第66話「歴史は繰り返す」

 ヴェルナー商隊長に連れられた俺が向かった先は、馬車隊を見下ろす丘の上だった。

 一緒に酒を酌み交そうという趣向だろうか、商隊長はワインのボトルと木のコップをふたつ、手にしている。


「ここらでいいでしょう」


 商隊長が腰掛けた隣に座ると、すぐにワインの注がれた木のコップが渡された。


「珍しいですね、こういうの」


 商隊長も俺と同じで、そんなに飲むほうではない。

 隊員たちが酔っぱらって浮かれ騒いでいるのを優しい目でそっと眺める、旅の最中ではそんな光景をよく見かけた。


「ま、これが最後の夜ですからね」

「ああ、そうですね。なんだかんだで20日ってとこですか。ずいぶん長い間お世話になりました」

 

 俺たちは、明日の昼にはカルナックに入る予定になっていた。

 カルナックは聖マウグストゥス神学院のある街で、商隊はそこで軽く商売をしてから10日ほどかけて王都へ向かうらしい。


「わざわざすいませんね、俺とセラのために寄り道してもらって。本当はもっと先に王都へ向かう予定だったんですよね? なにせ人口80万人を超す大都市だ。カルナックに寄るのなんて正直手間でしかなかったんじゃありませんか?」

「いえいえ、カルナックは多くの貴族が別荘を構える土地柄でもありますし、商売としては十分以上に成り立つ土地ですよ。それにわたしどもは、ジローさんにひとかたならぬ恩がありますしね。まったくもって問題はありません」


 ヴェルナー商隊長の言う恩とは、おそらく甜菜糖てんさいとうのことだろう。

 サトウキビによらない砂糖の精製方法で莫大な稼ぎを得たことで、俺に恩を感じているのだろうが……。


「とんでもない。それに関してはもう十分お返しをいただいてます。この間の大寒波の時のこと、忘れたわけじゃないでしょう?」


 未曽有みぞうの大寒波に閉じ込められたザント修道院に救援物資を届けてくれたのが、他ならぬランペール商隊だった。

 新鮮な野菜、肉に穀物、燃料。

 あれがあったからこそ、俺たちはひとりも欠けることなく冬を越すことが出来た。

 俺が今こうしてここにいられるのが、そもそも商隊長のおかげなのだ。


「むしろ足りないぐらいだと思います。だからこそ今回の……」

「……なるほど、そういうことですか」


 それで合点がいったという風に、商隊長はうなずいた。


「先ほどの瓶詰めの件、真空と加熱殺菌。あれを教えていただいたのも、そういった理由からですか。あなた流の恩返しの続きだと」

「ええ。自分で恩返しだなんて言うのはあれですがね。シスター30人に野郎ふたり。全員分の命の対価を載せたつもりです」

「つり合っていませんよ、全然つり合っていません」


 商隊長は首を横に振ると、まっすぐな瞳で俺を見た。


「あなたのほうが圧倒的な損をしている。それがわからないとは言わせませんよ?」


 たしかにその通り。

 長期保存の効く瓶詰めの技術は、当然だが商売上の大きな利益に繋がるはずだ。

 単純に技術を生かして瓶詰めを販売してもいいし、特許を取ってさらに莫大な儲けにしてもいい。

 王族に売れば、あるいはもっと違う形の褒章や特権が得られるかもしれない。

 人の命を金に換算することは出来ないが、普通に天秤にかければどちらに傾くかは自明の理だ。


「はっきり言って革命的技術です。以前の甜菜糖の比じゃない、あらゆる分野を数世代先に向かわせる発明です。それだけに恐ろしい」


 コップに半分ほど残っていたワインを飲み干すと、商隊長は2杯目を注いだ。それもまた、一気に半分ほどを飲み干した。

 酒に強い性質なのか?

 あるいは単純に、酔っぱらおうとしている?

