもんねー。ちょーりじょしゅのセラはすべてまるっとお見通しなんだもんねー」

 

 声を震わせ冷や汗を流して……ホントにウソが下手だなこいつは。


「ま、とにかく仕事上のもんだから、おまえは全然気にすんな。あ、それよりさっきのあれだがな……」


 ザントを旅立つ際、俺たちは事前に取り決めをしていた。

 絶対に皆の前で『癒しの奇跡』を使わないこと。使えるのを誰にも気づかれないようにすること。

 バレたら即座に王都本院送りで、俺とは離ればなれになるんだぞと脅していた。


「わ、わかってるけどでも、ジローが……」


 ぎゅっと唇を噛むセラ。

 反省と悔しさの入り混じったような表情を俺に向けるが……。


「言ったろ。おまえぐらいのお子ちゃまの体当たりでどうにかなるほどヤワじゃねえって。本気で死にかけの時ぐらいしか使わないでいいんだよ」

「うん……ごめんなさい」


 セラは素直に謝ると、俺に抱き着いて来た。

 今度はそっと、胸に顔を埋めるようにして。 

 

「……ね、ジロー?」

「なんだ」

「……ジロー、絶対セラより先に死なないでね?」

「おいやめろ。なんだその死亡フラグは」


 この後すぐに俺の身に何かあるやつじゃねえか。

 25の若さで死ぬとかさすがにやなんだが。 


「だって、だってさ、ジローはいつも無茶するから……」

  

 大寒波の時もそうだったもん、とセラは言う。


「寒くてさ、お腹減ってもあんまりご飯が無くてさ。みんながへろへろしてる時も、ジローは全然食べてなかったじゃん。食べてないのに食べたフリして、自分の分もみんなにご飯あげてたじゃん。セラ、知ってるもん」

「ああ……知ってたのか」

「……うん」


 大寒波に対する現場の指揮をとっていた俺が倒れれば、その後の全体の生き残りに影響する。

 だったらなおさらよく休み、きちんと食事をとらなければならない。

 そうはわかっていても、せざるを得なかった。

 成長期の子供たちに飢餓がもたらす悪影響を考えると、あれしかなかったんだ。


「……セラはずっと、ジローを見てたからね」

  

 セラは俺の胸に顔を埋めたまま、顔を上げない。

 泣いてこそいないものの、感情をたかぶらせてはいるのだろう。体温が急上昇している。


「あのね? セラはケガとかは治せるけど、お腹減った人は治せないから。そのまま死んじゃうから。だから絶対、あーゆーことしないで?」

「ああ、わかったよ」

「約束ね? セラもなるべく約束守るよーにするから、ジローも守ってね?」

「わかった、無茶はしない。神に誓って」

「……ジロー、神さまなんて信じてないくせに」


 顔を上げ、ジト目で俺をにらむセラ。


「それを言うならおまえもだろ。いつだっけ、『いないよ、神さまなんて』って言ったの忘れたか?」


 そのまま見つめ合い、10秒、20秒……。

 ぷっ、と。

 どちらが先に噴き出したのかはわからない。

 ともかく俺たちは笑い合った。 

 神様を信じていない者ふたりがこれから神学院にて神学を学ぶ、祈りを捧げる。

 その皮肉さがおかしかった。


「あっははは。ねえジロー、もうすぐだねっ」


 俺に抱き着いたまま、セラは顔を上げた。

 満天の星空の下、神学院のある方角に目をやった。

 ひと山越えなければならないので街の明かりなどはまだ見えないが、わずかに滲んだ空を見やった。

 

「神学院って子供いるかなっ? セラ、たくさん友達できるかなっ?」

「ああ、いるだろうよ。そもそもが若いシスターブラザーを教育する施設だしな。もしかしたらおまえより下の子供だっているんじゃねえか?」

「年下!? 年下!? そしたらセラはお姉さんだ!? むしろ隊長だ!?」

「セラ商隊の話、まだ生きてたのかよ……」

 

 ザントでは皆が年上だったせいもあるのだろう、自分に妹分が出来るかもしれないという想像でセラは顔を輝かせた。

 ニッコニコになってこれからの生活を語り始めた。


 妹分は全員隊員にして、隊長である自分に忠誠を誓わせるのだとか。

 野山に分け入って手に入れた形の良い石や木の枝に適当な逸話をつけて売るのだとか。

 けっこうパワハラがキツめな隊だなとか、商売としてそれはヤバいんじゃないのかとか思いながらも、俺はあえて止めなかった。


 生まれてこのかた離れたことのないザントを離れ、慣れ親しんだ修道院の面子がいないところで暮らす。これからの生活に対するセラの不安を助長させないようにと考え、黙って聞いてやることにした。


 調子に乗ったのか、セラは終始ハイテンションで喋り続けた。

 明るい顔で、明るい瞳で。

 俺の胸に手を当てながら、夢みたいな未来の光景を。

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