第65話「瓶詰めとナポレオン」

 街から街へ、村から村へ。

 基本的には人里近くに野営することの多い商隊だが、そう上手くいかないこともある。

 距離や地形、その時々の天候の問題で、物資の補給の出来ない辺境を旅せざるを得ないことだって当然ある。


 そうなった時に大事になるのは水と食料と、燃料の確保だ。

 水場に関しては旅慣れた隊員さんたちが位置を把握しているし、燃料に関しても十分な数を持っている。

 だが、食料に関してはそうもいかない。


 生鮮食品は日持ちしないし、かと言って中世ヨーロッパぐらいの文明では携行食料に難があるのだ。

 缶詰めとかが無かった時代だからそもそも消費期限に限界がある。

 種類に関しても限界まで水分を飛ばしたパンやドライフルーツ、干し肉、塩漬け油漬け酢漬け、蜂蜜漬けに砂糖漬け、チーズにバター、瓶詰め。あとは豆や穀物などそもそも日持ちのするものをそのつど煮たり、そんなところが関の山。

 どうしたってバリエーションに欠けるし、栄養価にも甚だ疑問がある。

 何よりあんまり美味くない。


 ある夜のことだった。

 商隊は人里離れた荒野の真ん中で、大きな円を描くように馬車を停車させた。

 風除け兼野盗対策の防御陣地の中で、俺は晩飯の支度に取り掛かっていた。


「さあーて、飯だ飯だ」

「ジローさんの飯は美味いからなー、今夜も期待してますよ」

「ジロー、ジロー、今夜は何作るのっ? お肉っ? お肉はあるっ?」


 旅の間中ずっと調理担当をしていた俺の周りに、隊員さんたちやセラがわいわいと集まって来る。

 護衛役の人たちも、馬車の方からちょいちょいこちらの様子を気にしてる。

 