 どちらなのか見極めがつけられず、俺はその手元をじっと見つめていた。


「正直言って、悩んでいます。あの技術を広めていいのか。胸の内にとどめておいた方がいいのか……」

「……もしかして、気づいてます? 俺があえて黙ってたことについて」

「それはもちろん」


 商隊長は重々しくうなずいた。


「多額の褒章を約束してまでの食料の長期保存案の公募だなんて、軍関係者以外に誰がしますか」


 さすがは商隊長。

 ナポレオンという英雄のことまでは想像がつかないにしても、その目的がどこにあるのかは瞬時に見抜いていたようだ。


「食料の補給は軍事上の大きな課題です。あなたの世界でもそうであったように、こちらの世界でも多くの学者が研究を進めているのです」

「だからこそ、恐ろしい?」

「ええ」


 商隊長の懸念はよくわかる。

 食料の補給という最大のネックが解決した軍隊は、容易に大規模化を遂げるだろう。

 例えば今まで1万しか送りこめなかった兵士を2万送り込めるようになり、しかも長期間戦えるようになる。それはすなわち、比例して被害も増えるということだ。ごくごく当たり前の連想だ。


「これが気休めになるかはわかりませんがね。技術の発展ってのは止められないもんなんです。俺が伝えなくても、いつかはきっと、こちらの世界でも誰かが同じ発明をするでしょう。そして同じように戦争を大規模化させる。もちろんそうなるまでにどれだけの年月が経つかわかりませんよ? もっとずっと長い紆余曲折を経るかもしれない。ですが、いずれは必ずそうなります」 


 歴史は繰り返す。

 過去に起こったことは、同じようにしてその後の時代にも繰り返し起こり得る。

 そう言ったのはどこの歴史家だっただろうか。


 もちろんこちらの世界と俺のいた世界とは違う。

 違うけれど、似通っている部分も多くある。

 神学院に入学するにあたっての予備知識として多少の歴史と神学を学んだが、歴史のおおまかな流れ自体は酷似している。

 鉄の発見であるとか、民族の大移動であるとか、戦争が文明を発展させるとか。

 食の技術に関しても、おそらくは同じことが言えるだろう。


「俺は軍隊なんか嫌いです。戦争なんて無くなっちまえばいい。争ってでも領土を富を得ようなんて奴らは、ことごとく亡べばいい。でも、それが無くならないだろうことも同時に知っているんです」


 二杯目のワインを口に含むと、俺は馬車隊を見下ろした。


 円陣を組んでいるのは風除けの意味もあるが、緊急時には簡易の砦とし、盗賊相手に備える意図があるのだという。

 ザント修道院にいるだけではわからなかった、世界の事実のひとつの形がここにある。


「現状、軍事上の食料の補給には限界がある。限界を超えた場合は現地調達・ ・ ・ ・まかなうことになる」

「……」

「イコール、略奪でしょう。食料だけじゃない。金品が奪われ、女子供がさらわれる。戦争という極端な正義のために、そんな残酷が許容される。だけどもし、食料補給が十分なら? 現地調達をしなくても賄うことが出来たなら? 指揮官によっては行く先々の村に被害を与えないよう厳命を出す者もいるかもしれない。それで救える命があるかもしれない。一般市民の普段の食事に関したってそうだ。夏に瓶詰めを作って保存しておけば、冬に餓死する者が減る。国庫に大量の瓶詰めを貯め込んでおけば、飢饉や大規模災害、疫病の時にだって対応することが出来る」

「……」

「以前、うちのシスター長に聞きました。この世界は不公平で、不平等だって。貧富の差は大きく、10歳になる前に死ぬ子供なんてザラにいるって。神に仕える経験な信徒である彼女ですらがそう言っていた」


 雪崩に巻き込まれたランカとレオナを癒したことにより倒れたセラ。

 いつまでも目覚めぬその寝顔を眺めながら、俺たちはいくつもの話をした。


「そんなの嫌なんです。子供のわがままみたいだと言われても構わない。とにかく絶対に嫌なんです」


 死ぬほど悩んだ結果、気づいたことがひとつある。

 

「俺はずっと思ってました。どうして俺なんだろう。もっと他の有意な能力を持った偉人じゃなく、俺なんかがこうして異世界に転生したんだろう。神様なんてのがいるとしたら、どうして俺を選んだんだろう。もちろん答えてくれる人なんかいるわけない。だから俺は、ひとりでこう考えました。俺の持てる能力を、知識を分けて伝えることで、自分の望む世界に変えられたならって」

「自分の望む世界……?」

「すべての人が飢えることなく、等しく健康で、笑い合える世界です」


 途方もない夢物語に、商隊長はあんぐりと口を開けた。 


「おかしいでしょう? 何をガキみたいなこと考えてんだと思うでしょう? その通りです。富の数が限られていて、それを欲する者の数に限りがないのなら、絶対どこかに皺寄せは来る。割を食う者が必ず出て来る。でも、食料ただその一点に置いてならば? 必要十分の食料があり、それを分け与えることになんの支障もないのなら? 限定的ではありますが、完全なる世界が作れるのではないでしょうか」


 二杯目のワインを飲み干すと、俺は再び眼下の光景に目をやった。


 焚き火を囲んでいた皆は、食事を終えて酒盛りに突入している。

 ギターを弾く者がいた、小太鼓を叩く者がいた、横笛を吹く者の隣で、セラが陽気に踊ってた。

 足を上げて逆側の手を上げて、それを交互に繰り返して、何のどういう踊りなのかはさっぱりだが、リズムに乗って踊っている。

 笑顔で、幸せそうに。そこにはただひたすら、平和と安穏のみがあった。


「あなたの望む完全なる世界……その達成のためにわたしに技術を教えた。そういうわけですか?」

「ええ。商隊長なら、バランス良く技術を伝達してくれるだろうと思って」

「それは買いかぶりですよ。わたしはただの老人です。一介の商人に過ぎない。ましてや今回のような軍事上の……」

「ああ、そうだ。肝心なことを言い忘れてました」

「え? はい?」


 きょとんとする商隊長に、俺は改めて告げた。


「今回の技術なんですけど、実際には上手くいかなかったんです」

「え? はい?」

「真空と加熱殺菌による食料の長期保存、それ自体は上手くいきました。ただ、いかんせん瓶の素材はガラスですからね。重いし、ちょっとの衝撃で割れるしで、軍事上はそれほど上手く運ばなかったんです。なのですぐに他の素材を使ったものに変えられたんですが、その技術が、今現在のこの世界には存在しない」

 

 金属容器の大量生産、それこそが缶詰の大隆盛を支えるのだが……。


「普通に考えてあと100年……あるいは200年……。下手したらもっとかかるかもしれない。だから今のとこはそんなに心配しないでいいですよ」

「はあー……そうですか。はあー……よかった、ほっとしました」


 俺の言葉を聞いた商隊長は、額に浮いた汗をぐいと拭った。

 明らかに安堵した様子で、大きく息を吐いている。


「本当に寿命が縮まりましたよ。こんな老体によくも恐ろしき運命を背負わせてくれたものだと、正直お恨みしたぐらいですよ。まったく、ジローさんもお人が悪い」

「すいません。肝心なとこを言いそびれまして」


 半ばは本気で、半ばは嘘だった。

 俺自身、商隊長を試したかった部分がある。

 99%は信じられる人のはずだが、残りの1%にまた違った本性が潜んでいるのではないかと。 

 かつての俺の両親がそうだったように。


 でも、今回のことで完全に懸念は無くなった。

 瓶詰めの技術がこちらの世界に与える影響を商隊長は人間として本気で恐れ、本気で胸を痛めていた。

 やはりこの人は信用出来る。


「ですがこれで、わたしも切り出しやすくなった」

「……切り出しやすくなった?」

「ええ、今回の技術提供に対するお礼をどうしようか考えていたんですが、やはりあなたたちにはこれが一番いいようだ」


 そう言うと、商隊長は10数枚の紙の束を俺に手渡した。

 どうやらそれは、すべて手紙のようだった。

 大量の郵便切手が貼られていて、あて先はすべて同じで……この住所は商隊の物流倉庫のものだろうか?


「この手紙に居場所を書いて送ってくだされば、わたしどもは万難を排してでもあなたたちを迎えに伺います。それがどんな辺境であっても、たとえ戦場の真っただ中であったとしても。不肖この、ヴェルナー・ランペールの名誉に賭けて」

「はあ? え? そいつはいったいどういう意味で……?」


 神学院を卒業してからザントに帰る時の話だろうか?

 にしては枚数が多すぎるし、辺境はともかく、戦場の真っただ中とかいうのも意味がわからない。

 

「迎えに伺い、そしてどこへでもお届けします。ザント修道院はもちろんカルナックでも、王都でも、あるいは他国でも、それこそ地の果てであったとしても」


 商隊長は畳みかけるように言った。

 その目はどこまでも真面目に、まっすぐに、俺の目を見つめていた。


「商隊長、いったいどういう状況を想定して…………ん? あ、もしかして……?」

 

 その瞬間、背中に電流が走った。

 そうか、この人は……。

 

「商隊長、あなたまさかセラのことを……?」


 商隊長はシイとばかりに唇の前で人差し指を立てると、小さく笑った。


「人の口に、戸は立てられぬものでございます」

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