「おう。今夜は大奮発だ。肉もあるし甘いものもあるぞ。期待してな」

「ホント!? 両方!? やったあお祭りだあー! わおーっ、わおーんっ!」


 俺の答えにセラは大興奮で遠吠えを上げ、隊員さんたちや護衛役さんたちもわっと歓声を上げた。


 俺はその場にあぐらをかくと、地面に敷いた板の上に瓶を並べていく。

 ゴトリゴトリゴトリ。横二列に綺麗に並んだのは、大人の握り拳みっつ分ぐらいのサイズの瓶だった。

 瓶は口をコルクで封されロウで固められていて、中には肉に魚に果物に漬け物にと、様々な料理が収められている。


「あ、これっ。ザントを出る前に作ってたやつだっ」


 調理助手として見覚えがあるのだろう、セラが瓶を指差し声を上げた。


「ザントを出る前に作ってたやつ……?」

「……それって何日前の話だ? 俺たちと合流してから今日でちょうど20日で……」

「前日に作ったとしても、21日前のものか……」


 さすがに旅慣れている人たちだけに、食料の劣化には気をつけているのだろう。

 皆、保存期間を指折り数えては不安げな表情をしている。


「安心してください。俺の元いた世界の技術で作った保存食ですよ。直射日光にがんがん当たってさえいなきゃあ、半年から一年は余裕で持ちます」 


 俺の言葉に、皆がザワついた。


 こっちの世界にだって、保存食の技術がないわけじゃない。

 だけどたぶん、半年から一年は余裕で保ちますなんてさらりと言えるものはそう多くないはずだ。

 少なくとも、きちんと美味しい料理に関しては。


「それが本当だとするならば、恐ろしい発明なのですが……」


 俺の正面に座って話しかけて来たのはヴェルナー商隊長だ。 

 でっぷり太った体をゆったりとした貫頭衣で包んだ商隊長は、恐る恐るといった様子で瓶を眺めている。


「本当ですよ。原理を説明するなら真空と加熱殺菌ということになるんですがね……」


 瓶詰めによる長期保存が技術的に成立したのは、歴史的にはまだ新しいナポレオン時代のことだ。

 1804年、周辺諸国に遠征するたび食料補給の問題に悩まされていたナポレオンは、食料の長期保存のアイデアを公募した。

 そこで考案されたのがフランスの食品加工業者ニコラ・アペールによる瓶詰めの技術だ。

 沸騰加熱した瓶に料理を詰め、コルクでゆるく栓をし、鍋に入れて再度沸騰過熱し、30~60分後に瓶の中の空気を除いてコルク栓で密封する。

 真空そして加熱殺菌という当時まだ新しかった発想により瓶詰めされた食品は、船積みされ赤道を横断し、様々な温度下湿度下をくぐり抜けるテストにもよく耐えた。

 それはすぐに缶詰めの誕生に繋がるわけだが、フランスに瓶詰めの文化が今も根付き、土産物にされるのはこういった理由も大きく関わっている。


 とはいえ、ナポレオンやら戦争云々の話はさすがにきな臭い。

 俺は技術についてのみざっくり説明すると、皆にロウで封じられたコルク栓を開けるよう促した。


「ま、論より証拠で食べてみましょうか」


 ポンポン、ポンポンポン。

 真空状態だった瓶の中に空気が入り込み、皆の手元で派手な音が鳴っていく。

 あとはそれらの中身をフライパンにかけて温め、あるいはそのまま皿に移すだけ。


 料理は4品。

 完熟トマト、ナスとズッキーニに塩コショウで下味をつけ、香草で風味をつけ、赤唐辛子でピリ辛にした『夏野菜のピリ辛煮込みラタトゥイユ・ア・ラ・ピカント』。

 牛の胃、ニンジン、玉ねぎ、セロリなどを鶏の出汁フォン・ド・ヴォライユや塩で味付けた『牛の胃の煮込みトリップ・ア・ラ・モッド』。

 塩と香草をまぶしたガチョウの肉をたっぷりの油でじっくり低温加熱した後放置、冷えて凝固させることで旨味を閉じ込めた『ガチョウのコンフィコンフィ・ドワ』。

 たまねぎ・ニンニク・香草や白ワインと共に煮込んだ豚バラブロックを手でほぐし、煮汁やラードで固めた『豚肉のリエットリエット・ドゥ・ポール』。


 夏野菜の煮込みはそのままでもいけるしパンにつけて食べても美味しい。

 牛の胃の煮込みはいかにも酒飲み向きの料理だし、ガチョウのコンフィはガッツリ肉が食いたい人向け。

 豚肉のリエットもパンに塗って食べる用。ただしカロリーがヤバいので食べ過ぎには要注意。


 基本的には野菜と肉を中心にした食事向きのものが多いが、野イチゴのジャムや杏の砂糖漬け、フルーツコンポートなど甘いものも数を揃えている。


「これはすごい! 美味い!」

「肉……ガッツリ肉だ!」

「なにこれ甘い! 美味しい! 頬っぺた落ちそう!」


 こんな辺境で手の込んだ料理が食べられることが嬉しかったのだろう、皆がそこここで歓声を上げている。

 そしてもちろんこの人も……。


「わああーっ! 美味しい! 美味しいよう! 肉! 脂! 砂糖! 杏! 美味しくて甘くてもう最っ高!」


 瞳の中に特大の星を瞬かせながら、なんだかんだでセラが一番喜んでいる。

 回転寿司か何かのようにお皿を何枚も重ねてもぐもぐむしゃむしゃ。口の周りがあっという間に汚れていく。


「おいおい、あんま食べ過ぎると腹壊すぞ」

「『それが料理だセ・ラ・キュイジーヌ』!」

「それ自体は料理じゃねえよ、おまえの食いしん坊加減の問題だ。あとその『ノルマ達成!』みたいなドヤ顔やめろ。そうゆーんじゃねえから」

「えへへへへー……」


 とにかくご機嫌なセラの傍に座ると、俺も皿に手を伸ばした。

 牛の胃の煮込みをひと口……ん、美味いな。

 そんなに好んでは酒を飲まない俺だが、こうしたものを食うと飲みたくなるなあ……だが後片付けもあるしなあー……。


「……ジローさん、少しよろしいですか?」


 ヴェルナー商隊長が神妙な顔で話しかけて来たのは、そんな時だった。

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